どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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100館超に拡大…だそう
公開時から静かに話題、数少ない上映館では満席が続いていた本作。年明け最初に観るべき作品か?とは思ったが、新年2日からキネカ大森はけっこうな客入り。統合失調を発症した姉に対して、終始たんたんと穏やかに語る父親はそれはそれでサイコっぽさを感じさせるし、認知症を患ってからの母親の言動は姉と大差がなくなっていくし、そもそもこの家族の状況をカメラで追い続け世に晒し出す監督本人もどういった心持ちなのか…。正直、身構えるほどの衝撃はあまりなかったのだが、怖いもの見たさを期待していたオレもオレでどうなんだ?という気になってしまった(爆)。
タイトルが投げかける質問については、精神疾患に対する世の認識が多少なりとも進んだ現代なら適切な対処法をどうとでも言える。が、40年前の発症当時の精神医療にどの程度の実効性があったのかや、疾患・障害に対する(今でもさほど変わらない)周囲からの視線を考えると、両親が(優秀な研究者だったが故に?)姉の疾患・障害を認めず隠蔽し続けたことを責めたてるのはしんどい。結局、そんな居心地の悪さを少しでも解消するために、家のなかだけで抱えきれないことはより大きな社会単位で包摂していくしかないのだ、とあらためて考えた一作だった。
息苦しかった
どうすればよかったか?
私は統合失調症経験者です。私の経験をお話しして統合失調症の理解とどうすればよかったのかの私なりの意見を述べさせて頂きます。
詳しい事情を話すと長くなるので省きますが
2度の発症、入院をいたしました。入院は各1ヶ月づつです。父は治療はさせてくれましたが親戚等には病気の事を隠しました。また薬が効き一見正常に見えるともう治ったものと思い私を家から追い出しました。病院の先生は遺伝による原因が有るとおっしゃいましたが 私は誰しもがストレスを感じると、発症する可能性が有ると考えます。症状は人それぞれです。ごく軽く一見ちょっとおかしな人程度に見える人もいます。今回の映画のお父さん お母さんも少なからずかかっていたのでは?まず すればよかった事はお姉さんに薬を飲ます事です。統合失調症は脳内科学物質の異常分泌です。薬を飲めば割と直ぐ収まります。その為にはお父さん お母さんのカウンセリングを受けさせ、お姉さんの診察を受けさせる。もしくは、弟さんがお姉さんの映像を医師に見せ診察を受けさせられない事情を理解して貰い診察出来なくても薬を処方してくれる医者を探す事です。北海道という地理的にもかなり難しいとは思いますが やるべきです。またお姉さんに、あれこれ質問してはいけません。私の担当医は行くと薬飲んでますか?強迫観念はありませんか?だけです。診察は1分もかからず終わります。私の場合 父に追い出され、1人になり薬を飲み続けたのは良い事だったかと思います。薬は25年間飲みつづけ最近やっと普段は飲まず、今日はテンションが、高いなと思った時だけ飲んでいます。まだ通院は続いています。また気をつけなければならないのは食事です。本人任せにすると不健康極まりない事になります。誰かがちゃんと野菜中心で、栄養のバランスが取れているか気にかけてくれる人が必要です。でないと免疫力が落ちて病気になりがちです。私も乳がんになりました。今は 統合失調症のコントロール 乳がんも克服し、起業して幸せに暮らしています。それには長い時間が掛かる事を覚悟して下さい。もう一度いいます。誰しもがストレスにより掛かりうる病気です。
お姉さんが笑ってて良かった
映画館を出た時は、誰も救われない話だ、と思って胸が痛くなった。
でも、最後にお姉さんが穏やかに笑ってて、良かった。
お姉さんは弟が好きなんだと思う。
帰る弟に笑顔で手を振って見送る姉。
カメラを向けるとおどけてみせる姉。
具合が悪い時でも弟には怒鳴ってないように見えたし
答えられる時には答えてた。
母に対する特別な感情も弟の前では口にした(みたい)。
どうすればよかったのか、は第三者への問いではなく
当事者が問い続けてもどうにもできなかった日々そのもの、なのかな。
