どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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どうすればよかったか?と問われたら
答えは聞くまでもありません。
異変に気づいた時点でちゃんとした病院へ行き、適切な治療をすればよかった。
ですが、この問いは、当事者である父親に向けたものだったよう。
息子(監督)の追求をはぐらかし続け、追い込まれると「そんなことをするとパパが死ぬ」と夫のせいにする母親の態度はただ腹立たしいし、最後に「どうすればよかったか」と聞かれた父は、「ママがどうしても認めたくなかったので云々」と妻に責任をなすりつける。そして、「自分は失敗したとは思っていない」と開き直る。
この家族の失敗の根源がさらけ出されている。
両親はふたりともかなりのインテリで医療関係者、娘が統合失調症であることを認めたくなかった、なので何十年も受診もさせなければ当然治療もしていない。
よくそんな気になれるもんです。虐待ではないのか。
我が子のことですよ、私だったら心配と不安で、引きずってでも受診させ適切な治療を受けさせますよ。
母が認知症になったことで両親が折れて、ようやく治療を開始した後、姉は少なくとも「人間」を取り戻していた。
もっと早くそうしていたら、姉は何十年もカオスの中で暮らさず人間らしく生きてこられたのに。
親自身も苦しんだだろうが、申し訳ないけど自業自得、自分たちのエゴで娘の人生を潰したことも多分認めたくない、反省することもないだろう。
両親は海外生活も経験したインテリらしく、両親はパパママ呼び、食事やイベントは凝った料理を食べシャンパンを飲んだり優雅なのが余計にこの両親の黒さを感じる。
会話が8割方聞き取れず、両親が何を言ったか正確にはわからない
字幕にするとか工夫はできなかったのだろうか。
こういう映画を撮ったことに、監督のスケベ心らしきものをちょっとだけ感じます。
今どきはまともな親ならもっと早く受診し治療を受けさせているはずなので、映画には、無知な人への啓蒙的な意義はあまりないと思う。
毒親を告発した映画のように感じました。
ある家族、その道のり
片付けようとも頑固に崩れない山のように
はたからみれば茂みに迷い込んだような呪縛のなかで
自分たちを信じきり祈る両親を説得する手立てはなかった
頑なに閉ざされたその道を人の〝老い〟が自然に動かし始める
滞っていた秒針がようやく少し動きはじめた
しかし同時に、それが人生だといわんばかりに容赦ない現実も襲う
タイトルは家族としての監督自身からの長い間の自問にみえた
記録は正解を求めない自答であり、監督がこれからを生き抜く為に必要な「家族の存在の証」だったのではないだろうか
目をそらしたり晒さないままにもできたはずの壮絶な家庭の内側に、固執する両親なりの家族愛のかたち、息子としての親への疑問と恨み、ひと握りのある意味での尊敬、切なくもどかしい姉への思いが隙間なく映っている
そして私には、姉が弟にみせるおちゃめなvサインやおどけたポーズがせいいっぱいの〝ありがとう〟にみえて仕方なかった
だから監督は撮り続けることができたんだと、どこかで思いたいのかも知れない
別れの際の論文のシーンで永遠に消えない隔たりを感じて苦しさがこみあげた
修正済み
受け手に問うている言葉ではない
あくまでもタイミングが合えばと、積極的に観るつもりではなかった。
観たことを後悔はしてないけど、1月からずっしり重いわー。
長過ぎた25年。
「どうすればよかったか?」は、監督が自問自答し続けている言葉なんだろう。
投薬治療開始後のお姉さんの変化を見るに、答えは明白なようではあるけど、
最後まで自分たちの判断は間違いではなかったと語るお父さんの言葉を聞くと、
