どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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家族だから聞けないこと、言えないこと
家族間の問題は大なり小なりどこも抱えていると思う。そこに何が正しくて何が間違っているかの線引きは簡単にはできない。「普通の家庭」は家族の数だけあるのか。
家族も他人、と割り切るのは頭で理解できても、そう簡単に踏ん切りがつくほど単純でない。
実家物語
まさかの大盛況で、パンフは売り切れ。え、そんなに人気あるんだ…ドキュメンタリーを見慣れている私はいいとして、若い人やカップルとかが正月から観る映画なのか??
…と思った感覚は、観終わっても同じです。エンタメ性はないと思います。でも、ドキュメンタリー好きには必見。
年齢や時代、場所設定がさりげなくわかるようになっていて、「あ、監督、私と大学同じ…」「大学実家から通ってた?てことは、ここ札幌?」「私とお姉さんは10歳以上離れてるけど、監督は私と歳近い?」「あ、千歳空港、数日前行ったばかり…」「雪積もってるってことは、正月の帰省か。ここも私と同じ…」「実家、うちより広くて裕福そうだけど、高齢の親と話が通じにくいのは同じ…」「歳とってから生まれた子か…うちと同じ…」
と、お姉さん以外はとにかく設定が自分と近くて感情移入しまくり。
統合失調症という病がテーマであるけど、歳の離れた親(また札幌というなんだか都会でもあり田舎でもある微妙な空間の)との関係を描いたホームムービーでもあると思った。とにかく舞台がほぼこの実家なので、家の構造や家具などが観ているうちにほぼ自分ちのような気になっていく。数日前帰った実家で何十年もそこから出ずに暮らしていた両親のこと、そして「実家」という時が止まったような空間を感じる映画だった。
強さとは、困難を真正面から受け止められること
2025年一発目の映画鑑賞は、「どうすればよかったか?」でした。昨年12月7日に劇場公開されて以降、その衝撃の内容からメディアでもたびたび取り上げられた作品でしたが、それ故に中々都合が良い時間帯にチケットが取れず、遂に年を越しての鑑賞となってしまいました。
ようやく鑑賞できた感想は、何とも身につまされる内容で、本当に「どうすればよかったか?」と自問するばかりでした。20代で統合失調症を発症した姉と、そのことを認められない両親を20年間もの長きに渡って見つめ続けた弟の藤野知明が自ら撮影し、監督となったドキュメンタリーだけに、第三者である我々観客が軽々に論評すべきものではないのかも知れません。でも本作を世に出した藤野監督の思いは、本作を観て観客に何かを感じて欲しい、考えて欲しいということだろうと思料されることから、私なりの感想を述べたいと思います。
そもそもですが、第三者である観客の多くが感じただろうことは、両親は何ゆえに統合失調症を発症した時点で、姉にきちんとした治療を与えなかったのかという苛立ちです。父親は医者であり、母親も医療研究者だったので、一般よりも高度で手厚い治療を受けられた可能性は高かったのではないかと思われます。それにも関わらず姉の病気をないものとして隠蔽してしまい、最終的には家の中で半ば軟禁状態にしてしまう両親の心の内はどんなものだったのでしょう。
初めは自分の子が統合失調症であることを認めたくない悲しき親心だったのかも知れませんが、自らの心の平安と世間体を保つために自らに吐いた嘘が、いつの間にか本当のことであるかのように思いこんでいるように見えた両親の姿には、観ていて心が痛くなりました。
そして感心したのは、しばしば統合失調症の症状が表れる姉に普段通りの態度で接しつつ、両親に対しても冷静に接し続けた藤野監督の心の強さでした。そして自らの家族の記録を20年の長きに渡ってビデオカメラに収め、最終的に父親の了承も得て今回公開したことは、並大抵の人が出来ることではないと感じられました。仮に自分が藤野監督と同じ立場に置かれたら、彼のように冷静でいられるだろうかと想像すれば、間違いなく出来なかっただろうし、どちらかと言えば自らの嘘に依存してしまった両親寄りの態度を取っていたのではないかと思います。
最終的に言えるのは、人の人生には、いついかなる困難が降りかかるか分かりません。その時にその困難を真正面から受け止められるか否かが、その後の人生を決めるのだと痛感しました。自分のような弱い人間が、藤野監督のような態度を取れるかは極めて心もとないところですが、そうした時の糧にさせて貰いたいと感じた作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
一家族の記録としては価値はあるかも
正解はない
逆に言うと家族の数ほど正解がある。
映画を観ていて驚いたのは、家の中が驚くほど綺麗で本人の身なりも整っていたこと。そして未治療でも意外と本人の病状が安定していたこと。精神科医療に携わった人なら同意いただけると思いますが、普通はとっくに破綻していて「そうはならんやろ」、というレベルです。親の愛情、みたいなものが透けて見える気がしました。その愛情が「ズレてる」と言うのは簡単だけど、本人が考えて、考えて、考え抜いた上での行動なので、取り扱いは非常に難しく、「こんなこといつまで続けるつもりなの?」とか、つい投げかけたくなるけど、正論で人間を説得できるなんてのは幻想でしかないんですよね。陰謀論に染まった人を簡単に説得できないのと一緒ですね。
