ブラックバード、ブラックベリー、私は私。のレビュー・感想・評価
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沁みるラスト
48歳に至るまでひとりで生きてきた女性エテロが主人公。
彼女の中年で青春を迎え&愛を知る作品だと思った。
彼女が生まれてすぐ母親がなくなり、幼少時代も寂しい生活を送っていたようで、
それが今まで続いているという、実にせつなくも悲しい半生だと思ったが、
本人にとってはせつなくも悲しくもなく、ひとりがよいというあたり、
やはり価値観というものは人それぞれだし、他人が決めつけるものではないと
あらためて感じた。
私のように思う人物が映画世界の周囲にたくさんいるのがリアルだと思った。
孫がいる男性と双方恋に落ち愛を育むエテロだが、
子宮がんではないかという症状が現れ病院にいくと、なんとご懐妊だという。
このあたりの演出が巧みで、私はまんまとエテロと同じ認識をしてしまい、
懐妊しているとは予想だにしていなかったので、あっと驚いた。
自分の死に向かい合っていたのに、新しい生を宿したことを知ることを経て
ここからのラストに至るエテロの感情・表情が素晴らしく、
実に深く余韻がたなびくラストショットだった。
全編淡々と進行するので、若干退屈さも感じたりはしたが、
(前半は鬱屈した気持ちにもなるし)
このラストにはやられた。
沁みた。
音、音楽が印象的。
まず、遠い異国の生活が満喫できる。
主人公の心の状態に合わせた曲のチョイスが絶妙で主人公と同じ心境になれる。
主人公はありのままだ。
本当に、ありのまますぎるほどありのまま。
映画でそんなありのままでいいんすか、ってくらい。
最後、主人公がカフェで結構な時間泣くのだが、それが嬉しさなのか嘆きなのか、長い時間観客はグルグルと思考を巡らす。
そして、最後に見せる主人公の眼差しは、どの観客が見ても決意に溢れている。
揺るぎない彼女に相応しい眼差しだ。
こんな異国の映画が日本でも共感され上映されるというのは、驚きであるとともに人としての悩みとか苦しみ(喜び)っていうのは、距離も時間も越えて共通するものなのだなと実感。
主人公に感情移入しちゃって面白かったです
話しを単純化すれば、田舎村に住むブサイクなオールド・ミスが、ハプニングでの気持ちの高ぶりと更年期障害で身体が火照って、思わず手近な男と不倫に走り、予期しない妊娠をしちゃいました。終わり。
ってことなんだけれど、まあ、物語の全ての段階で、それぞれに色々と必然的な事情がある訳です。
結構、主人公に感情移入しちゃって、面白かったです。
ジョージアの映画は、ゴンドラの映画と、ブラジャーの映画と、これで3本目。
それぞれに味があって楽しかった。
【”ブラックベリーと黒ツグミの贈り物。そして人生はそんなに悪くない。”今作はブラックベリー好きの中年女性が崖から落ちて死を感じた事から、笑顔無き人生が動き出す様を描いた人生肯定映画である。】
■ジョージアの村で日用雑貨を扱う店を営むエテロ(エカ・チャブレイシュビリ)は、いつものようにブラックベリーを詰みに行った時に、観たことが無いような黄色い嘴の黒ツグミを見る。が、その瞬間に川沿いの崖をズルズル―と落ちてしまい、死を意識する。
彼女は、店に戻ると商品を配達に来たムルマンに顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅いでから、自ら積極的にセックスをする。そして、48歳にして処女を失うのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・まずは、エテロの怒っているような大きな眼のインパクトが凄い。身体も大柄だ。お店に行って大好きな”ナポレオン”を食べていると、ウェイトレスから”あのお爺さんが、あの女は何であんなに太っているんだ太っているんだ、と言ってます。”。などと言われてしまうが、彼女はギロッとした目と太い眉でお爺さんを見るだけだ。クスクス。