肉親とは言え別居している側が踏み込めないことも確かにあると感じる。
人間はそれぞれ自問自答し続ける何かを抱えているもので、
主観的には等分の重さだと信じていても、
客観的にはやっぱり軽重あるし、できれば重いものは抱えたくないなと、
故郷にいる年老いた親の顔を思い浮かべながら、無責任に思う
勇気とは何か
勇気とは、自らの過ちや認めたくない事実に向き合う力だと私は思う。自分が悪いと分かっているけどなかなか謝る事ができない時や、誤った方向に進んでいると気付いていてもやめられない時。そんな時は勇気が足りていないのだ。
この映画の「どうすればよかったか?」という問い。「誰も悪くない」とか「人それぞれ」とか「誰にも分からない」とか、曖昧な回答に終始するつもりはなくはっきりとこう答えたい。勇気を持って病気である事を認め、すみやかに治療という次のステップに進めばよかったのである。
結局25年間苦しみ抜いた挙句やっと現実に目を向けるや否や、たった3ヶ月で事態は好転した。認め難い現実が現れた時こそ、未来を良い形にするために今苦しみを受け入れる勇気を持たなければならない。
すごかった
お姉さんが統合失調症を長期に渡って患う。お姉さん本人もお父さんもお母さんもめちゃくちゃ頭がよくて、それが悪い方に働く。せっかくお医者さんが見つかったのに、その人の論文をお父さんが読んで気に入らないと言って受診させない。うちなら誰であろうと医者ならとりあえず頼るのだけど、そこでそんなことする? ご夫婦ともに研究者であり、我々一般人とは次元の違う考えで生きているようだ。
お母さんが認知症で統合失調症みたいになっている時がもう地獄だ。家に二人もいる。その後やっと精神病院に入院したら3か月で良くなるので、本当につらい。ほぼ人生を棒に振ってしまった。薬が効いて状態がよくなると、ひょうきんな性格が表れて、表情もかわいらしくて、そもそも素敵な人だったことが判明する。ご本人もさぞつらかったことだろう。ガンになってからもそれほど悲しい様子は見せない。カメラの前ではそうしなかっただけかもしれないが、ガンよりも統合失調症が回復したことによる安息が強いのだろうか。
家の中に物が多すぎる。ピアノは誰も弾いてなさそうだし、ピアノの上に石膏像が何体もある。断捨離はあまりしない方がいいと常々思っているのだけど、この家は不用品を半分に減らした方がいい。
お姉さんが、太ったり痩せたり体重が大暴れだ。
ラストでお父さんが、長男にけっこう詰められていて、反論したり言い合いになるかと思ったら、受け入れていた。間違いでなかったら素直に肯定する、そういうところは研究者らしくてかっこいい。ちょっと『哀れなるものたち』のウィレム・デフォーを感じた。
途中で長男が、お姉さんに「親にされて許せないことがあるよね」みたいに話す場面がある。それが一体何なのかは不明なままだ。
娘の統合失調症を病気と認めない親の狂気
ドキュメンタリー監督の藤野知明さんが自身の家族を撮ったドキュメンタリー。統合失調症を発症した姉、そして彼女を精神科の治療から遠ざけ軟禁した両親を20年にわたって記録した。
医師で研究者の父と母。
姉を病気だと認めない父と母。
藤野監督が両親を説得するも解決せず。
発症から30年以上が経ち、ようやく精神科の受診に同意した両親。3か月の入院後、回復し退院した。
間もなくがんで亡くなった姉の人生を思うと。
姉の病気より怖いもの
姉の統合失調症について「どうすればよかったか?」と問われれば、早く精神科に受診させるべきだった。その後の落ち着いた様子を見れば、誰にとっても幸せだった。姉のおちゃめな様子を見ると、25年にわたって放置(あえてそう言うが)してきた両親の罪の大きさを思う。
早期受診のために、どうすればよかったか?