多分、多くの人がこの映画を観て、すぐに医者に連れて行かなかった親が悪い、あるいは傍観してもっと積極的に関わらなかった弟が悪いとかいう感想を抱くかも知れないけど(実際、パンフレットで監督は「両親を説得し姉を受診させるまでに25年もかかってしまったのはあまりにも長すぎました」と回顧)、それは悪者探しをしているだけで、必ずしもどうやってそれを達成するか?の答えにはなっていない訳です(「どうするばよかったか?」の問いには方法論も含まれている)。でも人は、誰が悪かったと言う形でストーリーの理解をしたくなるんですよね、そっちの方が分かりやすいから。でも医療的な視点で言えば、そもそも誰が悪いとかのジャッジはしないんです。そんな事をしても、何の解決にもならない上に事態を悪化させる恐れがあるので。
また同資料には、結局お姉さんは病識の獲得には至らなかったと言うようなことが示唆されていました(=「姉が病気を認めていない以上、実際に発表するのは姉の死後と決めていました」)。結果だけ見れば、強制医療の一択だった、と言えなくもないですが、この25年の課程を経ずにこの穏やかな結末を迎えられたか?は、甚だ疑問だったと思います。フィンランド発祥のオープンダイアローグの例を出すまでもなく、世界的に見て意外と精神疾患に対して強制医療をスタンダードに据えている国は少ないという事実。実際イタリアの精神科医師団が日本に視察に来て、苦言を呈して帰られるとか普通にありましたからね(汗
さてここからが本題です。それにしても弟である監督が凄かった。帚木蓬生氏が広めたネガティブケイパビリティ(=問題を問題として保持する力)の権化のような存在。はっきり言ってこれ、誰にもでもできることじゃないですよ。控えに目に言っても「超人」だと思いました。負担ではあっても、親が子供の面倒を見るのはギリギリ維持されるんですが、兄弟となるとその率がグッと下がります。社会通念では、親が子供の面倒を見るのは当たり前でも、兄弟が面倒を見るのは必ずしも当たり前ではありませんからね。「もー知―らない」と投げ出しても、結構許されるんです。(例えば重大事件の加害者の親に対してマスコミは執拗にコメントを求めるけど、兄弟のコメントはあまり見たことがないでしょう?)普通はそうなるんです。そういった意味から、兄弟から統合失調症を眺めた記録は本当に貴重であり、かつ資料的な価値は高いと思いました。非常に質の高いドキュメントで痺れました。
感想がタイトル通りでした
どうすればよかったか……
統合失調症がどんなものなのか、良く分かりませんが、どんな病気でも、変だなと思ったら病院受診すべきだし、それが本人が判断出来ない、動けないのであれば家族がすべきだと思う。
年代的に世間体とか、偏見とか、色んな問題があったかもしれないけど、おかしいと思ったら親がなんと言おうと、兄弟、親戚が動いて無理やりでも早く病院連れて行くべきだったと思う。
だって、普通に考えれば親は先に居なくなるし、残されて面倒見るのは兄弟だし……
親を責めるような映画に思えたけど、撮ってる弟にも責任がある……と私は思う。
何が目的で映画にしたのだろうか?私には分からない。
分かったことは、もっと早く病院行って、薬のんで、普通に生活させてあげれば良かったのになぁ……
どう受け取ればよかったか
「どうすればよかったか?」という問いを姉への対応のことを指すと受け取れば、答えは明らか。症状が出た時点できちんと精神科に通わせること、あるいは入院することしかなかった。
しかし、この父と母が捉えられていたものにどう対処するか?という意味で取るならば、確かに「どうすればよかったか」としか言いようがない。
偏見や差別意識をや内面化してしまった人をどうするか?それもあるだろうが、実際はもっと複雑だったはずだ。なぜ姉を治療しようとしないのか、この父母に20年前に聞いたとしても答えは出なかったのではなかろうか。
家庭は社会の矛盾が端的に露呈する場でもある。監督にそんな意図はないかもしれないが、これは単に他人の家庭を撮ったドキュメンタリーではないと多くの人がどこかで感じているからこれだけの反響もあるのではないか。
お姉さんのピースサインがわずかな救い。
映画を観終わって…
まず最初に
「弟よ、君が両親を押し切ってでも
病院に連れて行けなかったのか!!?」
でした(涙)
が、しばらくして
弟も両親も
そして、本人も皆んな
苦しんだんだよな
もう少し早く薬を飲んでれば
お母さんとも
女同士の会話もできてたろうになぁ〜
オシャレやメイクなど…
コレはエリート出の両親の
プライドが邪魔したとか
もう今となっては過去です
ただ…
少しの間でも
薬を飲んで
穏やかな生活に
戻れただけでも
良かったのではないか
そしてお姉さん本人が
笑顔を見せてくれてたのが
何よりもの救い
(逆に「ならもっと早く…」って
思う人も多いだろうけど)
悔しいけど
誰のせいでもないよ
鑑賞してて
とてもツラかった映画でした
自分の家族を出し
この作品を作って
公開まで辿り着いた
監督 (弟)さんを
称賛します👏🏻
籠の中の加護。
よくまとめたな
これは難しいですね。
当時を思えば、分裂病=犯罪者レベルの扱いでしたから。
