「彼らに贈られたギフトは、家族の息遣いの中で生まれる特別なものだった」ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
彼らに贈られたギフトは、家族の息遣いの中で生まれる特別なものだった
2025.2.3 字幕 イオンシネマ近江八幡
2022年のアメリカ映画(110分、G)
実在のデュオ「Donnie& Joe Emerson」が制作した『Dreamin‘ Wild』が発掘される様子を描いた音楽映画
監督&脚本はビル・ポーラッド
原題の『Dreamin‘ Wild』はエマーソン兄弟が制作したアルバムのタイトルのこと
物語の舞台は、2011年のアメリカ・ワシントン州スポーカン
スタジオ「マルタレコード」を経営しているミュージシャンのドニー・エマーソン(ケーシー・アフレック、少年期:ノア・ジュプ)は、妻ナンシー(ズーイー・デシャネル)やディオン(ドギー・ドーソン)、カルロス(カルロス・L・フォックス)とともにバンドを組んでイベントに参加したりもしていた
彼には娘のアヴェア(Claire Yarber)と息子チャンス(Charles Charlebois)がいて、幼い彼らを小学校に送り届けた後に、スタジオの仕事などを行っていた
ある日のこと、フルーツランドで農場を営んでいる兄ジョー(ウォルトン・ゴギンズ、少年期:ジャック・ディラン・グレイザー)から電話が掛かってきた
その内容は、30年前に自主制作したアルバム「Dreamin‘ Wild」がコレクターによって発掘されたというもので、その話を聴いた音楽プロデューサーが「再販」したいというものだった
プロデューサーのマット・サリヴァン(クリス・メッシーナ)は、ようやく二人を見つけられたと喜び、コレクターの間で流行っていて、今ではネット界隈でバズっているという
にわかに信じがたい話だったが、二人はその話に乗ることになった
ジョー17歳、ドニー15歳の時に作ったアルバムは、父ドン・シニア(ボー・ブリッジス)と母サリーナ(バーバラ・ディーリング)の助力によるもので、自家製のスタジオで録音されたものだった
アルバムは2000枚ほど作ったものの、全く話題にされることもなく、30年の時が過ぎていた
ジョーは音楽を辞めて、今では父の農場の手伝いをしていて、ドニーもソロの話が来てお金を注ぎ込むものの、騙されて痛い目に遭っていた
それゆえにマットの話に懐疑的だったが、今回は思いもよらぬ滑り出しを見せることになった
物語は、再販の反響によって、ステージに立たないかというオファーが来るところから動き出す
出演の条件は、あの時の楽曲を演奏することで、参加するのはジョーとドニーだけだった
ドニーは今ではナンシーと組んで音楽活動を続けていて、今更音楽を離れた兄とセッションすることに違和感を感じていた
何度か音合わせをするものの、ジョンはプロレベルとは言えず、そこでマットに相談してナンシーとディオン、カルロスをサポートメンバにすることになった
そこでもジョーの演奏はテンポをキープできず、ドニーの苛立ちが募るばかりだったのである
家族はドニーが複雑な内面を抱えていることも知っていて、才能があることも認めている
父は農地のほとんどを手放してドニーに投資をしてきたが、結果は散々なものだった
その負い目がドニーには残っていて、このセカンドチャンスで恩返しができると感じていた
それゆえに復帰のライブを完璧なものにしたいと考えていたのである
映画は、知る人ぞ知るというアーティストの30年越しの成功を描いていて、実質的には家族の再生を描いている作品だった
30年の月日がそれぞれに日常を与えてきて、それゆえに言えなかった本音というものが露見している
ドニーはプロとして成功したかったが、世間の反応は家族愛に溢れたデュオを見たかったという
この乖離がドニーの今を否定しているように思えるのだが、実際のところ、ドニーを献身的にサポートする家族がいてこそ、あの音源が生まれたとも言える
ドニーには才能があるのだが、それを見つける人と支える人が必要で、ナンシーにその役割はできない
それは彼女もプロのミュージシャンであり、家族であるものの、血縁がないからかもしれない
同じようにドニーを支えているつもりでも、微妙な違いがそこにあって、ナンシー自身はジョーだからできるサポートというものをわかっているし、彼らが紡ぐ音楽が大衆に支持されている理由もわかっている
30年の時がドニーに与えたものは、30年前に消えてしまったもののように思えて、ある時を境にドニー自身を苦しめることになっていたのだろう
ドニー自身がジョーに強く当たるシーンでも、テンポがキープできていないなどの技術面の部分が大きいのだが、ナンシーはそれを「味」だと理解していて、ドニーは自分の音楽の再現の阻害だと感じていた
この違いがリスナーとの距離感にも繋がっていて、才能の開花というものはとても難しいものなのだなと考えさせてくれるのである
いずれにせよ、音楽の魔法は理論通りに作れば生まれるものではなく、人と人が演奏して初めて生まれるものなのかな、と思った
音源にらしさが残っているのは、完璧な空間で作られていないからであり、日常の延長にある非日常だから生まれるものもあるのだろう
ラストでは、ドニー&ジョーがショーを行うのだが、その後に本人たちが登場する演出はとても良かった
席には両親もいて、元気そうで何よりだったが、彼らは息子たちが楽しく音楽をやっている姿をずっと見たかったんだろうなあと思った
一時は才能の飛躍を夢見たけど、そう言ったアメリカンドリームで弾ける人生ではなかった
だが、再結成された2011年から動き出す今があることは、全員に与えられたギフトがうまく融合しているからなんだろうなあと感じた