姉との主要な接触者たる両親とも医師という同質性の高い環境の中、状況を揺することができた存在は監督ただ一人だったと思う(現にそうなった)が、彼が一時、関東に離れたことも事態を動かせなかった要因になったのかもしれない。「大変なときに逃げたお前に何がわかる」という反発が両親の中になかったか。帰っていきなりカメラを回し始めた行為が、かえって親の心を閉ざす作用はなかっただろうか。
ただ、時間はかかったけど好転させられたのは、監督が母に向き合い、父に向き合い、事態を動かすために話し合ったからだ。間違いない。25年もこの一家を覆ってきた重しに、よくぞ正面から向き合ったと思う。その小道具としてカメラが欠かせなかったのかもしれないが。
それより、親の老いが恐ろしくなった。母の認知症に比例して家の様子が荒れていった。体力、気力がなくなれば、とたんに生活は荒む。こうした光景が今、この国で加速度的に増えている。この社会を覆えば社会が荒む。だから、福祉は大事だし、年金も個人責任にはできない。当然、うちも他人事ではない。
追加)姉の葬儀のシーンが大変印象的だった。父は「彼女は論文を執筆中で、自分が共著として完成させたい」と参列者に挨拶し、棺の顔に一番近い場所に、書きかけの英文論文を置いた。
それが、娘に望んだ有り様を全うさせんとする行為だったとしたら、大変痛ましいことだと率直に思いました。
とある家族の記録
障害者施設の職員をしています。
この作品はある程度、統合失調症というものをわかっていたりそういった人に関わっている方向けな作品なのかなと思いました。
特に冒頭のシーンは普段こういった方に接してない方には衝撃的なものであるかと思います。
内容としては医師夫婦の優秀な娘として育ってきたのが大学生の頃には発病。しかし両親は精神科の治療を受けさせず、息子には知り合いの精神科医からは精神的な病ではないと診断されたと話し、その後20年以上ほど自宅で軟禁状態になります。そのことに疑問を抱き続けた息子がある時からその家族の様子をビデオカメラで記録し続けていきます。そのようすを辿っていくのが今作品です。
ここからは私の感じたことを。
彼女が発病したのは1980年代。まだ統合失調症が精神分裂病と呼ばれていた時代。私も子供の頃から聞いたことのある病名でした。
この頃のこの病気に対するイメージはあくまで自分の育ってきた環境での認識になりますが、いわゆる「キ◯ガイ」でした。
おそらくこういった時代背景もあり、この両親は自分の娘がそんな病気になるはずがないという認めたくない面と、医師であるが故の外に知られたくないという世間体を気にしたプライドの高さのようなものがあったのだと思います。
息子の家族へのインタビューのなかで見えたのは父は頑なに精神科につなぐことを拒否し、母は精神科に繋いだ方がいいのではと思いつつも父がそう思ってないので父の意思を尊重するといった部分。母は作中の途中で他界するため本心を聞けずにこの世を去りますが父が直近のインタビューでは娘のことを統合失調症だと思ってはいたとぼそっと言うシーンもあり、また精神科につながなかったのは母が統合失調症を認めたくなかったんだというような言い分を話しています。この辺りは母からの話が聞けなくなった現状ではこの夫婦のその当時の本音ははっきりとはしませんがおそらくは夫婦2人とも娘の病気を認めたくなかったという思いがあったのは間違いないと思います。
発病から25年ほど経った頃、母が認知症になってきたことによりついに娘を精神科に入院させることを父も承諾します。
そしてたった3ヶ月の入院で娘の様子は全く違うものになります。
精神科につなぐまでは弟に全く話そうとしなかったのが口を聞くようになります。
またその内容も以前まではいわゆる妄想的な意味不明なことをマシンガントークのように放つ感じでしたが会話が成り立つような内容に変化しています。
