「コメディ?」お坊さまと鉄砲 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
コメディ?
2006年変化が訪れた。
テレビやインタネットがブータンに入ってきて、国王が国民がリーダーを選べるという贈り物をくれた。(え..今になって本当かよ)でも、国民は民主主義(参政権)というシステムのもとで生活をしたことがない。そこで、今、政府がどういうものかを....
これがこの映画の出だし.....(この映画は推薦できる)
民主主義(参政権)って国王から与えられるものではなく、国民が必要だから勝ち取るものなんだよ。これの映画を観てこれを一番感じた。それに民主主義が国民にとって優先権?
しかし、テーマというより、内容が煩雑のようにみえて、深く絡み合っている。
現代の眼で2006年のブータンの社会事情を見ているので、これってコメディーじゃないのと感じるかもしれない。しかし、2006年に急に国王から「民主主義」のプレゼントをもらって、国王はいいさ、海外の教育を受けているから。他の全ての民は慌てふためいたに違いない。その様子が滑稽に描かれている。模擬選挙管理委員会、選挙人、被選挙人、村人の中でも、家族でも、また、子供の学校でも(いじめ)諍いが起きる始末。この子供の父親は娘に消しゴムを頼まれたが、選挙活動で頭がいっぱいで忘れちゃうんだよね。でもさ、笑っちゃうことに、父親は娘を街の学校に送りたがったり、物欲にも目覚めてくる。
そして、『娘に首相になれるチャンスがある』っていうけど、
娘は『首相になりたくないよ。消しゴムが欲しいんだよ』と。民主主義が逸れてきてしまうんだよね。。。。
最初のシーンではウラUra という村のラマが模擬選挙が始まるという国際ニュース(英語で)を聞いていて、僧ラマはタシTashi (Tandin Wangchuck)に、銃を2丁満月の前までに集めよと伝える。この日は模擬選挙の投票日。銃というから、米国の『銃保持の自由』という憲法を咄嗟に思い出し、民主主義と言って銃も集めるのかと勝手に思っていた。何しろブータンというとアメリカの模倣というイメージが強いから。あくどい僧侶だねと。これは私の検討はずれだと。。。後で、徐々に徐々にわかっていく。
選挙管理委員会は村人にどう投票するか教えに来た。党は3つに別れていて(Blue representing freedom and equality, red representing industrial development, and yellow representing preservation)
青、赤、黄色
村人には一番幸せをもたらす党に投票してと伝える。。。。。これも後で徐々にわかっていく。このように、私の『おもい』が方向転換してしまう。
村人たちは3つに分かれて、エイエイオーと叫ばされる。。。。この掛け声すら、伝統的な静かな生活に満足している民にとっては、 they are being taught to be rude と感じさせてしまう。選挙の練習だけで、村人や家族は分かれてしまい、揉め事になってしまう。「民主主義とは何か」を村人に一つも論じていないのである。国王の思惑をどう村人が理解できる?先に記したが、当時の国王は欧州かどこかの教育を受けてるけど、少なくても、国の方向を急激に『民主主義』にchangeするわけだからね。民主主義の押し付けを民がどう受け入れたらいいか分からなく、それぞれの民が試行錯誤していく。でも、模擬選挙の結果、『黄色』 yellow representing preservationが圧勝するんだよ。それも、黄色は国王のカラーだからだって。大笑い!国民の国王preservationの意識が強いので、黄色に入れたんだと錯覚するが、ただ、『国王のカラー』だって。投票の権利どころじゃない、呆れちゃった。黄色は使ってはダメ!将来、Change は不可能?可能?
面白いことに、アメリカ合衆国の文化の走りなんだろうねブータンの当時は?テレビって、『一億総白痴化』と言われる時代も日本にあったけど…..恐ろしいね。。。問題意識がなく、受け入れていることは。。。MTV (Money for Nothing)
それに、コカコーラのことを『Black Water』と言って注文してたよ。
はっきりコカコーラのラベルを見せてなかったけど、明らかでしょう! 米国の文化を次から、次へと取り入れて、最後には米国のゴミ(例えだけど)を全部受け入れてしまってるのかも。
ゴミは不幸にも、人間の体を蝕んだり、環境を破壊したりして、企業(現在は多国籍企業)だけが暴利を蝕んでいる。また、ジェームスボンドも庶民の人気の的であり、AK-47sも。この銃はタシが西洋文化の証だと思って、欲しいのだと思って見ていたが、イイエ、最後はこれがオチになる。
銃集めをしている、特別な銃だけだと思うが、米国人ロン(Harry Einhorn)はある村人の持っている銃は『米国の南北戦争』の銃だと判断し、買い求めたがっている。ロンはこのストーリーでは単純に歴史的な高価な銃を集めたがっていると私は判断した。村人に通訳を入れて値段の交渉に入るが、価値観の違いと言おうか、見解の違いと言おうか(ロンは金儲けを考えているかも、ラマはたくさんの人を殺したいわく付きの銃) 歴史認識の違いと言おうか。。。。おかしい。
ロンはこの歴史的な銃購買の交渉をブータン人の通訳を介してするわけだが、なぜ、ある村人が銃の購入金額に『躊躇』を示すか意味がわからない。合理主義で金銭欲の強いあるアメリカ人の典型をロンが代表している。また、ロンは 選挙管理委員会の一人に会うわけだが、ロンにとって民主主義は全く興味のないものらしく、選管とは対照的であり、滑稽だった。民主主義社会の中にいる人間にとって、それに関して興味もなく、ありがたみもあるわけじゃないらしい。ましてや、そんなこと話す気もなし、銃への執着に比べたら、取るに足らない話題さと思ってるよ。この様子がうまく描けているね。
タシは 伝統的な銃とAK-47sとを交換する意思もなく、また、大金にも興味を示すようで示さず『使い道がない』というようなことをロンの前で言う。
それに引き換えロンが一番 不信感が募り、何のためにここにいるのか分からず、伝統的な銃のみの虜になっているのが。語学のハンディーもあるし、通訳も全部通訳しているわけではないし….何が起きているのか全てを理解するのが難しいようだ。
最終的にはロンもタシとラマも選管委員会も村人も全部が丘の頂上の礼拝場?のようなところに集まるわけだが、そこには大きな穴が掘られていて、その周りに人々が集まり、これからラマの説教を聞くようだなあ、とわかる。
ここからが、『あれ!!』 なるほど、そうなったか?と。ロンは狐につままれている様だった。このシーンを是非観賞して楽しんでほしい。