どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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本当にどうすればよかったか?
観賞後、家に帰るまでの間に何回ため息をついたことか。
統合失調症を発症したお姉さんを医療から遠ざけ続けたご両親を糾弾するのは簡単だけど、いち観客に過ぎない自分がそれをするのは違う……というのは分かりつつ、でもお母さんの話が通じない様子やお父さんがラストで発したあの一言には「あーっ、なんかもう!なんかもう!」と悶えそうになる。
やっと入院したお姉さんがたったの3ヶ月で劇的に症状が緩和したのも「よかったね」と思いつつ「じゃあ、あの二十年は…」と何ともやるせない気持ちに。
ご両親に、お姉さんに対する愛情や統合失調症に対応しようとする頑張りがあったのは分かるけれども、なんか…なんか…
(病気の早期発見と早期治療)(第三者の介入)これが正解なのは間違いないんですが、もしそれを家族や本人が拒んだときは…。そして自分も当事者だった時は…
本当に「どうすればよかったか?」という問いが頭の中をグルグル回ってため息の連続でしたが、もしアベマの番組か何かで本作品が取り上げられてコメンテーターが強い口調で一刀両断したりしたら「それは違ぇだろ!」と思うのは間違いないでしょうね。
バイアスの恐ろしさ
統合失調症ではないが、発達障害+知的障害、認知症、双極性障害の身内がいるので、全編共感しながら鑑賞した。以下、感じたことを整理したい。
●専門的知識があろうと、バイアスからは逃れられない
「正常である」という認識を拡大させすぎる正常性バイアス、医師(この場合は両親も含む)の持つ知識や権威性を絶対視する権威性バイアスによって、「娘は治療など必要ない」とする両親に悲しみを感じた。両親が最終的に互いに責任をなすりつけあう姿も生々しい。医師として、親としてのプライドが目を曇らせている。
ちなみに昨今はネットの発達で医師の権威性(患者と医者の情報非対称性)は薄らいでいるし、障害や病への理解も進んでいる。そういう時代に生きている自分からすると、お姉さんが生きた時代の流れが悪かった、という点も見逃せない。
●教育虐待、「兄弟児」、ヤングケアラー、毒親、8050問題
いずれも流行りのワードであり、本作と密接に関連している。監督には、次回作でその視点から(今度はより中立の立場で)作品を作ってほしい。
●両親は娘を愛していなかった…わけではない
家父長制的な家族において、愛情とは子どもを管理し、囲い込むこと。父親はそれを忠実に実行したにすぎないのかもしれない。
●私怨を晴らすための作品か?
そういう面もあると思ったが、それが作品の意義や質を損ねているわけではない。実の弟が記録するのだから、怒りや憎しみが湧いて当然だと思う。「憎んでいないか?」と姉に問うシーンを挟んだのは英断だ(監督自身が怒りを持って撮影していることを表明しているシーンであり、観察者として偏りがあることを示している分誠実だと感じる)。
ドキュメンタリーだけどやはり映画作品
冒頭、映像はなく母親が声を荒げているシーンから始まる。この調子でずっと続くのか…しんどいな…と思っていたが、本編では概ねお姉さん以外、冷静で普通の人達という印象をうけた。
そこに監督の意図を感じた。
この映画は、もし身近な人間が統合失調症になったらあなたはどうしますか?と問われている映画だと思った。監督としては、家族を曝け出してどうすればよかったか?という答えを観客に求めているのかな。
病気でおかしくなる娘を医者に診せず、しまいには南京錠をかけ部屋からも家からも出られないようにしてしまう。正直普通ではないけど、映画ではそこまで異常に感じなかった。なぜか?父母の異常さがメインではなく、統合失調症というお姉さんの症状を観客に映し出すことを主としているからだと感じた。
25年という長い年月の中で、父母や監督自信も、冒頭の母親のように声を荒げ、精神的に追い詰められおかしくなった日があったと思う。
それこそビデオカメラを回して、誰かに見られているという意識をもっていないと、あの様に冷静に話しをすることは出来ないだろう。
もし私の親がそうだったなら、自分もブチ切れて話し合いなんてできないだろうし。。
カメラを回していつか映画にするかもという意識を持つことで、平静を保っていたのではないかな。
統合失調症という症状と長い年月、当人も周りも苦しんでいたが、合う薬が見つかればたった3ヶ月で普通を取り戻せるという事実だけが重く残る。
お姉さんの人生を救えなかった、父母の人生もそうだ…。監督の後悔が滲んでいる。
もしあなたの身近な人間が精神的な病気になってしまったらどうしますか?
