「「夢を見ていた。私はあなたを知っている」」映画ドラえもん のび太の絵世界物語 KENKAMANさんの映画レビュー(感想・評価)
「夢を見ていた。私はあなたを知っている」
傑作!大傑作!!
個人的には近年最高に面白かった。
久々に、こんなドラ映画で興奮した!
わさドラ以降の、オリジナル作品、最高傑作だと思う!
語ることが多すぎる。
一回しか観てないので、細かいことは違っているかもしれない。
それと、前提として、作品の面白さなんて、「全て主観でいい」と思っている。
作り手の意図より、観た人の主観。
近年YouTubeとかで流行っとるらしい「考察!監督の意図はこれ!」みたいな言い方は大嫌いだ。岡田斗司夫かよ。
感想は主観。
「おれにはこう感じられた!」
でいい。
だからもちろん、「ここが好き」も主観でいい。
「キャラ萌え」とか「声優がいい」とか「アクションこそ至高」とか「恋愛(カップリング)要素」とか、人それぞれ価値観、つまり好みってものがあるだろう。
おれの好みは、
「作品そのものがエンタメ映画として面白い上に、メタ的要素が比喩されている」
みたいな作品。
今回のドラ映画は、ドンズバだった。
全部書くと更にクソ長文になるので、「最高だったところ」以外の良かった点については以下、ピックアップする。
・オープニングが歌もアニメも最高
・細かい伏線までキチッと回収されていく気持ち良さ!
・ここはこうなるんだろな、と予想できちゃう点も「さらにそうくるか!」と上回ってくる展開の面白さ!
・アクションシーンのアニメがいい!ワクワクするしドキドキする!アニメが進化している力を十分活かしている。
・ギャグシーンがキチンと面白い!いい年こいて映画館で吹き出した。特にジャイアンからクレアへのパイルドライバー。
・ひみつ道具が楽しい!豊富に出てくる上に、使い方が上手い!一発で解決させてしまうホームラン級道具でなく、シングルヒット連発で打線をつないでいくような気持ちよさ!さすが「ひみつ道具博物館」の監督!王道ホームラン道具であるタイムマシン(※ドラえもんの)やどこでもドアすら出てこない!タイムマシンは名前だけ出てくるけどビジュアルはあえて出さない、そこに意志を感じる!
・でもタケコプターは、これぞひみつ道具代表だからか、むしろ印象強く使われる。やたら外れたりね。それがラスト「あの絵のドラえもんが出す道具」で出てくるからこそグッとくる。
・過去作のオマージュがそこかしこにありニヤリとさせられるが、あくまで今作の中で自然。上手い!
・TPぼんのアニメ化もあったし、TPキャラ出すのに、いいタイミング。
・のび太のパパがいい。原作でもいいキャラなんだよね実は。パパが画家を目指していた、という原作エピソードを知っていると、より震える。
・こども向け絵画指導の原則をきちんと押さえており矛盾がない。ここ素晴らしい!!
・AIでいくらでも上手い絵が描けてしまう時代に「絵を描くとは、絵の良さとは」を真正面からテーマにしている。いい。
・やたらエモく泣かせようとする押し付けがましい感動ではなく、自然に感動する。
・キャラ愛偏重ではないキャラの描かれ方。故の自然な人間関係。大長編ならではのジャイアンのカッコよさも、良い塩梅!くどくない!
・しずかちゃんの描かれ方がいい。ヒロイン的でもなく愛玩的でもなく、かといって反動的に自立しすぎになるでもなく、「同い年の異性の友だち」として、のび太たち仲間の一員として、ナチュラルな描かれ方に思えた。
・怖い!敵も怖いし、ドラえもんさえ石化(的に)されてしまう怖さ。少しずつ絶望的状況になっていく演出の怖さ!上手い!色が消えていく=世界が壊れていく、この怖さ!さらに「アニメから色と動きが消える=アニメの死」というメタ的怖さも。アニメならではの演出とも言える。
そして「最高だった点」については、後述。
冷静な視点で、あえて「個人的にはイマイチだった点」を書くと…ほとんどが「もっと尺があれば描ける」ことで、制作側も「んなことわかっとるわい」って範囲のことだと思うけども!
