「初めてドキュメンタリー作品を「おもしろい」と思えました」どうすればよかったか? みけや ねるさんの映画レビュー(感想・評価)
初めてドキュメンタリー作品を「おもしろい」と思えました
もちろん「興味深い」の方です。
自分はドキュメンタリー映画を集中力を絶やさず観るのが難しいタイプだと思っていたのですが、初めて最後まで惹き込まれて鑑賞することができました。
姉の病気を認めてこなかった母親の認知症と死別から、展開が怒涛でした。
そこまで弟の言葉にはフリーズし続けていた姉が、母の監視がなくなったことで投薬治療を受け、普通の人のように返事を返した瞬間、映画館で息をのみ声を出してしまいそうなほどのインパクトがありました。
完治には至らずともそれまでの意思の疎通が困難だった様子が一変し、弟と会話し、柔らかい表情をするようになり、自炊までしてしまう様子に、現代技術の進歩を感じると共に「どうしてもっとはやくこう出来なかったのか」と思わざるを得ません。
そこから父親が倒れ姉も癌を患いますが、季節行事と共に増える車椅子や介護用品に人生の終盤のリアルを淡々と撮影している姿が平穏でありつつも晩年の哀愁に溢れていました。
姉が亡くなり、父との最後の対談シーン。
「姉が病で苦しむよりも母親の気持ちを守ることを優先したのか」という問いかけに「そうだった」と頷いた父親の姿には、妻への深い愛情があったように私は受け取りました。学者夫婦として二人ともプライドが高く頑固で、神経質で。世界中渡り歩いたというお話のシーンで、子供の安全を守るためには日本で過ごすべきではないかという疑念が過ぎったのですが、この夫婦はなによりもお互いの気持ちと研究への情熱を追い求めてしまう気質だったのかもしれないと、この対談の様子で妙に納得しました。
父親に罪の意識はあったでしょう。後悔もあったでしょう。しかし、妻のために妻と共に選んだ選択を「良くないことだった」と言ってしまえば、妻のこともこれまでの自分の人生も否定してしまうことになったのではないでしょうか。
撮影者の問いかけの言葉には僅かに棘があり、「後悔している」という言葉を求めているような雰囲気がありました。私がそれを期待したからそう感じたのかもしれませんが。しかし父親から期待した言葉はなかった。もしもここで父親から懺悔の言葉があったなら、この映画は他の構成で作られたのかもしれないなと思うほど、短いながらにとても良いクライマックスでした。
撮影者的には、懺悔の言葉が欲しかったようにも思いましたが。でなければ「どうすればよかったのか?」なんて題名にはならなかったでしょう。
身内の姿を晒すのは非常に痛みのある行為なはずなのに、作品への昇華の仕方がとても真摯で公平で、まさに「考えさせられる」という作品になりました。この映画のことは、きっとこの先も忘れることが出来ないでしょう。
近年発生したすすきのホテル殺人事件で、犯人は精神疾患を患った女性で、その両親は娘のために病を否定してはいけないのだと、その残虐性にブレーキをかけてやることができなくなっていたそうです。父親は精神科医だったそうです。
専門医でさえ身内の精神疾患、とりわけ溺愛していた存在に対する判断をうまくやりきれないのですから、「すぐに病院へつれていき治療を継続させる」という選択を取れない人は本当に取れない場合があるのでしょう。この作品のご両親がこの選択を迫られた当時は社会風潮的に尚更です。
どうすればよかったのか。その問を過去に投げても仕方がありません。
ひとまずは困難を抱えている様子のある隣人を見つけた際は通院を躊躇無く勧めるしかないでしょう。
通院先の相性はあれど、うまく合致出来さえすれば症状が目に見えて改善する可能性があります。
家族の顛末には哀愁を感じずにいられませんが、私は彼女が弟にした返事に、大きな希望を見た気がしました。きっと何かをするのは、後からでも遅くないのです。