最初は病院へ連れて行かないご両親に対して自分たちのエゴから連れて行かないだけだろうと思ったり、弟にもグダグダ言ってないで病院へ連れて行けよと思わなくもなかったのですが、冒頭にある通り当時の扱いを思えば、ご両親は分かっていても認めたくなく、認めないことにより病気ではない=娘は健常者と思いたかったのではないかと。一時の気の迷いだから、この先には今まで通り、優秀な娘に輝かしい未来があると思いたかったのだろう。もしも、病気と分かればお姉さんだけでなく、弟の将来にも傷がつく。分裂病の姉がいるところに嫁が来るはずがない。子供たちの未来が…とも思ったのではなかろうか。
ご両親お二人とも裕福な家庭なんだろうな。エゴと言えばそうかもだけど、私には確かに親の愛を感じました。
発症は、恐らく最初の大学受験に落ちたあたりから病気が進行していったのではなかろうか?
病院へ連れて行って適切な治療を受けていれば、医師という未来はなくても、また別の未来があったのにと思うと重く感じました。適切な薬を見つけてからのお姉さん、一気に年が進んだように感じました。
その後、彼女は何を思い考えていたのだろう?
思うことが沢山ありますが予測でしかない。
どうすればよかったのか?分からない…
ドウシヨウモナイ私
どうすればよかったか
家族を...
答えはないが広く観られるべきだThere’s no definitive answer, but it deserves to be widely seen.
観ながら、監督とは歳が近いかもしれない
と感じていた。
パンフを確認すると、監督は3つ上。
劇中の日付が、ある意味
自分にとって記憶が明確にあるわけで
それだけに、苦しくなってきた。
自分は両親とも既に鬼籍に入っている。
ただ話の通じなさは
既視感があった。
両親とも仕事では優秀であったと想像でき
故に頼られることが多かったのかなと。
だからこそ、
頼ることは苦手だったのかもしれないし
自力でなんとかしてきたんだろうなと。
そうすると、
自分たちでなんとかなる
なんとか出来るという
【思い込み】の元、
全てが手遅れになっていったんだろう。
研究という分野では
ご両親は、おそらく高く評価されたんだろうが
残念ながらそれは子育てには通用しなかった。
だから自分たちのフィールドである
研究で娘の栄誉をもたらそうとしたんだろうけど
それは流石に無理筋だった。
お姉さんは芸術系に進んだ方が良かったんだろうな
と外野から思ってしまった。
お姉さんが亡くなられた時、
父親が論文を棺に入れている様は
ある種、狂気に映ってしまった。
研究という仕事こそ、
向き不向きがあるし、
それに全てをベットするのは
狂気を孕んでないとできないだろう。
今の視点から、
ご両親の行動は理解できないかもしれないが
あの頃の世間体だとか、
精神を患った人へのイメージ、
ご両親の社会的地位等を鑑みると、
親類も口出しできなかっただろうし
口出しさせなかっただろうな
と想像出来る。
それはひょっとしたら今も変わっていないかも。
だからこそこの映画が公開され
広く観られることの意義は果てしなく大きい。
藤野監督を始め
編集の浅野さん
動画工房ぞうしまの皆さんお疲れ様でした。
As I watched, I felt that the director might be close to my age.
When I checked the pamphlet, I found out the director is three years older than me.
The date in the film had a certain significance for me,
as I have clear memories of that time,
which made it all the more painful to watch.
Both my parents have already passed away.
Still, the incomprehensibility of communication felt strangely familiar.
I imagine that both of my parents were highly competent in their respective fields,
which might explain why so many people relied on them.
Because of that, perhaps they struggled with relying on others themselves,
and simply figured things out on their own.
This led them to a certain belief:
that they could handle everything,
that they could fix anything.
But because of this belief,
everything gradually spiraled beyond their control.
In the realm of research,
I assume my parents were highly respected.
But unfortunately, that excellence didn’t translate to parenting skills.
