「コロナという中途半端な悲喜劇を直視する」未完成の映画 KaMiさんの映画レビュー(感想・評価)
コロナという中途半端な悲喜劇を直視する
10年前に資金不足で中断した映画の撮影を再開したら、今度はコロナに襲われたという映画。監督や俳優はじめクルーが宿泊したホテルでスタッフから感染者が発生、主演俳優は軟禁状態に。映画の撮影自体が実はフィクションだが、緊迫した実況中継のように話は展開する。
行動が制限されるなか、命綱のようにスマホにすがりついて家族と通話したり、オンライン飲み会を開催したり。こうした場面から、数年前のことなのに忘れてしまったコロナ当時の記憶がよみがえってくる。
若干映画からは離れるが、なぜコロナをこんなにも忘れてしまいたいのだろう。コロナが終息して何周年などの形でお祝いするとか、当時を懐かしむ気持ちにもなれない。
「コロナに打ち勝つ」などと勇ましく言われたこともある。でもコロナを自分たちの力で乗り越えたという実感は何もない。どこか後ろめたい気持ちで日常に戻って来たというのが実情ではないか。
映画に出てくるようにオンライン通話を新しいおもちゃのように感じてはしゃぎ、出勤しなくていい解放感を味わったことも気恥ずかしく思い出される。「新しい生活様式」を一瞬信じそうになったが、結局暇つぶしを言い換えただけであり創造性のある日々ではなかった。
そのような意味でコロナは悲劇としても喜劇としても中途半端なものだった。一方、亡くなった人や後遺症を抱えた人がいるのは厳然たる事実だ。映画の後半で描かれる中国での鎮魂の場面は、発生源となった国ならではと言えるが、区切りの儀式として必要なことだったのではないか。
映画は後ろめたく恥ずかしいコロナ期に正直に向き合わせてくれる。同時に、単に日常に回帰するというハッピーエンドにも陥っていない。そもそも頓挫した映画を撮り続けるという、どこか無謀な試みを続ける人たちの話だ。人生を中断させたり、再生させるのはコロナだけではない。
スマホで撮影したような縦型の映像が多用されるが、最後には通常の画面に戻って映画が終わることに安心させられた。コロナとは、スマホ画面に生活を閉じ込める流れを加速させてしまった出来事でもあると思う。しかしお手軽に生活を複製しただけではない物語を映画は作っていく、そういうメッセージを勝手に受け取った。