どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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監督の親に対する断罪
2025年劇場鑑賞54本目。
エンドロール後映像有り。
統合失調症の姉を弟は病院で診てもらいたいのに、なまじっか父親が医学の研究者であったために、必要ないと言って診せず、母親は診せたら父親はプライド折られて死ぬからダメと言って診せようとしない。ついには家に内側から鍵と鎖をかけて母娘共々家から一歩も出なくなってしまうが、あるきっかけで姉に劇的な変化が起こり・・・というドキュメンタリー。
若かったお姉さんが最後おばあちゃんになっていくくらい長い期間のドキュメンタリーで、ここまで出すのよく我慢したなぁ、というのが一つ。
後、タイトルにある断罪云々は、自分がこの映画を見て感じたことで、いやそうじゃない、という解釈も当然あると思います。
自分も福祉関係に勤めていて、それこそ最初は上司に薬は悪で、必ず対話や関わりでなんとかなるんだ、という風に教えられましたが、人によっては多少大人しめにはなるものの、その薬を飲んでいる間は本当に落ち着いていて、別に笑顔もなくなるわけでもないのに、親がなんか元気なくて可哀想とその薬をやめた途端また自傷行為をするようになった方を知っているので、病気なんだから薬飲めばいいじゃん、と自分なんかは思いますので、この監督の親に対する憤りが分かります。
身につまされる
両親の深い愛情を通じて、かつての精神科医療の実体もほの見える?
この日本では、精神障害者は、長らく人間扱いされてこなかったとも言われます。
いまでこそ「統合失調症」という病名ですけれども。
しかし、2002年に呼称変更される以前には、あたかも患者の人格を否定するかのような、差別的・侮蔑的な病名だったことは、周知のことです。
(まだまだ評論子が子供だった頃は、周囲の大人たちが精神科病院を指して、まったく侮蔑的な名称で呼んていたことを覚えてもいます。そのニュアンスから言っても、当時の世評として精神科は、不幸にも精神面が正常でなくなってしまった人を隔離・幽閉するための施設であって、医療者の継続的な管理下で病気を治療する施設という受け止めではなかった)
そうして、お二人とも医学方面の研究者だったという藤野監督のご両親は、そういう精神科医療の(当時の)現状をよくご存じで、それゆえ、件の医師が書いたという論文に難くせをつけてまで(?)、お嬢さま(藤野監督の御姉さま)に医師の確定診断を経ることを避け、精神科病院に入院加療させるという方途に躊躇(ためら)いがあったのではないかと、評論子には思われます。
それは、世間体とか、医学の研究者としてのプライドとかいうものでは、決してなかったと、評論子は受け取りました。
(むしろ、神の御業なのか病を得てしまっても、なお愛娘には、あくまでもひとりの人間として接したいという、ご両親の深い愛情すら感じられる)
「身体の病気も、精神、つまり心の病気も、病気に変わりはありません。早期の治療が望ましいことは、いずれも同じです。しかし、長い間、心の病気は、病気としての正し
い扱いを受けてきませんでした。(すなわち)長い間、精神障害者は、いわれのない差別を受けてきました。精神障害者は危険で隔離すべき対象とされてきたのです。明治の中頃まで、精神障害者への対応は、加持祈祷などの民間療法と私宅監置が中心でした。
1950年に一応の近代立法である精神衛生法が施行されましたが、私宅監置が精神病院への収容に変わっただけで、それまでの精神障害者に対する危険視と隔離の発想は引き継がれました。精神衛生法はその後改正を重ね、精神保健法を経て現在の精神保健福祉法になりました。しかし、長年にわたり精神科病棟の職員配置は一般病床より低く抑えられてきたなど、精神障害者に対する差別は医療の現場にも根強く残っています。閉鎖病棟の多さ、解放処遇の不十分さ、社会的入院など、今後改めなければならない。多くの課題があります。」(「Q&A高齢者・障害者の法律問題」日本弁護士連合会高齢者・障害者の権利に関する委員会編、民事法研究会刊、2005年)
前同書は、また「心の病気は、身体の病気と同じように誰でもかかるかもしれない病気であり、そして心の病気に必要なのは隔離ではなく医療であるという当然のことが、一日も早く社会全体の共通認識となることが望まれます。」とも指摘しています。
タイトルにもなっている「どうすればよかったか?」という藤野監督による本作の投げかけ―それは、とりも直さずご家族をめぐる藤野監督の葛藤―も、ここにあったことは、疑いがなかったかとも思います。
(藤野監督のお父様が、「多くの人に観てもらいたい」という本作の公開を快諾なさった真意も、他ではない、そのことにあったことも、明らかだと思います)
それらの点において、本作は、十二分な佳作だったとも、評論子は思います。
(追記)
蛇足を加えれば、評論子の周囲にも統合失調症を患って休職し、今は復職を果たしている方もいらっしゃいます。
今は、良い薬も開発されて、必ずしも難治の疾患ともされてはいないようです。
しかし、それは、あくまでも令和の「今」でのこと。
その尺度で評すると、本作の前提(時代背景)を誤るように思います。
問題作
「どうすればよかった」に正答は存在しない
家族の物語
両親の思いと本人の重圧
本当にどうすればよかったか?
