どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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父と母の選択は間違えたかもしれないが、しかしそれを弟が咎めることは...
父と母の選択は間違えたかもしれないが、しかしそれを弟が咎めることは果たしてできるのか、あなたも姉の現状から背けていると思うから。少なくとも自分はこの親から愛は感じた。だが弟からはあまり愛を感じてこず、むしろ映画監督としてのスケベ心みたいなところが見えてしまったからだ。
ホントに…
お姉ちゃん、これから何がしたい?
観てから一週間以上感想がまとまらず今に至る。なぜなら、言語化する感想すべてが、この作品からくらったものより、浅く陳腐なものに思えたからだ。
話はできても対話にならない親。
家族という呪術。
世間の目、その世間のひとりである自分。
弟の苦しんだ時間。
子離れの難しさ。
医療のすばらしさ。
おきている出来事から感じる心のザラザラは、すべてを弟の愛でくるまれた映像により苛立ちへは変わらず、苦しさと悩ましさに変化していく作品。
20年にもわたる撮影期間が産む、映像の変化、フッテージ。映像作品としての魅力も多分にある。
これは、観ないとわからない。
観ればとんでない作品であることはわかる。
また、整理ができればレビューを更新しようと思う
両親の愛情と監督の下心
公開日から一週間後に鑑賞。
公開館数が少なくて上映回数も少ないのに話題沸騰なため、満席だらけ。
クレジットカード不所持でオンライン予約出来ない人間には、チケット購入難易度が最高峰だった。
上映時間よりもかなり早めに映画館に行ったら、映画館自体はまだ開店前だったのに列ができてて、チケットを購入するために列に並んで購入。
映画チケットを並んで購入なんて、下手したら2011年の東日本大震災で映画館がしばらく休館後、再開した時に映画館に人が殺到して、『塔の上のラプンツェル』のチケットを買うために一時間並んだ時以来かも。
事前に聞いていた話だと「20代で統合失調症を発症した娘を、両親が世間に悟られないようにするため、25年間監禁し続けた話」と聞いていたが、観た後は「そうかな?」という感じがした。
結果的には両親の行いは間違っていたことになるが、両親は世間体を気にして娘を家に閉じ込めていたわけでは無く、本気でその方が娘のためになると思っての行動のように思えた。
もし両親が自己保身ばかりで娘に愛情がなかった場合、お金は稼いでいそうなので、精神科の施設に送り飛ばして終わりな気がする。
そうでなくても娘への対応がもっと雑だったり虐待チックだったりしてもおかしくなさそうだけど、そうは感じなかった。
家に南京錠をかけて娘を軟禁していた件も、一人で外出させた時に過去に警察沙汰を起こしていたことがあるわけで、娘を守るための行動としては仕方ないような気がした。
一方、弟でもある監督に対しては、映画を観るにつれて不信感が募っていった。
※ここから「お前何様?」と思われても仕方ないぐらいの監督批判が永遠と続き、気分を害させる可能性大なので、閲覧しない方がいいかも。
監督は「お姉さんを救いたい」みたいなことを言っていたが、実際にとった行動は「社会人になったのをきっかけに実家のある北海道を離れて神奈川で一人暮らし」→「30歳を超えて映画監督を目指す」→「実家の様子を録画し始める」という流れだが、行動だけ見ると「家の面倒に巻き込まれたくなくて実家から離れたが(この行動自体は責められないと思う)、映画監督を目指すようになり、身近にドキュメンタリーのネタがあることに気付き、本腰入れて家族の問題に直視するようになった」と感じた。
ひねくれた見方かもしれないが、映画を観ていると「お姉さんを救いたい」気持ちよりも「ドキュメンタリーを作りたい」気持ちが優先されているように感じる場面が多々あった。
例えば、台所の場面。
お姉さんが洗い物をしている最中、夕飯の残り物を冷蔵庫にしまうことを思い付き、洗い物を中断し、残り物の入った皿にラップをかけようとするが悪戦苦闘。
その間、水道の水はずーーーっと出っ放し。
動画を撮っている監督はただ静観。
ドキュメンタリー監督として「被写体に関与しない」姿勢は正しいのかもしれないが、目の前の女性は「被写体」である前に「実の姉」。
仮に監督がお姉さんに「水、出っ放しだよ」と声をかけ、それでお姉さんが蛇口を閉めたとしても、観客には「お姉さんは忘れっぽい」という情報は伝わると思うのだが、なぜ監督が声をかけなかったかといえば、それは「お姉さんの異常性を際立たせる」ためですよね?