答えなど出ません。
ビートルズが好きだったんです
途轍もなく長い自宅軟禁の状態から入院治療を経て「普通の状態」となってから、藤野知明監督のカメラに映るとき姉の雅子(まこちゃん)は必ず「ピースサイン」でポーズをとっていた。特にラストシーンの画像は脳裏に焼き付きます。
もっと早く病院に行っていれば、20代30代の若い時を「普通の状態」で過ごし、輝く人生があったかもしれない。誰もがそう思うが、かなりの長生きとなった父親は息子である藤野監督の「どうすればよかったか?」の問いに母の考えに従ってのことだが「間違えたとは思ってない」と話していた。本心はわからないが子どもの頃から勉強も出来て両親と同じく医学を志す娘がただひたすら愛おしく自分の手元から離したくなかっただけかもしれない。
この映画は統合失調症の原因や病気がどんなものかを目的としてないと冒頭で伝えていた。しかし、その病気は「勇気を持って」受診すれば解決の方向が見えてくることを伝えたかったのだと思う。
このようなドキュメンタリー映画も最初から「重い」「辛い」と思い、避けるのではなく「勇気を持って」観ることをおすすめします。
雅子さんは私と同学年。我々の最大のアーティストはビートルズ。彼女はいつも聴いていたようです。お見送りの時もビートルズの曲が流れていました。
部外者は簡単には言えないけれど
紺屋の白袴
どうすればよかったか?
姉は、
幼少の頃から恐れていた癌をステージ3を患いながら、それが素で統合失調症を投薬で調整しながら永らえて癌で亡くなれた。
この話は、
精神分裂症と言っていた頃から統合失調症に病名が大変更あった頃の話なんだ。
当然、
そのことは疾病に対する治療方法も社会的配慮も大変化があり、そしてその後の向上も進歩もあった。
それは、
昨今の癌死亡率と同じような向上があったようだ。
つまり、
適正な統合失調症治療をして疾病軽減していれば、癌の早期発見と治療で、今日も存命している可能性はかなり高いものと思う。
振り返ってみると、
血みどろの太平洋戦争世代の医学系御両親が、高度成長期の子女の苦悩を、臨床医でもないのに今日の進歩する臨床医療を、判断することはとんでもなく困難であったことは自明ではある。
この辺の落差、断層を理解できないのが、世相と隔離したプライド高い研究畑の人達だと思う。
父親が言った「仕方ない」のではなく、未来のためにではなく、今を、我が子を、虫の目で観る努力があのころ必要だろう。
とっても、
子供の頃、お絵描きが上手なお姉さんの絵が、病に侵されるとあんなにも稚拙なお絵描きになるのかと驚いた。
監督は、
勇気あるドキュメンタリーだったが、
インタビューではなくカウセリンをすべきだったかな。
(^ω^)
どうすればよかったか?
ドキュメンタリー監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、
彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー。
面倒見がよく優秀な8歳上の姉。
両親の影響から医師を目指して医学部に進学した彼女が、ある日突然、事実とは思えないことを叫びだした。
統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母は病気だと認めず、精神科の受診から彼女を遠ざける。
その判断に疑問を感じた藤野監督は両親を説得するものの解決には至らず、わだかまりを抱えたまま実家を離れる。
姉の発症から18年後、映像制作を学んだ藤野監督は帰省するたびに家族の様子を記録するように。
一家全員での外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親と対話を重ね、姉に声をかけ続けるが、状況はさらに悪化。
ついに両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになってしまう。
どうすればよかったか?
