「どうしようもなかったから、この作品ができた」どうすればよかったか? M.Nさんの映画レビュー(感想・評価)
どうしようもなかったから、この作品ができた
まず、ドキュメンタリー作品というものについての個人的な前提を記載します。
これは、所謂ドキュメンタリーなのだと思うのですが、そのような映画を観るにあたり、「ドキュメンタリー=現実」ではないと思うことが大切だと思うのです。つまり、ある現象や事実を映像化するということは、製作者がそこにある物事を、「個人的な思想」に基づいて映像化しようと「思った」訳ですので、正確にいえば「ある現実を、テーマ性を持って切り取った記録作品」ということなのかな、と思います。そうなると絶対に映像の方向性は恣意的になり、製作者の思想が「編集」というかたちで自然に織り込まれて行きます。そしてもう一つ、「自分がこの人たちだったら」という考え方に取り込まれない方が良いとも思いました。単純に、自分たちはその人たちではないし、例え環境が同じになっても、その人たちにはなり得ないからです。そう思わないと、少なくとも私は「共感」ではなく「同情」(これは共感から最も離れた意味を持ちつつ、最も誤解されやすい感情だと考えます。)を抱いてしまうからです。ニュースでもそうですが、それら製作者の思想を、まるで現実そのもののように取り込むことこそが、昨今のテレビ業界や週刊誌を「叩く」という現象における原因の一つにもなっていうのかな、と思います。あくまで原因の一つだと思うだけですが。まず、こういう前提があるとこの作品は考えやすいかな、と思いました。何故なら、このようなドキュメンタリー作品は「○○が絶対に悪い」という善悪二元論か、「答えがない」という類の答えに行きがちで、モヤモヤしたまま終わってしまい、「なんかすごいものを観た。」で終わってしまうと思ったからです。もちろん、そういう「答えが出ない」系の感想が悪いのではなく、むしろ悩むこと自体が人間として大切なことだと思うので正解なのだと思いますし、善悪二元論も言うまでもなく間違っていない考えだと思うのですが、折角なら「自分なり」の答えは出せた方が良いな、と個人的には考えたため、上記のようなことを長々と書きました。
次に、わたしの感想を、わたしの中にある前提も含めて書かせていただきます。
まず、全体をとおしてわたしが思った、極々個人的な感想は、「どうしようもなかったから、この作品ができたのだろうな。」ということでした。
パッと見、このような事態には誰しもがなるかも知れない、と思ったのですが、わたしとしては、「このような事態」になるには多くの前提がなければならないと思い、自分の中にある前提を解体してみました。
結果として、わたしが最初に思った「このような事態」のほとんどは「統合失調症の家族」と「現実を認められない人間の社会性」という二つの要素だけでした。確かに、統合失調症が家族に症状としてあらわれたら、わたしは単純に「怖い」し「不安になる」し、要するに「どうしよう」と思うのです。それは、監督含め、このご家族にも当てはまると思いました。
一方で、もう一つの「現実を認められない人間の社会性」については、所謂「自分の失敗」を隠すことで周囲への体裁を整えたり、見栄を張ったりするために使うことが多く、恋愛や仕事、家族関係などで上手くいかない時に心の中で自分以外の他人や環境のせいにすることにより露呈するものだとわたしは思っています。
こう思った時に、単純に「統合失調症の家族がいる」という事象と「現実を認められない人間の社会性」というテーマは結びつかないな、とわたしは結論づけました。実際、これは全ての当事者の方々がそうであるとは思いませんが、統合失調症が家族から出て、それを家族で協力し合って治療している方々もいると思うからです。そして、そういう人たちが所謂「善人」だったから家族の病気にも向き合えたとも思いません。つまり、「致し方なかった」というところも多分にあっただろうと思うのです。
このドキュメンタリーを観てわたしが思い出したことは「座敷牢」です。「私宅監置」という言い方もあります。わたしは、その前提として「自宅に牢を作ったり、自宅である人を監置できるような環境(資金力など)がある」ことが第一に挙げられると思っています。このご家族も、お父様の海外でのお仕事に乗じてエジプトなどに家族旅行に行けたり、1950年代から記録映像を残せるほどの資金力に恵まれていることが分かります。また、中盤辺りで統合失調症のお姉さまだけでなくお母さまも、ほぼ1年間自宅から出来いない状態になっているという事実も分かりますが、これも要するに「家族が約1年間自宅から出なくても良いような経済環境」だとも思えてしまいます。監督ご自身も9年間大学に在籍できたり、お姉さまも大学合格まで4浪もできていたりします。例えバイトをして学費を稼いでいても、9年間も大学に通えたりすることはそうないとわたしは思いますし、4回も大学受験をさせてくれることもなかなかないのではないかな、とも思いました。そういう意味で、まずこのご家族は経済的に「恵まれてしまった」と思いました。これが、わたしが考える「どうしようもなかった」理由の一つです。
次にご家族のパーソナルについて、わたしが考えた前提を書きます。まず、上記のような経済状態になれたのはどうしてかというと、単純にお父様とお母さまが大変優秀なお医者さんだったからだと思います。その努力の積み重ねが社会に認められ、結果としてこの家庭を作ったのだと思いました。そのようなお父様とお母さまですので、医学の知識や関連する機器などについては大変詳しく、お年を召してからも論理的に物事をお考えになっていることが分かります。一方、そのようなお二人ですので、自分の人生についてはプライドも持っているでしょうし、「絶対に~だ。」という認知的な歪みもあったのかも知れない、と思いました。そのようなご両親ですので、基本的に成功体験が多く、大体のことは「やればできる」と考えてしまい、お姉さまや監督の言葉や普段の状態にも、ある種鈍感になっていたかも知れません。そして、お姉さまが統合失調症になってもその現実を認められず、何かしら理由や理屈をつけて現実と向き合うことから逃げていたのかも知れません。監督とのインタビューの中で(特にお母さまが)、監督からの強いご指摘に対して極端に話をすり替えようとする場面(お母さまが「じゃあパパに死ねっていうの?」と監督を責め返そうとするなど。)から、わたしはそう考えました。
