劇場公開日 2025年4月25日

「宗教とは支配することと見付けたり。だがその根底は他者のために祈るものなり。」異端者の家 furuさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0宗教とは支配することと見付けたり。だがその根底は他者のために祈るものなり。

2025年4月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

「政治と宗教の話は避けよ」と私達は幾度となく聞かされるように、宗教に関する議論は公正中立な落とし所がないこともあり、余計ないざこざを招くものと言えます。
特に私達日本人の場合、「宗派」の違いこそはあれど、八百万の神の包摂性や寛容さを意識すれば、深刻な対立は割と用意に避けられるものなのかもしれません。
しかしながら、一神教を基本とする場合、自分と異なるものは異端として対立排除する動機が働きやすいのかもしれません。10年以上前に見た教養系の動画の中の「一神教は多神教を受け入れることはできない」という言葉を思い出しました。

ヒュー・グラント扮するリードは、様々な宗教(一神教)を学びすぎたがために、そのおぞましい本質に取り憑かれ、他者を完全支配あるいは否定排除するようになってしまいました。
その男のもとを尋ねるのが2人のモルモン教の女性宣教師バーンズとパクストンです。彼女たちも自分たちの価値観や思想を相手に説いて回っているわけですが、それも見方を変えれば相手を洗脳支配しようとすることと言えます。
宗教論議を繰り返すうちに、彼女たちは監禁され、そこから何とか逃げ出そうとするのですが、その狂気の本質を見せつけられることになります。理論や利害対立ばかりに目が行ってしまうとおぞましくなりますが、そのさらなる深淵には「他者のために祈る」であり、最後には凶悪犯罪者もその慈悲に徐々に心を動かされます。
でも、もはや彼女は以前と同じようにモルモン教を布教するどころか信者であり続けることもできなくなったのかもしれません。

コメントする
furu
PR U-NEXTなら
映画チケットがいつでも1,500円!

詳細は遷移先をご確認ください。