奇麗な、悪

劇場公開日:2025年2月21日

奇麗な、悪

解説・あらすじ

映画プロデューサーの奥山和由が約30年ぶりに劇映画のメガホンをとり、2016年にも「火 Hee」のタイトルで映画化された中村文則の短編小説「火」を原作に撮りあげた実験的な自主映画。

街の人混みのなかを、まるで糸の切れた風船のように危うげに歩くひとりの女。やがて古びた洋館にたどり着いた彼女は、そこが以前に何回か診てもらったことのある精神科医院であることを思い出す。ひと気のない洋館の中に吸い込まれるように足を踏み入れ、以前と同じように患者用のリクライニングチェアに身を横たえた女は、自身の悲惨な人生について語りはじめる。

「由宇子の天秤」「火口のふたり」の瀧内公美が主演を務め、1時間以上におよぶワンカット撮影で圧巻のひとり芝居を披露。全編を彩るピエロの口笛のメロディは、芸術文化功労賞受賞者で国際口笛大会優勝経験を持つ加藤万里奈が担当。

2024年製作/76分/G/日本
配給:NAKACHIKA PICTURES
劇場公開日:2025年2月21日

スタッフ・キャスト

監督
奥山和由
原作
中村文則
脚本
奥山和由
プロデューサー
豊里泰宏
撮影監督
戸田義久
照明
中村晋平
録音
伊藤裕規
美術
部谷京子
衣装デザイン
ミハイル ギニス アオヤマ
ヘアメイク
董氷
音響効果
大塚智子
編集
陳詩婷
音楽
加藤万里奈
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(C)2024 チームオクヤマ

映画レビュー

2.0 芸術作品のような75分

2026年6月28日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

短編小説『火』(2007年、著者:中村文則)の二度目の映画化。
一度目の映画『火 Hee』(2016年)は、監督・脚本・主演を桃井かおりさんが務めていた。

本作は瀧内公美さんの語りを見る映画。
話し方は桃井かおりさんほど特徴はないけれど、整った美人で絵になる。
瀧内公美さんが過去に演じた様々なキャラクターを思い出しながら観る。

Aに捧ぐ作品で、Rと結婚し出産後、Tに写真を撮られて娘も とられ、好きだったSとのこと。
『火 Hee』よりは原作に近い。

BGMの口笛が印象的で、奇麗な映像で不思議な魅力がある。

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Don-chan

2.0 一人芝居ワンシチュエーション

2026年6月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

ザ中村文則って感じ。中村文則の小説って闇とかS⚫︎Xとか暴力とかだもんなー

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ゆうき

1.0 独白劇

2026年6月14日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
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odeonza

5.0 凄まじい作品

2026年6月13日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

『奇麗な、悪』は悪についての映画に見える。

しかし見終わった後に残るのは、「悪とは何か」という問いではない。

むしろ、「愛とは何か」という答えのない問いである。

本作は、閉院した精神科医院を舞台に、一人の女が自身の過去を語り続ける物語だ。

放火。
家庭崩壊。
売春。
暴力。
依存。

彼女の人生には、人が目を背けたくなるような出来事が並んでいる。

だから観客は最初、この女を理解しようとする。

何らかの精神疾患なのか。

何らかのトラウマなのか。

あるいは生まれつき壊れていたのか。

しかし彼女の話を聞き続けているうちに、その視線は少しずつ変化してゆく。

彼女の人生は確かに異常だ。

だが、その根底にある感情は異常ではない。

誰かに見てほしい。

誰かに理解してほしい。

誰かに捨てないでほしい。

そうした感情は、程度の差こそあれ誰もが持っている。

だから観客は彼女を怪物として切り捨てることができない。

むしろ彼女の中に、自分自身の一部を見つけてしまう。

本作を見ながら私が何度も思い出したのは、幼い子供の持つ無垢な残酷さだった。

トンボの羽を引き裂く。

蟻の巣を壊す。

カーテンに火をつける。

そこに悪意はない。

憎しみもない。

ただ、「どうなるのだろう」という純粋な好奇心がある。

そして、その好奇心は世界に触れたいという欲求でもある。

考えてみれば、それは愛と無関係ではない。

人が世界へ手を伸ばす最初の衝動だからだ。

だから本作に描かれる悪は、単純な悪ではない。

むしろ愛がねじれた姿に見える。

母への憎しみの奥には愛されたいという願いがある。

夫を傷つける行為の奥には必要とされたいという願いがある。

精神科医を拒絶する言葉の奥には理解されたいという願いがある。

彼女は悪について語っているようでいて、本当は愛について語っている。

しかし、その愛を本人は最後まで言葉にできない。

だから延々と過去を語る。

罪を語る。

傷を語る。

それでも核心には辿り着けない。

そして観客もまた、何が彼女をここまで動かしているのかを考え続けることになる。

解説によれば、本作は中村文則の短編小説『火』を原作とした実験的な自主映画だという。

もしそうであるなら、この映画の実験対象は女ではない。

観客である。

映画は「愛とは何か」という答えを示さない。

その代わり、観客自身に愛について考えさせる。

それも美しい愛ではなく、説明しにくい愛について。

執着に近い愛。

依存と区別できない愛。

理解したいという愛。

許してほしいという愛。

そして、許されたくないという愛。

だからこの映画は見終わった後よりも、数日後の方が不気味に効いてくる。

悪を描いた映画だと思っていたはずなのに、気がつけば愛について考えている。

おそらくそれこそが、この作品の仕掛けだったのだろう。

『奇麗な、悪』とは、悪の物語ではない。

誰も明確に語ることのできない「愛」を巡る物語なのである。

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