「被害者と加害者、その境界線とは…」ノー・アザー・ランド 故郷は他にない ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)
被害者と加害者、その境界線とは…
あまり予備知識を持たずに観た映画。アカデミー賞にノミネートされている評価の高い作品、というくらいの気持ちで劇場に足を運んだ。
映画が始まり、しばらくしてドキュメンタリーらしいでことがわかる。主要な登場人物はハンサムで、まるで俳優のようにも見えるが、背景となるパレスチナの村の様子があまりにリアルで、最初はフェイクドキュメンタリーかと錯覚してしまった。
しかし次第に、これはイスラエルの実質的な支配下にあるパレスチナ人の村の物語であり、主人公のパレスチナ人青年は、この村に起こる出来事をビデオカメラやスマートフォンで記録し、発信するジャーナリストであることがわかってくる。
彼の視点から見るイスラエルの行動は容赦ない。彼が生まれ育った村にやってきては、イスラエル軍が家や学校を破壊する。時には住民が負傷する場面もある。
さらに、顔を隠したイスラエル人の入植者が武装して現れ、住民を追い出そうとし、家を壊し、銃撃をして去っていく。
主人公はその様子をインターネットで世界に発信し続けるが、映画の中で「2000人以上が見た」と語るシーンがある。彼自身はそれを前向きに捉えているが、果たしてそれが人権問題として世界を動かすほどの影響力になるのかも考えさせられる。
なぜ国際社会は動かないのか? 国連は何もできないのか?
そんな疑問が頭をよぎる。しかし、この映画がアカデミー賞候補となり、世界の注目を集めたこと自体は、彼の活動の大きな成果と言えるのかもしれない。
映画を観終え、彼らの歴史的背景を調べてみた。すると、問題の根深さに直面する。
この問題に解決はあるのか? そもそも「解決」とは何なのか? どの立場から何に介入すべきなのか、考えれば考えるほどわからなくなっていく。
この映画に登場するパレスチナ人たちは明らかに被害者であり、非人道的な扱いを受けている。これは何とかすべきことだ。
しかし、彼らを追い詰めるイスラエルの国家政策や入植者たちの行動の背景を知ると、単純に彼らを「悪」と断じることもできなくなる。結局、両者とも歴史の中で被害者なのだ。
そして、真の加害者は誰なのか?
映画の舞台となった村は、数年後、あるいは10数年後には地図から消えてしまうかもしれない。そう思うと、かつての新宿駅西口の風景を思い出した。
家を持たない人々が肩を寄せ合って生活し、それを支援する人々もいたが、今ではその姿はきれいさっぱり消えてしまった。問題は解決したのか、それともただ見えなくなっただけなのか。
この映画も、歴史の一場面を切り取った貴重な記録映像として残るだけなのか、それとも何かを変えるきっかけになるのか。希望はあるのか? そして、自分には何ができるのか? そんな無力感を突きつけられた映画だった。