そして何よりこの作品の中で大きな象徴だと感じたところですが姉が弟のカメラに向かってピースをするのです。私はこの場面がとにかく印象的でした。
そこから彼女の生活は変わっていきます。
軟禁状態で外に出れなかった生活が弟と父と外に出かけたり、料理をして洗い物をするようにもなります。
しかしそんな中、彼女は肺がんのステージ4となってしまいます。
弟はできるだけ姉の希望に寄り添っていろんなところに出かけたりクリスマスにケーキを食べたり家族で過ごす時間をたくさん作ります。
残念ながらそこから数年後に彼女は亡くなりますが、最後は幸せな時間をたくさん過ごせたのではないかと思います。
しかしその反面、もっと早くこのような時間を過ごせたのではないかとも感じます。
それでも父親は後半の直近のインタビューでも自分の子育ては間違っていなかったと話していて、そのプライドの高さというか、何もわかってないのか私は正直イラっとしました。
この作品は冒頭にも出てくるように
統合失調症を理解したり知るためのものではないと思います。
とある家族の記録を見ていく作品です。
これを見て何を感じるかは人それぞれかと思います。様々なドキュメンタリー作品がある中でもだいぶ見応えのある作品ではあるのでぜひ多くの方に見ていただきたい作品ではありますが、妄想状態の発作のところの発狂なんかはなかなか衝撃的なシーンでもあるためその辺りは鑑賞注意です。
時代動向の考慮と家族の承諾
監督としては、両親による姉の軟禁を座敷牢と同様に、人権侵害とみなしているように感じられた。母親は父親の方針を擁護し、監督の勧めに耳を貸さなかった。母親の正義が、認知症によって揺らぎ、亡くなってから、ようやく父親が監督の話にも耳を貸すようになった。しかし、亡くなった母親に責任転嫁しているようにもみえた。ただ、監督が父親に配慮したように、1980年代の精神科病院は、適切な治療を行わない傾向にあり、そこから守ろうとした趣旨も感じられる。私自身も、1990年代に関わっていたボランティア仲間内で統合失調症発症者が出たとき、受診を主張した仲間に対して、反対した経験があるので、両親の対応を全面非難できないところがある。やはり、その時代の専門分野の動向にも敏感に対応して考え直す必要はあるだろう。
家族の恥部を暴露するような作品の制作公開に関して、父親の承諾を得られたことが救いである。『アヒルの子』を公開した小野さやか監督が、撮影対象であった家族と訣別せざるを得なかったという告白とは対照的である。私自身も、家族の内情公開に関して家族の承諾を受けることに困難を感じていて、深く敬意を表したい。
どうして欲しかったか
どうすれば良かったかというタイトルのこの映画、でも、彼女がどうして欲しかったかが大事な気がした。病気がわかった時,それを隠し続けた親,どうして良いか分からずカメラを回す弟、姉の辛さによそう叔母、それぞれの立場があり。考えがあったと思う。そもそも医学部に本当に行きたかったのだろうか,教養課程では問題なかったのに実習に入ってからおかしくなってる。彼女の人生はちゃんと彼女のものだったのか。
大切なのはこの女性にとって何が良かったかだと思う。ちょっと入院したら快方に向かったのは救いでもあり,彼女の元気な姿も安心した。もっと早く誰かがやつていたら。それは第三者でも良かっただろう。
最後のインタビューで、認知症になった母親に責任転嫁し、自分は間違っていたとは思わないと言い放つ父親。ある意味充実の人生?どんな意味だよと言いたくなってしまった。
統合失調症を知る
鑑賞後に監督と編集の舞台挨拶という贅沢をしました。
来場者の質問にとても真摯に優しい言葉で答えるお二人でした。辛い体験をなさった方の優しい言葉でした。
どんな気持ちでカメラを回していたか、の質問はなかったので監督が最後に語り始めました。
姉の症状がとんでもなくつらく、病院にも連れて行くことも親にはばかれ、どうすればよかったか!
