「『三丁目の夕日』のその先」HERE 時を越えて はろさんの映画レビュー(感想・評価)
『三丁目の夕日』のその先
前に、『フォレスト・ガンプ』はアメリカ人にとっての『always三丁目の夕日』みたいなものだという話を聞きました。アメリカ人にとっては、私たちが見ても感じられないような、我が事のような強烈なノスタルジーを感じる映画だということなのでしょう。
そしてフォレスト・ガンプと監督脚本主演が同じということもあって、これもアメリカ人にとっての『三丁目の夕日』なのだろうなと思いながら見ました。
様々な時代のある特定の場所を定位置から撮影し続けるという手法の作品で、その時代感は人物の服装や髪型、台詞、家具や調度品、ラジオテレビの内容などから察することが出来るわけなのですが、「なんか19世紀っぽい」「独立戦争の話っぽい」「ベトナム戦争の頃っぽい」くらいの解像度で見てしまっている私に比べ、アメリカ人ならもっと強烈な懐かしさを感じるんだろうなと。
登場する食品や玩具なんかもきっとそれぞれの時代に実在したもので、『あ、あれお父さんがよく飲んでた!』『私もアレ、やったなぁ』なんて回想しながら見るのでしょう。
徐々に国力が衰え始め、「昔は良かった」が大暴走しつつある現在のアメリカ。だからこそこんな映画もものすごくウケちゃうのでは、と思いながら見ていたのですが、しかし話はそれだけでは終わりませんでした。
古き良きノスタルジーの世界を幸福に生きていた主人公も、時代によって価値観が変容するにつれ、現代的な問題に直面していくことになる。というかそもそも、昔の幸福な二世代同居家庭も妻の壊れそうなほどの忍耐の結果成り立っていたものである、ということが、現代になると示唆されるようになる。
しかし、義実家同居の苦しみって、世界共通のものなんですね(笑)個人主義の米国ではそもそも夫婦が親と同居するというのは普通のことではないような気もしますが、孫も幼く二世帯で騒がしく暮らしていた『あの頃』に「昔はよかった」的な感想を抱く人も多いだろうところでの、熟年離婚という展開は冷水を浴びせかけられるような感覚になるのではないでしょうか。そして主人公が去ったあとにあの家に暮らすのは白人の家政婦を雇う若い黒人夫婦。そのようにして時代の変容を表しながらも、息子に『警官に対しては従順に振る舞え』と言い聞かせる父のシーンでは、あの国での黒人の扱いが過去から現代に至るまで不当なものであることを示唆する。「昔はよかった」にとってはノイズにしかならない描写も、多く行われているのです。
しかしだからこそ、この作品はただの『三丁目の夕日』ではない。その過去の、答え合わせとしての現在を真摯に描こうとしているように感じました。
衰退の恐怖の中にあるアメリカ人にとっては楽しい結末ではないだろうとも思いましたが、しかしこの映画、あらゆる家族の新生活の始まりとその終焉を繰り返し描くことで、滅びを肯定してもいると思うんですよね。そこに諸行無常感があるというか……あなたは滅んでも過去の愛が無かったことにはならないし、何か別の属性の者によるものであれ新しい愛は必ず生まれる、というような壮大なメッセージ性も感じられたように思います。見ると、滅んでいくことが怖くなくなるかも。