・小さな町の口さがない女性達も、48歳独身のエテロの生活に興味津々。”男も愛も知らないんじゃない?おっきなお尻!”などと言われるが、逆に彼女は”何で、愛を知ってるアンタたちは幸せそうじゃないの?”と言い返すのである。
・けれど、妻のいるムルマンと、頻繁に密会するエテロ。ムルマンは積極的に彼女にアプローチをする。エテロは笑顔一つ見せないが、それに応えるのである。この辺りが観ていて何だか、可笑しいのである。
・だが、ムルマンはある日”トルコに行って、トラックドライバーになる。ここの一か月分の給料が一日で稼げる。だから、暫く会えない。”と言うが、エテロはあんまり気にしない。そして、ムルマンから”一緒に来てくれないか。”と言われるも”独りの生活が良いの!”と言って意に返さないのである。
・そんなある日、エテロはブラックベリーを詰みに行った時に、小用をする。すると、ショーツに黒茶のおりものが付いていて彼女は不安になる。彼女の母は、子宮がんで亡くなっているからだ。大好きなブラックベリージャムを食べても、味が変なのである。
序でに彼女の父と兄は酷い人だったらしい。それも彼女の生き方に影響を与えているようだ。ロック好きの青い髪の少女に子宮がんについてスマホで調べて貰い、町の女達に首都トビリシの腕の良い産婦人科を教えて貰い、父と兄の遺品を町の女達に上げてから彼女はバスで診察に行くのである。
■病院でエコー検査をして貰うエテロ。相変わらず仏頂面だが、少し不安そうだ。だが、老医師の口から出た言葉は”おめでたですよ。貴女の年では珍しい。”であった。
エテロは、町の喫茶店で大好きな”ナポレオン”を注文するが、それには手を出さずに、その横のエコー検査の写真を取り出して見るのである。
その瞬間、彼女の脳内には黒ツグミの妊娠をお祝いするかのような鳴き声が響き渡り、彼女の大きな目はみるみると涙に満たされて行くのである。
<今作は、ブラックベリー好きの中年女性が崖から落ちて死を感じた事から、笑顔無き人生が動き出す様を描いた人生肯定映画なのである。>
<2025年3月16日 刈谷日劇にて観賞>
幸せの黒い鳥
48歳で独身のエテロはブラックベリーを摘みに来た河川敷で黒ツグミに目を奪われ崖から転落しそうになる。
死を意識した彼女は経営する雑貨店にいつも配達に来るムルマンと関係を持つ。今まで彼女は男性との付き合いをしたこともなければ結婚などしたいとも思わなかった。母親のいない家庭で長年父と兄の世話を強いられてきた彼女にとって結婚に対して幻想を抱くことはできなかった。それは結婚のいやな面だけを見てきた彼女には無理もないことだった。
いまだに処女崇拝が残るような閉鎖的で古い考えに縛られた人たちが暮らすジョージアの田舎の村。その中でも彼女の家庭は異常で、エテロは父や兄から精神的な虐待を受けて育った。
独身の自分を揶揄する茶飲み友達にも彼女はこう答える。自分は結婚による苦労を背負わずに済んだ、この年になっても肌のつやもあり髪が白くなることもない、役立たずのドラ息子を育てて国に貢献したなどという彼女らに対して図星をつくきついパンチをお見舞いする。またカフェで独身の彼女を侮辱した高齢男性には結婚やペニスが幸せをもたらすというなら結婚した世の女性たちはすべて幸せなはず、でもとてもそうは見えないと言い返す。彼女の芯をついたその言葉に彼は返す言葉もない。
河川敷にテラスのある小さな家を建ててブラックベリーを摘みながら新たな人生を過ごしたいという彼女にブラックバード(黒歌鳥)の奏でる歌声は幸せをもたらすのかあるいは死をもたらすのか。
関係を持ったムルマンは孫もいるような男性だが詩を詠むロマンチストであり彼女は彼に惹かれて逢瀬を重ねる。
しかし彼の一緒になろうという言葉をはねのける。いまさら人の世話をするために残りの人生を使いたくない。父や兄、男たちから解放されてやっと自分のための人生を生きられるようになったのだから。
いつものように河川敷に来ていた彼女は以前から続く不正出血にただ事ではないことに気づく。自分も母と同じ子宮頸がんなのでは、死の影が彼女に忍び寄る。