観賞後、家に帰るまでの間に何回ため息をついたことか。
統合失調症を発症したお姉さんを医療から遠ざけ続けたご両親を糾弾するのは簡単だけど、いち観客に過ぎない自分がそれをするのは違う……というのは分かりつつ、でもお母さんの話が通じない様子やお父さんがラストで発したあの一言には「あーっ、なんかもう!なんかもう!」と悶えそうになる。
やっと入院したお姉さんがたったの3ヶ月で劇的に症状が緩和したのも「よかったね」と思いつつ「じゃあ、あの二十年は…」と何ともやるせない気持ちに。
ご両親に、お姉さんに対する愛情や統合失調症に対応しようとする頑張りがあったのは分かるけれども、なんか…なんか…
(病気の早期発見と早期治療)(第三者の介入)これが正解なのは間違いないんですが、もしそれを家族や本人が拒んだときは…。そして自分も当事者だった時は…
本当に「どうすればよかったか?」という問いが頭の中をグルグル回ってため息の連続でしたが、もしアベマの番組か何かで本作品が取り上げられてコメンテーターが強い口調で一刀両断したりしたら「それは違ぇだろ!」と思うのは間違いないでしょうね。
バイアスの恐ろしさ
統合失調症ではないが、発達障害+知的障害、認知症、双極性障害の身内がいるので、全編共感しながら鑑賞した。以下、感じたことを整理したい。
●専門的知識があろうと、バイアスからは逃れられない
「正常である」という認識を拡大させすぎる正常性バイアス、医師(この場合は両親も含む)の持つ知識や権威性を絶対視する権威性バイアスによって、「娘は治療など必要ない」とする両親に悲しみを感じた。両親が最終的に互いに責任をなすりつけあう姿も生々しい。医師として、親としてのプライドが目を曇らせている。
ちなみに昨今はネットの発達で医師の権威性(患者と医者の情報非対称性)は薄らいでいるし、障害や病への理解も進んでいる。そういう時代に生きている自分からすると、お姉さんが生きた時代の流れが悪かった、という点も見逃せない。
●教育虐待、「兄弟児」、ヤングケアラー、毒親、8050問題
いずれも流行りのワードであり、本作と密接に関連している。監督には、次回作でその視点から(今度はより中立の立場で)作品を作ってほしい。
●両親は娘を愛していなかった…わけではない
家父長制的な家族において、愛情とは子どもを管理し、囲い込むこと。父親はそれを忠実に実行したにすぎないのかもしれない。
●私怨を晴らすための作品か?
