「「ミッション・インポッシブル」の伝統」ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング インステアさんの映画レビュー(感想・評価)
「ミッション・インポッシブル」の伝統
「MI:2」のメイキングでトムは言っていた。「ミッション・インポッシブルには伝統がある」と。
その発言は、TV版「Mission:Impossible(日本では「スパイ大作戦」として有名)」は、エピソードごとに話も雰囲気も異なる、という趣旨だったと思うが、他にもTV版の頃からの伝統がある。
それは「前後編はいつもより薄味」という、あまり有り難くない伝統だ。TV版でも通常の1時間エピソードならサクサク進むはずのテンポが、二倍の尺のためやけに鈍重に。しかも前編では作戦自体がうまくいかずに危機的状況に陥って「次回に続く」となるが、後編と併せて考えると、要するに二倍の尺に引き延ばしただけで、いつもとそんなに変わらないというものである。捻りがあるのはむしろ前編で、後編はどちらかというとストレートにそのまま終わったりもする。
トムはしっかりその伝統を引き継いだ笑。そりゃ還暦過ぎの大スターが驚異の生身アクションで命を張るのは、毎回の見せ場になっているが、物語の方は別に2作に分けなくても、そして後編が3時間もの尺でなくとも、と思わせるとこは否めない。
ただしそれがダメとは言ってない。なにやらTV版「スパイ大作戦」のファンはトムの映画シリーズに否定的という見解が一般的だが、私はそうではなかった。たしかにTV版の主人公と同じ名前のジム・フェルプスが1作目のラスボスだという展開には唖然としたし、イーサンとの対決の果てにヘリの下敷きになって死亡というシーンには開いた口が塞がらなかったが、これも「あー。だからフェルプス役はTVのピーター・グレイブスじゃなくてジョン・ボイトだったんだね。TV版とは違う世界観だけれども、フェルプスという役名をうまくミスリードに用いてどんでん返しを演出したんだね」と解釈しただけだ。
なぜならTV版には「新スパイ大作戦」というのが80年代に作られていて、そこでは少しお歳を召したフェルプスをリーダーに、若手のイケメンやイケジョたちが現代(当時)風におしゃれに活躍する、まあ映画版に当初期待されたようなキャラクターたちの構図が、すでに構築されていたからである。そしてこの「新スパイ大作戦」が新味に欠けていたこともあって低視聴率に終わったこと、そもそも旧作の「スパイ大作戦」も、イーサン・ハントの元キャラと思われるローラン・リンド(マーチン・ランドー演)が出なくなったシーズン4以降、確実に尻すぼみになったという事実、これらを映画版のプロデューサーを兼ねるトムが知らなかったはずがないのである。トムはそれらを充分に考慮に入れて映画シリーズを構築したのだ。
映画版第1作は旧TVキャストからブーイングを食らい、マーチン・ランドーも「あれは『ミッション』じゃない。知的なチームワークでなくただのアクションヒーロー物だ。007がやりたいのなら他でやれ」と酷評したが、対するトムはどう出たか。『MI:2』ではトムは「スパイ大作戦」に寄せたりせず、むしろ挑発的に「007」に限りなく寄せた。この『MI:2』のみ、007のMのような上司の命令役が出てくるし、ヒロインとの関係もボンドガール風、物語自体も007そのものだ。トムの反骨精神がいかに強烈かを示すものと言えるだろう。
『MI:2』は世間の評判は余り良くないが、イーサンの現役絶頂期を描いた映画として見れば存在意義がある。これがあるから3作目で「結婚し、第一線を退き教官になった」イーサンが描けるのだし、『MI:2』の冒頭のロッククライミングシーンは、6作目の崖の場面の伏線にちゃんとなってるではないか。
