名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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演技は本物、話は普通
ボブ・ディランは好きです。
他の方がレビューする通り、役者の再現度、ライブシーンなど良かったです。
20歳にしてあのような歌詞が書けるディランは、かなり達観してる人物なのでしょう。
また、気まぐれで掴みどころがない人とは言われますが、常にギター持ち歩き、朝も夜も弾くあたり、多分音楽以外興味ないんだろうなと個人的に思いました。
夜中に弾くのは真似してはいけませんが、自分もギター小僧なので、その精神は見習いたいです。
気になった点
映画の構成としては、無難な感じでした。恋愛あり、葛藤あり、一番良いライブシーンで締めくくるという感じ。最近多いミュージシャンの伝記映画と同じパターンです。ただ、本人は謎めいた人なので、感情の起伏がなく淡々と進んでいきます。
そこが魅力かもしれませんが、個人的にはディランの幼少期から追って、どうしてあのような才能が生まれたかが知りたかったです。
歌声
ボブ・ディランという残像
ボブ・ディランという名前くらいしか知らず、劇中で流れる曲を聴いて確かに聴いたことあるなあというくらいの感じ。本作はそんな人間が見るのがちょうどよかったのかもしれない。
終始シャラメが素敵だった。ノーヘルでバイクに乗るシーンが特にカッコイイ。アーティストの伝記映画だけどその生い立ちは描かれておらず彼の人となりは不明なまま。劇中でも恋人に自分のことを語らず秘密主義的なところも。本作があえて彼をそのように描いてるとも思える。つかみどころのない謎多き人物であるという感じで。
謎多き人物ボブ・ディラン。自分が型にはめられることを拒み続け、自分が携わってきたフォークミュージックという枠組みからも脱却しようとフォークフェスではロック張りの演奏をしてファンから反感を買う。
型にはまりそこに落ち着けば革命は起こせない。常にその場にいることをよしとしない、常に変わり続けようという彼のミュージシャンとしての生きざまが描かれた作品だった。
彼が過去を語りたがらないのも過去に縛られたくない、自分を型にはめる過去から脱却しようとしていたのかもしれない。
彼はけして人々が作り上げた印象のままでは居続けない、人々が彼に印象を抱いたとたんそこに彼はもういない。人々は彼の残像だけを追い続ける。
彼は常に誰でもない、常に進化を続けようとする彼は確かに誰でもない名もなき者なのかもしれない。
自分はけしてあなたたちが知ってるボブ・ディランのままでい続けることはないのだ。常に自分は変わり続けているのだから。劇中彼がバイクで走るシーンは俺は常にそこにはとどまらない、俺は走り続けるという彼の思いが描かれていたように思う。走り続ける彼に追いつけないファンたちは彼に失望させられるかもしれない。それでも彼は走り続ける。そして恋人のシルヴィも彼を追うことをあきらめ自ら去ってゆく。
人々がけして追いつけない彼は常に時代の先端をひた走る。
最後に彼に多大な影響を与えた恩師ウディ・ガスリーのもとをバイクで走り去るシーンはまさに彼からの脱却を象徴するシーンでジンときた。
自由を勝ち取る
2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞した
ボブ・ディランの若い日を描いた伝記ドラマ。
1961年の冬、わずか10ドルだけをポケットにニューヨークへと降り立った
青年ボブ・ディラン。
恋人のシルヴィや音楽上のパートナーである女性フォーク歌手のジョーン、
そして彼の才能を認めるウディ・ガスリーやピート・シーガーら
先輩ミュージシャンたちと出会ったディランは、
時代の変化に呼応するフォークミュージックシーンの中で、
次第にその魅了と歌声で世間の注目を集めていく。
といったあらすじ。
