名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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1960年代のフォークと、その時代の空気が満喫できる音楽映画
ドラマは、ディランが敬愛するミュージシャン、ウディガスリーが入院したという新聞記事だけを頼りに、ヒッチハイクで病院を訪ねるところから始まります。
主人公のがむしゃらな行動力、自分の音楽を聴かせたいという熱量が伝わって、秀逸なオープニングです。
その後、ピートシーガーの後押しもあってその存在が知られ、売れていきます。ピートは、自分勝手なミュージシャンが多い中、唯一とも言える人格者で、見ていてほっとする存在です。
この辺りの描写は、無駄な説明がなく、ほぼ音楽とその歌詞で、流れがわかるようになっています。
自分のやりたい音楽と、皆の求める音楽とが乖離していくとき、どう行動するか?
ここが最大のクライマックスであり、それを乗り越えたところで現在の彼が存在している。
そう納得させるエンディングでした。
徹底した上目遣いのティモシーシャラメ
ニューヨークに降り立ってから伝説のフェスまての短い期間の映画
ボブ・ディランはあまりよく知らないが、曲は色んな人がカバーしていて聞いたことがある。ほんとがが知ってる歌でそれだけで楽しくなる。
時代背景もあって当時を知る人がみたらとても懐かしく思うだろう。知らない人はあの感じは理解できないのかも。
人の気持ちが読めないのか分かっているのにやっちゃうのか、周りにいたら困った人だ。
ラストのフェスでは一説によると涙ぐんでたとかという話もあるが、だとしたらボブ・ディランちょっと見方が変わってくる。
全体的にボブ・ディランの詩の世界観が出ていてジョーン・バエズのモニカ・バルバロの歌声がとても心地よい。
ストーリーとしては、エルビスやロケットマン、ボヘミアンラプソディみたいな波乱の展開って感じではなかった。
ディランの音楽に浸かる…
1965
よかった・・・でも長かった。
それでもライク・ア・ローリング・ストーンが好きだ!
久しぶりに試写会に参加して、ボブ・ディランの映画「名もなき者」を見てきました。
アルバム「追憶のハイウェイ61」で「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聞いて以来の大ファンですが、このアルバムにこんなエピソードがあったのは知りませんでした。
まずは、映画ファンとして本作品を見た感想ですが、ボブ・ディランを知らない人にとっては、ちょっと難しいと言うか退屈な作品になるのかな・・・・
本作品は、ボブ・ディランがデビューするきっかけとなる所から、ある意味、フォークギターからエレキギターに持ち替えた所までのお話です。
あの頃の時代背景などを知った上で見ると大変に見応えがあると思いますが、しかし、この手の作品をみて感じることですが、私自身も若い頃、俳優やミュージシャンに憧れて頑張ってきた頃があり、成れなかった自分がいて、夢を叶えた人の活躍が羨ましく思える事がありますが、しかし、夢を叶えても、それなりの格闘があるんですよね。
主演のディラン役のティモシー。シャラメは、実にボブ・ディランに成りきっていましたね。ボブ・ディランが時折みせる、刺すような目つきを完璧に再現している。
他の役者さんも関係者の役を実に自然に演じきっていて、なかなか見応えがありました。
しかし、ボブ・ディランが、フォークからエレキに持ち替えてもディランはディランと言う見方を持っていましたが、当時はやはりあれだけ騒ぎになるんですね。
しかし、誰が何と言おうとも、俺は「ライク・ア・ローリング・ストーン」が好きだ!
強いて本作品に注文をつけたいのは、「風に吹かれて」にせよ、「時代は変る」にせよ「ミスター・タンブリン・マン」にせよ、この曲が出来たエピソードがもっとしっかり欲しかったかな・・・・
私が19歳の時、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと一緒に日本武道館のステージに立ち、「戦争の親玉」を唄う前にボブ・ディランが、MCで、「次は「戦争の親玉」を唄うよ、この曲はプロテストソングさ、今でも唄っているよ」と言って唄い出した事を思い出しました。
しかし、まだまだ、伝説になるには早い過ぎるぜ、ボブ・ディラン!
何時までも答えなんかみつけずに、歌い続けてくれ!