自らも衝動を起こさないために、カメラを回す事で自分をやっと保つ事が出来たのだと、症状の説明をする時など何かの役に立つかもしれないと記録を始めたと
そのような事を話されていました。
もし、私がこの家族の一員ならどうしたでしょう。
隠したがる親の心は正直なところわかりませんでした。
プライドだけでしょうか、認めたくない気持ちでしょうか。
そして統合失調症という病が、ホラーでもなく、
薬で良くなる可能性がある事を知りました。恥ずかしながら、それまでは原因不明の精神疾患としか認識しておりませんでした。いや、病名さえもあまり知りませんでした。今も何もわかっていません。映画を観ただけです。
このドキュメンタリーを多くの人が知る事で病が改善する人が増えると思いました。テレビでも放送するべきだし学校の授業でも取り入れて欲しいです。
生老病死、、
「どうすればよかったか?」は薬を服用した後の姉を見れば明らかだと思う。
賢くてちょっとファンキーな人、として生きていけたと思うんだけど、あまりにも遅すぎた。
幸いまだ私は家族の問題を「どうすればよいか?」と現在形で考える事ができる。
そう思えたことが私にとってこの映画の救いだった。
最期までBEATLESを聴いているところが切ない
。相当好きだったんでしょうね。。
関係ないけど、「シャイン」を少し思い出しました。
カメラを回し続けたからこその様々な残酷さ
まずは20年間断片的ではあるがカメラを回し続けたことによる残酷さを感じられた。
たがらこそ、これぞドキュメンタリーという傑作に感じる。
そして、家族がカメラを回してるからこその映像の生々しさも感じられた。
その中で一番自分が感じたのは時の流れの残酷さ。
20年間カメラを回し続けたことによって時系列でお姉さんの統合失調症、母親の認知症、そして老化を見せつけられる。映像作品(ドキュメンタリー)でないと感じられない時間経過を見ることができる。
お姉さんの統合失調症が軸になっている作品で、ネタバレになるが最終的に統合失調症は治る。しかし、最初の発症から治るまでに約20年くらいかかってしまったわけで。
よく『時間が解決してくれる』という言葉があるが、結局見て見ぬふりをすることで20年間病気は治ることもなく、むしろ事態は徐々に悪くなっていく。家族もそれにきっと苦しめられただろう。
いい薬が見つかって姉の病気はよくなりましたとなったときに、20年間を無駄にしてきたように気がした。
よくなったときには全員が結構いい年齢になっており取り返しのつかない時間が経ったことを映像を通して伝わってきた。
それを経て、最後のインタビューの際の父親の『間違ってはなかった』という言葉に心が苦しくなった。
自分ごとで考えたときに、これからも何もしなかったら何も起こらないで時間は粛々と流れでいく。そして、両親は歳をとって、祖父母も死んでしまう。
たがらこそ『今、どうすればいいのか?』を考えるべきだろう。
反精神医学でも精神医学擁護でも見るべき!「どうすればよかったか?」
以下の順番で書いていきます。
①お父さんとお母さんだけを責めることは簡単だが・・・
②単に精神科に行けばよかったのだろうか?
③反精神医学と精神医学擁護のあいだで
①お父さんとお母さんだけを責めることは簡単だが・・・
私自身、この映画の序盤は
お父さんとお母さんに対する怒りみたいなものが、
かなり湧いていました。
私自身は当事者でもありますが、
減薬断薬を試みていたり、
そういう発信もしているので
反精神医学に思わることもあるかもしれません。
ですがこのご両親は
単純な反精神医学論者とも
思えません。
私自身は少なくとも一時的には
薬を飲んだりとか、入院したりとかは
必要だと思っていますし、それは仕方のないことです。
この親御さんは高学歴で、家の映像を観ていても
ある程度裕福な家庭です。
そういう方々の闇のようなものも非常に感じました。
一般的に病気になった娘さんを
世間に晒せないという思いも、
これは高学歴高学歴じゃないに限らず
あったでしょう。
それから、高学歴であるがゆえというか
お父さんもお母さんも自分自身の意見・主張が絶対なんです。
監督が結構色々と病院の話など、話を振ったりしますが。
あまり聞かないというか、特に映画の序盤の方は自分の意見、
主張が全てみたいな感じの方々です。
そこに私も怒り的なものを覚えたのですが、、、
ただ決して悪人ではないわけです。
裕福できちんとしているし、娘さんのことも優しく
考えてるような部分も見られます。
むしろ良いご両親のように見える部分もあります。
おそらく世間から見たら、外から見たら、
そのようにも見えると思います。
そこがある意味闇というか、
だから故に危ういという感じもします。
本当に悪い人だったら、
誰か介入するとかもできるかもしれないけれど、
そうじゃない故に危うい。
しかも世間的に高い地位に見られている、
ご両親なわけですから。
②単に精神科に行けばよかったんだろうか?