当事者は監督だけでなく、父も母も、当の姉も。
怒鳴り続けてて喋りっぱなしだった姉に心の平静が訪れて、
花火の爆音も笑って楽しめて、
父と一緒に海を撮って、
その時間が訪れて、良かったと思った。
あとは、家族が話をかぶせて喋ってるもんだから、一方の話しか聞き取れなくって。機会があればもう一度観ようかなと思います。
こういう家族もあるんだな
優秀だった8歳上の姉は、両親の影響により医師を目指し大学の医学部に進学した。その姉が、ある日突然、訳のわからないことを叫びだした。統合失調症が疑われたが、医師の父と母は病気だと認めず、精神科の受診を拒んだ。そのことに疑問を持った弟は両親を説得したが、両親は変わらず、わだかまりを抱えたまま実家を離れた。
姉の発症から18年後、映像制作を学んだ弟は帰省するたびに家族の様子を撮影し記録した。家族にカメラを向けながら両親と対話し、姉に声をかけ続けたが、母が認知症になり83歳で亡くなり、姉も肺ガンで・・・そんな弟(藤野監督)の家族を記録したドキュメンタリー作品。
これを観て何を感じれば良いのだろうか。
弟として、早く姉を病院に入院させたかったんだろう、というのはわかるし、両親が共に医者であり、論文に固執するような研究者だったようだから、何かのプライドで、精神科の受診を拒んだのだろう。最後まで観てもそこはよくわからなかった。
統合失調症の患者を見た事がなかったので、こんな感じなんだ、というのは勉強になった。
で、どうすればよかったか?、は両親が子供に良かれと思ってした事なら、周りがとやかく言う事じゃないんだろう。経済的な援助は両親がしていたようだし。
こんな家族も有るんだろう、くらいの感想。
正解などない現実
老いによる光
正月明けの平日にもかかわらず、7割も埋まった劇場から本作の注目度の高さが伺える。小規模公開でも素晴らしい作品にはちゃんと劇場に人が入る。「侍タイムスリッパー」に引き続き、映画館好きとしては嬉しい気持ちでいっぱいになる。
「どうすればよかったか?」
始まりと終わりでこのタイトルの感じ方が大きく変わる。悔いが残っている言葉。藤野監督はまだ傷が癒えておらず、なんなら現在進行形で傷を負っているようにも思える。見る前はどうすれば家族は幸せになれるのか?を考える作品かと思っていた。だけど違った。始まってすぐその考えは打ち消される。
答えを見つけることを目的としていない。当たり前だが、家族には多種多様、それぞれの幸せがあり、やり方がある。それを他人がとやかく口出しすべきではない。明言しているわけではないが、火のないところから煙を立てようとする現代人に対する提言のように思えた。
ドキュメンタリーは基本、客観的に撮影したものばかり。観客は監督と同じ目線に立ち、真相をおったり、問題に目を向けたりしていく。ただ本作は、監督自身が経験したことであり、考えは客観的でありながらも主観的に撮影しているため、監督までもがドキュメンタリーの中の人物となっている。
家族だから当たり前だと思われるかもしれないが、カメラの反対側の様子がこんなにも伝わってくる作品は、未だかつて見たことがない。監督は20年もの間家族を記録し続けたが、観客はその家族の記録と監督の葛藤や苦しみを見ることになる。冒頭のナレーションから様々な思いが一同に伝わってくる。
姉が放った言葉ですごく印象的なものがある。
「だめだっつうの だめだっつうの」
彼女は自分が言った言葉に対して過度に否定を続ける。頭と心が一気に表面化されたシーン。何かと戦っている、何かに苦しめられている。姉が誰かと話しているかのようだが、その正体はわからない。ただただ追い詰められ続け、ひたすらに否定を続ける。
何か気に障るようなことがあれば、姉は突然早口で話し始める。だが、そんな彼女の言葉の言い回しはとても母親に似ていた。偶然か必然か。
愛するとは、寄り添うとは。
彼女は幸せだったのか。その答えを知る者はいないのだから、観客である自分たちは何も言うべきでは無い。非難する対象はたくさんいる。だけど、それでは意味が無い。言わない、言えない、どうしようもないということが、この映画の伝えたかったことでは無いだろうか。
老い、そして光。どうにもならないやるせなさで胸がいっぱいになる。そして、監督はいまも考え続ける。
