奇麗な、悪のレビュー・感想・評価
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女は二度、髪を解く
2025.2.24 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(76分、G)
原作は中村文則の小説『火』
ある洋館を訪れた女の独白を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は奥山和由
英題は『Revael』で「明らかにする」と言う意味
物語の舞台は、日本のどこかにある古びた洋館
雑踏から抜けて住宅街に入り、キリスト教墓地の隣を歩く女(瀧内公美)は、その向かいにある洋館に足を運んだ
玄関は施錠されていたが、横にあった通用口はそのまま入ることができた
中にはオルゴール式の飲んだくれの人形と、ワインとグラスが置かれていて、机の上には手紙らしきもの、階段の踊り場には「画家と裸婦の絵画(後藤又兵衛『真実』)」が飾られていた
女は建物をくまなく眺めた後、中央にあった椅子に深く腰を落とした
そして、「火の話から始めましょうか」と言って、小学校時代に起きた事件のことを話し出した
映画は、この女がひたすら過去の話をすると言う内容で、登場するのは「不仲な両親」「高校時代に出会ったR」「知り合いの兄との結婚」「夫の両親との関係」「売春婦時代に出会った男たち」「恐ろしい客T」「いやらしい男S」という流れになっていた
女は8歳の時にカーテンに火をつけて両親を殺していて、そうなることがわかっていながら火をつけたと告白する
その後は施設に入ることになり、小学校でいじめられ、高校は2年で中退したと語っていく
その時にRと言う男と関係を持ち、彼はいつしか逮捕され、刑務所に行く事になったらしい
さらにRを待つ事なく同僚の知り合いの兄と結婚し、娘を出産するものの、その義父母との関係が悪く、それゆえに義父を嵌めたみたいな話も登場する
本題は、その後の売春婦生活で、恐ろしい男Tの話がメインで、いやらしい男Sとの関係なども語っていくのである
物語の後半では、女は「嘘ですよ」とこれまでの話を否定するのだが、どこまでが嘘かはわからない
この時に医師が患者に宛てて書いた手紙を読むことになっていて、それゆえに咄嗟に言葉になったのかもしれない
ヒントになるとすれば、女の髪型であり、Tの話になったあたりから「時系列を無視して髪の結い方が変わる」という演出になっていた
最初に髪を解いたのは、ライトが点滅し、書斎の机に座った後で、その後の話は「Tの暴力がひどくなる」というものだった
その後のシーンから「Tと娘を見かけて隠れた」ところは髪結に戻っていて、その後、ライトがついたあたりで解いているシーンに戻る
さらに「Sのマンションについてからの話」にて髪結に戻り、「悪の中の悪」の話で解いているシーンに変わり、「Sのとの会話にて一言ごとに髪型が変わる」と演出に変わっていく
そして、「包丁で刺した」という語りから、ラストの2階のベランダに移動するまでの一連のシーンはずっと髪結のままになっている
ベランダに出て墓地を眺めた女は、その後椅子に座って髪を解くのだが、そのシーンでは字幕で「わたしは生きていてもいいでしょうか」と表記されていたシーンだった
解いているのに結っているというところで語られるシーンが嘘なのか、髪を解いたところから最後に解くまでが嘘なのかはわからないのだが、何らかの区分はされているのだと思う
ちなみに映画には、後藤又兵衛の「真実」が何度も登場するのだが、これは「画家が自分の絵の中に取り込まれている」という構図になっていて、精神科医が患者の話の世界に取り込まれていることを暗示している
この裸婦は髪を後ろで結っていて、これは画家には見えない位置となっている
これを踏まえると、「髪を解いてからの話は先生には聞かせたことがない話」とも考えられる
そして、医師の机には「出せなかった患者宛の手紙」と言うものが残され、そこには「何度かお便りしたが返事がなく不安だった」「患者としてではなく、ひとりの女性として意識した」「診察の度に男性関係の話になって、いつしか貴女の話でしか感じなくなった」みたいなことが書かれていた
おそらくは、彼自身も女に魅力を感じ、心を取り込まれたのだと思う
この手紙を読んだ後から前述の髪型のシーンが交錯する事になっていて、「わたしはまだ終わっていない」というつぶやきが漏れてくる
精神科医は不在だが、あの不安定な時期の自分に囚われている異性がいたことは、彼女を肯定するに値するのだろう
それゆえに、最後は「わたしは生きていても良いでしょうか」という問いかけに繋がるのかな、と感じた