この監督はお姉さんは精神科に行った方がよいと
親御さんに伝えたり、
行けるように奔走している部分もあります。
お姉さんが大学時代に最初に緊急搬送された時に見てもらった、
でもお父さんが連れ帰ってきてしまった精神科医にも
会いに行ったりしてるわけです。
そして確かに大声とか、奇声を発しているような
場面も出てきます。
一時的に薬を飲んだり、入院などをして
病状を抑えることは必要だったと思われます。
その頃はリスパダール(リスペリドン)という新しい統合失調症の薬、
非定型抗精神病薬が出てきた時代でした。
でもそれを飲むことが良かったのか?悪かったのかというのは
分かりません。
それにこういった症状、奇声を発するとか大声を
出すという症状は薬を飲んでいても起こりますし、
副作用的な症状かもしれない。
だからこのお姉さんを見ていると、
映画で見ていると、
では精神科に通うことがすべて正解だったのか?
入院し、薬を飲むことが本当に良かったことなのか?
と考えてしまいます。
その後には確かに、入院してある程度安定して
実家に帰ってくるという場面も出てはきます。
ではそれが全て正解なのか?かっていうのはわからないですね。
確かに結果論かもしれません。
そのお姉さんだったから、たまたまっていう状況もあり得ます。
個人個人によって症状の出方も違いますので。
それはありますが、お姉さんという人間の個別性も
確かにありますが、
そのお姉さんの家での状況や振る舞いを観た時に私は決して、
単にストレートに精神科に行けばよかったのか?っていうのは
よくわからないな・・・というのが正直な感想ですね。
③反精神医学と精神医学擁護のあいだで
②ともつながる話ですが、
精神科に行って、薬を飲んで、あるいは入院すれば
安定するんだっていう、単純な映画ではないと思います。
監督はそういうことをおっしゃってる部分もありますし、
しかも監督はそういう動きも見せてるわけですが。
でもある意味その意図すら、
そういう意図すら超えている。
ある種意図せず、超えているような映画だと私は感じました。
精神医学擁護でありつつも、
どこかでそうじゃない部分も見えてしまっている。
そんな映画かなと感じます。
少し話は変わりますが、お母さんが亡くなって、
その後理由は書きませんが、お姉さんが亡くなります。
最後にお父さんと監督が残るような状況になるわけです。
そして映画のかなり最後の方に、父と息子が対峙する
シーンがでてきます。
対峙するっていう言い方が正しいかはわかりませんけど。
どうすればよかったんだろうね?っていう、まさにどうすればよかったか?っていうことを問うシーンが出てくるんですけど、
非常にやるせない気持ちになります。
繰り返しになりますが、お父さんとお母さんに対する
怒りみたいなものが最初の方はあったんですけど。
でも最後にお父さんが娘さんの写真をあげている仏壇にお線香を
上げているシーンを見た時に
お父さんとお母さんだけを責めるとか、
精神医学に早くつなげればよかったんだとか、
そういう単純な結論を出す映画ではないし