ボブ・ディラン、正直名前は知っているけど、音楽は知らず。
ノーベル文学賞を受賞したのを知っている程度。
この類のスターやアーティストの伝記映画は、頂点への上り詰めるまでと、
その後の凋落をドラッグなどと絡めて描かれることが多いのだが、
本作は違った。
周りから評価され、才能を認められ、のぼっていき、
「フォークの貴公子」と呼ばれ、一世を風靡するが、
成長とともに変化することも、エレキを片手にロックを歌うことも許されず、
ファンを含め周囲から型にはめれている自分に悩み、苦しみ、
1965年のニューポート・フォークフェスティバルでついに爆発。
エレキを持ち、「ライク・ア・ローリングストーン」など3曲を演奏、
ブーイングを浴び、ピートらを裏切るも、
音楽の自由、そして自身の自由を勝ち取ったのだろうか。
映画ではここで終わるが、彼の人生においてはここがターニングポイント、
このあと、「ライク・ア・ローリングストーン」はヒットしたとか。
ボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメさん、チョコレート工場以来でしたが、
完全になりきっていましたね。本物を見たこと、聞いたことはないけど、
歌もギターも素晴らしかった。
恋人のシルヴィを演じたのはエル・ファニングさん、オーロラ姫だよね。
歌手のジョーンを演じたのはモニカ・バルバロさん、どこかで見たなと思ったら、
トップガンマーヴェリックの女性パイロットじゃないか笑
映画の中で流れた音楽はやや古いが、いい音楽、なによりも歌詞がいい。
「時代は変わる(The Times They Are A-Changin')」の歌詞がささった。
◇ アメリカーナと唯我独尊の共振力
私が中学生の頃はフォークギターを弾ける友人が学校のアイドルでした。高校時代になると主役がエレキギターに変わり、やがてシンセサイザーとかの電子系へと移行していきました。フォーク→ロック→テクノの発達史観。
1960年代は、公民権運動、キューバ危機、ケネディ暗殺。やがてベトナム戦争が拡大していくアメリカ不安定期です。そんな時代背景だからこそプロテストソングが大衆の心を捉えます。
一方で、この作品の後半の山場は1965年のニューポート・フォーク・フェスティバル。社会を変革するために歌っていると自負するフォークミュージック信奉者達が、「電気楽器は使わせない」と保守的になっている皮肉。フォークvsロックという二項対立も今昔物語の懐古を感じます。
ボブ・ディランについては、特別好きでもないですが、たまたま昨年出た#CatPower(#キャットパワー)の『Cat Power Sings Dylan: The 1966 Royal Albert Hall Concert』は、しばらく聴き込んでいました。エフェクターを通さないギターの繊細なリズムと肉声的な歌声は、心身に直にしみ込んでくるようで心地よいです。
最近は、音楽におけるアメリカーナの復興が唱えられているようです。素朴なアコギの響きが瑞々しく心に響くからでしょうか。一方で、この作品の舞台となる1960年代のような明確な対立軸がある世界でもなく、世の中も音楽も玉石混交、多種多様な趣向が同時に世界中に散りばめられているようにも感じます。
続け様に歌われるボブ・ディランの名曲達を縦軸に進行する物語に対して、身勝手な男とそれを支える女心という古典的なラブストーリーが横軸に広がります。才能の裏側には、唯我独尊の孤高があり、生み出される音楽には魂の未分化の状態を震わせる力が秘められています。音楽主題の映画が持つ心の震えを倍加させる共振力は、今回も私の内部で揺れ動き、気分を高揚させたのでした。
音楽をカテゴリーで括る意味
ハリウッドに伝記映画を撮らせると役者のレベルで到底敵わないなあといつも思う。
世界中の誰もが知っている人物を演じるという強烈なプレッシャーには相応の努力をする事以外に打ち勝つ事ができず、それを乗り越えた役者の自信と技量がそのように思わせるのだろうか。
