どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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今月はドキュメンタリーで終わり
どうすればよかったのか。難しい作品ではあるが、自分としてはこの家族はこれで良かったのだと思う。両親、娘さん、苦しんだ決断の上の出来事には思えなかったからです。もっと早くに精神科にって意見はあると思う。だが自分のおばあちゃん辺りだと、双子は隠してたり言えない職業があったりと暗黙の差別があったりしたのを聴いたことがあります。この家族は両親が研究者で他の家庭よりは裕福に見えました。貧困家庭であったならすぐに精神科に連れて行って即入院ってなったかもしれない。そして研究者の地位みたいのが邪魔をしてバレたくない気持ちが優先しているのが感じられました。途中のお姉さんへのインタビューですが、監督自身が考えてきた事、言ってほしい事を口から発せられていて、お姉さんの返答が無い部分にとても感慨深い気持ちになりました。このような自分を曝け出す作品を作ってくれてありがとうございました。
誰が、「どうすればよかった」のだろう?
子供の頃から成績もよく医学部に進学した姉が、在学中に突如奇声を発し訳の分からぬ事を叫び始めた。現在ならば統合失調症と名付けられるその症状を医学研究者の両親は病気と認めようとせず、家に軟禁状態にして25年間放置したという経緯を弟である監督が記録し続けたドキュメンタリーです。
医師に診せるべきという監督の勧めを両親は頑なに拒み続けます。それは、「こんな娘が居る事を世間に知られたくない」という古い村社会的な思いからなのか、「医師の家からそんな子供が出たのは恥だ」といった歪んだエリート意識からなのか、本作中で叔母さんが語る様に「その子にとって良いと思うから隠した」のか、或いは本当に「娘は病気ではない」と信じていたのか。そんな重圧に耐えきれずに監督自身は高校卒業と共に家を出て、帰省の度に家族の変化を見続けたのでした。
タイトルの「どうすればよかったか?」に対する答えは明らかで、「娘(姉)の発症時に医師の診断と治療に直ちに当たるべきだった」に違いありません。しかし、もう一歩踏み込んで、自分が父だったら・母だったら・弟だったらと考えた時、その判断が揺らいで来るのも事実です。
そして、もう一つ気になる事。「どうすればよかったか?」には主語が記されていません。「父母はどうすればよかったか?」なのでしょうか、「私(弟)はどうすればよかったか?」なのでしょうか、「家族はどうすればよかったか?」なのでしょうか。恐らく、監督自身も含む「家族全員」の選択を問うていて、それを意識して撮っているのでしょうが、僕にはそこが曖昧に感じられました。
「監督は、弟である自分自身にもカメラを向けているのだろうか」
確かに、映像内に監督自身も映る事があるのですが、監督は本当にカメラの前に立っていたのだろうか、安全なカメラの向こうに居たのではないのかな? それは、映画館で観る第三者の無責任な問いかもしれませんが、映像が映し出すものの残酷さ、映像制作が制作者に突き付ける苛烈さを改めて感じたのでした。
劇場を出て最初に目に入った物は奇しくも「籠の中の乙女」のチラシだった
ひとつの答え
統合失調症と見られる症状があらわれた姉を医者に連れて行かない両親と家族の姿を映し続けたドキュメンタリー作品。
ドキュメンタリー作品は普段観ないタチなのですが、評判となっているので鑑賞。
リアルを描いているだけに、感想が難しいですね。原因を追究するわけではなく、この現実を只管にみせていく。
率直に言えば、ご両親が精神科に連れて行かなかったことが良くなかったのでは?とも思ったし、お互いにパパの意見が〜ママの意見が〜…と、どうにも煮え切らない。
しかし、そこには我々にはわからない考えがあったのかな…。或いは疲れ果てて考えることもできなかったのか。
弟さん(監督)の優しさや姉を思う気持ちはしっかり伝わってくると同時に、現実問題としていつか自分自身に降りかかるものでもあったのでしょうから…。
観ていてとても歯痒かった。
それでも、ピースサインは嬉しくなったし、その場面を映してないだけかもですが、お姉さんも弟にだけは声を荒げる様子もなく、そこに絆はあったのかなと。
タイトルでもある「どうすればよかったか?」この問いに答えることは出来ないが、これもひとつの答えだったのかなと、他人の私が軽々と言うのも恐縮ですが、そんなふうに思わされた作品だった。
こうすれば、と言える部分があっても それは、どこまで行ってもきっと...