他にも、お姉さんのキレてる場面が何度か出てくるが、ほとんどの場面が「キレてるところから」の映像で始まっているのも疑問に感じた。
もしかしたら正当な理由で怒っているかもしれないのに、この作りだと「お姉さんが突然キレ出した」ように見える悪意のある編集に感じた。
もし本当に突然キレ出したのだとしたら、キレる少し前の場面から映像を始めた方が、家族の大変さがより伝わったと思うのだが…
この映画の始まりがお姉さんの喚き散らす音声から始まっているのも、後から考えると問題な気がしてきた。
映画の掴みとしては抜群だったかもしれないが、監督が本当にお姉さんに愛情を持っていたとしたら、お姉さんのみっともない音声を掴みに使ったりするものなのだろうか?
監督がお姉さんに話しかける場面も気になった。
ガン無視されているように見えたが、気のせい?
別に姉弟で仲が悪いのは珍しいことではない。
普段からそんなに仲良くなかったのに、お姉さんに声かけて無視される理由を「病気のせいでこういうリアクションになっている」ように編集で見せていたとしたら悪質だと思った。
「お姉さん、子供の頃、可愛がってくれたよねえ」なんて、記憶喪失じゃないのにそんなことわざわざ言うかなあ。
途中に出てくる、お姉さんを病院に連れていくように、監督が母親を説得する場面も酷いと思った。
あれだと説得ではなく詰問。
相手のダメなところをあぶり出して否定しているだけ。
最近の言い方でいえば「論破」。
本気でお姉さんを病院に連れて行きたいんだったら、「どうすればよかったか?」なんて言ってないで、「本」でも「人に相談」でも「YouTube」でもなんでも良いので、もっと人への説得の仕方を勉強すべきでは?と思った。
「人の心を動かす」能力って、映画監督には重要な能力だと思うのだが。
まあこれからは、子供が統合失調症になっても病院に連れて行かない親がいたら、この映画を観せればOK。
本作は統合失調症だけではなく、引きこもりや介護の問題も内包していると感じた。
そういう意味では、最近耳にするようになった「8050問題」を描いた映画として捉えることも可能といえなくもない。
最後まで観終わって、2014年公開映画『6才のボクが、大人になるまで。』のことを思い出した。
たとえ途中にいろいろなことがあったとしても、幼い女の子が白髪混じりの老人になるまでを一続きで見せられたことで、「人生って尊いんだなあ」と感傷的な気分になった。
疲れ果てた親の姿に
答えは
体裁を気をしていた両親の罪は深い
統合失調症の姉を父母が有効な治療を受けさせずに監禁していた話、と聞...
統合失調症の姉を父母が有効な治療を受けさせずに監禁していた話、と聞き鑑賞。
確かに玄関に南京錠はかかっていたが、他の窓から出られる環境下にあり、監禁にはあたらない。外出しようと思えば容易に外出できる状況にあった。
有効な治療を受けさせず、姉にとってイタズラに時が流れていったのは確か。ある程度知識があって、平均以上の知能を有していても、自身に不都合な真実を直視し受け入れるって難しいことなのだな、と思う。もしくは、頭が良くても正しい判断ができるとは限らない、ということなのかも。
薬物療法でコントロールされた状態であれば、現代社会のルールの枠内で生きるという選択肢もあったかもな、と思う。一方で、枠からはみ出した人間をそのまま許容する度量は我々の社会にあまりないんだよな、とも。実際隣に絶叫する人が住んでいたら引っ越すな、私は。
また、姉は両親の庇護下ではあっても日常生活は送れており家族との生活を享受できていた。幸不幸ってどこで判断するのか、とも思った。
本作の姉よりももっと深刻な病状の人は多くいて。その人たちの多くは世の本流からは遠く離れた場所で生きている。この作品の更に奥にある現実、彼ら彼女らの現状にも、光が当たればよいなと思う。
どうすればよかったか?