ティモシーの歌がすごい👏
高校生の頃にボブ・ディランを聴きまくってた時期があったから、名曲が生まれる瞬間や語り草になってるニューポートフォークフェスティバルに立ち会ってる気分になり、ワクワクした
予告を観たときにボブ・ディラン本人の楽曲を使ってるのかと思っていたが、ティモシーが全て歌ってた!驚き!素晴らしかった
ファンなら良いかも⁉️
変人で女好き、でも芯は強い
ボブ・ディランの事は、存在は知っていても楽曲はほとんど知らず、どっかで耳にした事あるなという認識の曲がいくつかある程度。それでもティモシー・シャラメのなりきりぶりに感服。というかティモシーもそうだが、ジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロやピート・シーガー役のエドワード・ノートンといった、実在人物を演じたキャスト全員が自分の肉声で歌っているというのも凄い。昔から好きだったが、やっぱりノートンはいい役者だ。
特筆したいのはディランの楽曲に歌詞字幕を付けている点。そんな事で?と思うかもしれないが、著作権事情で歌詞が出ない作品も少なくない中、これはホントに有難い。
デビュー直前の1961年から始まり、シンガーソングライターとして名を成すも、フォークだけの歌手として括られるのに辟易し、65年のニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキギターをかき鳴らすまでを描く本作。実際のディランはなんとなく変わり者というイメージを抱いていたが、本作での彼もやっぱりそう。とっつきにくくて女にだらしない。でも早世したミュージシャンのようにドラッグや酒で身を滅ぼすことなく、寝る間も惜しんでひたすら作曲活動に励む。ジャンルに囚われたくないと、ナイーブそうに見えて芯が通っているディランを描くのに、『3時10分、決断のとき』、『フォードvsフェラーリ』などタフで渋い作品を撮らせたら天下一品のジェームズ・マンゴールド監督はハマっていた。前作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の酷さは何だったのか…
ディランをこよなく愛するファンが本作をどう評価するかは分からない。でもディランをよく知らない自分は楽しめたし、彼の曲はどれも身に染みた。
ボブ・ディランのことをもっと知りたくなる!
恥ずかしながら、ボブ・ディランは名前を知ってるノーベル賞受賞者ってぐらいしか把握してないままにティモシーの演技見たさに映画を観た。
結果、もっとボブ・ディランのことを知りたくなったし、彼が産み出した曲を聴きたくなった。
ティモシーは訛りがある喋り方で、役のために増量もして、スクリーンにいたのはティモシー・シャラメじゃなくて、ボブ・ディランだったと思う。本当に演技力がすごい。
「フォークの神様」と言われるボブ・ディラン、
有名になればなるほど、ボブが歌いたいものと聴き手がボブに求めるものの乖離が如実になってくる。
今で言うところの「解釈違い」なんだろうか。
「私の推してるボブはそんな歌歌いません!!!」
まるでそう言うかのような「ファン」の怒号、それでも歌うボブ。現代の推し活も考えさせられる場面があった。
エルが演じるシルヴィの役どころが切なくてしょうがなかった。有名な人の側にいるって尋常じゃないほど大変だよね…
伝記物として往年のスターの全てを描くのではなく、若かりし頃に特化した分、ストーリーがしっかりしてて、濃密な2時間20分だった!