しかし彼女が診察に訪れた病院で告げられたのはご懐妊の事実だった。ブラックバードは彼女に死ではなく命をもたらした。しかしそれは彼女にとってある意味死よりも辛い残酷な仕打ちだったのかもしれない。
ひとりカフェでナポレオンを頬張りながら、お腹のレントゲン写真を見つめてむせび泣く彼女。その涙がうれし涙ではないことだけは確かだろう。
結婚はいい面もあれば悪い面もある。パートナー次第では昔ほど自分が犠牲を強いられることもない。またそもそも結婚制度にこだわる必要もない。異性間同性間にもこだわる必要もない。
一人でいることは気楽である一方で寂しい面もある。ラストの彼女の涙はそんな相反する思いがごちゃ混ぜになったような涙だったのかもしれない。
中年期の女性の性と生を皮肉とペーソスいっぱいに溢れる作品に仕上げた。これはなかなかの拾い物だった。
ちなみにあのエテロが好んで食べていたナポレオンパイ、ミルフィーユみたいなものかな、ちょっと食べてみたいけど彼女の姪(?)は一切手をつけてなかったからかなりの高カロリーだろうな。男の目を意識せずボディーラインを気にする必要のないエテロにとってはカフェでのあの時間は至福の時だったろうに。
そろそろ落ち着いた生活を考えるような歳になって、強烈に割り込んできた人生の転換期とも呼べるイベント。どう向き合うのが良いものかと悩ましい気分にさせられる作品です。
黒い鳥と黒い実。何かを象徴する言葉なのだろうかと、予告を
観てから気になっておりました。危うく不慮の事故で命を落と
す所だった主人公のその後の行動も気になりました。
そんな訳で鑑賞することに。
…したのですが うーん。
あまりプラスの感情が出てこない作品だったような気が…。
というのが正直な感想です。*△*;
主要な登場人物はというと…。
主人公はエテロ♀。48歳独身。雑貨屋を営み生計を立てている。
仕入業者のムルマン♂。孫がいるらしい。エテロより年長か?
その他、エテロと昔からの知人女性が数名。性格悪い気が…。
エテロの母は、恐らく出生時に体を壊したことで早世。
そしてこれも恐らくなのですが、エテロがある程度の年齢になる
と、家の中のこと全般をするようにと父と兄に押しつけられたの
ではないかと思われました。うーん。
人との出会いの機会が無い生活の中では、恋愛などは望むべくも
なく、この家の女中のような生活を強いられ、あげく二人とも亡
くなったものかと、これも想像。
残されたのは雑貨屋。そこからの収入で細々と暮らす毎日。
時折、近くの山へと出かけ、崖の上でプラックベリーを採取して
はジャムにするような慎ましい生活をしていました。
そんなある日、崖から落ちかけます。
綺麗な黒い鳥が飛んで行くのを眺めていたヘテロ。
家に帰ろうとした瞬間、足を滑らせて崖の下に滑落。きゃー。
必死に崖の上まで昇りきったヘテロ。
帰り道の橋の上で、溺死体となった自分の姿を想像し身震い。
” 死とは、こんなにも身近に !”
そのことを強烈に認識したヘテロ。
仕入品の配達に来た男に” 異性の匂い ” を感じると同時に
強烈な性的欲求が沸き起こり、男と肉体関係をもってしまう。あー
徐々に変化が起きていく。
本人の意識にも、行動の仕方にも、そして周囲との付き合い方にも。
そしてある日。この日も山に出かけたのだが、
尿意を覚えてお花積み(※)。そこで、あることに気がつく…。
” ? ”
病気を疑って都会の病院に検査に行くのだが…。
※他の言い方もあるようです。キジ撃ちとか。
と、まあ
一人の女性の人生の中で
50歳を目の前にした女性に起きる変化を、途中まではとても
淡々と描いたお話でした。最後のイベント発生までは…。
人生の一大事ともいえる重大事の連続。
一難去ってまた一難(?)のエンディング
これからどうするだろうか
問題を上げ欠けられて投げ掛けられて終わったような
そんな気分で映画館を後にしました。
観て良かったか は、微妙です。
けれど色々と鑑賞後に考えさせられる作品なのは、
間違いないかと。@-@ウーム
◇あれこれ
■飾られている写真
棚の上の写真(3人分?)が誰の写真か気になりました。
普段 飾っているのはおそらく 父と兄?
