名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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時代は変わるのだから
シャラメとノートンとモニカ・バルバロ(バエズ)の演技と歌と声がよかったからか、ディランの音楽の歌詞に心を射られたからか、それとも「私は皿回し芸人に回される皿ではない」と言って去ったシルヴィの気持ちに寄り添ったからか、胸が痛くなる映画だった。
エンタメ分野の話には、自由を求め束縛を嫌いながらも多くの人に承認されたいアーティストの思い、アーティストを売り出す側の思惑、ある意味勝手なファンの要求という三つの関係が必ず絡み合う。それがこの映画でもそうだったのでドキドキして心臓によくなかった。
華奢なシャラメが体重をかなり増やした今回は、猫背で嫌な部分もたっぷり出して大人の俳優だった。ピートの妻役トシを演じたハツネエリコさんがとてもよかった。ノートンは上手い!彼が出ると安心しながらどんな方向へ?とワクワクする。今回は彼の歌能力!仲間への優しい気持ち!若手の発掘!ディランへの対応!全てがノートンならではで、いいキャスティングだと思った。
ボブディラン好きにはとってもオススメ!
ボブディラン好きな人は楽しめるんだと思う………結構びっくりするくらい刺さらなかった……
ボブディランの曲を事前に聞いてから見るか、主演の歌を沢山聴きに行く気持ちで見るか、という感じ…
マジで楽曲のシーンが多すぎて、多分楽曲が好きな人は楽しめたんだと思う。主演も歌うまかったし。ただ、全く楽曲を知らないのでひたすら知らんカバー曲を聞かされてしんどかった……
1960年代のフォークと、その時代の空気が満喫できる音楽映画
ドラマは、ディランが敬愛するミュージシャン、ウディガスリーが入院したという新聞記事だけを頼りに、ヒッチハイクで病院を訪ねるところから始まります。
主人公のがむしゃらな行動力、自分の音楽を聴かせたいという熱量が伝わって、秀逸なオープニングです。
その後、ピートシーガーの後押しもあってその存在が知られ、売れていきます。ピートは、自分勝手なミュージシャンが多い中、唯一とも言える人格者で、見ていてほっとする存在です。
この辺りの描写は、無駄な説明がなく、ほぼ音楽とその歌詞で、流れがわかるようになっています。
自分のやりたい音楽と、皆の求める音楽とが乖離していくとき、どう行動するか?
ここが最大のクライマックスであり、それを乗り越えたところで現在の彼が存在している。
そう納得させるエンディングでした。
徹底した上目遣いのティモシーシャラメ
風来坊
ニューヨークに降り立ってから伝説のフェスまての短い期間の映画
ボブ・ディランはあまりよく知らないが、曲は色んな人がカバーしていて聞いたことがある。ほんとがが知ってる歌でそれだけで楽しくなる。
時代背景もあって当時を知る人がみたらとても懐かしく思うだろう。知らない人はあの感じは理解できないのかも。
人の気持ちが読めないのか分かっているのにやっちゃうのか、周りにいたら困った人だ。
ラストのフェスでは一説によると涙ぐんでたとかという話もあるが、だとしたらボブ・ディランちょっと見方が変わってくる。
全体的にボブ・ディランの詩の世界観が出ていてジョーン・バエズのモニカ・バルバロの歌声がとても心地よい。
ストーリーとしては、エルビスやロケットマン、ボヘミアンラプソディみたいな波乱の展開って感じではなかった。
ディランの音楽に浸かる…
1965
よかった・・・でも長かった。
それでもライク・ア・ローリング・ストーンが好きだ!
久しぶりに試写会に参加して、ボブ・ディランの映画「名もなき者」を見てきました。
アルバム「追憶のハイウェイ61」で「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聞いて以来の大ファンですが、このアルバムにこんなエピソードがあったのは知りませんでした。
まずは、映画ファンとして本作品を見た感想ですが、ボブ・ディランを知らない人にとっては、ちょっと難しいと言うか退屈な作品になるのかな・・・・
本作品は、ボブ・ディランがデビューするきっかけとなる所から、ある意味、フォークギターからエレキギターに持ち替えた所までのお話です。
あの頃の時代背景などを知った上で見ると大変に見応えがあると思いますが、しかし、この手の作品をみて感じることですが、私自身も若い頃、俳優やミュージシャンに憧れて頑張ってきた頃があり、成れなかった自分がいて、夢を叶えた人の活躍が羨ましく思える事がありますが、しかし、夢を叶えても、それなりの格闘があるんですよね。
主演のディラン役のティモシー。シャラメは、実にボブ・ディランに成りきっていましたね。ボブ・ディランが時折みせる、刺すような目つきを完璧に再現している。
他の役者さんも関係者の役を実に自然に演じきっていて、なかなか見応えがありました。
しかし、ボブ・ディランが、フォークからエレキに持ち替えてもディランはディランと言う見方を持っていましたが、当時はやはりあれだけ騒ぎになるんですね。
しかし、誰が何と言おうとも、俺は「ライク・ア・ローリング・ストーン」が好きだ!