自分はロックから入った口なのでフォークは通らずで、ビートルズはわかるがディランに対しての知識はほとんどないが、持っているイメージとしては、童顔、何となくいつも難しい顔をしている(ビートルズも晩年はそうだったけどw)、フォークソングを自分の言葉で歌った最初(多分違うと思うけど)のアーティスト、途中からロックに転向した、そしてノーベル文学賞を受賞した、という程度。
あとペキンパーの「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」に出てたというのも映画ファンとして付け足しておく。
日本でフォークからロックに転向した歌手ではCHAGE&ASKA、THE ALFEE、長渕剛などがすぐに思い浮かぶが、そもそもカテゴライズしてるのは周りであって、表現者側からすると余計なお世話なんだろうと常々思っていたが、その音楽の成り立ちを大事に思っている人達やそれにより弱者救済やマイノリティ差別撤廃など様々な運動を起こそうとしている人たちからすると時には面白く思えない場合があるんだろう。
ただ大多数は優れた作品は偏見なく評価するという事をディランは身をもってして証明したということかと思う。
冒頭で述べた通り、ディランを演じたティモシー・シャラメは劇中で40曲を違和感なく生歌唱、生演奏し類稀なる役者魂を見せたが、ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロも同じ事をしていたとしたらシャラメ以上に評価されても良いと思わせるくらい素晴らしかった。
ストーリーに関して言えば、ディランが20才でNYに来てから成功を収める迄の数年間のお話だが、名声を得てから自由がなくなる生きにくさ、常に新譜を伝えたいのにいつまでも代表曲を求められる、支えてくれた女性に対しわがままで身勝手な態度を取る、など有名人あるある過ぎて面白みに欠けたが、付き合う人々によって楽曲が変わっていくことや、その貪欲さは非常に興味深かった。
神秘的だった生ける伝説のほんの一部だが垣間見る事ができる面白い映画だった。
言葉の魔力と音楽の進化
映画はディランのデビューから、名曲『ライク・ア・ローリング・ストーン』を収録したアルバムを完成させるまでの約3年半を描いている。
興味深かったのは、若きディランの姿だ。彼が入院中の先輩ミュージシャン、ウディ・ガスリーを訪れて歌う冒頭シーンは特に印象的だ。ガスリーと付き添いの音楽家ラム・ブランクに才能を見出される姿は、ガスリーに憧れて、真摯にフォーク音楽に向き合っていたディランの原点を見せてくれる。
また、ディランにもレコード会社の意向で最初はカバー曲を歌う時代があったことや、スターとなっていくにつれて恋人との関係がうまくいかなくなる。互いの才能を認め合ったジョーン・バエズとの関係性が、売れない時代からスターになった後まで描かれ、成功がもたらす人間模様の変化を巧みに表現している。
「フォーク界の救世主」のように持ち上げられながらも、エレキサウンドを導入した途端に観客から猛烈なブーイングを受けるシーンは衝撃的だ。だが彼はそれを音楽の力で乗り越え、ファンを納得させていく。ジャンルを壊すことによって新しい表現を切り開く、ディランの姿が描かれていた。
字幕のおかげで初めてじっくりと味わったディランの歌詞は、まさに「言葉の魔力」だった。ノーベル文学賞授賞者の歌詞の魅力が日本語字幕で、初めてじっくり味わうことができた。
ファンの中には「なぜあの詩は自分ではなくディランに降りてきたのか」と嫉妬する者もいるという。それは共感が深ければ深いほど、自分の気持ちの代弁者への複雑な感情が湧くことを示しているだろう。
ボブ・ディランという稀有なアーティストの魅力と、彼を取り巻く時代、音楽、そして人々の心情を見事に捉えた作品だった。
ティモシーの圧巻のパフォーマンス!