そういうものではないと思いました。
わからなさ、今の言葉で言えば「ネガティブケイパビリティ」と
言ったりもしますが。
いわゆる「曖昧さに耐える力」という言葉です。
一方向に単純に結論を出せない、胸を抉るような感情を湧き起こす、
だからこそ非常に良い映画だったと私は考えています。
家族愛ゆえに陥る「正常性バイアス」
「どうすればよかったか」に対する答えは、監督・撮影者である弟にとって決まっている。同じ答えをどうして両親と共有することができなかったのか、それが本当の問いだ。
精神の病いに伴う恥の意識、医療への不信とともに、次のようなバイアスが働いて両親を治療という選択肢から遠ざけてしまったのではないか。
〇 異変は一時的なことで、見守っていれば元の優秀な娘に戻るのではないか(正常性バイアス)
〇 それには親のプライドでもある研究者としての道を一緒に目指すのが早道だ
〇 お父さんがそう言うなら口を挟まないほうがいい
両親もそれぞれ方針に疑問を持つことがあったようだが、互いに相手に遠慮して口を出せず、家族の中でこれまでの慣例が継続、黙認されてしまう。
レビューのなかには、この家族は愛情をもって娘に接しているからまだ救われるという声もある。しかし実は愛情こそが曲者ではないか。家族としてできることがあるのに専門家に頼ることに対する罪悪感が生まれ、医療や治療という選択肢を選ぶことができないのだ。
実際に、このような親心が働いているうちは問題が好転せず、親が老境に入って諦念を抱き始めたことが入院、薬物療法に結びついたように見える。発症から25年間、対話も成り立たなかった娘は3か月の入院で料理や外出をするなど見違えるように回復する。
できれば知りたかったのは、こうした治療の成果を父親はどう感じていたのかということだ。ラストシーンで監督は「これまでのことを正しいと思ったか」を尋ねるが、これは父親を愛情か治療かという二者択一に再度追い込んでしまったのかもしれない。
それよりも、治療を受けることで見られた娘の新しい表情を、父としてどう思っていたのか、尋ねてみたかった。「愛情ゆえに治療を遠ざける」「専門家を頼るために家族愛を裏切る」のではなく、家族を愛し続けるために専門家を頼る選択肢が広まることを願いたい。この映画でも治療することによって家族として過ごせる時間が増えたのではないだろうか。
なお、家族から半分離れながら家族を問うような監督の姿勢について好まないレビューも多いようだ。しかし、それでは結局「家族でない者が口をはさむな」という理屈と同じになってしまう。必要なのは家族をよく知ったうえで新しい提案をすること、家族と社会の仲介ではないか。
(パンフレットには映画の理解に有益な情報が含まれており、以上のレビューもその内容を一部参考にしています。)
追記:この映画が、答えをオープンにしたまま、みんなで悩みましょうというような話ではないこと。弟の立場から「医療が遅くなって良かったことは一つもない」と、下記のタイトルのWeb記事で語られています。
統合失調症を否定して姉を家に閉じ込めた両親、家族はなぜ25年もすれ違い続けたのか?
