「紺屋の白袴」どうすればよかったか? カール@山口三さんの映画レビュー(感想・評価)
紺屋の白袴
どうすればよかったか?
姉は、
幼少の頃から恐れていた癌をステージ3を患いながら、それが素で統合失調症を投薬で調整しながら永らえて癌で亡くなれた。
この話は、
精神分裂症と言っていた頃から統合失調症に病名が大変更あった頃の話なんだ。
当然、
そのことは疾病に対する治療方法も社会的配慮も大変化があり、そしてその後の向上も進歩もあった。
それは、
昨今の癌死亡率と同じような向上があったようだ。
つまり、
適正な統合失調症治療をして疾病軽減していれば、癌の早期発見と治療で、今日も存命している可能性はかなり高いものと思う。
振り返ってみると、
血みどろの太平洋戦争世代の医学系御両親が、高度成長期の子女の苦悩を、臨床医でもないのに今日の進歩する臨床医療を、判断することはとんでもなく困難であったことは自明ではある。
この辺の落差、断層を理解できないのが、世相と隔離したプライド高い研究畑の人達だと思う。
父親が言った「仕方ない」のではなく、未来のためにではなく、今を、我が子を、虫の目で観る努力があのころ必要だろう。
とっても、
子供の頃、お絵描きが上手なお姉さんの絵が、病に侵されるとあんなにも稚拙なお絵描きになるのかと驚いた。
監督は、
勇気あるドキュメンタリーだったが、
インタビューではなくカウセリンをすべきだったかな。
(^ω^)
どうすればよかったか?
ドキュメンタリー監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、
彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー。
面倒見がよく優秀な8歳上の姉。
両親の影響から医師を目指して医学部に進学した彼女が、ある日突然、事実とは思えないことを叫びだした。
統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母は病気だと認めず、精神科の受診から彼女を遠ざける。
その判断に疑問を感じた藤野監督は両親を説得するものの解決には至らず、わだかまりを抱えたまま実家を離れる。
姉の発症から18年後、映像制作を学んだ藤野監督は帰省するたびに家族の様子を記録するように。
一家全員での外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親と対話を重ね、姉に声をかけ続けるが、状況はさらに悪化。
ついに両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになってしまう。
どうすればよかったか?