いずれにせよ、ずっと一人で喋っているだけの映画なので、その話にのめり込むことができるかどうかが肝のように思う
だが、のめりこみすぎると映画全体に仕掛けられたものが見えなくなってしまうので、巧妙な仕掛になっているなあと感じた
彼女の話にのめり込ませるためには、女を演じる女優の説得力が必要で、本作における瀧内公美というのは最適解だったと思う
訳あって2回鑑賞することになったが、髪型のことを知って観る2回目は多くの発見があったので、鑑賞済みの人もトライしてみてはいかがだろうか
一人の不幸な女性を覗き見る
他の作品に例えるのはアレですが、ジョーカーや、ドラマのMIUで、菅田将暉さんが演じた久住を思わず思い出しました。たぶんこの人改心することとかないんだろうなー、という、完全悪。
紐解かれることを嫌い、捕まったとしても情状酌量を求めないだろうに、ベラベラベラベラ自分のことをしゃべり続けるのは、まだだいけるというガッツなのか、相手をおちょくってるのか…
たぶんこの考察さえも、この女性からしたら余計なお世話なんでしょうね。
原作未読、heeも未履修の自分からすると、彼女の名前や生年月日、その洋館はなんて場所なのか、「先生」とは誰なのか、曖昧なまま話は進むけども。
観ていくうちに、「やってみたくてもできない」ような、踏み越えてはいけない一線を、彼女は悠々と踏み越え、その先の不幸も一身に背負ってくれてるのに気付き、たまに爽快な気分&彼女が哀れに思える瞬間がありました。
娘と天秤にかけて、どうなるかわかっているのに颯爽とアウトな方を選んて快楽に真っ逆さまなんて、なんかもう、違う生物見てるみたいでした。
この女性はこのあと、もっと狂うのか、改心するのか、警察に捕まりでもするのか、いくつかのパターンを想像するけど、どれも無視して、彼女は自分の正解の道を行く(階段のシーンは絞首台に登るように見えた)
何も変わらない。彼女の娘も救われないし、Tの性癖もきっとかわらないまま。
そうか、こんな女性もいるのか、と、心のなかで新しいフォルダを作って保存することにする。
文を書いてるうちに、「彼女の理解者はどこにもいない」のメタファーとして、一人芝居なのかとも思えてきました。だとしたらまるごとすげぇ…!
渾身の一人芝居
ひとつ前に観た『ドライブ・イン・マンハッタン』よりさらに減って1人。
回想シーンも一切なく、導入部に誰か出てくることもない完全な一人芝居。
一気に演じきる演劇とは違って、細かく切りながら演じる映画では、何度も同じ温度に持っていくのは大変だったろうな。
舞台となる洋館で行われているのは一種の催眠療法みたいなものなのだろうか、チカチカと灯がともり、謎の人形、耳に残る口笛。マッチは意図的に置かれたものなのかな?火の消え方は少しカッコよかった。
始めは静かに話し始め、だんだんと語気も強めになり、中盤からは狂気。前衛舞踊家のような装いも相まって引き込まれる。
髪を留めていたり下ろしたりが交互に繰り返されるのは、夢か現かというものなのか。
そもそも本当なのか嘘なのか、閉院するのか既にしたのか、いろいろと謎だらけで嫌いじゃない。
1人しか出ない映画。一生の記念。
舞台挨拶付き。テアトル新宿。
監督のコメントからも、万人受けは狙わない特殊な映画だとうかがえる。同じくテアトル新宿で長塚さん目当てで「敵」の舞台挨拶にも行ったが、登壇した瀧内さんの雰囲気が「敵」の舞台挨拶時と別人のようでした。当然ながら、相当背負った作品だったのでしょう。こういう映画を鑑賞したこと、良い記念にしたいです。
嘘があっても、いつも事実
Broken Rageと同じ実験映画らしいが
「見る」必要がない映画っていったい…。
今年56本目(合計1,598本目/今月(2025年2月度)19本目)。
この作品の特徴は、何かの施設か、館かの一室で女性がペラペラと相手もなく話し続けること「だけ」の作品で、実はそこがどこであるのか等のことは作内、あるいは実はエンディング間近になって明かされるのですが、とにかく登場人物がいない(1人?)というヘンテコな映画です。
そのような観点なので「バリアフリー上映」も何もデフォルトでそうなので意味がないという…(もちろん、聴覚にハンディがある方向けの字幕放映はあり得るでしょうが)。
何というか、小説等も今ではアマゾン等でオーディオブックで聞くことができますが、それに動画(といっても、ほぼほぼ館の一室を女性がうろうろしながら話しているだけ)がくっついた「だけ」で、この映画は何を述べたいのだろう…というところです。