音響の良い映画館でこそ観たい映画
またなジョーン
こないだサーチライトプレミア試写会に招待して頂きました🎬
本当に感謝です😁
ボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメの演技は本物でしたね🤔
私はディランをよく知りませんが、それでも歌い方や仕草、喋り方などを似せているのはわかりましたよ。
歌唱シーンはシャラメが実際に歌っているということですが、違和感ないパフォーマンス😀
これはアカデミー主演男優賞、十分狙えます👍
ディランの恋人シルヴィにはエル・ファニング😀
エルの瞳はくりっとしてチャーミングですな🙂
破天荒な彼に振り回される感じがうまくでてました🤔
ディランを見出すピートにはエドワード・ノートン🙂
彼の演技は定評がありますが、今回は出番はそこそこながらも確かな存在感を発揮👍
「ファイト・クラブ」の頃から、私は彼が好きです😀
同業者でディランと複雑な関係になるジョーンにはモニカ・バルバロ🙂
彼女は流れる黒髪に、優しさと強さを併せ持つ瞳が印象的🤔
ディランとは一言では言い表せない関係になるのですが、この2人なら妙に納得してしまうような演技でした👍
本編上映後に嬉しいことにマンゴールド監督の登壇があったのですが…最後の撮影タイムにスマホカメラがおかしくなって、撮った写真が保存されないという事態に😰
しかし記憶には刻み込まれました💪
アカデミー賞8部門ノミネートされていますが
「監督賞」「主演男優賞」「助演女優賞」
あたりは堅いと、独断予想します🫡
シャラメのファンのみならず、伝記映画ファンもきっと楽しめるでしょう👍
一般公開は2月28日ですよ🖐️
猛スピードで自らを変革していく天才とその周辺に迫った音楽映画の傑作
しみじみと心に染みた。何度も胸が熱くなり、そっと涙した。ここ数年流行っているミュージシャンの伝記映画の中でも、これはズバ抜けた傑作だ。
劇中歌は延べ40曲以上に及ぶオールヒットパレードだが、天才が生んだ歴史的名曲とかその波乱の人生とかをことさら誇示はしない。ごく当たり前にさらりと描いているところがいい。声高に触れて回るのが憚られ、心の裡に温めておきたくなる作品だ。配給会社のヒトには申し訳ないけど(笑)。
この映画は1961年、まだ無名のボブ・ディランがウディ・ガスリーを病院に見舞うところから始まり、フォークシンガーとしての成功を経て、1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルで劇的にロックへと転向するまでを描く。みうらじゅん氏いわく「ファンにとっては『桃太郎』ぐらいの有名な(笑)」この5年間を、本作はどうさばいてみせたか。
まず第一に目を惹いたのは、ボブ・ディランという「気まぐれで変わり者の天才の物語」を、劇的なエピソードを羅列したりこれ見よがしに演出するのではなく、芸達者な役者たちによる一種の「アンサンブル・ドラマ」として仕上げてみせたことだ。そして、ここではミュージシャンの伝記ものにお決まりの「酒・女・ドラッグ・妊娠」といった問題は深掘りされないか、いっさい描かれない。
こうした演出は、監督と名コンビを組むフェドン・パパマイケル撮影によるシネマスコープ画面の見事な肌触りとも相俟って、1960年代NYのフォーク・シーンそのものに焦点を当て、時代の空気感を彷彿とさせてくれる。
そこで演技に目をやると、まずディラン役のティモシー・シャラメをはじめ、ジョーン・バエズ、ピート・シーガー、ジョニー・キャッシュといったレジェンドたちを演じる各人が自らの声で歌っており、その歌唱力で自然と観る者を納得させてしまうのがスゴイ!
シャラメの好演についてはすでに多くの人が称賛するところなので、ここでは特にピート・シーガー役のエドワード・ノートンを挙げておきたい。彼がこんなに味わい深い役者だったとは、というのが第一印象だ。ピートの、柔和さの中に芯の強さをうかがわせる佇まいがいい。ウディ・ガスリーの枕元で自作曲を披露するディランに「おぬし、やるな!」といった表情を浮かべたり、ディランのステージを袖からニコニコ満足げに見守る様子には、思わずこちらまで顔がほころぶ。「ウィモエ、ンブゥベ」の大合唱シーンはもちろん、パーティ会場や生放送現場で歌うディランにすっとバンジョーを構えてハモっていく時の渋さ、カッコよさといったら。
カッコイイといえば、ジョニー・キャッシュ役のボイド・ホルブルックが「ここぞ」という時にふらっと現われ、ディランの背中を押してくれるのも胸アツ。またジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロは、音楽の神を宿したようなピュアな歌声でたやすくディランの魂と一つになるかと思えば、普段は俗っぽい自信家、野心家なのがユニークだ。
こうした「歌手たち」に比べるとおのずと出番は限られるけれど、極めて印象的だったのが、ディランの恋人役を務めたエル・ファニング。いつもより低めの声で喋り、学生の身でありながら自立した大人の知性と気品を漂わせる。そんな彼女が「時代は変る」を熱唱するディランの姿に別れを直感し、「ミスター・タンブリン・マン」が流れる中で一旦よりを戻すも、彼とジョーン・バエズが「悲しきベイブ」のデュオで魂を重ね合うのを目の当たりにして、彼のもとを永久に去る。この3曲がかかるシーンはあまりに愛しく切なく、涙があふれた。