公開週は時間がとれずに観に行けなかったので、1週間遅れで鑑賞してきました。みなさんのレビュー評価が高く、そこそこ期待していたのですが、確かに主演のティモシー・シャラメの演技は圧巻でした。
ストーリーは、1961年、憧れのミュージシャンであるウディ・ガスリーの病気入院を知り、その見舞いのために単身ニューヨークを訪れた若きボブ・ディランが、そこでウディの傍にいたピート・シーガーにその才を認められ、演奏の場を与えられ、女性フォークシンガーのジョーン・バエズを始めとする多くの音楽関係者との交友関係を広げて世間の注目を集める存在となる一方、恋人のシルヴィとも出会い、まさに順風満帆の日々を送っているようにも見えたが、世間や周囲の人々が自身に求めるイメージと自分の思いとのギャップに苦しみ、追い詰められていく姿を描くというもの。
無名だった若きボブ・ディランがどのようにして脚光を浴び、その中でどのような思いを抱いて歌っていたのかが、なんとなく知れたのはよかったです。有名になればなるほど、世間が抱くイメージが固定化し、それを求められ、自身の思いとのズレに戸惑い、苦悩するというのは、よくあることのように思います。そもそも特定のイメージや方向性を決めてプロモーションしているので、それは当然でしょう。そこにアーティストの本音が介在していないことに問題があるように思いますが、売り出す側も利益を上げなければならないので、どちらが悪いということもないように思います。
そんな苦悩を抱えたボブが、プライベートではシルヴィを、ステージ上ではジョーンを傍に置いて、バランスをとっているようにも見えました。二人の女性に対して、それぞれ異なる大切な何かを、ボブは求めていたのかもしれません。しかし、ボブが求めるものも、彼の置かれている状況によって変化し、結果として二人の女性を振り回してしまっているようにも見えました。
とはいえ、当時の社会情勢をよく知らないので、民衆が何を求め、彼に何を期待し、ボブがそれをどう受け止めていたのかは、イマイチわからなかったです。また、アメリカの音楽に疎く、知らない歌手と歌ばかりで、そこまで郷愁を誘われるわけでもなかったので、作品世界に没入するまでには至りませんでした。このあたりの事情に明るい方なら、本作はかなり楽しめたのではないかと思います。自分の教養のなさがうらめしいです。
それでも、ふんだんに取り入れられた歌唱シーンと、その中で俳優たちが魅せる圧巻のパフォーマンスには驚かされます。いったいどれほどの練習を重ねて本番に挑んだのかと、プロの矜持をまざまざと見せつけられた思いがします。これだけでも本作を鑑賞する価値があるというものです。
主演はティモシー・シャラメで、ボブの変容とともに魅せるステージパフォーマンスが秀逸です。脇を固めるのは、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルックら。
浅草キッド
シャラメは現代のジェームス・ディーンか?
生きる伝説ボブ・デュランを始めて描いた素晴らしい映画
伝説の歌手の若い時に売れるまでの様子を描いた映画ですが。
音楽やアメリカの歴史を知らないと、良く分からない部分もありますが。
デュランは最初は田舎の州の出身なので、フォークソングから出発したのですが、音楽の機材の変化とカウンターカルチャーと呼ばれる時代の変化と共にやがてロックに目覚めて、周りの批判を受けても、ロックを演奏する最後は良かったです。
史実に基づいているので、女癖が悪いのも人間的でした。
しかも当然、デュランの名曲をたっぷり使った音楽映画になってるし。若手では最も売れてるティモシー・シャラメも演技も今までの映画で一番、上手かったです。
これは素晴らしい映画でした。
字幕付きでディランの曲を。
ディランの曲は少しは聴いたことがあり、映像は「ポップスが最高に輝いた日」で観たくらいで、あまり人と交われない感じの人に思えた。
歌詞の意味など調べたこととかなかったけど、字幕付きで曲を聴いてみると詩の素晴らしさに驚きました。終わるまでにそんな感じで何曲も聴けたけどもっと聴きたくなりました。当時は戦時下でもあり音楽が心の拠り所だけではなく政治や宗教的な意味合いもあり、批判や葛藤の最中でこの曲たちが生まれたのは本当に彼が天才なのだと理解できました。少し調べてみると作詞に影響を受けた詩人にランボオと書いてあり、この前観た「ゆきてかへらぬ」の中原中也もそうだったので少し嬉しくなったし、ランボオすげ〜って思いました。