That’s likely why they tried to bring their daughter honor
within their own field of research.
But that was, frankly, a hopeless endeavor.
I couldn’t help but think
her older sister might have been better suited for an artistic path.
When the older sister passed away,
the sight of their father placing a thesis in her coffin
came across as a kind of madness.
In the field of research,
some people simply aren’t suited for it.
To bet everything on it
requires a kind of madness in itself.
From today’s perspective,
their parents’ actions might seem incomprehensible.
But if you consider the societal pressures of that time,
the stigma surrounding mental illness,
and their parents’ social status,
it’s easy to imagine that relatives either couldn’t intervene
or were prevented from doing so.
Perhaps even now, things haven’t changed much.
This is precisely why this film’s release
and its potential for widespread viewing
is of immense significance.
To Director Fujino,
Editor Asano,
and all the staff at Douga Koubou Zoujima—thank you for your efforts.
ドキュメンタリーとフィクションの融合
両親が頑固で頑なに治療を受けさせず、人生を棒に振った姉の物語。画面は完全なドキュメンタリーのようだが、フィクションの部分が散りばめられている。事実ならおかしなところがちらほらあるが、そこはフィクション(脚色)なのだろう。
基本的には弟(監督)なら、どうすればよかったかというと、姉のことを思うなら両親を説得しようとせず姉を自ら受診させればよかった。ほとんど犯罪者のような父だが、映像を記録させているので本人は悪いとは思っていなかったのだろう。また、姉は医学科在学中に発症して奇行を起こして錯乱しても一切治療は受けていないので、卒業どころか進級もできるはずがないのに、卒業できたという設定。さらに悪化してもうろくに意思疎通もできなくなった後、両親が娘の希望を聞く交換条件で医師国試を受けようとする。もちろん、受かるわけはないが、そもそも医師国試を受けるためには精神機能に障害なしという医師の診断書が必要。治療せず10-20年も放置してろくに意思疎通もできない者に、異常なしの診断書を書く医者などいるはずもないので、試験以前の問題である。肺がんの末期を診断されてから、闘病もせずに長生きしているのも不思議である
言葉にならない余韻を残す家族の物語
銀座の映画館で1日1回だけの上映。地味な作品のロードショー3週目にもかかわらず、超満員。これだけの観客を集めるのは、この映画が多くの人々の関心を引き、共感や問いを呼び起こしている証拠だろう。
冒頭、録音された音声だけで始まる家族のケンカが観客の好奇心をかき立て、「一体何が起きたのか」「この家族に何があるのか」を追いかける展開へと誘う。
やがて提示されるのは、優しく優秀だった姉の、精神の病の発症から18年後。映像制作を学び始めた監督が、家族の記録をカメラに残し始める物語。この出発点が家族間の問題の解像度を高めるきっかけとなる。
映画を通じて描かれる両親、とりわけ父親の態度は謎だ。
姉が精神的なバランスを崩した発症直後、両親は一度は救急車を呼び、精神科医に診せている。しかし、その後、医療的な介入を避け続ける。その背景には何があったのか?
監督もこれを後に両親に問いかけるが、明確な答えは得られない。
優秀で子供の頃は「天使のようだった」姉が、望む進路への道を歩み始めたところで精神を病むという落差は、深い痛みを与える。
彼女がその後も家族と共に暮らす。時折見せる爆発的な感情は、何か抑えられた後悔や怒りを想起させる。
ただ、それを「思い通りの人生を歩めなかった後悔」と読み取るのは、勝手な推測だ。病の症状だと考えるべきなのだろう。ただそう割り切れない感情が渦巻くのが本作なのだ。
監督自身はカメラを回すことで、感情的な巻き込まれから距離を置き、冷静さを保てたようにみえる。この冷静さが、家族の話を引き出す手助けとなり、記録を続けるエネルギーとなったようだ。
「どうすればよかったか?」この問いは、観客への問いとして提示される。監督自身も何度も自問自答した言葉のはずだ。「あなたならどうすればよかったと思いますか?」と問うこの映画は、答えを提示するのではなく、問いを共有することで観客自身の中に家族や人生についての考察を促す。
終盤で監督が老いた父に正面から「どうすればよかったと思っているのか?」を問うシーンは、観客に強い衝撃と余韻を残す。
長い年月を経て初めてこの問いを正面から投げかけた監督の姿勢に、彼自身の「これしかなかった」という諦めにも似た思いがにじむ。
同時に、父の答えが「別の可能性はなかったのではないか」という別の疑問を生み、それが観客の中に強い印象を残す。
60年以上にわたる家族の歴史を通じて、この映画は「人生の儚さ」と「選択の難しさ」を深く考えさせられる作品だった。
答えが出ないからこそ、この映画は観客にとって普遍的で心に残る体験となるのだろう。
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