もう一人の写真は、小さい頃 兄から写真を盗んだ女の子?
それとも、ヘテロには記憶もない” 母 ” なのか。
■ブラックバード
何かの象徴として描かれているような気がしたのですが
良く分かりませんでした。・△・
崖から落ちる場面以降は出てこなかった気もしますし…。
あまり重要な意味は無かったのでしょうか…? @_@
ちなみにヨーロッパでは「クロウタドリ(ツグミ科)」を指す
ようです。(ジョージアはヨーロッパ?アジア? 境界?)
■描かれる時代
この作品の時代がいつなのか、ヘテロの生活環境を見る限り、
日本の感覚としてはそれなり昔の話かとも思えたのですが、
友人の娘に病気の症状の検索を頼む場面をみていると、単に
ヘテロの生活が前時代的なだけのような気もしました。
ジョージアの都市部と田舎、中年と若者の違いなのかな。
◇最後に
診察を受けた後の場面。
突きつけられた現実を受け入れきれず店の中のテーブルに突っ
伏し、自分の感情を持て余しているかのようなヘテロ。
恐らく泣いていたのではと思うのですが、顔を上げたその表情
に、一転して笑みが浮かぶのです。
この微笑みがどんな感情を表しているのだろうか と考えている
のですが、結論に至りません。
絶望なのか (どうしようもなくなったら、あの崖から…)
決心なのか (何としても産んで育ててやろうじゃないの)
決意なのか (あの男、逃がさないわ 追っていくわよ)
悟りなのか (何を考えても始まらないわ、無の境地よ)
良い未来へとつながる選択肢は何でしょうね。うーん。
※ジョージアに赤ちゃんバンクってあるのかな…
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
ラストの主人公の笑顔は嬉しい笑顔と信じたい
あらかじめ設定を知っていたので、一人でブラックベリーのジャムを作ってそれなりに日々充実してる48歳の独身女性というのはわかったけど、なんの予習もなかったらどうだったかな?ちょっとわかりにくかったのでは?と思ったり。最初お祖父さんにしか見えなかった人が寝て次に会うときはなんだかイキイキちょっと若返ってた気がして。主人公が終始怒ってるような表情で気持ちが分かりにくかったのだけど、ラストガンではなく妊娠と分かった時声高らかに笑うのが印象的だった。一人がいいと思ってた主人公だけど全く違う人生を黒ツグミが連れてきたんですね✨雨のシーンが多かったけどみんなあまり傘を刺してないのが不思議でした。あと、最後のカフェで食べてたのなんだろ?パイ?なんかパスタ食べるみたいにクルクルフォーク回しててそれも不思議でした。誰か知ってたら教えて。
よしてよ、ブラックジョーク
自営業で暮らせている所以外、最悪だなというのがエテロに対して抱いた正直な感想。
ミドフォーにして処女という設定があってか、同性からの扱いやら彼女の心情の移り変わりはやけに生々しく映り、観ていて目を背けたくなった。年明け早々観るには色んな意味できつかったな。
主体性のない人間の行く末がこれか…とさえ感じてしまい、自分はこうはならんぞと反面教師にさえなったのでこの2,000円と2時間は無駄にはならなかっただろう。
結末があまりにも最悪で溜め息が出た。けれどそこからの彼女の変化を想像すると、続編が上映された日には怖いもの見たさできっと劇場に足を運んでしまいそうではある。
観て良かった。ジョージアの生活を垣間見た。
日本にもいそうな背景の女性。
きっかけがすごいが、恋愛をしはじめ、めきめきと生活が変わっていく。
主人公の女性の裸がすごくリアルで自然。
そんなところまで映していいのかと思うくらいだった。
しかも、お金があるようには見えないが、生活ができているのが不思議。
スイーツ好きな私は、ナポレオンという巨大なミルフィーユのようなケーキがすごく気になった。
自分が自分らしく生きるための解放
2023年4月ぶりに観るジョージア映画。どこにでもいそうな市井の人をめぐる死と生を描いた作品だ。
ジョージアの小さな村に住む48歳のエテロは、自分を産んだ直後に母親を亡くしており、結婚もせずに父親と兄の世話をしてきたが、その二人もこの世を去って、現在は日用品を売る店を営みながら自由に一人暮らしをしていた。ある日、いつものように山にブラックベリー摘みに出かけたエテロは美しいツグミ(ブラックバード)が飛び立つのを見惚れているうちに足を滑らせて崖から落ちてしまう。幸い軽い怪我で済んだが、一瞬、自分が転落して死んでいる構図が頭をよぎる臨死体験をしたエテロは、更年期も始まりかけているこの時期に、(ツグミが自由に飛び回るように)狭い世界の中での生き方に縛られない自由な人生へと踏み出していこうと配達員のムルマンに迫っていき、人生で初めて男性を知る……。
若い頃には選択肢が無限に広がっているかも知れないが、人生の折り返し地点を回った後、人はどんな選択をするのか?全てを諦めて惰性で生きるのか、それとも全く新しい扉を開けてみるのか?