自分なりに「こうだったら良かったな」も書いてみた。
・4年間、次元の狭間を放浪は無理があるのでは…?
→どこかの世界で保護されていた、とか?
・13世紀のヨーロッパにあった国が記録ごと無くなるのは無理があるのでは…?&最終的に滅びるのがわかってるのにのび太たちがそれを知って何もしないのも不自然?
→火山噴火直前に、絵世界に国ごと入り込むことで、滅びを防ぎつつ歴史改変も防ぎ、絵世界で静かに暮らせるように、ひみつ道具の力で現実の人々の記憶から消す。これはやってほしかった。
・ソドロがよく転ぶ演出の意味。後々ころばし屋が出てきたので、なにか伏線かと思ったけど違った。
→無くす。か、「また転ぶのか~!」みたいなネタにするくらいか。
・イゼールが、色の派手なものを狙うのは「自分が白黒で描かれており、色のない存在だったから」なんだろうけど(作中でも取り込んだものを自分の能力にする表現あり)、そのあたりは掘り下げないためわかりにくい。ソドロが最初に狙われたのも、「その場で一番派手な色だったから」も、実に上手くできているが、演出としては伝わりにくかった。そこを踏まえていれば、ラストの「最も派手な色の絵を!」がもっと活きたような気がする。
・同じく、クレアが流しそうめんやお風呂を嫌う理由も「絵世界の住人で水が苦手だから」だろうけど、わかりにくい。でも、本人がそれを自覚してると、イゼールの弱点もあらかじめわかってることになっちゃうからなぁ…
・棒読み…
→大人の事情だから仕方ない…「タイムパトロール隊のアンドロイド」みたいな設定にしとけば「だから棒読みなのね」とフォローになったかもな…
あと、「冒頭、工事現場でクレアがピンチになる、トムとジェリーみたいなシーンはいらないのでは?」と言われそうだけど、全ての演出には意図がある…とするなら、あれは物語の導入部のひとつとして「この映画は、ハードSFやリアル志向のものではなく、ご都合主義的シーンもドタバタアクションもある、こども向けアニメなんだよ」という世界線の提示だと思う。
以上に挙げた、良かった点は、きっと他の方も言っているだろうし、詳しくは語らない。
いや、語れるし語りたいけども!長いから我慢する!
★一番好きなところ★
オープニングのアニメで、歴史上の名画と並列の並びで「線画(マンガ)のドラえもん」が出てくる。これはつまり、「絵=マンガとしての原作ドラえもん」が名画たちと並ぶ絵であると感じられて、震えた。シビレた。
それに色がついてアニメーションのキャラクターが飛び出してくる。
「今から、この名作をアニメにした物語が始まるよ!」
そう雄弁に語るようなオープニング。完璧である。
でも、これは、言わば、ひとつの罠だった。
終盤、ずっと登場していたクレアは絵世界の住人だったことがわかる。
そして、「はいりこみライト」の故障と共に、その存在は消えていく。
(絵の世界に戻る、と言ってもいい。なお、「じゃあ、そのひみつ道具の仕様さえドラえもんが知っていれば、はいりこみライト壊すことでイゼールもすぐ消せたんじゃない?」というツッコミもできるが、それは結果論なので重要ではない)
観客は「チャイはともかく、クレアまで絵世界の存在だとは思っていなかった!」となり、突如訪れたその別れに、悲しみを感じるシーンでもある。
これ自体が、「禁断のメタファー」なのだ。
つまり。
観客である我々にとっても「ドラえもんたち全てが、絵世界の住人なのだ」ということの、暗喩。
素晴らしいオープニングが、まさに示したように…ドラえもん、は、絵世界の物語。
我々の現実では、ない。
私たちは、コミック誌や、劇場スクリーンを通じ、「はいりこみライト」の力を借りるかのように
その世界に入り込み、楽しみ、その世界を、キャラクター達を、愛してきた。
しかし、コミック誌の最終ページを閉じれば、劇場の照明が灯れば、絵世界とは、断絶してしまい、キャラクター達も、消えていく。
この絵世界物語、という作品は、ドラえもんそのものが、本来、絵世界物語であるために、そういうメタ構造を持たざるを得ない。