ついでに言うと、この恋人たちは、付き合い始めの映画館デートでベティ・デイヴィス主演の『情熱の航路』(1942)を観て感想を言い合う。彼女は「より良い自分を主人公は探している」と言い、彼の方は「いや、これまでの自分から何か別の違う存在になるんだ」と反論する。
あとから思えば、この些細な食い違いがその後の二人の生きざまを暗示していたのだな、と気づく。だが、よりを戻した彼は、2本くわえた煙草に火を点けて映画のワンシーンを無邪気に再現してみせる。一方、彼女の方は、同作からセリフ(“Don't let's ask for the moon. We have the stars.”)を引用して彼に別れを告げる。これら一連のエピソードがまた実に映画らしくて心をくすぐる。
ここで再びアンサンブルの演技に話を戻すと、脇役も隅々まで活きていて、見どころが尽きない。
たとえば、マネージャーのアルバート・グロスマン(ダン・フォグラー)はディランと添い寝(?)していたり、フォークフェス主宰者のアラン・ローマックス(ノーバート・レオ・バッツ)と殴り合ったり、と随所で笑いを誘う。またアル・クーパー(チャーリー・ターハン)が「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音セッションに勝手に飛び入りし、戸惑いながらもハモンドオルガンの第一音を発するシーンなど、思わずぞくっとする。さらに、ずっと控えめだったトシ・シーガー(初音映莉子)が、こっちが忘れた頃に例のシーンで突然現れるのもグッとくる……などなど。
さて、第二に心惹かれたのは、歴史的名曲の持つ“強さ”に頼ったり、曲を利用して劇的に煽ったりせず、「ごく自然に聴かせる/見せる」ように努めていた点だ。単なる劇伴として使わない。各シーンの弱さを音楽で補うわけでもない。各曲を「物語そのもの」の1ピースとして取り込み、みごとに機能させているのだ。
「風に吹かれて」「戦争の親玉」「くよくよするなよ」「ライク・ア・ローリング・ストーン」…これら名曲を、ティモシー・シャラメは、鼻にかかったダミ声や崩した歌い回しを模しつつも、一語一語が聞き取れる絶妙な口跡のバランスで歌う。単なる「なりきり演技」ではなく、きちんとシャラメらしさ(!)を主張してくるあたりはさすがだ。
ついでに触れると、彼が絵画の写しや新聞・雑誌の切り抜き、メモ書きなどを床一面にひろげて歌詞を推敲しているショットが出てくるが、ボブ・ディランがいわばゴダールのようにあらゆる事象から「引用」していたことがうかがい知れて興味深い。
ところで映画は、オープニングと同様、ラストシーンで再びウディ・ガスリーの古いレコード音源「ダスティ・オールド・ダスト」を聴かせる。いいようのない郷愁と乾いた希望がさっと拡がる。と同時に「ああ、映画を観たな」という至福に包まれる。鮮やかな幕切れだった。
以上、監督本人による挨拶付きのジャパンプレミア試写会にて鑑賞。
時代は変る追憶のハイウェイ61-65
どんな気分だい?変化は止まらない、新しいものを取り入れ変化することを恐れない脱伝統主義。商業上の法則と芸術的な慣習に根底から挑み変革すること。周囲の期待という重荷といかに折り合いをつけながらそれらを成し遂げるか(芸術・表現の普遍的テーマ命題)?その過程で、自身が何処から来たかという部分に立ち返る。「自分を見つけるのではなく変わるんだ」と言っていたディランが、自分の原点を再発見するまで。月がなくても星があるように、ディランがあらゆる音楽に手を出し幅広い音を鳴らしてもそれらは一種の反射でもあり、光り輝く彼自身の根本にあるウディ・ガスリーなど先人への尊敬の念=その時抱いた音楽を始めた当初の気持ちを思い出す…(※それも行き過ぎるとやはり重荷だが)。だからこそ最後のライブシーンがマンゴールド監督らしくアツいだけじゃなくて、やるせなさもセットで。変革と開拓者、先輩の存在。
周囲の人が自分に求める以外の何かになりたかった激動の5年間!風が吹くように、石が転がるように、いつだってその流れは止められない。時として"嫌なやつ"にも映る彼の周囲が求めるものを拒む進化が速すぎて、シルヴィもジョーン・バエズもみな周囲を置き去りにして、誰一人としてついていけなかった。当時の彼にとって1年前のことは既にもういちいち振り返らない("DONT LOOK BACK")昔のことで、60年代というロック史にとってあまりに重要な時代をハイウェイくらい駆け抜けた伝説のミュージシャン・バンド達は皆、昨今では信じられないくらい早いペースで次々と新譜を出しては驚くべき進化を遂げて決して歩みを止めなかったのだから。コラボレーションなどするわけでなくてもきっと互いの動向は知っていて認め合っていたに違いない、その時代特有の相互作用・化学反応が起こした創作にとってこの上ない奇跡で幸福の時代。転がり続けてブチ壊す!!