人生にタラレバはないというが、どうすればよかったかと後になって悔やんだことがない人はいないだろう。ましてや社会への船出を迎える時期にどういう選択をしたかはその後のその人の人生に大きな影響を及ぼす。それが本人ではなく家族の意思で明らかに異常な判断がなされたとすれば、死んだ人は浮かばれないのではないか、監督がそう問いかける映画である。
医学系の研究者である両親の影響から、4浪の末、医学部に進学した監督の姉は、大学4年の解剖実習に失敗したことで留年した。その頃から少しずつ様子がおかしくなっていき、1983年に統合失調症の最初の発作が起きた。監督は、1992年、実家を出る直前におかしくなった姉の様子を録音し、2001年から、実家に帰省するたびにビデオを回し始めた。発症してから25年後の2008年、母に認知症の症状が見られた。監督は医師に相談したところ、「姉はすぐに入院させ、父親が自宅で母の面倒を診るのがよい」というアドバイスをもらった。それを父親に相談したら、姉の入院を受け入れた。姉は入院期間中、合う薬が見つかり、3ヶ月で退院できた。退院後は、料理をしたり、弟が撮影しているカメラにピースをしたりとそれまでとは別人と言っていいぐらいに変化した。
監督はこう振り返る。「最初の急性症状が出たときに、僕は30分以内に救急車を呼ぶという正しい判断ができていたので、姉について後悔していることはない。ただ、間違っていたのは、両親の説得に25年かかったということ。どう考えても長すぎるし、姉に対して申し訳ない。これを失敗と言わずして何と呼ぶのか。だから後悔があるとしたら、もっと早く両親を説得すべきだったということ。」
統合失調症とは、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることで、考えや気持ちがまとまりづらくなる精神疾患だ。幻覚や妄想などの陽性症状、意欲の低下や感情表現の減少などの陰性症状、認知機能障害などの症状が現れる。早期発見と早期治療が重要で、薬物療法や精神療法、認知リハビリテーションなどの治療によって回復することができる。原因は現在でもはっきり解明されていないが、遺伝子も関与しているといわれている。本人がなにかをしたら発症するわけではなく、親の育て方や遺伝のために起こるわけでもない。
監督メッセージは無念さが滲み出る。
「姉はたくさんの才能を持って生まれましたが、発症してからは、それを十分に発揮することなく、ほとんど独りで生きていました。
我が家の25年は統合失調症の対応の失敗例です。
どうすればよかったか?
このタイトルは私への問い、両親への思い、そして観客に考えてほしい問いです。」
文字通り「どうすればよかったか?」を問いかける作品
家族という閉鎖空間のなかで,精神疾患を発症したら,,,とあり得そうだけど否認したくなる現実に向き合う藤野監督。姉と同時代の空気を生きてきた者として,発症当時の疾患名がいかに差別的であり人間であることを否定するような名称だったことも25年間,医療につなげられなかった遠因としてあるように思う。
どうすればよかったか?
両親も姉の実弟である監督もよりよい方向を考えてはいたであろう。
家族の恥,世間体,,,,様々なことが障壁となり自己正当化バイアスも作用しながら時間が過ぎていったのだろう。
医療に繋がると3ヶ月の入院で疎通性が向上,もっと早くに・・・とついつい思ってしまう。
どうすればよかったか?
正解はないだろう。
しかし,家族という閉鎖空間で全てが,育児や介護も含めてだ,完結する,させなければならないという桎梏を問い直す必要がある。
監督が家族という空間を拡げるということに風穴をあけてくれた。
そう思う。
同じように家族にレンズを向け他作品を帰り道に思い出した。
それは小林貴裕監督の「Home」であり,赤崎正和監督の「ちづる」である。
やはり両親が悪い
恥ずかしいの定義
レキサルティ服用する卒寿間近の認知症母を見守る当方には刺さりました...