強いて本作品に注文をつけたいのは、「風に吹かれて」にせよ、「時代は変る」にせよ「ミスター・タンブリン・マン」にせよ、この曲が出来たエピソードがもっとしっかり欲しかったかな・・・・
私が19歳の時、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと一緒に日本武道館のステージに立ち、「戦争の親玉」を唄う前にボブ・ディランが、MCで、「次は「戦争の親玉」を唄うよ、この曲はプロテストソングさ、今でも唄っているよ」と言って唄い出した事を思い出しました。
しかし、まだまだ、伝説になるには早い過ぎるぜ、ボブ・ディラン!
何時までも答えなんかみつけずに、歌い続けてくれ!
ティモシーの歌がすごい👏
高校生の頃にボブ・ディランを聴きまくってた時期があったから、名曲が生まれる瞬間や語り草になってるニューポートフォークフェスティバルに立ち会ってる気分になり、ワクワクした
予告を観たときにボブ・ディラン本人の楽曲を使ってるのかと思っていたが、ティモシーが全て歌ってた!驚き!素晴らしかった
ファンなら良いかも⁉️
変人で女好き、でも芯は強い
ボブ・ディランの事は、存在は知っていても楽曲はほとんど知らず、どっかで耳にした事あるなという認識の曲がいくつかある程度。それでもティモシー・シャラメのなりきりぶりに感服。というかティモシーもそうだが、ジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロやピート・シーガー役のエドワード・ノートンといった、実在人物を演じたキャスト全員が自分の肉声で歌っているというのも凄い。昔から好きだったが、やっぱりノートンはいい役者だ。
特筆したいのはディランの楽曲に歌詞字幕を付けている点。そんな事で?と思うかもしれないが、著作権事情で歌詞が出ない作品も少なくない中、これはホントに有難い。
デビュー直前の1961年から始まり、シンガーソングライターとして名を成すも、フォークだけの歌手として括られるのに辟易し、65年のニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキギターをかき鳴らすまでを描く本作。実際のディランはなんとなく変わり者というイメージを抱いていたが、本作での彼もやっぱりそう。とっつきにくくて女にだらしない。でも早世したミュージシャンのようにドラッグや酒で身を滅ぼすことなく、寝る間も惜しんでひたすら作曲活動に励む。ジャンルに囚われたくないと、ナイーブそうに見えて芯が通っているディランを描くのに、『3時10分、決断のとき』、『フォードvsフェラーリ』などタフで渋い作品を撮らせたら天下一品のジェームズ・マンゴールド監督はハマっていた。前作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の酷さは何だったのか…
ディランをこよなく愛するファンが本作をどう評価するかは分からない。でもディランをよく知らない自分は楽しめたし、彼の曲はどれも身に染みた。
ボブ・ディランのことをもっと知りたくなる!
恥ずかしながら、ボブ・ディランは名前を知ってるノーベル賞受賞者ってぐらいしか把握してないままにティモシーの演技見たさに映画を観た。
結果、もっとボブ・ディランのことを知りたくなったし、彼が産み出した曲を聴きたくなった。
ティモシーは訛りがある喋り方で、役のために増量もして、スクリーンにいたのはティモシー・シャラメじゃなくて、ボブ・ディランだったと思う。本当に演技力がすごい。
「フォークの神様」と言われるボブ・ディラン、
有名になればなるほど、ボブが歌いたいものと聴き手がボブに求めるものの乖離が如実になってくる。
今で言うところの「解釈違い」なんだろうか。
「私の推してるボブはそんな歌歌いません!!!」
まるでそう言うかのような「ファン」の怒号、それでも歌うボブ。現代の推し活も考えさせられる場面があった。
エルが演じるシルヴィの役どころが切なくてしょうがなかった。有名な人の側にいるって尋常じゃないほど大変だよね…
伝記物として往年のスターの全てを描くのではなく、若かりし頃に特化した分、ストーリーがしっかりしてて、濃密な2時間20分だった!