「どうすればよかったか?」
タイトルは、困難が起きた時の問いそのものかもしれない。
家業のあるうちの大変さをまず感じた。
天皇家や歌舞伎などの伝統芸能、老舗の旅館や店舗など。
医者は家業ではないけれど、子どもにとって最も身近な親の生き方(性格、価値観、職業観など)は影響力が大きい。
しかし、医者になるのは、ハードル高し。
開業医の子どもが裏口や替え玉受験など騒がれるのは、たいてい医学部、医師国家試験だったりする。
小中成績優秀でした…では太刀打ちできないところがあるんだろうなあ。
障がいに対するとらえ方は、時代により、人により、幅がある。
周囲にどのくらい開示できるかも、それぞれ。
このおうちは、とても閉塞的で、本質的な話し合いをしない。
私の育った家庭も、戦中生まれの両親、私(長女)、弟2人だった。
父権の強さ、弟の発言力のなさが、似てる。
ただ、我が家は、親族や近所にうちの内情が駄々洩れの開放的な家だったので、同じ状況に陥っていたら、違う展開になっていただろう。
父の上を行く祖父も近くに住んでいたし。
家族問題の肝は、周りと繋がることだと思う。
順番として、親は、子どもより、早く死ぬ。
親が子育てで最も重要視することは、子が自立できるようにサポートすることだ。
成人した娘がひとりで外出もできない状況ならば、やはり信頼できる医師に出会うまで受診し、様々な試みをすることが、やるべきことだったのではないだろうか。
自分にとって受け入れがたいことでも(その葛藤は理解できる)、娘のために、事実と対峙する必要があったろう。
超高齢のご両親が、自分たちだけで娘の世話をする姿に、胸が痛んだ。
この映画の価値は、まさしくそこにある。
我が事なら、こんなに冷静に考えられない。
パニックになるし、自分の不運、娘の不幸を受け入れるまで時間もかかる。
こうして、映画として、事前に疑似体験すれば、同じような境遇になった時に、葛藤する時間が少なくなるかもしれない。
観てよかったと心底思った。
世界が今、すごいスピードで変化している。
メンタルを病む人も、これから増えていくだろう。
だからこそ、風邪みたいに、受診して休んですんなり復帰するような、そんな社会になったらいいなと思う。
しかし、人の怒鳴り声って、聞くのしんどいな…。
統合失調症×認知症×脳梗塞×カメラマン
家族の在り方
映画の冒頭で、これは統合失調症についてのドキュメンタリーではないという旨のテロップが出る。観終わってみると、なるほどと思った。確かにこれは病気についての映画ではない。むしろ病気に対応する周囲の家族についての映画だと思った。
極めて個人的なドキュメンタリーである。にも関わらずこちら側に鋭く突き刺さってきた。それは、この映画が”家族”のあり方というものについて問うているような気がしたからである。
もし、家族の誰かが身体的、精神的に弱っていたら、自分は上手くフォローすることができるだろうか?家族同士できちんと話し合って解決できるだろうか?そんなことを考えさせられた。これは介護の問題にも置き換えられかもしれない。あるいは、子育ての問題に置き換えることもできるかもしれない。
ラストにタイトルの「どうすればよかったか?」という問いが監督から投げかけられる。これは観客に向けた言葉ではない。しかし、まるで自分に言われているような気がした。そして、観終わった今でもその答えを出せないでいる。
ただ、一つ確実に言えるのは、この家族のように「どうすればよかったか?」という後悔だけはしたくないということである。
それにしても、観ている最中は、両親のことが腹立たしくてならなかった。この両親は共に医学研究者で、かなりのインテリである。そんな両親の影響で姉も医学の道を目指した。しかし、思うようにいかず挫折をしてしまう。姉は間違いなく両親のプレッシャーに圧し潰されてしまったのだと思う。
更に、最悪なことに両親は病気が悪化する姉を周囲に相談することもせず部屋に閉じ込めてしまった。この罪は非常に大きい。きちんとそれ相応の対処をしていれば、姉の人生はもっと違うものになっていただろう。姉は完全にこの両親のエゴの犠牲になってしまったのだと思う。
そんな姉のことを唯一理解し、傍に寄り添ってくれるのが、カメラを持った弟=監督である。彼の姉に対する語り掛けは非常に優しい。自分だけは味方だと励まし、常に気遣い、愛情を示し続ける。