そういう面もあると思ったが、それが作品の意義や質を損ねているわけではない。実の弟が記録するのだから、怒りや憎しみが湧いて当然だと思う。「憎んでいないか?」と姉に問うシーンを挟んだのは英断だ(監督自身が怒りを持って撮影していることを表明しているシーンであり、観察者として偏りがあることを示している分誠実だと感じる)。
ドキュメンタリーだけどやはり映画作品
冒頭、映像はなく母親が声を荒げているシーンから始まる。この調子でずっと続くのか…しんどいな…と思っていたが、本編では概ねお姉さん以外、冷静で普通の人達という印象をうけた。
そこに監督の意図を感じた。
この映画は、もし身近な人間が統合失調症になったらあなたはどうしますか?と問われている映画だと思った。監督としては、家族を曝け出してどうすればよかったか?という答えを観客に求めているのかな。
病気でおかしくなる娘を医者に診せず、しまいには南京錠をかけ部屋からも家からも出られないようにしてしまう。正直普通ではないけど、映画ではそこまで異常に感じなかった。なぜか?父母の異常さがメインではなく、統合失調症というお姉さんの症状を観客に映し出すことを主としているからだと感じた。
25年という長い年月の中で、父母や監督自信も、冒頭の母親のように声を荒げ、精神的に追い詰められおかしくなった日があったと思う。
それこそビデオカメラを回して、誰かに見られているという意識をもっていないと、あの様に冷静に話しをすることは出来ないだろう。
もし私の親がそうだったなら、自分もブチ切れて話し合いなんてできないだろうし。。
カメラを回していつか映画にするかもという意識を持つことで、平静を保っていたのではないかな。
統合失調症という症状と長い年月、当人も周りも苦しんでいたが、合う薬が見つかればたった3ヶ月で普通を取り戻せるという事実だけが重く残る。
お姉さんの人生を救えなかった、父母の人生もそうだ…。監督の後悔が滲んでいる。
もしあなたの身近な人間が精神的な病気になってしまったらどうしますか?
答えなど出ません。
ビートルズが好きだったんです
途轍もなく長い自宅軟禁の状態から入院治療を経て「普通の状態」となってから、藤野知明監督のカメラに映るとき姉の雅子(まこちゃん)は必ず「ピースサイン」でポーズをとっていた。特にラストシーンの画像は脳裏に焼き付きます。
もっと早く病院に行っていれば、20代30代の若い時を「普通の状態」で過ごし、輝く人生があったかもしれない。誰もがそう思うが、かなりの長生きとなった父親は息子である藤野監督の「どうすればよかったか?」の問いに母の考えに従ってのことだが「間違えたとは思ってない」と話していた。本心はわからないが子どもの頃から勉強も出来て両親と同じく医学を志す娘がただひたすら愛おしく自分の手元から離したくなかっただけかもしれない。
この映画は統合失調症の原因や病気がどんなものかを目的としてないと冒頭で伝えていた。しかし、その病気は「勇気を持って」受診すれば解決の方向が見えてくることを伝えたかったのだと思う。
このようなドキュメンタリー映画も最初から「重い」「辛い」と思い、避けるのではなく「勇気を持って」観ることをおすすめします。
雅子さんは私と同学年。我々の最大のアーティストはビートルズ。彼女はいつも聴いていたようです。お見送りの時もビートルズの曲が流れていました。
部外者は簡単には言えないけれど
紺屋の白袴
どうすればよかったか?
姉は、
幼少の頃から恐れていた癌をステージ3を患いながら、それが素で統合失調症を投薬で調整しながら永らえて癌で亡くなれた。
この話は、
精神分裂症と言っていた頃から統合失調症に病名が大変更あった頃の話なんだ。
当然、
そのことは疾病に対する治療方法も社会的配慮も大変化があり、そしてその後の向上も進歩もあった。
それは、
昨今の癌死亡率と同じような向上があったようだ。
つまり、
適正な統合失調症治療をして疾病軽減していれば、癌の早期発見と治療で、今日も存命している可能性はかなり高いものと思う。
振り返ってみると、
血みどろの太平洋戦争世代の医学系御両親が、高度成長期の子女の苦悩を、臨床医でもないのに今日の進歩する臨床医療を、判断することはとんでもなく困難であったことは自明ではある。
この辺の落差、断層を理解できないのが、世相と隔離したプライド高い研究畑の人達だと思う。
父親が言った「仕方ない」のではなく、未来のためにではなく、今を、我が子を、虫の目で観る努力があのころ必要だろう。
とっても、
子供の頃、お絵描きが上手なお姉さんの絵が、病に侵されるとあんなにも稚拙なお絵描きになるのかと驚いた。
監督は、
勇気あるドキュメンタリーだったが、
インタビューではなくカウセリンをすべきだったかな。
(^ω^)
どうすればよかったか?