音響の良い映画館でこそ観たい映画
またなジョーン
こないだサーチライトプレミア試写会に招待して頂きました🎬
本当に感謝です😁
ボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメの演技は本物でしたね🤔
私はディランをよく知りませんが、それでも歌い方や仕草、喋り方などを似せているのはわかりましたよ。
歌唱シーンはシャラメが実際に歌っているということですが、違和感ないパフォーマンス😀
これはアカデミー主演男優賞、十分狙えます👍
ディランの恋人シルヴィにはエル・ファニング😀
エルの瞳はくりっとしてチャーミングですな🙂
破天荒な彼に振り回される感じがうまくでてました🤔
ディランを見出すピートにはエドワード・ノートン🙂
彼の演技は定評がありますが、今回は出番はそこそこながらも確かな存在感を発揮👍
「ファイト・クラブ」の頃から、私は彼が好きです😀
同業者でディランと複雑な関係になるジョーンにはモニカ・バルバロ🙂
彼女は流れる黒髪に、優しさと強さを併せ持つ瞳が印象的🤔
ディランとは一言では言い表せない関係になるのですが、この2人なら妙に納得してしまうような演技でした👍
本編上映後に嬉しいことにマンゴールド監督の登壇があったのですが…最後の撮影タイムにスマホカメラがおかしくなって、撮った写真が保存されないという事態に😰
しかし記憶には刻み込まれました💪
アカデミー賞8部門ノミネートされていますが
「監督賞」「主演男優賞」「助演女優賞」
あたりは堅いと、独断予想します🫡
シャラメのファンのみならず、伝記映画ファンもきっと楽しめるでしょう👍
一般公開は2月28日ですよ🖐️
猛スピードで自らを変革していく天才とその周辺に迫った音楽映画の傑作
しみじみと心に染みた。何度も胸が熱くなり、そっと涙した。ここ数年流行っているミュージシャンの伝記映画の中でも、これはズバ抜けた傑作だ。
劇中歌は延べ40曲以上に及ぶオールヒットパレードだが、天才が生んだ歴史的名曲とかその波乱の人生とかをことさら誇示はしない。ごく当たり前にさらりと描いているところがいい。声高に触れて回るのが憚られ、心の裡に温めておきたくなる作品だ。配給会社のヒトには申し訳ないけど(笑)。
この映画は1961年、まだ無名のボブ・ディランがウディ・ガスリーを病院に見舞うところから始まり、フォークシンガーとしての成功を経て、1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルで劇的にロックへと転向するまでを描く。みうらじゅん氏いわく「ファンにとっては『桃太郎』ぐらいの有名な(笑)」この5年間を、本作はどうさばいてみせたか。
まず第一に目を惹いたのは、ボブ・ディランという「気まぐれで変わり者の天才の物語」を、劇的なエピソードを羅列したりこれ見よがしに演出するのではなく、芸達者な役者たちによる一種の「アンサンブル・ドラマ」として仕上げてみせたことだ。そして、ここではミュージシャンの伝記ものにお決まりの「酒・女・ドラッグ・妊娠」といった問題は深掘りされないか、いっさい描かれない。
こうした演出は、監督と名コンビを組むフェドン・パパマイケル撮影によるシネマスコープ画面の見事な肌触りとも相俟って、1960年代NYのフォーク・シーンそのものに焦点を当て、時代の空気感を彷彿とさせてくれる。
そこで演技に目をやると、まずディラン役のティモシー・シャラメをはじめ、ジョーン・バエズ、ピート・シーガー、ジョニー・キャッシュといったレジェンドたちを演じる各人が自らの声で歌っており、その歌唱力で自然と観る者を納得させてしまうのがスゴイ!