「いい歳をして何を今さら…」と考えるのは前者で、実は程度の差こそあれ、ほとんどの人がこちらを選ぶのではないだろうか?未踏の地に足を踏み入れるのは怖く、とてつもない勇気が必要だからだ。でも、そんな勇気を振り絞って一歩を踏み出したら、奇跡が起きるかも知れない。まぁ、「奇跡」が良いことなのか悪いことなのかという価値判断は別として……。
まだまだ不完全とはいえジェンダーを隔てる壁が崩れつつある近年、逆にクローズアップされているのが世代を隔てる壁なのではないだろうか?それは、SNSで年寄りが若者を批判し(これは昔からあるか…)若者は年長者を老害扱いをする対立と分断が、実際の選挙の結果に影響を及ぼすまでになっている様を見ても顕著だ。しかし、先ほどの「いい歳をして…」に象徴されるような捉え方こそ、まさに世代に対するステレオタイプであり、その偏見こそが分断を生み出す原因だろう。
その意味では、本作はまさに《いい歳をした》中高年の性についても真正面から扱っており、それが何も若い世代だけの特権ではないことを示している。
自分が自分らしく生きるためには性別にも、年齢にも、世間の目にも、社会慣習にも縛られる必要なんてないんじゃないか。邦題にだけ加えられた「私は私。」に込められているように、そんな《解放》のメッセージを投げかけてくれる作品だ。
なんかわかるなあ
ひとりが良いという人が世界的に増えてます。増えているというより、テクノロジーの発展でひとりで生きられるのが可能になったからですよね。特に女性は面倒な家事や雑用を押し付けられるから、エテロが結婚を断ったのもわかるなあ。恋愛するくらいがちょうどいいですね。ラストは不安と驚きと嬉しさが混ざった涙だったんでしょうね。死を考えていたのに生を考えなくてはいけなくなったのですから。
女性が主役
エテロと同世代のおひとりさまなので、
女子の何とも言えないこの感覚が解りすぎて、
ちょっとモゾモゾしました。
ただ、ラストは、リアルさが遠のいちゃったかな…。
病気でも懐妊でもない別の終わり方が良かったなぁ…。
結局は、子どもが強いのかぁ…って思ってしまって…。
また、このラストのエテロの感情が読めなくて、
でも、やっぱりハッピーエンドと捉えて良いのかな?