とんでもない自問自答映画
何処か上品。そこが良い。
愛を感じた
本当に本当に守りたいものは手の届くところに置いておきたい
コロナのとき国はワクチンを勧めたけど医師たちはワクチンを打たなかったって話当時はよく聞きました
昔はロボトミーがノーベル賞取るほどすごいことだったけど危ないことだということを知ってる人は知っていたかもしれないし
お父さんは我が子は病院に連れていきたくなかった
病院の治療を心から信用していなかったから
でもそれを息子に言ってしまうと自分の研究していることが間違っているということになってしまうから言わなかった
だから最後のあの言葉になったのかな、と
お金はあるのだからどこか遠くの施設や病院に預けることもできただろうに
まわりには娘は海外に行っているとでも言っておけば
でもそれをしなかった 一緒に生活をして同じ時間を過ごした
ご両親はそうせざるしかなかったのではなくそうしたかったのかな
リビングの大きな観葉植物が生き生きと育っているのが印象的だった
棚の上のポトスもツタを伸ばして元気に育っていた
ご両親は心に余裕があったのかな
幸せだったのかもしれない
娘さんご本人は幸せだったかどうかは置いておいて
娘さんが先に亡くなられて良かった(不謹慎ですが)お父様は娘さんが産まれてから最後まで一緒に過ごせたことに幸せだったのではないかと思った
それとお父様世代で料理をつくる男性は少ないと思うけど当たり前のようにキッチンに立っていた
同窓会行って欲しかったな
俺が連れていくよってなぜ言わないのだろうと思った
満席のミニシアター。上映後、全員が無言だった。
統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー。お姉さんの症状も、家族の衝突も、それぞれの認識もつぶさに残す。
「どうすればよかったと思いますか?」
息子から投げかけれた質問に対して、お父さんが
「失敗ではないと思う」と答えたのが印象的だった。
ここに当事者への介入の難しさがあると思う。
他者から見て、こうしたらいいだろう、こうすればよいのに、は当事者には関係ない。なぜなら、他者は当事者ではないから。
当事者がその時々に「どうしたらいいだろう?」と考え、時には諦め、時には保留し、時にはやっぱり「どうしたらよかったか?」と自身の選択を後悔しながら、瞬間瞬間を進めている。その瞬間が、当事者にとって答えであり、正解にするしかないというようなカルマをも背負っている。
私がこの映画を見たミニシアターは満席だった。
映画が終わり、照明が明るくなって、それぞれが立ち上がっても尚、誰も喋らなかった。誰もが頭の中で映画を反芻し「どうすればよかったか?」「こうすればよかったのに」を反復しながら、誰も明確な答えを持ち合わせていないかのようだった。
何をどうしたって、時は巻き戻せない。今の選択を振り返ると、もっとよかったであろう選択が無数に出てくる。そちらの方が当たり前によく見えて、複雑に絡み合った今の瞬間を否定したくなることがある。だけど、フィルムに残るお姉さんの両手ピースや片足立ち、花火にインスタントカメラを向ける姿は、否定したくないと思った。その姿を見れたことこそが、この映画の功績なのではないかと思った。
今月はドキュメンタリーで終わり
どうすればよかったのか。難しい作品ではあるが、自分としてはこの家族はこれで良かったのだと思う。両親、娘さん、苦しんだ決断の上の出来事には思えなかったからです。もっと早くに精神科にって意見はあると思う。だが自分のおばあちゃん辺りだと、双子は隠してたり言えない職業があったりと暗黙の差別があったりしたのを聴いたことがあります。この家族は両親が研究者で他の家庭よりは裕福に見えました。貧困家庭であったならすぐに精神科に連れて行って即入院ってなったかもしれない。そして研究者の地位みたいのが邪魔をしてバレたくない気持ちが優先しているのが感じられました。途中のお姉さんへのインタビューですが、監督自身が考えてきた事、言ってほしい事を口から発せられていて、お姉さんの返答が無い部分にとても感慨深い気持ちになりました。このような自分を曝け出す作品を作ってくれてありがとうございました。
誰が、「どうすればよかった」のだろう?
