蜘蛛巣城のレビュー・感想・評価
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人が蜘蛛の巣に掛かる…
三船敏郎さんは、黒澤映画で、善役でも悪役でも出るが、この作品は悪役の方で
出た物の秀逸。
現実の歴史に忠実であるかは不明だが、戦国時代には、こういう下剋上は多く
あったと推測できる。
多くと書くと「ネタバレ」となるので書けないが、クライマックスの「森が歩いて
やって来る」とか「人が蜘蛛の巣に掛かるような、弓矢の雨嵐」は、逸品。
心の底には何がある
「マクベス」を戦国時代に翻案
1957年。黒澤明監督。主演三船敏朗(この時、37歳)
「マクベス」の粗筋をちょっと斜め読みしました。
ほとんどそっくりの内容なのですね。
悪妻の見本とされるマクベス夫人。
主君の寝首を掻かせることをそそのかす妻・浅茅(山田五十鈴)がその役です。
謀反は成功して主君の城・蜘蛛巣城を奪うものの、武時(三船)は亡霊に慄き、
我を失い遂には味方たちから無数の矢を放たれて死に至る武将を三船は演じています。
笑いません、苦虫を噛み締め目は血走っている。
ラストの武時(三船敏朗)が無数の矢を放たれるシーン。
黒澤明は本物の矢を三船目がけて放ったと言う。
(後日、酔った三船がこの時の恨みを晴らそうと黒澤宅に散弾銃を持って
押しかけたとの、エピソードが有る)
その矢の数たるや数百本は下らず、首を貫通しているように見える一本は
どう加工したのだろう?
不思議に思ったのは、武時(三船)の顔と頭に当たらないこと・・・
(まさか実際の矢を放ったとは・・・)
それで顔や頭に当たらず、周辺に無数に・・・そしてやっと胴体に刺さるのだった。
「隠し砦の三悪人」でも、三船の落馬シーンを、トンネル内として、
落ちて走って来る三船を映している。
この無数の矢も、手加減が当然してある。
三船の身体の周辺に、殆どが放たれているのだ。
(細い矢である。・・・しかし、三船は身の危険を感じたらしい・・・根に持つほど
内心怒っていたとは・・・)
この映画「蜘蛛巣城」は黒澤明監督と三船敏朗の主演作にしては、
娯楽性が薄い作品です。
「七人の侍」のように道化に徹する三船はどこにもいない。
苦虫を噛み締めた仏頂面で、亡霊に怯え錯乱して行く武将を、
シリアスに演じている。
しかし三船敏朗は大した役者だ。
時代劇の武将から、用心棒を演じる「椿三十郎」、
江戸時代の養生所を切り盛りする医者を描いた「赤ひげ」
現代劇の「天国と地獄」から、若い三船の「酔いどれ天使」
「悪い奴ほどよく眠る」と・・・同じ役がほとんどない。
二杯目から三枚目。
目の覚めるようなセクシーな美貌の役から、薄汚れた浪人・・・そして
子供を誘拐される壮年の社長まで、実に変化に富んでいる。
まさかこんなに器用に幅広い役柄をこなす俳優だとは思わなかった。
蛇足ですが、この映画では、武時が死にその後に、シーンが付け足してある。
敵の兵が木の枝で身体を隠して歩いて来るワンシーンだ。
それは予言をする老婆(巫女)が、
「森が動かない限り、負けはない」と、武時に断言する。
しかし、かのように《森は動いた》のだった。
唯一の諧謔的シーンである。
武者絵巻の音
はじめて見たのはアメリカ、観客のどよめきは今でも忘れられません。あまり語られないことを書いてみましょう。
まず圧倒されたのは画面ですが、トップレベルの脚本家を数名並べて複眼の奥行き深いシナリオを仕上げ、画家志望だった黒澤が大胆かつ繊細な筆のタッチでフィルムの上に絵の具を放ったような絵になっています。動と静が編まれるような画面は、よく語られる「能」の時空になぞられ、見るものに生と死の狭間に立つ恐ろしさを感じさせてくれます。