偏見が自分の子に向くとこうなるのか
娘の発狂を親は一過性のものとしてやり過ごし、娘の未来を担保しようとしたのか。
20年以上も毎年医師の国家試験を受けるよう仕向けるのは異常。自分の共同研究者として一応の社会的地位を与え…娘を匿っているようで、娘から自己実現の機会を奪っている。
どうすれば良かったか…親のエゴと娘の人生は両立しない。娘を一番に考えたら、適切な投薬治療を初めから受けていれば良かったと私は思うけど、家族って共同体で考えると分からなくなるんだろう。夫婦ってだけでもすり合わせてくのは難しいのにね。
最後のシーン、ピースで見送ってくれる姉が愛おしい。
価値観
両親が本当に体裁を守る事だけを考えていたら
ずっとお姉さんの面倒を見ていられないと思う。
深い愛情があったからこそ、向き合い寄り添い
一緒に生きたんだと思う。心の底からこれが正しいと思っていたからこそ、お姉さんの人生がある意味では幸せだったとお父さんは言えたんだと思う。自分の子供が、自分とは別の意思を持つ人間だと割り切れない親は多い。この映画は冒頭にもあるが、病気についてや、病気の原因を考えるものでもなければ、どうすればよかったか考えるものでもない。どうすればよかったかは私たち他者には簡単にわかることだから。ただ、どこにも行けなかったお姉さんの生きた記録を残し、チャーミングなお姉さんを私たちに会わせてくれた事に、弟さんである監督と、お姉さんを産んだご両親に感謝したい。#ビール#イカリング
突然に淀んでいく日々の中で
統合失調症で別人のようになったまま亡くなったお姉ちゃんのお葬式で、まだ健康な医大生だった時分に彼女が執筆し、未完のままだった論文を、「天国で続きを書けたらいいね」とつぶやきながらお父さんが棺桶に入れる。それに対し、弟(監督)が「本人が書きたかったらね」、傍で親戚のおばさんが「『もう勉強は嫌!』って言うかもねえ」と話す。このシーンに親のエゴと歪んだ期待、そして確実な愛情、さらに第三者の目線が詰まっていたように思う。
優秀な研究者だった両親からしたら、優秀な研究者になることは、イコール生き甲斐のある幸せな人生(自分が体験したから間違いない!)で、そこに何の疑いもないからこそ、姉を閉じ込めた行動は「私たち親が、娘の一時の不調をなきものにしてあげられれば、いつかまこちゃんは元通りになって優秀な研究者になって幸せな人生を送れるはず」という善意から始まった行動だと感じた。
そこに体裁を気にする思いもあったかもしれないが、まず第一に娘のことを考えた末の行動だったのではないか。親が子にかける気持ちというのは「体裁を保つ」という一言で片付くような、そんな単調なものではないと思うから。しかし、いつからかその行動の取り返しがつかなくなった末の「どうすればよかったか」。
これまでずっと優等生だったお姉ちゃんが、大学生活の中でつまづいた後に発病。「自分はいかに優秀な人間か」をしたためた手紙を、大学に何通も送りつけた話と、お母さんが亡くなった際に親戚のおばさんがインタビューで話していた「まこちゃんは賢くて天使みたいな子。お勉強をすごく頑張ってた」という言葉が、すごく重かった。親だけの望みではなく、お姉ちゃんにとっても、研究者になる将来はきっとかけがえのないものだったはず。親戚のおばさんが「自分は外野で何もできなかった」と語る言葉で、他人が考える「幸せ」と、お姉ちゃん、そして両親の考えていた「幸せ」の温度差をありありと感じた。
晩年、投薬により少しだけ症状が落ち着いた?お姉ちゃんが、カメラを向けられておどけてピースしたりポーズ取ったりする。優しくて、面倒見が良くて賢くて、優等生をつらぬいたお姉ちゃん。統合失調症を発病しなかったら、どんな人生を生きたんだろう。
映画の中に、まだ子供だった頃のお姉ちゃんの写真や動画もたくさん出てくる。失礼ながら、もう「中年」と呼ばれる年齢の監督が、家族を「パパ」「ママ」「お姉ちゃん」と呼ぶのが、この4人は温かな家族だったことを示しているようで、まるで自分も家族の一員のような追体験をさせられた、苦しくて悲しい101分だった。
幸福とは?
医者を目指し勉強していた姉が統合失調症を患う。しかし、両親はそれを認めようとしない。映像制作を学んだ弟は、そんな家族にカメラを向け始める。それから20年の映像記録。ドキュメンタリー映画。
時は否応なく流れ、姉も両親も年老いていく。
映画は息子から両親への告発の様にも見えてしまう。
しかし、彼女を不幸だと思うのは観客のエゴでしかないと思う。幸福感というのは、本人にしか分からない。いや、本人にすら分からないかも知れない。ただ、落ち着きを取り戻した彼女の、弟を真っ直ぐに見詰める穏やかな視線を見るとそんな事を思った。
一応星は付けたが、この映画には点数など相応しくないと思った。
#どうすればよかったか
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