しかし、映画を観終わる頃には、彼の言動もどこか悍ましいものに感じられた。実は、この監督も両親と大して変わらないのではないか…という気がしたのだ。
姉の病状が発症したのは約40年前。その時まだ学生だった監督は実家で一緒に暮らしていた。しかし、卒業と同時に家を出て一人暮らしを始めた。そして、映画学校に入ってこのドキュメンタリーの製作をスタートさせたと言う。その間、彼は姉を入院させるよう両親に何度も説得している。しかし、聞き入れてらえず、淡々とカメラを回し続けたのである。
本当に姉のことを思うのであれば、強引にでも彼が病院に連れていくべきだったのではないだろうか。しかし、彼は映画を撮ることを優先させてしまった。
ドキュメンタリーは常に真実を伝えているとは限らない。そこには必ず作り手の恣意的な視点が入るからである。
本作を観る限り、両親が姉を追い詰めたように見える。しかし、その傍で弟である監督は一体何をしていたのかというと、それを撮影していたのである。そのことについて、この監督はどう考えているのだろうか。弟としてよりも作家としてのエゴが勝ってしまった…ということなのだろうか。
受診して合う薬が見つかって三か月後に退院し、様子が変わった姉の姿を...
凄い映画
精神疾患の現実を目の当たりにする鑑賞体験
精神疾患の疑いがある人を病院につれていくのに障壁となるのは本人の同意だ。同意なしに通院させたとしてもトラブルの元だし症状が改善しづらいらしい。でも家族が病院に連れていくという強く決心しないと始まらないケースもあると思う。
本作は統合失調症の疑いがある姉と、彼女を通院させないでいる両親を記録したドキュメンタリー。冒頭で聞こえてくる姉の音声でまずギョッとさせられる。何を言っているのか意味不明だし、家族であろうと敵意をむき出しにするその声は相当のインパクトだ。
その後の映像は、最初に統合失調症と疑われる症状が出てから10年以上経ってからのもの。若干朦朧としながら弟や両親の問いかけに反応する(もしくは無反応な)姉の姿は、通常の社会復帰が難しいと感じさせるのに十分だ。その後、撮影者である弟の行動と両親の対応は、統合失調症という病を抱える者の家族が抱える問題の奥深さを考えさせられるものだった。
何が正解だったのかはわからない。あの両親の対応が間違っている!と言い切ることもできない。監督である弟さんも正解をつかんでいるわけではない。彼らの両親に、あの対応でよかったのか?と確認し、間違っていたかもしれないという言葉を聞きたいだけなのかもしれない。そりゃそうだ。人生とは多かれ少なかれ、もっと他の方法があったんじゃないかと悩むものだから。悩みながら決断してきたことを共有したかったんじゃないか。両親の対応を責め立てる目的の映画ではない。たぶんそうなんだろう。ただ、自分たちの対応を間違っていなかったと言い切れるあの父親の感覚が明らかにおかしいことだけはわかる。それだけでも本作の目的を一つ達成しているのかもしれない。
あの家族の抱えてきたことの重さを考えるととてもつらくなる。でも、同時にここから目を逸らしてはいけないなとも感じる。観た人がそれぞれ感じるものが多い映画だったと思う。とても稀有な映画だ。万人には勧められないが、多くのことを考えさせられる人も多いはずだ。
ピースサイン
家族という呪縛が視界を曇らせる
東京での公開から1ヶ月以上が経過し、名古屋でも年末から一館だけだが上映スタート。
1月13日時点でまだ劇場は満席(増補席で対応中)という人気ぶり。
こういう家族モノの作品はすごく苦手な私。
どんなコミュニティより「家族」こそが地獄たと思っているからだ。
作品中でも、この『家』という小さな宇宙に、独立して存在する法(「法律」というより「物理法則」に近い)によって、客観的に見れば明らかに「(姉は)専門的な医療を受けるべき」だと子供でも分かることが否定され続け、25年という途方もない時間が経過してしまう。
父も母も、監督である弟も、姉への対応を通して「何かを守りたい」と思っている。一人として家族の誰かを傷付けたい・悲しませたいなどとは思っていないのに、結果はひどく皮肉なものになる。
誤解を恐れず言うなら、私がこの家族にとって最も不幸なことがあるとすれば、