考え直したりしなくていい、これでいい。フォークシンガーとして時代の寵児となったボブ・ディランがエレキギターに持ち替え"ユダ(裏切り者)"と罵られながら伝説のライブで頂点を極めるまでを描いた本作は、些か表面をなぞる印象(伝記映画として王道な語り口)もあって、モデルとなる伝説的アーティストのミステリアスなベールのその先の核心にまで触れるような踏み込んだ作品ではないけど、作中全ての曲を自ら演奏して歌い上げるティモシー・シャラメの素晴らしいパフォーマンスによって伝説的アーティストである"ボブ・ディラン"と同じ時間を過ごせるような気持ちのいい追憶の作品に仕上がっている。フィールグッドないい気分。
シルヴィの存在が、本作における一種視点人物となっていて、共感できるものになっている。ディランとジョーン・バエズが喧嘩しながらも、ステージ上では同じマイクを分け合って同じ曲をデュエットするのを見ること。自分とは分かり合えない・真似できない、ミュージシャン同士の共通言語で通じ合うこと。あれは確かに目の前で見せつけられるとキツい…(少し『グレイテスト・ショーマン』の図式を思い出したり)。"Don't Think Twice, It's Alright"、"All Day and All of the Night(キンクス)"、"It Ain't Me, Babe"、"Maggie's Farm"(エレキ版かっこよすぎ!)、"It's All Over Now, Baby Blue"など曲がその時々の本編の内容に合っている。これでおしまいなんだ、ベイビー・ブルー。さよなら、出会えてよかった。
LOOK OUT KID (実話も映画も)一世一代のパフォーマンス!シャラメの歌声・歌唱面だけでなく難しい指運びピッキング含む圧巻の演奏面、そして普段の話し声色・喋り方やふとした一挙手一投足まで再現度の高いディランで、ここ数ヶ月で高まるだけ高まっていた期待に応えてくれた。傑作ドキュメンタリー『ドント・ルック・バック』のDVDを久しぶりに引っ張り出して見直していたところだったから、より一層そう思った。これは脚本によるところだけど、インタビュアーなど相手を困らせたり、時に煙に巻くような物言いも。65年になった際の登場シーン格好良すぎ…。たかが4年、されど4年の濃い月日、時代によって髪型を変えるのも無論!温故知新や原点回帰ってわけじゃないけど、変わることに必死で変わってみて見えるものも。
メソッド俳優エドワード・ノートンの物腰柔らかな優しい雰囲気のために逆に奥に見えない怖さみたいなものや、本作の作り的にどうしてもピート・シーガーが主人公と相対する変わらない旧世代的な立場になるのは避けられない。他にも優れたキャストが実在のミュージシャン達を演じてくれるのが興奮!ジョーン・バエズ演じるモニカ・バルバロがHouse of the Rising Sunを、ボイド・ホルブルック演じるジョニー・キャッシュがFolsom Prison Bluesを歌う(ボイド・ホルブルックの歌唱シーン、本編内ではBGM的扱いで重要度低く少し雑に扱われている感否めないが…いい声なのに!)!! 他のサブキャラ脇役も似ている。
RIVISITED ジェームズ・マンゴールド監督のフィルモグラフィーとは、自分の中で土・砂埃や労働者など"茶色"い古き良きアメリカ的なものと相性がいいイメージで、とりわけ近年はそうしたアメリカ人の温かみのあるハートやコア(核)、スピリットを感じさせ魂を掘り起こす題材を扱っている印象があって、本作もまさしくそうした系譜で語るに相応しい(ex.『コップランド』『3時10分、決断の時』『ローガン』『フォードvsフェラーリ』)。何より彼は『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』で(本作にも出ている)ジョニー・キャッシュの伝記映画を経験済みなのだから!だからジョニー・キャッシュの歌唱シーン、本作ではササッと流したのかな?
