「正義の立場の高揚感はやはり気持ち悪い」ショウタイムセブン kenshuchuさんの映画レビュー(感想・評価)
正義の立場の高揚感はやはり気持ち悪い
セカオワの曲で、「説教するってぶっちゃけ快楽」という歌詞があったが、上から目線で正しい(と思っている)ことをしてると人は気分が高揚しがちだと思う。不祥事を追及している記者や、あり得ないミスをした部下を説教する上司なんかはそんな高揚感を覚えている気がする(後者はパワハラを警戒して数は減っているかもしれないけど)。マスコミの人間がくだらない質問を投げかけている様を見ると本当にゲンナリする。あんなの「知る権利」を振りかざした自己満足でしかない。本作を観るとそんなことを思ってしまう。
本作のオリジナルは未視聴。予告編の雰囲気だけで観ることを決めた映画だ。序盤の展開はなかなか緊迫感があっていい。ただのイタズラだと思った電話が、本当にテロの犯人からの電話だったという流れはいい。ラジオ番組からテレビのニュース番組へと生放送の場が移っていくのも局内の混乱を感じてなかなか面白い。
ただ、あれだけの爆発を起こす爆弾を、どうやって発電所に持ち込んで仕掛けたのかは描かれない。後々説明があるのかと思ったが全くなかった。実は一番大変なミッションなのに。さらにはテレビ局の中に爆弾を仕掛けるのも、あの人ができるのか?と思ってしまう。スタジオ内の爆弾も誰がどの爆弾を身につけるのか把握できないのでは?と。そこらへんのどうやって?を解決させずに、なぜ?がメインの話になってしまった。かなり強引に。ところが、そのなぜの部分もスッキリしなかったのだから困ってしまう。結果、犯罪としてかなり杜撰なものに感じてしまう。犯人は何がしたいんだよ!?と。
そして最後もなかなか厄介だ。報道とそれを観る視聴者の姿勢を問う内容にしたかったのかもしれないが、あの説教臭さでは伝わらない。あいつのイカれた行動はなんら心に響かないものだった。生見愛瑠と井川遥が放ったセリフに観ている側の思いが代弁されていたんじゃないか。命をかけてあんな高揚感を味わいたいと思う人間がマスコミにたくさんいるとしたら空恐ろしい。
こうなるとオリジナルはどうなったのかが気になる。韓国映画なら、あんな説教臭くしないんじゃないかと。逆に韓国映画だからこそ説教臭くするかもしれない。これは気になって仕方がない。これはもう観るしかないな。そういう意味でオリジナルへの宣伝効果は一定ある映画だったかもしれない。