「カンナに感情移入することが強要される」小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの竜 くりぽんさんの映画レビュー(感想・評価)
カンナに感情移入することが強要される
原作、テレビアニメ一切未視聴。本映画中で描写されている事以外は一切考慮しない。
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本作はあらすじでも書かれている通り、長く離れていたカンナとその父の意識のすれ違いと和解の物語である。
カンナは親との断絶を悲しく思い、最後には寂しかったという思いをぶつけて、それを父親もわずかながらにも受け入れて抱きしめ、ハッピーエンドで終わる。
ハッピーエンド?
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父親は人ではない。ドラゴンである。
彼はドラゴンの価値観で考え生きている。自分の子供ということよりも、共同体の仲間との認識が上位に来ている。
今作は単なる頑固親父との衝突を描いているのではない。文化や価値観が違う者同士の衝突である。
ではそんな相手に小林は、説得として何をやったか?
力でねじ伏せて言うことをきかせたのた。
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異世界側の人間であるアーザードは、ドラゴンの圧倒的暴力の前に家族を失い恨みを抱いた人物である。
理不尽な目にあった被害者としてその加害者に復讐を誓い、実際に実行した実績があり、今回さらなる成果を求めている。
彼にとって正義とは、人に害なすドラゴンを駆逐する事だ。
ではそんな相手に小林は、説得として何をやったか?
力でねじ伏せて言うことをきかせたのた。
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今回の決着は、小林の決め技と、トールや他の仲間のドラゴンの戦闘力でもたらされた。
問いたい。小林はカンナの気持ちに寄り添ってほしかったのではないのか?力を上位に置く価値観を否定したかったのではないのか?
なのに、お前は何をした?
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さて、最近𝕏で以下のようなものを見た。
「話せばわかると言う人に、話した結果自分の意見主張を変えるという選択肢はあるのか?と問うと返答に詰まる」
本当に話し合いをする覚悟は、小林や仲間たちにあっただろうか?
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小林と仲間たちが掲げる「正しい価値観」を制作サイドも肩入れした上で力で押し付け、それ以外を否定する物語だった。
星2。否定された側に感情移入すると辛い。
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せめて、せめてだな。カンナが寂しかった寂しかったと言うシーン。
回想と相似形の、ドラゴンの姿で背中を向けて座るキムンカムイに対しカンナもドラゴンの姿で抱きついて、という演出であればまだしもと感じている。
それなら、「ドラゴンの親子」として人の情に歩み寄るシーンたりえたように思うのだが。なんで単なる「親子」にしてしまったのか。
面白い考えですね!
僕自身の意見にはなってしまいますが、個人的にキムンカムイは最後の最後に、完全ではないにしてもカンナの「寂しい」という感情を理解できていたのではないかなと思っています。
最後小林とカンナが手を繋いでキムンのもとを離れていくシーンがありますが、あの時キムンは小林の特大龍玉をくらい、大ダメージを負いまともに立つこともできない状態だったのにも関わらず、去っていくカンナを追いかけようとしました。もしキムンが最後まで寂しいという感情を抱かなかったのであればあそこで追いかけようとした理由が分かりません。
確かに言葉や表面的な部分では、キムンが寂しいという感情を抱いてる描写はなかったと思います。ですがキムンは、カンナと同じ気持ちを「追いかける」という行動できちんと表現していたんだと思います。
すみません長々と書いてしまって🙇♀️
でもキムンのあの慣れない不器用な父親感が凄い好きで、僕はあの映画とっても好きになりました!
色んな解釈ができる良い作品ですね。
今回の話は親子の問題を抜きにしても、キンムカイム達とルミネース達が争うのが可笑しいって話はあります。
小林側にもイルルが独断で行動したとはいえアーザードは魔の手は伸びてましてたし