「〝情操〟の必要性」どうすればよかったか? ユートさんの映画レビュー(感想・評価)
〝情操〟の必要性
(僕は統合失調症の当事者である。)
「どうすればよかったか?」を観ました。
〝どうしたいのか〟が根本的に無い家族だなと思いました。
何で子供の幸せを願わないなのだろうと思いました。
情緒不足でご両親は何を言っているのか殆ど分かりませんでした。
監督も気の毒だよ。ここまで自分で(カメラを)回さないと自立出来ないんだもの。
お姉さんのお葬式の際、ご親戚の方なのか、「もっと楽しめばよかったね」と小さく言われていたのは本当にそう思ったよ。
どうすればよかったか?
1、詩や物語、新聞や雑誌などを声を出して交互に読み合う
2、市や区の役所に連絡して、地域との繋がりを持ち、訪問看護やケアをしてくれる人を探し依頼する。
3、共に工作などをして楽しむ
ふつふつと怒りが湧くよ。ご両親は限界なんだろうけど、こういう家庭は日本に幾らかでも多いんじゃないかと思う。なんとも言えない怒りが湧くよ。
寄稿された著名人(たち)のコメントにも腹が立つ。「どうすればよかったのか?と思う」とか沢山書かれていて、そういう受動態の考えが駄目なんだよ馬鹿が、と思う。
(ここは少し書き過ぎたと思う。けれども、観た直後、こうした感情があったことを記しておこうと思う)
〝論文で認められたい〟ということも受動態である。〝されたい〟ということしかご両親の頭の中には無いように感じた。そもそも何かを〝したい〟ということさえ忘れてしまっているのではないかと思う。
子供の幸せ、身近な人の幸せを願えない人間に(科学上でも)方程式のひとつも解かれたくない。
だいたいあの神棚の祈り方は何なのだ(言いたか無いけど)
インテリアって大事なんだな、と思った。
(…)
研究機材などごちゃごちゃに置いておくぐらいだったら売るか捨てれば良いと思った。
日本人のアウトプットには〝情緒〟が必要なのだと、とてつもなく感じた。
三ヶ月で退院出来たのは早い方です。
薬が合っていたのだと思います。
僕はこの映画は監督の自立、アイデンティティーの為に作られたと思った。
(日本人には)子供の頃から童謡など、子供でも感じ取れる、情緒や情操のあるものに接する機会が必要なのだと強く思った。
(ご両親の)会話が情報のやり取りでしか無い。ただの自慢話であり、プライドで出来た人たちなんだと思う。
お姉さんのアメリカ行きを(まるで)自慢話のように話すお母さんがよく無いなと思った。危ないことであるのに、得意げに話すのは自身のプライドにおける話題だからなのだと思う。
雑記的に書いてみた。
映画として観れば、丁寧な作りでは無いとは思うけれど、内容に関しては、今まで社会が触れることのなかった題材でもあり、そうした意味でも貴重な映像記録作品であると思った。
(追記 2024.12.13)
これから未来に於いて、「精神障害」というものはスタンダードになると思う。
「どうすればよかったか?」(映画)に於いても、もしかしたら、そうした先見性を見てしまっての、「障害では無い」という現在の精神医療との誤差を生じさせたまま閉じ込めてしまったのかもしれない。