画面のことはよく取りざたされますが、その一方「音」のことについてはあまり語られていないようです。唯一わたくしの知っているのは西村雄一郎氏の「黒沢明 音と映像」に詳しく書かれてあるものだけで、この映画のはじめと終わりに流れる西洋調の合唱がもっと日本的であればという評論をされていました。
確かにそうかもしれません。能の謡い風の音であればもっと画面に寄り添うことになったのかも知れません。しかしわたくしは、東宝のロゴが出てくると同時に鳴り響いたあの笛、大勢の鎧武者が歩くような弾く弦の音、そして映画の後半に知ることになりますが、矢面にたたぬよう槍衾作るための木を切り倒す音を暗示させるこの和風パーカッションに圧倒されたのです。もう目の前の世界は、まだ火縄銃が来るまえの室町後期にタイムスリップし、合唱はさほど気にならなかったのです。
もし、音楽監督の佐藤勝の恩師である早坂文雄が担当していたら、西村氏の思いに近い音になったかもしれません。しかしそうなると、むしろ溝口健二の「雨月物語」風になったのではとわたくしは勝手に考えているのです。恩師の遺志を継いで盲腸の手術後も無視しながらタクトを振った佐藤勝の音楽はまさに見事な黒澤デビューであり、その後の黒澤映画を支えることになるのは十分に頷けると思います。
この映画では、本物のカラスを使っている
字幕で見るべし
蜘蛛の巣城
1957年のクロサワがいる
幻想と狂気
何度か観ているが、森で迷う三船と千秋実、馬に乗って駆けるシーンは秀逸。
三船の顔つきや眼差しが、精悍さや若さが失われ狂気に変わって過程がすごい。一番の狂気は、奥方の山田五十鈴か。
ラストは、監督が狂気か。ヒチコック的に、明かさず真の表情を引き出したが、絶対の自信があったにせよ一歩間違えば。吹き替えなし、合成なしの時代だから、これはかなりきわどい演出だ。
そして森はいつも幻想的。
この時代の映画、画像はだいぶ修復されているが、音声が聞き取りやすい加工してほしい、といつも感じる。
いや〜面白い。さすがは世界の黒澤。 物の怪老婆の予言が如何に実現し...
白黒かつ膨大な予算を動かせるであろう黒澤組ですら、この蜘蛛巣城で理...
白黒かつ膨大な予算を動かせるであろう黒澤組ですら、この蜘蛛巣城で理想のカットを撮れたかというと、違うだろう。合戦はおとなしく、森は小ぢんまりと迫る。黒澤明は予算も時間も超過すると言われるが、正論はどちらか明白だろう。
望遠レンズを使って矢を受けるシーンを撮ったという裏話が記憶に残る
完璧では無い脚本が完璧な映画を作る。
もちろんシェイクスピアのマクベスという素晴らしい原作があるのだが映画脚本としては決して優れているとは言えない。むしろ優れた脚本を書こうとはしていないようだ。原作が舞台であることから舞台を意識した脚本になっている。だから映画としては地味すぎ、説明的すぎる部分もかなり目立つ。例えば、危機を逃れたの若者が、その後どのように怒っているかというところは普通は脚本に描かれる。あえて城と森からカメラを出さないことによってまるで我々が舞台という限られた一面しか見ていないかのような錯覚を与えているのである。そのような制約を設けた脚本から黒澤明はこのような素晴らしい映画を作った。この映画の素晴らしさはそのスローペースにあるのだろうと私は思う。話の展開そのものはスピーディーに進むのであるが、ひとつひとつのシーンが極めてスローに進む。その絶妙な演出が素晴らしい。またカメラは基本的には静止しているのだが時折まるで生き物のように動く。静と動のバランスが素晴らしい。または三船敏郎の甲冑姿がすばらしく良く撮れている。前半はストーリーの退屈さをカバーするために甲冑姿をアップで美しい角度からたくさん撮ってている。クライマックスあたりになるとわざとそれを抑え極端な煽りとかを使って真正面から撮らないようにしている。そして最後の最後に真正面から美しく…私はあのシーンを敢えて美しいと表現するが…捉えているものにカタルシスを与えているのである。また城の造形とその造形を美しく見せるカメラワーク、軍兵、馬、軍兵の持つ旗などが動く動きの美しさ、面白さと言ったら極めつけである。