あと、近年の音楽伝記映画ブームの系譜として語るうえで欠かせないのが、伝記映画のしがらみ。つまり、彼らモデルとなる伝説のアーティスト達は、皆が顔や名前を知っている大きなアイコン・カリスマである一方で、肝心の性格や人柄を知らない(時にそれは作り手・製作陣も同じかもしれない)というギャップ、その乖離をいかに埋めるかという宿命。つまり、-- どういう価値・行動基準を持って、どう言ったらどういう反応をするのか、どこでどういう決断をするのか等 -- キャラクターが見えないという障壁にぶち当たる。その点は本作も同じながら、ディランのインタビューの受け答え同様、彼の心情・気持ち、自らの出自など多くを語らないカリスマ性・神秘性の影に隠してうまく煙に巻いていたと思う。人の過去なんて造り物だから。
P.S. だから、例えば『ロケットマン』や『エルヴィス』のように途中で観るのがツラくなることもない。ということで、作品賞は分からないけど、主演男優賞は他の賞レース結果で本命そうな『ブルータリスト』エイドリアン・ブロディを押しのけて受賞する可能性も大アリだと思う。
ジェームズ・マンゴールド監督登壇ジャパンプレミア!『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(The Freewheelin' Bob Dylan)ジャケットみたいな服装で参戦。これを機に言い訳しないでギター改めて挑戦しようかな、なんて自分のリヴィジテッド。
勝手に関連作品『ドント・ルック・バック』『アイム・ノット・ゼア』『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』
※ネタバレ無し感想(レビュー)※
"ティミー"ティモシー・シャラメのパフォーマンス(演技だけでなく歌唱・演奏も!!)が素晴らしく、又、ジェームズ・マンゴールド監督のアメリカ人の魂を掘り起こすような作家性・手腕は本作でも遺憾無く発揮されていました。おかげで60年代というあらゆるミュージシャン達がハイペースに新譜を出しては、決して歩みを止めることなく進化していった奇跡の時代を、神秘的でカリスマ性にあふれるボブ・ディランと追体験して過ごせるような時間があたたかく、たまらなく愛しかったです。鑑賞後にまた観直したいなと思いました。まさしく追憶のハイウェイ61!他にもエドワード・ノートンがピート・シーガーを、モニカ・バルバロがジョーン・バエズを、ボイド・ホルブルックがジョニー・キャッシュを、そしてスクート・マクネイリーがウディ・ガスリーを演じていて、彼らの歌声も必聴です!フォークシンガーとして時代の寵児となったボブ・ディランが、エレキギターに持ち替えて見る景色は、周囲の期待に応える商業性か芸術性か?ぜひとも大きなスクリーンと音響で観て聴いて、そのたどり着いた先に待っている答えを感じ取ってほしいです。
ティモシーのボブ・ディランが最高に魅了的!
ボブ・ディラン 若き日の葛藤と成長を詠う音楽映画
「風に吹かれて」「時代は変わる」などでフォークソングを革新し、フォークとロックの融合の完成形を顕した「ライク・ア・ローリングストーン」ほか20世紀を象徴するシンガーソングライター、ボブ・ディラン。彼がメジャーデビューする19歳(1961年)から最大のヒット曲「ライク・ア・ローリングストーン」をニューポート・フォーク・フェスティバルにて伝説的な演奏を果たした24歳(1965年)までを描いた伝記映画。1960年代は反体制的なメッセージをこめたウディ・ガスリー(スタート・マクネイリー)、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)らのフォークソングが受け入れられていく時代。彼ら俳優の演技は、その時代を知る者には脱帽ものの人間味を醸し出す歌唱を聴かせてくれる。とりわけボブ・ディランを演じるティモシー・シャラメの存在感、歌唱力は高く評価され、第97回アカデミー賞主演男優賞候補にも挙がっている。1960年代のニューヨークの情景、フォークソングの社会的影響など時代の空気感と音楽の表現力を十分に満喫できる音楽映画としても素晴らしい。
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