もっとも、ここの紹介や公式サイト等を見ると自主映画であることや実験的作品ということはわかるし、あるいはエンディングロールで「英語版字幕作成」の部分に映画字幕学校等がクレジットされる(この映画は特殊な映画の扱いなのか、映画の翻訳学校等が入りうるのでしょう(そもそも、一般の英語と字幕英語とは別の扱い))のも、費用を抑えたらそうなるとかどうなるではなく、作品の特殊性故にこうなったのかな…というところです。
こう何というか、小説では物足りない方向け?とは思ったのですが、小説を紙媒体でもキンドル版でも読むには高校程度の国語力(外国人であれば、日本語能力試験の1級やそれに準じるレベルの級)が必要ですし、もしそれで足りないならこの映画を見ても理解できませんし(女性がぺらぺら話すだけで回想シーンなどもない上に、女性の話す速度が異様に早いなど)、これはどうなっているんだろう…と思ったところです。
このため、「「見る」必要がない」というのはそのためであり、極論いえば「動画つきのオーディオブック」になっているため、そこの判断がかなり分かれるのかな…といったところです。
ただまぁ、人を不愉快にさせるような発言ほかはなかったので、そこは全体的に考慮しています。
採点は以下まで考慮しています。
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(減点1.3/映画というのには特殊すぎて誰も理解できない)
この点、大阪市であれば例えばインディーズ映画等が多く取り上げられるシアターセブンさんなどであれば、「ある程度の品質」ということはわかるし、またインディーズ映画等から羽ばたいた作品も多々ある(侍タイムしかり、ベイビーわるきゅーれしかり)のは理解するものの、この作品をシアタス心斎橋(イオンシネマ系)でされても、みんなびっくりするだけかなぁ…といったところです(誰も理解できない?)。
※ 要は、公式サイト等の説明が足りず、見に行った方は全員フィルムがぶっ壊れているのか何かとしか思えなくなる「バグ状態」になっている
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UN BONJOUR
ミスマッチ
最近は「アカデミー賞ノミネート作品」中心の作品選びが続いているので、ここいらでその系統を外した一本をチョイス。奥山和由さんと言えば、かつて「時代の寵児」ともてはやされた映画プロデューサーで、勿論50代の私も当時はお名前をよく聞いていました。その後いろいろありましたが、最近では息子さんたちのご活躍も目覚ましく、今作では久しぶりに自ら監督を務められたと言うことで楽しみにしてテアトル新宿へ。公開初日12時からの回はまぁまぁの客入りです。
なお私、中村文則さんの原作は未読ですが、前日にUNEXTで『火 Hee』を鑑賞してからの参戦。ちなみにチケット購入は一昨日だったのですが、もし先に『火 Hee』を観ていたらチケットを買っていたか?或いは、『火 Hee』を観ずに本作を鑑賞していたら?…
で、鑑賞後の感想は…正直、期待外れでした。或いは、前日に観た『火 Hee』の桃井かおりさん(監督・主演)の演技にすっかりあてられた影響もあると思いますが、二つの作品はやはり別物であり単純に比較したわけではありません。ただ、今作の主人公「女」と瀧内公美さんはちょっとミスマッチかな。。
確かに、今作においても瀧内さんの演技は素晴らしいとおもいます。彼女自身、多くの作品で挑戦的な役にも体当たりで演じ、ここまで申し分のない結果を残していて決して力量不足とは思いません。むしろ引っかかるのは、奥山さんの演出や脚本にやや古さを感じる点が多く、残念ながら劇中の「女」の話にイマイチ感情が動きません。ちなみに、劇中において男性は「精神科医」、他「女」の回想に出てくる(確か)6名。全般において「男女間」の話であるため、怖がらずに「男性目線」で発言させていただくと、瀧内さんは劇中の「女」から想像するよりやや若すぎる(或いはそう見える)かな、、、それに今回のような見せ方だと、語られる「女」に比べて瀧内さんが凛々しすぎでヤサグレた感じがあまりしない。そして、オチがあれなだけに彼女の美しさ以上の「危険な魅力」が感じられないと、いくら過激な話を聞かされたところでそうなるかな?と感じます。これらは演技というより演出の問題だと思いますし、そもそも脚本から感じる印象は「平成(それも前半)」で止まっているような感じが。また、狙ってやっているはずの「絵画」「口笛」「燭と火」「死にかけの電球」などの小道具も果たして如何なものかと。。
と言うことで、地に足がつかずに「雰囲気先行」な印象で、正直に言えば「つまらなかった」という感想です。ごめんなさい。
「光る君へ」の呪詛シーンを元にした実験映画?
瀧内公美讃歌
芯の強い女性像
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