「無意味な人生をみた」どうすればよかったか? 屠殺100%さんの映画レビュー(感想・評価)
無意味な人生をみた
ひどい言い方だが、圧倒的に無意味な人生をみた。しかも、一人の人生が親という他者に無意味にされるということ。
戦争や無差別殺人など、他者によって無意味化された人生は現実の世の中にはたくさん存在すると思うが、それを統合失調症を治療できないという特殊な状況によって無意味化された一人の人生を映像として残すことで、人生がドラマ性を帯び意味をもったかのように感じる。
人間は意味あるものに安心するし、映画なり音楽なり表現物というものは、物語や音があり、主役や旋律があり、強い意味のあるものが通常だと思いがちだ。しかし、意味不明な表現物もたくさん存在する。実はそっちの方が普通ではないか?この映画がそれだ。現実は無意味なものにあふれているということ自体を再認識させられる。当たり前のことである。ただ、無意味さは怖いし、悲しい。
両親は、娘を家で守ることが、自分たちにとって意味あることと考えていたが、自分の子供は自立した他者であるという感覚が著しく欠如していた。自分では気づいていなかったようだが、彼らからは無意味さや悲壮感のオーラがすさまじく漂っていた。
医者であれば、当然精神疾患や統合失調症というものが世の中に存在することは知っていたはずだが、見て見ぬふりをした。意味不明であるが、この意味不明さが、娘の無意味な人生となって現れた。意味不明な行動は、無意味さとつながっている。
その無意味な現状をカメラにおさめるという行為もよくよく考えて意味不明である。カメラにおさめるのでなく、無理やり病院につれていくというのが常人が考える意味ある行動であり、理解可能な行為だからだ。それをせず、意味不明にカメラで無意味な姉の人生を撮り続けた。弟の監督には、なぜ姉を病院に連れて行かず、カメラで撮り続けたのか?ぜひ教えてほしい。病院に無理やりつれていくという簡単に答えが出せそうなことに、答えを出さないという意味不明さが、映画という表現物になると売りになってしまう。なぜどうすればよかったかをとったか?と題して第二弾を公開することも可能だ。そっちには、意味がありそうだし、ぜひその意味を知りたい。
無意味な人生を意味不明にカメラにおさめたら意味不明な表現物として無意味という意味を獲得した。でもそんな意味不明なことをするとその先には無意味という呪いが待っていそうで怖い。監督はこの映画を意味あるものにしないと正気ではいられなくなるのではないか?心配である。
と、まあいろいろ思ったのですが、純粋に映画作品として観るならこういうきついこともいえてしまうのだが、他人様の家族の話であり実話という認識をもつなら、やはり単純に病院につれてけばよかったという話しではなく、他人が計り知れない事情があったと推察しなければならず、人様の家庭や人生に対しずけずけとしたことは言わないほうがいいという節度が必要な部分もあり、この映画について書くにはどうすればよかったか?となってしまう難しさがある作品である。