トムはそのようにイーサンというキャラに一貫性を持たせ、007のように唐突に何でも出来る才覚のオンパレードという、大げさすぎるキャラにはしなかった。シリーズ初期からイーサンは「変装」「手品」「バイク」「空中軽業師」という特技に特化していて、活躍は常にその範囲内で行ってきたのがわかる。それ以外にも身体を張ることはあっても、飛び抜けて万能というわけではないし、わりとヘマをしては、特技の4つを駆使して挽回するという展開が多い。その意味ではイーサンは不死身なナンセンス主人公ではない。そこもこのシリーズが人を惹きつける理由だと思う。
さて前後編で薄味になったと書いた本作だが、無理矢理最終回っぽさを出してもいて、こじつけ気味にこれまでの作品の伏線回収を後出しっぽく行うのだが、それらはそんなに深い意味はない。前編「デッドレコニング」にも、ブリッグスというエージェントが出てきて、これはフェルプスの前任としてTV版「スパイ大作戦」の第1シーズンの主人公の名だったから、今回後編でまたフェルプスの名残をこするのも、さほど衝撃的ではない。むしろこの前後編で映画版の重要なサブキャラを1人2人と殺してしまう、そのあっさりさ加減がちょっと薄情に思える。ハードボイルド味をちょっと振りかけてみましたということなのだろうか。
万能AIが人類の敵というのは、新しいというよりむしろSFというジャンルでは古典的なため、AIというワードで新奇性を演出するものの、「2001年宇宙の旅」や「ターミネーター」、「ウォーゲーム」で描かれ尽くした「機械仕掛けの神」感漂うラスボス設定をそのまま踏襲しており、またそういう姿形のない敵では最後のアクション対決もできないので、ここは普通に人間のラスボスを登場させて肉体的に決着をつける運びになる。TV版の前後編における後編通り、エンティティをめぐるどんでん返しや捻りはそんなになく、前述の最終回っぽさとトムの身体の張り具合で3時間の長尺を締める。
途中で最終回っぽさをさんざん演出するわりには、最後はあっさり、いつもとそんなに変わらない感じで終わり、本当にちゃんと終わったのか、あるいは「いつもと同じ締めくくりじゃんか。普通に次もあるんじゃね?」という雰囲気なのも、TV版「スパイ大作戦」「新スパイ大作戦」の最終回と同じ笑。ここでもトムは伝統をしっかり引き継いでいる。
トムの凄さはもう重々判っているのだから、ストーリー面と演出面でもっと衝撃や感動をほしかったというのは、シリーズのファンとしてすなおに思うところ。このシリーズは、つながりのない初期3作がナンバリングになっていて、ナンバリングでなくなった4作目以降が全部つながっているという、ややこしいところがあるが、ファンはTV版譲りの「知的なチーム作戦」と、トムの壮絶肉体アクションのバランスのいい融合をこそ期待しているのではないか。少なくとも私はそうだったし、その意味では4作目「ゴースト・プロトコル」と、その前後である3作目・5作目あたりがバランスに秀でていたように思えるのだが、5、6、7とどんどんトムアクションの比率が過剰になってきて、「知的なチーム作戦」が圧迫されていったのが、もうちょっとバランスよくできないかと不満を募らせる要因だったのではと感じる。
思えば5以降ぐらいからは、毎回「今回はそこんとこバランスよくなってくれないかな」「あーやっぱりトムアクションのつるべ打ちだった笑」という感想だった気がする。トムの壮絶アクションはもちろん凄いし面白いから、見せ場はたくさんほしいのだが、ストーリーに骨太さと知的な展開ってやつを期待したい。
だからあと1作、いやキリのいいところで第10作まで2作、トムで作ってほしいなと思う。トムが第1線を退いて、イーサン・ハントがリーダーでなくとも「ミッション・インポッシブル」は続けられるし、リーダー交替はそれこそシリーズの伝統だが、トムが現役のうちにまたバランスの整った傑作を拝見したいのだ。今回、星を3つにしたが、もちろんトムの「ミッション・インポッシブル」な時点で、潜在的には星5だよ。でも毎回期待してる身としては、是非また瞠目させてほしいと願ってやまないのだ。
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