幸せの列車に乗せられた少年のレビュー・感想・評価
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プロダクションデザインは良い
第二次世界大戦下のイタリアを舞台に、
荒廃した南部都市と緑豊かな北部の対比、
登場人物たちの衣装や楽器に至るまでの細やかなプロダクションデザインは、素晴らしい。
しかし、この素晴らしい映像美とは裏腹に、
その演出には大きなギャップを感た。
シナリオ的には劇的なシークエンスが序盤から繰り返し登場するものの、
その演出が観る者の心に響いてこない。
母親との別れ、
バイオリンをプレゼントされた時の気持ち、
そして北部での少年の葛藤、
友だちとの再会など、
シナリオには感情を揺さぶる要素が満載されている。
しかし、これらの場面が単になぞられているだけで、
観客の心に刻み込まれるような感情的な共鳴が生まれていない。
例えば、母親からの手紙のシーンは、
少年の心の変化を描き出す重要な場面、
その心情が十分に表現されていない。
また、デルナたちの怒りや、
南部の故郷への郷愁なども、
もう少し丁寧に撮ってほしかった。
ケネス・ブラナーの「ベルファスト」でも指摘した。
感情を繋げる【間】の状況作りとカット割りの不足、
シナリオに書かれていることを単に映像化しているだけで、
登場人物たちの心の動きを観客に伝えるための工夫が足りない。
特に、トンマジーノやマリウッチャとの再会の場面は、
まるで毎日会っていたかのような唐突な展開だった。
ただし、
ラストシーンは、登場人物たちの気持ちがしっかりと伝わってきた。
そして、EDロールで映し出される当時の子供たちだろう、
屈託のない笑顔が、
陰影で縁取りされて、
観客の心を温かく包み込んでくれる
イタリアのアイデンティティのベクトルは必ず外を向く。
『ひまわり』と『ニュー・シネマ・パラダイス』と「ミツバチのささやき」をリスペクトしているね。
それは兎も角、イタリアと日本の違いは、こう言った事を描く時、イタリア人のアイデンティティのベクトルは必ず外を向く。つまり、故郷を捨てても、自己形成を優先する。自分が犠牲になる事は決してしない。
この映画はイタリア共産党の協力をもらっている。つまり、フィクションである以上、カトリック教会に対するアイロニーと自分達(イタリア共産党)の偉業をプロパガンダしているものと思う。
しかし、こう言ったストーリーがあった事も事実である。
イタリア共和国は新しい国で、北と南は経済格差だけではない。元々違う国であり、しかも第二次世界大戦の末期になって、ムッソリーニの政権は北を本拠地としている。つまり、1943年まで同じ国民と言うよりは、現在の『彼の国たち』の様だった。戦後、北部と南部となって、ソ連との関係が良かったイタリア共産党のオルグの一環で始まった事業だと思う。
さて、敗戦国日本はこの頃レッドパージの嵐が吹き荒れ初めていた。
因みに、イタリアはムッソリーニが処刑された後は連合国の一員になって、イタリアは勝戦国である。
似たように日本も戦後は努力、苦労したが、イタリアと日本は全然違う。
さて、そのイタリアに一人あたりのGDPで日本はイタリアに抜かれた。
大和民族は絶滅危惧といつも言っているが、どうやら、お隣の国の方が深刻な様だ。急激に経済が伸びてはいて、日本を一人あたりのGDPで抜いたが、要は若者の人口が少ないと言う事だと思う。貧困そのものよりも人口減少や戦時国家(戦争)が怖いと僕は思う。
戦後間もないイタリア
第二次世界大戦後のイタリアは貧しく、特に南部が大変で、子どもを養えないので北部に預ける親が多かったらしい。
ナポリに住む主人公は一人息子だったが、母親は北部に預けることにする。
北部では独身の女性が預かり、ぎこちないが優しく育ててくれる。
麦の収穫が終わり、いよいよ帰ることになるが・・・。
イタリア映画はどういうわけか、しっくり来る。
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