配信開始日 2025年3月14日

「お金かかりすぎ」エレクトリック・ステイト 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0お金かかりすぎ

2025年3月20日
PCから投稿

ロボット工学三原則が使われているのと根底にロボットは意識をもつのか?というテーゼがある。さいきんみたザクリエイターにも同類の主題があったしA.I.やI, Robotやアリータやエクスマキナやウォーリー等々多くのロボット映画に偏在するモチーフであろうかと思う。

このことは本作にも出てくるセリフ「ロボットには感情がない」によって骨抜きになるにもかかわらず、ロボットエンタメは常に「ロボットには感情がない」を忘れさせる仕組みを併走させる。結果「「ロボットには感情がない」と言ってしまったら始まらない」が「ばかばかしいと思ったら楽しめない」と同じ意味になってくる。

ミシェルはロボットのメモリーに残った弟を捜してディストピアへ危険な冒険をする途上でキーツに会い、ともにロボットの本拠地へ乗り込む。──のだが、エンタメやサービス業に従事していたロボットばかりが徘徊している荒野を行くかれらの冒険はテーマパークのアトラクションに興じているようにしか見えない。
弟の記憶を携えているコスモは子供向け映像芝居ロボットゆえコスモ内のセリフしか話せないし、ロボット側の首領は遊興施設でピーナッツ販売をしていたと思しきミスターピーナッツである。総じてこの世界にはテーマパークのスタッフロボットみたいなのしかいない。が、ばかばかしいと思ったら楽しめないし、お金をかけたVFXに抜かりはなく映画は痛快でもありサウンドトラックもごきげんだし姉弟愛にはグッとくるものがあった。
エンドゲームのルッソ兄弟が演出し、ミリーボビーブラウンは勝ち気で、クリスプラットは軽いけど頼りがいのある、いずれもこれまでにやってきたようなキャラクターをやっていて、ジュブナイルの世界観にするすると入り込むことができた。
SFだが時代は1994年と設定されているのでノスタルジックな未来像になっている。未来でもレトロを加味することで大人と子供が同時にターゲットできる。
スウェーデンのグラフィックアーチスト兼作家のSimon Stålenhagが2018年につくったグラフィックノベルThe Electric Stateの映画化だそうだ。

imdb6.0、RottenTomatoes15%と73%。
大衆からはOKの評価を得たが、批評家からは否定された。理由として多かったのは原作と違うこと。元ネタになったグラフィックノベルはもっと陰鬱で象徴的で詩的だが、映画は派手なバンブルビースタイルのプロットと極彩色のキャラクターに作り変えられている、とのことだった。人間とロボットのありきたりな概念と対立、からの説教じみた筋書きも酷評された。確かに独創性はなかったと思う。

しかし大衆としてはミリーボビーブラウンもいてクリスプラットもいて、ふつうに楽しんだという感じになった。ニューロキャスターの仮想世界に入り込んでばかりいないで生身の人間と向き合うべきだ──という提案は現代のスマホ・ネット依存にも置き換えることができる健全なメッセージ性もあった。
ただし製作費を知ったら誰しも目を丸くするだろう。The Electric Stateは3億2千万ドル(2025年時の換算で475億円)かかったそうだ。これは歴代高額製作費映画トップ10に入ってしまう。

製作費ついでの余談だが、さいきん日本アカデミー賞という意図不明アワードで侍タイムスリッパーという映画が作品賞をとったそうだ。製作費は2,600万円。低予算のインディーズ映画が作品賞をとったのは番くるわせなんだとか。無風状態の日本映画界に話題性をつくるためにわざと意外な映画を作品賞に選んでおきながら番くるわせとは?自演とはこのことだ。また「正体」の監督が監督賞だそうです。なんかお金もないし才能もないし何にもない。もうほんとに貧しい国なんだな日本て──と思った。

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津次郎