子供の頃から成績もよく医学部に進学した姉が、在学中に突如奇声を発し訳の分からぬ事を叫び始めた。現在ならば統合失調症と名付けられるその症状を医学研究者の両親は病気と認めようとせず、家に軟禁状態にして25年間放置したという経緯を弟である監督が記録し続けたドキュメンタリーです。
医師に診せるべきという監督の勧めを両親は頑なに拒み続けます。それは、「こんな娘が居る事を世間に知られたくない」という古い村社会的な思いからなのか、「医師の家からそんな子供が出たのは恥だ」といった歪んだエリート意識からなのか、本作中で叔母さんが語る様に「その子にとって良いと思うから隠した」のか、或いは本当に「娘は病気ではない」と信じていたのか。そんな重圧に耐えきれずに監督自身は高校卒業と共に家を出て、帰省の度に家族の変化を見続けたのでした。
タイトルの「どうすればよかったか?」に対する答えは明らかで、「娘(姉)の発症時に医師の診断と治療に直ちに当たるべきだった」に違いありません。しかし、もう一歩踏み込んで、自分が父だったら・母だったら・弟だったらと考えた時、その判断が揺らいで来るのも事実です。
そして、もう一つ気になる事。「どうすればよかったか?」には主語が記されていません。「父母はどうすればよかったか?」なのでしょうか、「私(弟)はどうすればよかったか?」なのでしょうか、「家族はどうすればよかったか?」なのでしょうか。恐らく、監督自身も含む「家族全員」の選択を問うていて、それを意識して撮っているのでしょうが、僕にはそこが曖昧に感じられました。
「監督は、弟である自分自身にもカメラを向けているのだろうか」
確かに、映像内に監督自身も映る事があるのですが、監督は本当にカメラの前に立っていたのだろうか、安全なカメラの向こうに居たのではないのかな? それは、映画館で観る第三者の無責任な問いかもしれませんが、映像が映し出すものの残酷さ、映像制作が制作者に突き付ける苛烈さを改めて感じたのでした。
劇場を出て最初に目に入った物は奇しくも「籠の中の乙女」のチラシだった
ひとつの答え
統合失調症と見られる症状があらわれた姉を医者に連れて行かない両親と家族の姿を映し続けたドキュメンタリー作品。
ドキュメンタリー作品は普段観ないタチなのですが、評判となっているので鑑賞。
リアルを描いているだけに、感想が難しいですね。原因を追究するわけではなく、この現実を只管にみせていく。
率直に言えば、ご両親が精神科に連れて行かなかったことが良くなかったのでは?とも思ったし、お互いにパパの意見が〜ママの意見が〜…と、どうにも煮え切らない。
しかし、そこには我々にはわからない考えがあったのかな…。或いは疲れ果てて考えることもできなかったのか。
弟さん(監督)の優しさや姉を思う気持ちはしっかり伝わってくると同時に、現実問題としていつか自分自身に降りかかるものでもあったのでしょうから…。
観ていてとても歯痒かった。
それでも、ピースサインは嬉しくなったし、その場面を映してないだけかもですが、お姉さんも弟にだけは声を荒げる様子もなく、そこに絆はあったのかなと。
タイトルでもある「どうすればよかったか?」この問いに答えることは出来ないが、これもひとつの答えだったのかなと、他人の私が軽々と言うのも恐縮ですが、そんなふうに思わされた作品だった。
こうすれば、と言える部分があっても それは、どこまで行ってもきっと...
ただただ切ない
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