ドキュメンタリー監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、
彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー。
面倒見がよく優秀な8歳上の姉。
両親の影響から医師を目指して医学部に進学した彼女が、ある日突然、事実とは思えないことを叫びだした。
統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母は病気だと認めず、精神科の受診から彼女を遠ざける。
その判断に疑問を感じた藤野監督は両親を説得するものの解決には至らず、わだかまりを抱えたまま実家を離れる。
姉の発症から18年後、映像制作を学んだ藤野監督は帰省するたびに家族の様子を記録するように。
一家全員での外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親と対話を重ね、姉に声をかけ続けるが、状況はさらに悪化。
ついに両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになってしまう。
どうすればよかったか?
とんでもない自問自答映画
何処か上品。そこが良い。
愛を感じた
本当に本当に守りたいものは手の届くところに置いておきたい
コロナのとき国はワクチンを勧めたけど医師たちはワクチンを打たなかったって話当時はよく聞きました
昔はロボトミーがノーベル賞取るほどすごいことだったけど危ないことだということを知ってる人は知っていたかもしれないし
お父さんは我が子は病院に連れていきたくなかった
病院の治療を心から信用していなかったから
でもそれを息子に言ってしまうと自分の研究していることが間違っているということになってしまうから言わなかった
だから最後のあの言葉になったのかな、と
お金はあるのだからどこか遠くの施設や病院に預けることもできただろうに
まわりには娘は海外に行っているとでも言っておけば
でもそれをしなかった 一緒に生活をして同じ時間を過ごした
ご両親はそうせざるしかなかったのではなくそうしたかったのかな
リビングの大きな観葉植物が生き生きと育っているのが印象的だった
棚の上のポトスもツタを伸ばして元気に育っていた
ご両親は心に余裕があったのかな
幸せだったのかもしれない
娘さんご本人は幸せだったかどうかは置いておいて
娘さんが先に亡くなられて良かった(不謹慎ですが)お父様は娘さんが産まれてから最後まで一緒に過ごせたことに幸せだったのではないかと思った
それとお父様世代で料理をつくる男性は少ないと思うけど当たり前のようにキッチンに立っていた
同窓会行って欲しかったな
俺が連れていくよってなぜ言わないのだろうと思った
満席のミニシアター。上映後、全員が無言だった。
統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー。お姉さんの症状も、家族の衝突も、それぞれの認識もつぶさに残す。
「どうすればよかったと思いますか?」
息子から投げかけれた質問に対して、お父さんが
「失敗ではないと思う」と答えたのが印象的だった。
ここに当事者への介入の難しさがあると思う。
他者から見て、こうしたらいいだろう、こうすればよいのに、は当事者には関係ない。なぜなら、他者は当事者ではないから。
当事者がその時々に「どうしたらいいだろう?」と考え、時には諦め、時には保留し、時にはやっぱり「どうしたらよかったか?」と自身の選択を後悔しながら、瞬間瞬間を進めている。その瞬間が、当事者にとって答えであり、正解にするしかないというようなカルマをも背負っている。
私がこの映画を見たミニシアターは満席だった。
映画が終わり、照明が明るくなって、それぞれが立ち上がっても尚、誰も喋らなかった。誰もが頭の中で映画を反芻し「どうすればよかったか?」「こうすればよかったのに」を反復しながら、誰も明確な答えを持ち合わせていないかのようだった。
何をどうしたって、時は巻き戻せない。今の選択を振り返ると、もっとよかったであろう選択が無数に出てくる。そちらの方が当たり前によく見えて、複雑に絡み合った今の瞬間を否定したくなることがある。だけど、フィルムに残るお姉さんの両手ピースや片足立ち、花火にインスタントカメラを向ける姿は、否定したくないと思った。その姿を見れたことこそが、この映画の功績なのではないかと思った。
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