それに気づくとき、私たちは、克服することのできないさみしさ、切なさをもつことになる。
「この世界に、ドラえもんは、いないのだ」
その悲しみにいる観客を、しかし、作品は、悲しみの中に置いてけぼりには、しない。
まもなく、連れてこられる「絵世界の住人ではない本物・現実世界のクレア」。
物語の冒頭とラストにしか登場しない彼女は、笑顔で語るのだ。
(セリフはうろ覚えである)
「ううん、でも、私はあなたたちを知っている。夢を見ていたの。その夢の中で、たしかに私はあなたたちと一緒に冒険したのよ」
悲しみからの、なんという、救いだろう。
そう、私たちは、知っているのだ。彼らを。
「夢の中で、ドラえもんたちと」
私たちは、いくらでも、共にあった。
私たち自身が、絵世界の中で。
この現実の地球には存在しなくても、絵世界の住人であるドラえもんたちと、いくらでも、時間を、共に。
これまでも、これから、ずっと。
その、全肯定。
メタ構造にある、フィクションと、現実に生きる我々が、「共にある」ことの、全肯定。
最高じゃないか。
ドラえもんという、多くの人にとって、幼少期からの思い入れのある作品だからこそ、それは、沁みいってくる。
なお、この映画を、冗談で「タイトル詐欺」と評した声を聞いた。
「絵世界物語ってタイトルなのに、ほとんど現実世界が舞台だったよね」
なるほど、言うことは確かだし、理解もできる。
おれは思う。
絵世界に戻っていったクレアがさみしくないように、と、マイロは絵を描き足す。
クレアの隣に、一緒に過ごした、のび太たちを。
そう、この映画は終わるけど、絵世界で始まるのだ。「のび太の絵世界物語」が。
終わりが、始まり。
むしろ完璧なタイトル、完璧なプロットじゃないか。
火山でアートリアが滅びても、絵世界の物語は、終わることがない、という救いでもある。
それは、藤子・F・不二雄先生が亡くなり、ドラえもんという作品が新たに生まれない時代が来たとしても、「その絵世界のキャラクター、物語は、永遠に終わることはない」というメタファーにもなっている。
私たちが思う限り、それを夢見ることができる。
そこでもう一度、あのオープニングに立ち返るのだ。
心の中 いつもいつも 描いてる
夢をのせた自分だけの 世界地図
大人になったら 忘れちゃうのかな?
そんな時には 思い出してみよう
Shalalalala 僕の心に
いつまでも かがやく夢
ドラえもん そのポケットで かなえさせてね
大人になっても きっと忘れない
大切な思い いつまでもずっと
Shalalalala 歌をうたおう
みんなでさあ手をつないで
ドラえもん 世界中に 夢を そうあふれさせて
「夢を見ていた、その中で私はあなたと共にいた」
クレアのセリフの続きが、そう、ここにも。
以上は、あくまでおれだけの主観。おれだけの個人的感想。
監督や脚本家はそんなこと、思ってもいないかもしれない。
でも、おれにはそう届いたのだ。
だから、これは、大人になってもドラえもんが大好きな、おれにとっての、大傑作。
素晴らしい映画を、素晴らしいドラえもんを、ありがとう。
この映画は、見どころが多すぎる。感じ入るところが多すぎる。
好きなところが、多すぎる。
ここまでの傑作だとは、想像以上の感動だった。
また観たいと思う。
何度も見ると、また違う良さを見つけそうだなと思う。
面白さ、素晴らしさが複層的になっていて、語りつくせぬくらいの、良さがある。
脚本の伊藤公志さんは、映画ドラえもんの脚本は初だという。
「ファーストアルバムが最高傑作」という、音楽界でよく言われる言葉があります。
今までの全部を、ここにブチ込むぞという気概!ドラえもんへの愛を、ドラえもんでやりたいことの全部を、ここでブチ込む!
感じました。素晴らしかったです。大満足です。
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詳細は遷移先をご確認ください。