ただただ切ない
正直親は変えられないと思った
貴重な記録だが…
弟さんと同じ思いで最後まで観ていた。自分自身、わりと家族であろうと淡白なので、すぐにでも医療の力を借りに動くと思うし、それをしない両親が正直理解できなかった。優秀だった娘の面影と、自分たちのプライド、社会の偏見、恥、愛…こればかりは断片的な言葉としては出てくるけど、実際のところはよく分からない。母親の存在は特にお姉さんにとって苦痛だったのでは。母親亡き後のお姉さんの穏やかさ(これは入院と薬の影響が大きいかもしれないが)に、そう思わずにはいられなかった。
弟さんも、記録をすることで向き合えた部分もあるのだろうか。両親の判断が一向に変わらないなか、弟さんが何らかの形でお姉さんを医者に連れて行くことはできなかったのだろうか。あくまで親の意思が変わるまで説得し続けることにこだわったのだろうか。それほどまでにあの両親の壁は大きかったのだろうか。とまあ他人が言うのは簡単だけど、実際はそうもいかないんだろうね。
弟さんは最終的にこの映像を公開する許可は長生きしている父親のみに取っているけど、ドキュメンタリーの中でもかなり強烈な印象を残した亡き母やお姉さんはどうなんだろう…と観ておきながらふと思った。
病気を認めないのは親のプライド、世間体なのか、何を言っても通じない...
無意味な人生をみた
ひどい言い方だが、圧倒的に無意味な人生をみた。しかも、一人の人生が親という他者に無意味にされるということ。
戦争や無差別殺人など、他者によって無意味化された人生は現実の世の中にはたくさん存在すると思うが、それを統合失調症を治療できないという特殊な状況によって無意味化された一人の人生を映像として残すことで、人生がドラマ性を帯び意味をもったかのように感じる。
人間は意味あるものに安心するし、映画なり音楽なり表現物というものは、物語や音があり、主役や旋律があり、強い意味のあるものが通常だと思いがちだ。しかし、意味不明な表現物もたくさん存在する。実はそっちの方が普通ではないか?この映画がそれだ。現実は無意味なものにあふれているということ自体を再認識させられる。当たり前のことである。ただ、無意味さは怖いし、悲しい。
両親は、娘を家で守ることが、自分たちにとって意味あることと考えていたが、自分の子供は自立した他者であるという感覚が著しく欠如していた。自分では気づいていなかったようだが、彼らからは無意味さや悲壮感のオーラがすさまじく漂っていた。
医者であれば、当然精神疾患や統合失調症というものが世の中に存在することは知っていたはずだが、見て見ぬふりをした。意味不明であるが、この意味不明さが、娘の無意味な人生となって現れた。意味不明な行動は、無意味さとつながっている。
その無意味な現状をカメラにおさめるという行為もよくよく考えて意味不明である。カメラにおさめるのでなく、無理やり病院につれていくというのが常人が考える意味ある行動であり、理解可能な行為だからだ。それをせず、意味不明にカメラで無意味な姉の人生を撮り続けた。弟の監督には、なぜ姉を病院に連れて行かず、カメラで撮り続けたのか?ぜひ教えてほしい。病院に無理やりつれていくという簡単に答えが出せそうなことに、答えを出さないという意味不明さが、映画という表現物になると売りになってしまう。なぜどうすればよかったかをとったか?と題して第二弾を公開することも可能だ。そっちには、意味がありそうだし、ぜひその意味を知りたい。
無意味な人生を意味不明にカメラにおさめたら意味不明な表現物として無意味という意味を獲得した。でもそんな意味不明なことをするとその先には無意味という呪いが待っていそうで怖い。監督はこの映画を意味あるものにしないと正気ではいられなくなるのではないか?心配である。
と、まあいろいろ思ったのですが、純粋に映画作品として観るならこういうきついこともいえてしまうのだが、他人様の家族の話であり実話という認識をもつなら、やはり単純に病院につれてけばよかったという話しではなく、他人が計り知れない事情があったと推察しなければならず、人様の家庭や人生に対しずけずけとしたことは言わないほうがいいという節度が必要な部分もあり、この映画について書くにはどうすればよかったか?となってしまう難しさがある作品である。
「どうしてほしかった?」が気になった。