次にお姉さまですが、映像記録を観たり、監督ご自身のナレーションを聞くと、大変人懐っこく、可愛がられたことが分かります。また、占いを信じたり、たった一つの不安を拡大視してしまうような(学生時代にガンで死んだ同級生を引き合いに出して、お姉さまがかつて「自分はガンかもしれない。」と言っていた、というエピソードを監督ご自身がナレーションされていました。)感受性の高さも伺えます。一方、これらの要素は「夢見がち」で「現実逃避的思考」になりやすかったり、思い込みが強すぎるという、これも一つの認知の歪みであるとも個人的には考えます。それらを踏まえて考えると、お姉さまはもしかすると、優秀なご両親のご期待に応える「べき」だと思い込んで思考的視野狭窄に陥り、占いなどが好きな自分よりも両親という「他人」を自分の人生の中心に据えてしまい自己肯定感が損なわれる要因を作ってしまったのではないでしょうか。更に、何度も受験に失敗し、その感受性の高さにより実習でも上手くいかないことで必要以上に傷付き、「みんなが自分を責めている」と現実をネガティブな方向へ拡大させてしまったのかも知れないと考えました。
そして監督ご自身について、大変家族思いで、特にお姉さまに対しては強い愛情を感じました。一方で、映像作品を志したところからも、やはり感受性が高いことも推測できます。お父様やお母さまへインタビューする際に、たまに感情が乗ってお姉さまへのご両親の所業を尋問口調で責めるところからも伺えました。わたしが気になったのは、監督ご自身がお姉さまに何度も話し掛けるある場面で「パパとママに復讐したい?」という趣旨の質問をしたことです。お姉さまは何も答えなかったのですが、これは監督ご自身がご両親に絶対的に非があることを確信するとともに、お姉さまも「絶対に」ご両親のことを恨んでいると「思い込んでいる」ように思えてしまい、個人的に認知の歪みであると考えます。しかし、それでも結局、監督ご自身が2008年まで四半世紀もそのようなご家族の状況を打開できなかったのは、当然ながらお姉さまだけでなくお母さま、そしてお父様も含めてご家族を愛していたからだと思います。それと、9年間大学で、その後は神奈川で就職するなどして、家族の抱える事実からある意味で最も「逃避していた」という事実(これは監督ご自身がナレーションで「とにかく家にいたくなかった。」という趣旨を神奈川への就職について話す件で話しているので、そう推測しました。)による罪悪感も、なかなか踏み出せなかった要因なのかも知れないと思います。
上記のようなご家族のパーソナルがあった結果、お姉さまは統合失調症になり、ご両親はそれを否定して家に軟禁し、監督ご自身もなかなか踏み出せないまま、25年もの歳月が流れてしまったのかも知れません。
これが、わたしが考える「どうしようもなかった」理由のもう一つです。
以上のことは、しかし、一つ一つはよくある状況、よくいる人たちだと思います。わたし自身も、極端な考え方をしたり、無遠慮に人の心に踏み込もうとしたり、自分本位なところの多い人間なのですが、こういう状態にはなっていません。また、上記の条件二つが「表面的に」当てはまったとしても、そうならないご家族などたくさんいるのでしょう。
わたしが考えるに、上記にある「環境」と「家族という構成員のパーソナル」は、拳銃でいうところの「銃筒」や「弾倉」、「トリガー」を構成する「誘因」でしかなく、最終的にそのトリガーを「引く」のは、言語化出来ない、その家族そのものが持つ「個性」なのではないかと考えます。ですが、逆に言えばそれらの個性を持っていても上記のような「誘因」を防いでいければ、違う未来もあるのかも知れません。
ですので、誠に勝手ながら自分のことだけ想定して考えると、「経済的環境は社会に助けを貰わないと生きていけない程度の生活をして、家族ともなるべく向き合いつつ、しっかり自分の人生を自分のものとして生きるのが大切なのかも知れない。」という結論に至りました。
作品の終盤、お母さまとお姉さまは亡くなってしまいます。もしかすると、お姉さまはずっと軟禁され、ちゃんと運動する機会に恵まれなかったことが肺がんの遠因の一つかも知れませんし、お母さまの認知症もお姉さまのお世話による心労がたたった結果かもしれません。お父様と監督が最後に対峙するリビングには家族の象徴であったソファはなくなり、一時期は汚くなった部屋も綺麗になり(寂しくもなり)ました。監督の叔母は「(お姉さまを)愛しているから閉じ込めたのではないか。」という趣旨をインタビューで語り、お父様も「失敗したとは思わない。」(成功と失敗が価値基準ということですね。)と、自分たちの半生を映像化することに意外なほどあっさりと快諾しました。そこに何の落ち度もないかのような実父の笑顔に、年を経てすっかり丸くなった監督は、疲れとも後悔とも、諦めとも分からない風情を背中に宿しながら「カット」と言い、画面が暗転します。
わたしは、この作品が「お姉さまの生きた証を残す」ための作品であると同時に「ご両親への復讐」なのだとも思いましたが、ひょっとすると、「監督ご自身が何も出来なかった自分なりの贖罪行為であり、懺悔の具現化」なのかな、と最後は思いました。なので、とても強烈な作家性が感じられ、その執念ともいえるものに呆然としましたが、個人的にはご両親だけでなく家族という構成員の一人であった監督ご自身についての心情を見せていただきたかったため、星を一つの半分除きました。