エテロの処女喪失のための男性以外は、ほぼ女性しか出てこなくて、
女性監督が女性に向けて、強く熱いメッセージを込めた作品だと思いました。
ジワジワときています。
タイトルなし(ネタバレ)
ジョージアの小村で雑貨店を営む四十路の女性エテロ(エカ・チャヴレイシュヴィリ)。
死んだ父と兄の面倒をみていたため、婚期を逃したままの独身。
そろそろ更年期の気配もみえてきた。
若くして結婚した周囲の女性たちは、婚期を逸した彼女のことをなんやかんやとおしゃべりの肴にしている。
そんなある日、例年どおりブラックベリー摘みに出かけたところ、崖から転落。
あわやのところで一命を取り留める。
自分の死の幻影、父と兄の幻影を視て、エテロの生活が変化する。
なじみの初老の納品業者と突発的に肉体関係を結んでしまう・・・
といった物語。
周囲の女性陣に気取られぬよう、かつ、相手の男性にも対等でいたいと考えてハードボイルドな生き方を貫くエテロ。
リアリズム溢れる描写、簡潔な表現などダルデンヌ兄弟監督作品を思い出したりもする。
が、最終的には、女性・母性に帰還。
(勘がいいので、途中で結果はわかっちゃった)
ここでぶった切るように終わるあたりもダルデンヌ兄弟監督作品を彷彿とさせるのだが、それまでのハードボイルドな生き方からどう変わるのか、この後の物語が観たいという思いの方が強く残る。
あまり評価出来ず。
それにしてもジョージアという国は雨が多いんだなぁ。
先にフィルメックスで観た『四月』や以前公開された『とうもろこしの島』でも豪雨が登場したからねぇ。
赤裸々過ぎてちょっと引くが
ある日、崖から滑落して死ぬかと思ってから突然性欲が出て、たまたま来た仕事相手の既婚者に発情し、関係を持つ48才の処女。今どき紙の箱に入った粉末洗剤を使っている人っているのか?こんな商売が成り立つっておとぎ話設定?と思ったがスマホは使っている。
端的に言うと、私は私の基準で幸せを感じているんだから他人の基準で判断したりましてや口出ししたりするな!って主旨。
その余計な口出しをしまくる周囲の女性たち、白、薄ピンク、赤、ブルーと髪の色がみんなカラフル。あと、出てくるケーキ類が素朴で美味しそう。こういう部分がポップと評される所以だろう。
ラスト、子宮ガンだと思って都会の病院で診察してもらったら妊娠と診断された後、雨に濡れて入ったカフェで普段食べないケーキを頬張りながら泣くが、その後の晴れやかな顔は前に向いたのだろうが、あれは何の涙だったのか。
分からないけど圧巻ということだけ分かる
オープニングから導入までがすごいんだよね。
オープニングは川の濁流だね。大雨の後の一粒一粒が生きてるような荒々しさで、主人公が濁流に巻き込まれるようなことが起こるんだろうなっていう。
画面が切り替わるとブラックベリーを採りながらブラックバードにみとれたと思うと谷底に落ちていく主人公。危ういところで踏みとどまるものの、帰り道では溺死体となった自分の幻影を見てしまう。
すると、どう見ても主人公のことが好きだろうという男が出てきて、主人公は誘惑し、48歳にして処女喪失。
ここまでがすごいね。
そこから色んなことが語られるんだけど。
語られてるなって分かるんだけど、何が語られているかは分からない。
ラストのシーケンスの裏切り感は良かったな。
「ここで放り投げるエンディングがくるんだな」と思ったらそうなって良かった。
あと画がすごいね。
ヨーロッパ近代絵画みたいな撮り方してる。フェルメールっぽいところもあって。
エテロっていう主人公の名前もなんか聖人っぽいし、そういう背景もなんかあるのかなと思いました。
なんだか分からない作品ってけっこうあるけど、分からないのに面白いか面白くないかは判別できて、だいたいみんな揃うね。
デビット・リンチが「みんな分からないっていうけど以外に分かってる」って書いてたけど、そうなのかなと思いました。
2025初映画でじんわり幸せ
感想ぶちまけるので、これからの方は読まないで!
ヨガ帰りのいい時間にネットで最後の一席ゲット。
人気ぶりは席の埋まり具合で一目瞭然。期待値マックスでポップコーン片手に着席。
とにかく前半は、既婚者にのめり込んで、またその甘い言葉を鵜呑みにして免疫のないエテラが傷つく展開になるのではないかとハラハラしていた。超凡人の想像力で、やめろやめろと心の中で叫び、ガンかも知れないと病院に向かう所、女友達にハグされ力になるからと励まされ、いやー、それみたことか、やっぱこの救われない展開ねーと、この映画を選んだことを後悔し始めていたのだが…
最後のまさかの展開にグッと来てしまった(涙)。
思ってみれば単純かもしれない結末ではあるが、演者達の何とも言えない暗い演技と、田舎町の封鎖的な雰囲気が、あの結末を想像させてくれなかったのである。
いやー、いいサプライズ。
ナポレオンパイのサイズもサプライズ。
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