圧倒的な時代の風の再現力に感嘆する
なんだかずっと夢の中にいるかのような、途切れぬ時代の空気を吸い込めるような幸せ体験が続く。一応ニューポートのあれやこれやは知っているくらいの知識だけど、誰かが誰かに出会っていくシーンの美しさったらない。そしてよくティモシーシャラメに頼んで、それを引き受けたよな、と思いつつ、見知ったあのジャケットらが地続きで出てくる時代の再現力はやはりアメリカ映画だな。素晴らしい。冒頭からガツンと掴まれる。
曲と曲の間、作曲とレコーディングとパフォーマンスと、マストな情報をとてもうまく詰め込んでいく。と言いつつ、めちゃくちゃいいのだけど、主人公がなんせボブディランで雲を掴むような謎の男なので、エルファニングには共感できても、ななかなそこは掴みきれないのは確か。めちゃくちゃ出来はいいと思うのだけど、『アノーラ』のぶっちぎり感とは真逆の職人芸の尊さを感じつつ、またとても満足できるけど若干何か物足りなさもあるという。
ギターまた始めようかな
映画館で観た日の夜、NHKの『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』がギターの特集だった。そういえば、われわれ世代がミドルティーンの頃に吉田拓郎がデビューしたりしており、猫も杓子もギターを持っていた。
ボブ・ディランが肩で風を切っていた1960年代初頭は、私はまだ小学生。農村で暮らしていたし、家にテレビもなかった。ラジオから流れてくるのは歌謡曲ばかり。だから本物のディランについて語るべき何も持っていない。ティモシー・シャラメの歌う様子がディランに似ていると話題だが、残念ながら、この映画によって、シャラメの歌声が私にとってのディランになってしまった。
字幕で表示される歌詞がいちいち刺さる。時代背景と切り離せない内容ではあるけれど、当時小学生の私が聴いても何の感慨も抱かなかったろう。今だからこそ刺さる。今も戦争や圧政が絶えない時代だから、刺さる。
ピート・シガーの心情に共感。ディランを見出した彼だが、やがてディランは彼と袂を分つ。この映画はその過程を描いたと言っていいかも知れない。エドワード・ノートンの演技は、ピートの人の好さをとてもうまく出せていたと思う。
ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロの美声に驚いた(もしかして口パク?)。どこかでみた俳優さんだなと思っていたら、『トップ・ガン マーヴェリック』に出てたのだった。
バエズを最初に聴いたのは『死刑台のメロディ』のエンドテーマ『勝利への讃歌』。その後に、『花はどこへ行った』という反戦歌を歌っていたことを知った。バエズの『風に吹かれて』を探したけどライブ音源のしか見つからなかった。カバーしてないのかしら。
さっきも書いたけど、私は「団塊の世代」から十年遅れの世代なので、学園闘争も反戦運動も知らない。しかし同世代はみんなギターをかき鳴らしていた。それらは、ディランやバエズがいたから起こったことなのだと思う。
カントリーベアシアター...
映画を観る前に、数日間ボブディランを聴いてから鑑賞しました。ティミーが歌って弾いて、本当に素晴らしいと思いました。IMAXの音響効果も活かされていました。
想像よりも歌が多かったです。
ただ、ボブディランやその周りの歌手について全く知識がなく、誰が誰だかわからなかったです。
前半はディズニーランドのカントリーベアシアターのように感じました、、、本当にティミーには申し訳ない気持ちです。
変化と成長する文化
音楽映画は大好物。しかもボブ・ディラン。噂に聞く、ディランがエレキギターを持った伝説のLIVEをクライマックスに、若き日のディランを描く。
ティモシー・シャラメが余りにもディランで驚く。もう、ディランにしか見えない。
音楽はいつも成長し変化していく。そんな中「最近の音楽は…」いつの世も大人はそう言う。そんな大人になりたくないと思いながら、既に初老😰
今一度、ディランに問いかけられた気がした。
そしてディランはこの後、「風に吹かれて」のディランから「ライク・ア・ローリング・ストーン」のディランになってしまう。世の中そんなもの。
しかし、そんな事は関係なく、良いものは何時の時代も良いのだ!
#名もなき者
#ボブディラン
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