シャラメの好演についてはすでに多くの人が称賛するところなので、ここでは特にピート・シーガー役のエドワード・ノートンを挙げておきたい。彼がこんなに味わい深い役者だったとは、というのが第一印象だ。ピートの、柔和さの中に芯の強さをうかがわせる佇まいがいい。ウディ・ガスリーの枕元で自作曲を披露するディランに「おぬし、やるな!」といった表情を浮かべたり、ディランのステージを袖からニコニコ満足げに見守る様子には、思わずこちらまで顔がほころぶ。「ウィモエ、ンブゥベ」の大合唱シーンはもちろん、パーティ会場や生放送現場で歌うディランにすっとバンジョーを構えてハモっていく時の渋さ、カッコよさといったら。
カッコイイといえば、ジョニー・キャッシュ役のボイド・ホルブルックが「ここぞ」という時にふらっと現われ、ディランの背中を押してくれるのも胸アツ。またジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロは、音楽の神を宿したようなピュアな歌声でたやすくディランの魂と一つになるかと思えば、普段は俗っぽい自信家、野心家なのがユニークだ。
こうした「歌手たち」に比べるとおのずと出番は限られるけれど、極めて印象的だったのが、ディランの恋人役を務めたエル・ファニング。いつもより低めの声で喋り、学生の身でありながら自立した大人の知性と気品を漂わせる。そんな彼女が「時代は変る」を熱唱するディランの姿に別れを直感し、「ミスター・タンブリン・マン」が流れる中で一旦よりを戻すも、彼とジョーン・バエズが「悲しきベイブ」のデュオで魂を重ね合うのを目の当たりにして、彼のもとを永久に去る。この3曲がかかるシーンはあまりに愛しく切なく、涙があふれた。
ついでに言うと、この恋人たちは、付き合い始めの映画館デートでベティ・デイヴィス主演の『情熱の航路』(1942)を観て感想を言い合う。彼女は「より良い自分を主人公は探している」と言い、彼の方は「いや、これまでの自分から何か別の違う存在になるんだ」と反論する。
あとから思えば、この些細な食い違いがその後の二人の生きざまを暗示していたのだな、と気づく。だが、よりを戻した彼は、2本くわえた煙草に火を点けて映画のワンシーンを無邪気に再現してみせる。一方、彼女の方は、同作からセリフ(“Don't let's ask for the moon. We have the stars.”)を引用して彼に別れを告げる。これら一連のエピソードがまた実に映画らしくて心をくすぐる。
ここで再びアンサンブルの演技に話を戻すと、脇役も隅々まで活きていて、見どころが尽きない。
たとえば、マネージャーのアルバート・グロスマン(ダン・フォグラー)はディランと添い寝(?)していたり、フォークフェス主宰者のアラン・ローマックス(ノーバート・レオ・バッツ)と殴り合ったり、と随所で笑いを誘う。またアル・クーパー(チャーリー・ターハン)が「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音セッションに勝手に飛び入りし、戸惑いながらもハモンドオルガンの第一音を発するシーンなど、思わずぞくっとする。さらに、ずっと控えめだったトシ・シーガー(初音映莉子)が、こっちが忘れた頃に例のシーンで突然現れるのもグッとくる……などなど。
さて、第二に心惹かれたのは、歴史的名曲の持つ“強さ”に頼ったり、曲を利用して劇的に煽ったりせず、「ごく自然に聴かせる/見せる」ように努めていた点だ。単なる劇伴として使わない。各シーンの弱さを音楽で補うわけでもない。各曲を「物語そのもの」の1ピースとして取り込み、みごとに機能させているのだ。
「風に吹かれて」「戦争の親玉」「くよくよするなよ」「ライク・ア・ローリング・ストーン」…これら名曲を、ティモシー・シャラメは、鼻にかかったダミ声や崩した歌い回しを模しつつも、一語一語が聞き取れる絶妙な口跡のバランスで歌う。単なる「なりきり演技」ではなく、きちんとシャラメらしさ(!)を主張してくるあたりはさすがだ。
ついでに触れると、彼が絵画の写しや新聞・雑誌の切り抜き、メモ書きなどを床一面にひろげて歌詞を推敲しているショットが出てくるが、ボブ・ディランがいわばゴダールのようにあらゆる事象から「引用」していたことがうかがい知れて興味深い。
ところで映画は、オープニングと同様、ラストシーンで再びウディ・ガスリーの古いレコード音源「ダスティ・オールド・ダスト」を聴かせる。いいようのない郷愁と乾いた希望がさっと拡がる。と同時に「ああ、映画を観たな」という至福に包まれる。鮮やかな幕切れだった。
以上、監督本人による挨拶付きのジャパンプレミア試写会にて鑑賞。
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