どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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「こうすればよかった」ではなく。「どうすればよかったか?」
統合失調症を発症した姉を発症20年目から20年間の映像記録のまとめです。
冒頭で、
この映画は姉が統合失調症を発症した原因を探るものではない。
この映画は統合失調症の症状を広く世に知らしめるためのものではない。
と注意喚起されています。
その内容は忠実に家族の記録です。
屋外での撮影シーンを除いて登場人物は5人。
監督、姉、両親、叔母。
自ら及び家族の言動を忠実に記録することで、監督自らを含めた姉以外の4人についても、精神的に不安定な状態であることが浮き彫りにされていると感じました。
歪んではいても誰もが互いを思いやる気持ちがその根底にあることからつけられたタイトルなのだなぁという感想です。
衝撃的な映像です。
是非、観てください。
〝情操〟の必要性
(僕は統合失調症の当事者である。)
「どうすればよかったか?」を観ました。
〝どうしたいのか〟が根本的に無い家族だなと思いました。
何で子供の幸せを願わないなのだろうと思いました。
情緒不足でご両親は何を言っているのか殆ど分かりませんでした。
監督も気の毒だよ。ここまで自分で(カメラを)回さないと自立出来ないんだもの。
お姉さんのお葬式の際、ご親戚の方なのか、「もっと楽しめばよかったね」と小さく言われていたのは本当にそう思ったよ。
どうすればよかったか?
1、詩や物語、新聞や雑誌などを声を出して交互に読み合う
2、市や区の役所に連絡して、地域との繋がりを持ち、訪問看護やケアをしてくれる人を探し依頼する。
3、共に工作などをして楽しむ
ふつふつと怒りが湧くよ。ご両親は限界なんだろうけど、こういう家庭は日本に幾らかでも多いんじゃないかと思う。なんとも言えない怒りが湧くよ。
寄稿された著名人(たち)のコメントにも腹が立つ。「どうすればよかったのか?と思う」とか沢山書かれていて、そういう受動態の考えが駄目なんだよ馬鹿が、と思う。
(ここは少し書き過ぎたと思う。けれども、観た直後、こうした感情があったことを記しておこうと思う)
〝論文で認められたい〟ということも受動態である。〝されたい〟ということしかご両親の頭の中には無いように感じた。そもそも何かを〝したい〟ということさえ忘れてしまっているのではないかと思う。
子供の幸せ、身近な人の幸せを願えない人間に(科学上でも)方程式のひとつも解かれたくない。
だいたいあの神棚の祈り方は何なのだ(言いたか無いけど)
インテリアって大事なんだな、と思った。
(…)
研究機材などごちゃごちゃに置いておくぐらいだったら売るか捨てれば良いと思った。
日本人のアウトプットには〝情緒〟が必要なのだと、とてつもなく感じた。
三ヶ月で退院出来たのは早い方です。
薬が合っていたのだと思います。
僕はこの映画は監督の自立、アイデンティティーの為に作られたと思った。
(日本人には)子供の頃から童謡など、子供でも感じ取れる、情緒や情操のあるものに接する機会が必要なのだと強く思った。
(ご両親の)会話が情報のやり取りでしか無い。ただの自慢話であり、プライドで出来た人たちなんだと思う。
お姉さんのアメリカ行きを(まるで)自慢話のように話すお母さんがよく無いなと思った。危ないことであるのに、得意げに話すのは自身のプライドにおける話題だからなのだと思う。
雑記的に書いてみた。
映画として観れば、丁寧な作りでは無いとは思うけれど、内容に関しては、今まで社会が触れることのなかった題材でもあり、そうした意味でも貴重な映像記録作品であると思った。
(追記 2024.12.13)
これから未来に於いて、「精神障害」というものはスタンダードになると思う。
「どうすればよかったか?」(映画)に於いても、もしかしたら、そうした先見性を見てしまっての、「障害では無い」という現在の精神医療との誤差を生じさせたまま閉じ込めてしまったのかもしれない。
映画「どうすればよかったか」は思えば欲望を持つことを許されないお姉さんが体調を崩す話だった。
(追記2025.8.19)
「どうすればよかったのか」のお姉さんは狂気の表面化と内在的魂の隔てで苦しんでいたのだと思う。
ある意味で言えば、お父さんお母さんを越える狂気が必要になる。
表面化しない狂気は内在的魂と混同することになるので狂気と在中せることになる。
狂気の意識的表面化をするから内在性の魂を守れる。
精神障害と診断された際に真面目人間にならなくてはいけないスイッチが大抵入る。よって更なる狂気の表面化を恐れるようになる当事者は心の自由を更に制限される。
つまり狂気を表面化することこそ心の健康に繋がる。
意識的におかしいことをしろと言っている。
(2025.8.21追記)
「どうすればよかったか」では一般的な通院において家庭内の狂気体質が認知されたので意識的表面化に繋がったのだと思う。
ご両親は常に自分を正しいと思っているので、自分の狂気と内面的魂の分別が出来ていない。
(2025.9.6 追記)
親が子の〝狂気の意識的表出化〟を認めないのは、親が子をナメてるからだと想う。
(2025.9.18追記)
そう思えばこそ、「どうすればよかったか?」のどうすればという部分では、家の外へ向けられた「研究所」の看板を外すべきだった。
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