この作品をみて、「考えさせられる」とはあまり思いませんでした。撮影者であり家族の長男である監督は姉を「医者に診てもらって入院させるべき」という意見を持ち続けていたが、両親は姉を家に居させる方針で納得しており、意見の異なる両者の間で監督は両親が「もっと早く病院に連れて行くべきだった」と言うのを期待して「どうすればよかった?」と問うているように見えました。
統合失調症の方の家での様子や薬を処方した後の変化、そして家族の容姿の変容から30年という時の経過をまざまざと見ることが出来たのはまさしくドキュメンタリーで、印象的でした。私にとってはこの一人一人の「老い」を観ることができたのが一番の価値でした。他の方々の感想の中には「彼女の20年を無駄にした」などあるが、そんな簡単に人の人生のある期間が無駄だったかどうかを他人が判断できるものではないと思いました。現代で精神疾患と定義されるもののうちで治療(周りと同じ状態にする)が出来うるものは治療しないとその人の人生は無駄だ、とは思いません。統合失調症の薬が開発される以前、あるいは統合失調症という症状が定義される以前に同様の様態を示していた人々あるいはその周囲の人々は不幸だったのか疑問に感じます。
強いて言えば、薬を処方され会話できるようになった姉に「どうしてほしかった?」と問うた時にどのような返答があったのか気になりました。この姉は両親を恨んでいたのでしょうか。
もし自分の姉が統合失調症を発症したらどうするか。多分病院に連れていくような気がしますが、それは「姉の幸せのため」ではなく「自分のストレスを減らすため」だと思います。
答えはでているのだ
まさにどうすればいいか
わかって言ってる。
上映100館超え、興行収入1億超えだそうだ。
レビューがむずい。
昔のビデオ機なんで絵、特に音が悪い。それでも強烈な20年間の変化の記録。撮った本人と親の揉めてるシーンはないがインタビューを見るとかなり親と戦ったようだ。で映像の勉強と言う名目で始めた闘病と介護の記録。
そしてどうすればよかったのか?と言う問いが母と父、そしてこの作品を通しておそらく自分自身にも。
きっと親を恨んだ時もあっただろう。
研究職に就く両親に従った自分の責任も感じてるだろう。あの時病院に連れて行っても姉に合う薬は当時あったのだろうか?
母は父がと言い、父は母がと言う。
彼も結果それに従ってしまった。
3人とも何かミスったんだな。
唯一記録映像を撮るという行為で争い、僕らに問う。
どうすればよかったか?
そういう家族の失敗の記録です。
失敗じゃなかったと思う
家族という小宇宙
東京で凄く観客が入っているという事を耳にして、映画系のYou tubeのサムネも沢山挙がっていたので気になっていたのですが、大阪で公開されているのを見つけ早速見に行ってきました。
で、この作品の作り手は、この作品を多くの人に見て貰いたいとは思っているとは思いますが、多くの人達の意見を求めている様な気はしませんので、出来るだけ手短に感想を書きたいと思います。
本作は見る前に簡単な内容の解説は読んでいてドキュメンタリー映画という事も分かっていたので、ある程度の心構えをして見たのですが、やはり見ていて一番感じたのは“切ない”って事ですかね。
タイトルの意味は映画の冒頭で直ぐに理解しましたが、これは問いかけではなく叫びなのだと思います。
あと、このタイトルは作り手の決意でもある訳で、本作を撮る事への自分自身に向けての言葉でもあり、ラストの父親との対峙に対しての気持ちだったように思える。
恐らく多くの鑑賞者はこのタイトルの言葉に引っ張られるとは思いますが、もしも同じような状況の家族が百あれば、百通りの違う答えがあるのだと思いますし、他者(観客)がこの家族へ向けて真剣にこの答えを考えるのは、作品の意図とはズレる様な気がします。
恐らくこのタイトルは、観客自身それぞれの家族を見つめ直すという意味に繋がるのだと思います。
この作品を見て作品内の藤野家に対して観客がとやかく言う事は何もないのですが、ある一家の普通なら絶対に見れない日常を垣間見ることによって、自分と家族を見つめ直す大きなヒントを戴いたような気がしました。
なので、上記を繰り返しますが作り手も観客の作品の感想を求めているというよりは、観客に本作を見て貰い自身の家族を考えるキッカケになって欲しいという事を願って公開した様な気がします。
赤の他人の人生(生活)などあまり見たくはないが、しかし絶対に一度は見ておくべき作品という種類に位置する作品だとも思いました。
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