晩年精神科に通っていた父を持つ私としては、 他人事とは思えない作品...
晩年精神科に通っていた父を持つ私としては、
他人事とは思えない作品でした
ご両親が亡くなって映画化かと思ったら予想外の展開だった
お母さんはお父さんのせいに、
お父さんはお母さんのせいにしてたってこと?
本当にどうしたら良かったのか
でも監督は本当に精一杯やったでしょ、
立場的に強く出られなくても仕方がない
監督さん、どうぞお幸せに
どうすればよかったか・・・見る以外に何ができるか。
原一男の「ゆきゆきて神軍」以来の、しばらく映画館で立ち上がれなくなったDocumentaryの傑作を見た感じがする。もう一つこの映画を見た後、頭に浮かんだ映画は、黒澤明の「羅生門」。母親、そして、父親から見たこの20年は、弟の見た20年の家族とは全く違う感じに見えたはずだ、ということである。
どうすればよかったか・・・姉は4度の医学部受験を失敗した段階で、あるいは遅くとも入学後も大事な解剖の試験に失敗した段階で、彼女の感じている”親と同じ職業につかねばならない”ー多分”つきたい”のではなく”つかねばならない”という強い強い強迫観念から、”向いていない”“ほかの選択肢がある”と促し得れば、姉は傷つきながらも、なんとかこちら側に留まれた可能性はあったのではと感じてしまう。父親は、娘が明らかに精神異常をきたしているのに、毎年の様に医者の国家試験の本を渡し、母親は、外聞が悪いと娘を閉じ込めつつ、彼女は正常だと思い込む。一体、これが正常な家族か?とこちらが絶叫しそうだが、Documantaryとして”真実=True Story”を見せられているから、見ている観客の我々は。「馬鹿な」すら言えずに、押し黙るしかない。
もう一つ思い出したことがあった。島尾敏夫の「死の棘」。狂う妻のミホを題材に、小説を書く行為。文学者のどうしようもない本能でもありエゴ。果たして、この弟の監督は・・・。しかし、姉が後半の方で見せる、カメラに向かい見せるピースと奇妙ではあるがうれしそうなダンスというかステップは、明らかに、弟を信頼している所作であり、見ているこちらも救われた気持ちがする。
20年の映像、20年の記憶、20年の葛藤。どうすればよかったか、という問いに答える必要は我々にはないし、それは、多分できない。こういうことが起きた、愁嘆場とそれでもいとおしい家族の歴史と交わりがあった、と受け止める以外の方法はないと思う。父親も母親もこの映画の監督の弟も、姉の受け止め方は様々でも、誰も逃げ様とか破棄しようと思っていないのだから。そして、誰もが姉を深く深く愛していたのだから。正常な家族か?と書いたが、愚問と自ら断じよう。なぜなら、そのやり方がおかしいと今更第三者の我々が言ってどうなるものでもないのだから。あるがままに受け止めよう。映像のまま受け止めよう。そうさせることこそが、この映画の魅力なのだから。
「こうすればよかった」ではなく。「どうすればよかったか?」
統合失調症を発症した姉を発症20年目から20年間の映像記録のまとめです。
冒頭で、
この映画は姉が統合失調症を発症した原因を探るものではない。
この映画は統合失調症の症状を広く世に知らしめるためのものではない。
と注意喚起されています。
その内容は忠実に家族の記録です。
屋外での撮影シーンを除いて登場人物は5人。
監督、姉、両親、叔母。
自ら及び家族の言動を忠実に記録することで、監督自らを含めた姉以外の4人についても、精神的に不安定な状態であることが浮き彫りにされていると感じました。
歪んではいても誰もが互いを思いやる気持ちがその根底にあることからつけられたタイトルなのだなぁという感想です。
衝撃的な映像です。
是非、観てください。
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