「治療・投薬を受ければ、あっという間に症状が改善する、という事実を知ってしまったこと」だと思う。
身体に合う薬が見つかり、普通の会話どころか、簡単な家事もできるようになる。
カメラに向けたぎこちないピースや、おどけたポーズは、おそらく監督が幼い頃に見ていた優しい姉の姿を十分過ぎるほどに思い出させたに違いない。
我々から見ても、チャーミングな人だったことがうかがい知れるくらいだから。
決してこの家族は崩壊していたワケではない。おそらく父も母も彼女のことを諦めてはいない。
姉の症状が良くない中でも、母親の喜寿を祝い、家族で誕生日やクリスマスを祝っていたことからも、彼女を家族の一員として大切にしていたことがよく解る。
だからこそ
彼女が自分のために使えたはずの25年間を悔やみ、症状の寛解と同時にやってくる次の病魔に愕然としてしまう。
「もっと早く治療を受けていれば」
もしかすると、母親の認知症は姉の介護に起因していたかも知れない。
「もっと早く治療を受けていれば」
もちろん、医療は長年の進歩に依存していて、25年前の医療ですぐ改善したとは限らないし、「タラ・レバ」は不毛だ。
家族が崩壊しなかったのも、「絆」などといったものではなく、靴紐やレジ袋など、玄関にあったものでとりあえず繋ぎ止めた様な、あの程度の脆弱なものだったかも知れない。
専門医療を受けさせなかったことについて、母の言う「(姉を医者に見せたら)パパは死ぬぞ」も、父の言う「ママが隠したがったから」も、嘘かも知れないし本当かも知れない。
カメラの前では誰でも無意識に何かを演じてしまう。
でも、経過した25年だけは現実。
エンドロールの後に添えられた、家の前まで出て、ダブルピースで車を見送ってくれた姉の姿。
「ドキュメンタリー」といったって、編集された時点で恣意性を強く持つものだ。
監督はど真ん中の当事者であり、起きた現実を客観的に評価することなんかできるワケがない。
監督は早く医者に診て欲しかった。
おそらく、カメラの回っていないところで、必死で親の説得もしてたんじゃないかな。
でも、それは叶わなかった。
「どうすればよかったか」
姉への対応は誤っていた、という前提で問いかけた監督に父親は「あれで良かったんだ」「後悔はない」と答えた。
これも彼の本音かどうかは分からないが、彼には彼の「正しさ」が存在する。
第三者である我々の誰もがこの件については答えを持っている「どうすればよかったか」という問題について、その問いそのものが意味を持たない世界。それが『家族』という宇宙だ。
この映画を観て、観客が父親や母親を責め、お姉さんに憐れみの感情を向けるのは簡単だ。
でも、家族という呪いは、一般常識や客観性などを軽々と否定し、それが当然だという顔で世の中と対面している。
だからね。
家族にしか分からないこともあるし、一般論で片付けちゃいけないんだろう、って(ここまでダラダラ書いておきながら)ずっと考えてる。
他の方のレビューに「何て言ったらいいか分からない」って書いてあるの、まさにその通りだなって。
率直に何て言っていいのか分かりません。 愛情を持ってお世話していた...
パパそれはないやろ
南京錠をかけて外に出さない、医者にかからせないって、
これは虐待だし、この両親は医師で研究者である自分たちの家から統合失調症患者を出すのは恥だと思っていると
てっきり思っていた。
だけど、また勝手に海外に行ってしまう危険があるとか、
監督のインタビューによると、
病歴がつくと国家試験に不利になるとか、
娘を思うがための考えがあったのかもしれない。
でもそれはやっぱり娘の幸せにつながるものでは
なかったという事実を、むきだしのまま見せられる。
3ヶ月入院しただけで薬が効き、人が変わったように落ち着いた姿はほっとすると同時に、それまでの外界から遮られ続けた20数年がなんだったのかと、私たちでさえ思ってしまう。
棺桶に論文を入れ、自分の研究を手伝ってくれたと親戚に語る父。最後まで、自分が望む娘の姿しか見ようとしない。
「娘の人生はある意味充実してた」って
パパそれはないやろと思ってしまった。
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