「反精神医学でも精神医学擁護でも見るべき!「どうすればよかったか?」」どうすればよかったか? Kenshinさんの映画レビュー(感想・評価)
反精神医学でも精神医学擁護でも見るべき!「どうすればよかったか?」
以下の順番で書いていきます。
①お父さんとお母さんだけを責めることは簡単だが・・・
②単に精神科に行けばよかったのだろうか?
③反精神医学と精神医学擁護のあいだで
①お父さんとお母さんだけを責めることは簡単だが・・・
私自身、この映画の序盤は
お父さんとお母さんに対する怒りみたいなものが、
かなり湧いていました。
私自身は当事者でもありますが、
減薬断薬を試みていたり、
そういう発信もしているので
反精神医学に思わることもあるかもしれません。
ですがこのご両親は
単純な反精神医学論者とも
思えません。
私自身は少なくとも一時的には
薬を飲んだりとか、入院したりとかは
必要だと思っていますし、それは仕方のないことです。
この親御さんは高学歴で、家の映像を観ていても
ある程度裕福な家庭です。
そういう方々の闇のようなものも非常に感じました。
一般的に病気になった娘さんを
世間に晒せないという思いも、
これは高学歴高学歴じゃないに限らず
あったでしょう。
それから、高学歴であるがゆえというか
お父さんもお母さんも自分自身の意見・主張が絶対なんです。
監督が結構色々と病院の話など、話を振ったりしますが。
あまり聞かないというか、特に映画の序盤の方は自分の意見、
主張が全てみたいな感じの方々です。
そこに私も怒り的なものを覚えたのですが、、、
ただ決して悪人ではないわけです。
裕福できちんとしているし、娘さんのことも優しく
考えてるような部分も見られます。
むしろ良いご両親のように見える部分もあります。
おそらく世間から見たら、外から見たら、
そのようにも見えると思います。
そこがある意味闇というか、
だから故に危ういという感じもします。
本当に悪い人だったら、
誰か介入するとかもできるかもしれないけれど、
そうじゃない故に危うい。
しかも世間的に高い地位に見られている、
ご両親なわけですから。
②単に精神科に行けばよかったんだろうか?
この監督はお姉さんは精神科に行った方がよいと
親御さんに伝えたり、
行けるように奔走している部分もあります。
お姉さんが大学時代に最初に緊急搬送された時に見てもらった、
でもお父さんが連れ帰ってきてしまった精神科医にも
会いに行ったりしてるわけです。
そして確かに大声とか、奇声を発しているような
場面も出てきます。
一時的に薬を飲んだり、入院などをして
病状を抑えることは必要だったと思われます。
その頃はリスパダール(リスペリドン)という新しい統合失調症の薬、
非定型抗精神病薬が出てきた時代でした。
でもそれを飲むことが良かったのか?悪かったのかというのは
分かりません。
それにこういった症状、奇声を発するとか大声を
出すという症状は薬を飲んでいても起こりますし、
副作用的な症状かもしれない。
だからこのお姉さんを見ていると、
映画で見ていると、
では精神科に通うことがすべて正解だったのか?
入院し、薬を飲むことが本当に良かったことなのか?
と考えてしまいます。
その後には確かに、入院してある程度安定して
実家に帰ってくるという場面も出てはきます。
ではそれが全て正解なのか?かっていうのはわからないですね。
確かに結果論かもしれません。
そのお姉さんだったから、たまたまっていう状況もあり得ます。
個人個人によって症状の出方も違いますので。
それはありますが、お姉さんという人間の個別性も
確かにありますが、
そのお姉さんの家での状況や振る舞いを観た時に私は決して、
単にストレートに精神科に行けばよかったのか?っていうのは
よくわからないな・・・というのが正直な感想ですね。
③反精神医学と精神医学擁護のあいだで
②ともつながる話ですが、
精神科に行って、薬を飲んで、あるいは入院すれば
安定するんだっていう、単純な映画ではないと思います。
監督はそういうことをおっしゃってる部分もありますし、
しかも監督はそういう動きも見せてるわけですが。
でもある意味その意図すら、
そういう意図すら超えている。
ある種意図せず、超えているような映画だと私は感じました。
精神医学擁護でありつつも、
どこかでそうじゃない部分も見えてしまっている。
そんな映画かなと感じます。
少し話は変わりますが、お母さんが亡くなって、
その後理由は書きませんが、お姉さんが亡くなります。
最後にお父さんと監督が残るような状況になるわけです。
そして映画のかなり最後の方に、父と息子が対峙する
シーンがでてきます。
対峙するっていう言い方が正しいかはわかりませんけど。
どうすればよかったんだろうね?っていう、まさにどうすればよかったか?っていうことを問うシーンが出てくるんですけど、
非常にやるせない気持ちになります。
繰り返しになりますが、お父さんとお母さんに対する
怒りみたいなものが最初の方はあったんですけど。
でも最後にお父さんが娘さんの写真をあげている仏壇にお線香を
上げているシーンを見た時に
お父さんとお母さんだけを責めるとか、
精神医学に早くつなげればよかったんだとか、
そういう単純な結論を出す映画ではないし
そういうものではないと思いました。
わからなさ、今の言葉で言えば「ネガティブケイパビリティ」と
言ったりもしますが。
いわゆる「曖昧さに耐える力」という言葉です。
一方向に単純に結論を出せない、胸を抉るような感情を湧き起こす、
だからこそ非常に良い映画だったと私は考えています。