もっとも素晴らしい映画とは新しいイマジネーションを生み出している映画だと私は評価する。これは1つの最も素晴らしい映画であり黒澤明の代表的な傑作の一つである。
もしかしたら本作は黒澤監督による、溝口監督への追悼作品であったのかもしれません
マクベスの翻案であるというのは有名なので、筋書きは最初から決着まで誰もがどうなるのかどう展開するのかを見通して本作を観ているはずです
それでも面白いのです
いや、分かっているからこそ一層面白いのです
なるほどこう移植されるのかと納得して、整理されている脚本にまず感心するのです
そうして能の要素を駆使していることによって、日本の美意識、諸行無常の死生観をこの西洋の物語に注入することによって、完全に日本の物語にして映画として観せていることに驚嘆するのです
その映像世界は溝口健二監督の作品世界を思わせます
特に山田五十鈴が演じる奥方の主人公への献策シーン、中でも大殿の殺害を教唆するシーンや懐妊告白のシーンは、雨月物語での彼女の出演シーンを彷彿とさせるものです
そのシーンを含め正にカメラもワンシーン・ワンカットの長回しで異常な緊張感をもたらす溝口監督の作風が本歌取の如く多用されているのです
溝口監督は本作公開のわずか4ヶ月前に白血病で急死されています
もしかしたら本作は黒澤監督による、溝口監督への追悼作品であったのかもしれません
それでいて第一級の娯楽作品なのです
クライマックスの雨あられと飛来する矢射けのシーンはありとあらゆる弓矢の戦闘シーン、銃撃戦を含めても古今東西の映画に勝る迫力です
CGを駆使できる現代であっても、いやだからこそこの迫力はだせないのです
三船敏郎の恐怖に歪む顔は嘘偽りのない本物の恐怖です
こんな演技はできるものではありません
本物だからこその迫力があるのです
蜘蛛巣城の巨大セットもまた画面のスケールと物語に於ける強欲の巨大さを見事に表現しています
夜に大量の鳥が場内に飛来するシーン
もしかしたらヒッチコックの鳥のインスピレーションの出発点だったのかも知れないと思いました
それほどの不気味な迫力のあるシーンでした
こんな映像は当時全く誰も観たことのないものだだったはずです
世界最高峰の映画の一つといって間違いないと思います
よっく聞け
黒澤版Macbeth。
魔女は一人だけのようで、Macbeth夫人に当たる浅茅が、邪念に一層取り憑かれているように見えました。
ポジティブに取るも、ネガティブに取るも、
ものは受け取りよう…(^^)。
カメラはそのままで役者が奥に消えまた戻って来たり、ズームインとアウトで姿を現したり消したり、濃霧(に見立てた煙)を上手く使ったり、この頃の斬新な撮影手法でしょうか。枯枝で自然に蜘蛛の巣を表現している所が良かったです。白黒ならではですね。
山田五十鈴の気味悪さは半端ない。
志村喬の知恵者役はぴったり。
三船敏郎の眼力・顔力は衰え知らず。
千秋実の幽霊姿や終盤の矢の多さにちょっと笑ってしまいましたが、主人公の最期は、夢に出て来てうなされそうなくらいの迫力です。
疾走する騎馬武者の勇姿は、黒澤&三船が最強だと勝手に思っておりまして、そこも結構観ることが出来ました。
聞き取れない
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