どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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文字通り「どうすればよかったか?」を問いかける作品
家族という閉鎖空間のなかで,精神疾患を発症したら,,,とあり得そうだけど否認したくなる現実に向き合う藤野監督。姉と同時代の空気を生きてきた者として,発症当時の疾患名がいかに差別的であり人間であることを否定するような名称だったことも25年間,医療につなげられなかった遠因としてあるように思う。
どうすればよかったか?
両親も姉の実弟である監督もよりよい方向を考えてはいたであろう。
家族の恥,世間体,,,,様々なことが障壁となり自己正当化バイアスも作用しながら時間が過ぎていったのだろう。
医療に繋がると3ヶ月の入院で疎通性が向上,もっと早くに・・・とついつい思ってしまう。
どうすればよかったか?
正解はないだろう。
しかし,家族という閉鎖空間で全てが,育児や介護も含めてだ,完結する,させなければならないという桎梏を問い直す必要がある。
監督が家族という空間を拡げるということに風穴をあけてくれた。
そう思う。
同じように家族にレンズを向け他作品を帰り道に思い出した。
それは小林貴裕監督の「Home」であり,赤崎正和監督の「ちづる」である。
やはり両親が悪い
恥ずかしいの定義
レキサルティ服用する卒寿間近の認知症母を見守る当方には刺さりました...
どうすることもできなかった苦悩の25年間
2024年劇場鑑賞103本目 傑作 78点
まず、閉じ込めていた25年間という月日は、このレビューを投稿している当方が誕生してこんにちに至るまでの年数と同じ期間である
0歳から25歳と成人前後から40代半ばの25年間では触れる経験も体感の年数も違うが、四半世紀という言葉通りの衝撃的な長さをある種牢獄よりたちが悪い箱に閉じ込められていたと思うと言葉が出てこない
時代とそれに伴う情報の正確性と信憑性の乏しさ、今作の事象に至るまでの両親の功績から蓄えられた人間性など、もし当事者だったら正しい判断が出来たとは声を大にして言えないのが悲しい
これが正解だったのかは誰もわからないし、現代になってこの時こうであるべきだっただろうなどとはいくらでも言えるので何も言えないが、ドアの向こうで悲鳴を上げる夜に肩を落とすシーンを見ると、認知症の祖母の時間によって機嫌や気性が悪くなる苦悩を少なからず経験してきたので、少しばかり同年代の他観客より絵や文字より痛みがわかるから尚更言葉がない
弟は幼少期からお世話してくれて大好きな姉の不可抗力な変化を志し半ば受け止めて、それでも二人の間は変わらずあの時の二人で、色眼鏡なく随所でそれが英断なのかと疑問を抱き不思議に思ういわば一番視聴者に近いが、そんな中立にたたないといけなかった彼自身の25年間が一番悔やまれるが、きっと彼の生きる理由だったのだから、それを引き剥がす権利は後にも先にも誰もいない
人生を持ってこの映画を届けてくれてありがとう
晩年精神科に通っていた父を持つ私としては、 他人事とは思えない作品...
晩年精神科に通っていた父を持つ私としては、
他人事とは思えない作品でした
ご両親が亡くなって映画化かと思ったら予想外の展開だった
お母さんはお父さんのせいに、
お父さんはお母さんのせいにしてたってこと?
本当にどうしたら良かったのか
でも監督は本当に精一杯やったでしょ、
立場的に強く出られなくても仕方がない
監督さん、どうぞお幸せに
どうすればよかったか・・・見る以外に何ができるか。
原一男の「ゆきゆきて神軍」以来の、しばらく映画館で立ち上がれなくなったDocumentaryの傑作を見た感じがする。もう一つこの映画を見た後、頭に浮かんだ映画は、黒澤明の「羅生門」。母親、そして、父親から見たこの20年は、弟の見た20年の家族とは全く違う感じに見えたはずだ、ということである。
どうすればよかったか・・・姉は4度の医学部受験を失敗した段階で、あるいは遅くとも入学後も大事な解剖の試験に失敗した段階で、彼女の感じている”親と同じ職業につかねばならない”ー多分”つきたい”のではなく”つかねばならない”という強い強い強迫観念から、”向いていない”“ほかの選択肢がある”と促し得れば、姉は傷つきながらも、なんとかこちら側に留まれた可能性はあったのではと感じてしまう。父親は、娘が明らかに精神異常をきたしているのに、毎年の様に医者の国家試験の本を渡し、母親は、外聞が悪いと娘を閉じ込めつつ、彼女は正常だと思い込む。一体、これが正常な家族か?とこちらが絶叫しそうだが、Documantaryとして”真実=True Story”を見せられているから、見ている観客の我々は。「馬鹿な」すら言えずに、押し黙るしかない。
もう一つ思い出したことがあった。島尾敏夫の「死の棘」。狂う妻のミホを題材に、小説を書く行為。文学者のどうしようもない本能でもありエゴ。果たして、この弟の監督は・・・。しかし、姉が後半の方で見せる、カメラに向かい見せるピースと奇妙ではあるがうれしそうなダンスというかステップは、明らかに、弟を信頼している所作であり、見ているこちらも救われた気持ちがする。
20年の映像、20年の記憶、20年の葛藤。どうすればよかったか、という問いに答える必要は我々にはないし、それは、多分できない。こういうことが起きた、愁嘆場とそれでもいとおしい家族の歴史と交わりがあった、と受け止める以外の方法はないと思う。父親も母親もこの映画の監督の弟も、姉の受け止め方は様々でも、誰も逃げ様とか破棄しようと思っていないのだから。そして、誰もが姉を深く深く愛していたのだから。正常な家族か?と書いたが、愚問と自ら断じよう。なぜなら、そのやり方がおかしいと今更第三者の我々が言ってどうなるものでもないのだから。あるがままに受け止めよう。映像のまま受け止めよう。そうさせることこそが、この映画の魅力なのだから。
「こうすればよかった」ではなく。「どうすればよかったか?」
統合失調症を発症した姉を発症20年目から20年間の映像記録のまとめです。
冒頭で、
この映画は姉が統合失調症を発症した原因を探るものではない。
この映画は統合失調症の症状を広く世に知らしめるためのものではない。
と注意喚起されています。
その内容は忠実に家族の記録です。
屋外での撮影シーンを除いて登場人物は5人。
監督、姉、両親、叔母。
自ら及び家族の言動を忠実に記録することで、監督自らを含めた姉以外の4人についても、精神的に不安定な状態であることが浮き彫りにされていると感じました。
歪んではいても誰もが互いを思いやる気持ちがその根底にあることからつけられたタイトルなのだなぁという感想です。
衝撃的な映像です。
是非、観てください。
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