名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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立ち止まりたくないのに…
他人はそのヒト好みの、過去の姿を求める。
感じたままの歌詩も、時代を背景とした解釈で、メッセージとして受け取られる。
私自身も「風に吹かれて」を求めていたひとりですが、彼の心情を少し理解できた気がしました。
伝記作品ですが、エンタメとしても素晴らしい完成度。IMAXで観て正解。是非、音響設備の整った劇場で!
後日、ノーベル賞授与式欠席の、彼から届いたスピーチを改めて読み返してみました。ボブ・ディランはやはり凄い人です。
この作品の記事を色々と読んだところ、劇中の歌や演奏の多くはティモシー・シャラメさんご自身によるものだそうです。この方も凄い人ですね。
音楽映画に外れなし
最高にカッコ良い映画でした!!
合同会社everfreeの代表、梶清智志です。
noteでも書いたんですが、久しぶりに映画館に観に行って最高でした。
音響が良いスクリーンだったのでよりLIVE感味わえてよかったです。
映画を観てよかった点をいくつか書いていこうと思います。
まずは音楽!
名曲が出来上がっていく様子が描かれていて、痺れました。
特に「風に吹かれて」。あまりにも有名なこの曲が、こんな感じで出来上がっていって、演奏されていくんだというのが感慨深く、素敵でした。
「LIKE A ROLLING STONE」も。。。
最後のここぞというところでのこの曲。出来上がっていくところと最後の演奏痺れました。
この2曲だけではなく、全てのLIVEシーン、めちゃくちゃ雰囲気出ていてカッコよかったです。僕はフェスを開催するのが夢なので、あのような音楽イベントを開催したいなと映画を見ていて感じました。
そして、個人的に映画中ずっとかっこいいな〜と見とれていたのがバイク。
トライアンフT100がめちゃくちゃかっこいい!欲しい!
バイクもだし、乗っている姿も。音もカッコよかったです。
そして、そして。
この映画でもっとも良かったのは、
それまでの歩みから一気に変える時、反発を喰らうが自分の信念を貫き通すことで、周りが変わっていくということです。
人生を変える時って、理解されにくいことも多いし、周りの反対に会うことも多い。それでも成し遂げたいことなのか?と自分が試されている感じがあります。
劇中でもボブディランがずっと葛藤していて、最後に決断して、自分の思いを貫くシーン、カッコよかったです。
僕も経営者になると決めた時、周りからの反対にも合いましたし、お店を出すときもそう。
それでもやってきたので、この先チャレンジしていく中でも、この精神を貫いて生きていこうと映画をみて改めて思いました。
本当に個人的に素敵な映画だったので、ご興味ある方はぜひご覧になってみてください。
とても良いボブ・ディラン作品
採点3.9
尺が長めなので時間が中々合いませんでしたが何とか足を運べました。
ボブ・ディランが無名の少年から、稀代のフォークシンガーとして駆け上がる時代を描いた作品。
ティモシー・シャラメがまずすっごい合っている。
歌も頑張っていたが、それよりも気だるい喋りや掴めない雰囲気が実に良かった。
もちろんエドワード・ノートンにエル・ファニングもとても良かったです。
いわゆるロックスターと違い派手な浮き沈みがないが、その淡々とした描き方が余計に彼にフィットしてました。
ジョーン・バエズとのステージや距離感がやっぱり印象的になってましたね。
そしてブリティッシュインヴェイジョンへ触れてから、徐々に変化していく音楽性。
クライマックスは「フォークへの裏切り」を確実にした、ニューポートフェスティバルのステージ。
このシーンが凄いよくできており、実に見応えがありました。
ここから更に大化けするのでもう少し見てみたい気持ちもあるのですが、ここで止めるのも収まりが良かったとも思います。
若かりし、とても良いボブ・ディラン作品でした。
謎は謎のまま・・
当時のクラブの雰囲気とか時代背景とかが想像できた点面白かった.
フォークからの転換期の雰囲気などなかなか良かったし,歌い方もディランそっくりで見どころのひとつだった.
だけど,映画のディランは気取っていて,二人の女を転がすだけ転がすあまり好感が持てないやつだった.あれだとなぜか音楽の才能だけものすごい謎のロクデナシじゃないか.
あまりにもステレオタイプのディラン像すぎて新鮮味が全然なかった.
ディランの実像や人間性とかそのへんもう少し掘り下げてほしかった・・・
まあ,結構ディランは詩人であったり歌手であったり時にはペテン師みたいであったりと,一般人には謎な人なので,謎は謎なまま,この映画では何も解き明かされることはなかったということか.
偉大な音楽家誕生の瞬間
ボブ・ディランのファンでもなく、60年代のフォークソングに興味があるわけでもない。
鑑賞の目的は今をときめくティモシー・シャラメがボブ・ディランをどう演じたのかに興味があることと、名将ジェームズ・マンゴールドが監督だから。
演奏も歌もシャラメ本人が演じたボブ・ディランはあえて似せようとはしていないが、時代を先取りするカリスマを圧巻の演技でシャラメ流のディランに昇華していた。
なのに、映画全体を通して心が揺さぶられるものがない。なぜだ。
映画はボブ・ディランの伝記映画ではなく、19歳の青年が故郷を離れ、ギター片手にニューヨークにやってくるところから、才能を認められ天才フォーク歌手として成功するが、フォークのレッテルに嫌気がさし、65年のニューポート・フォーク・フェスティバルで禁断のエレキギターをかかえ「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌い、会場の大ブーイングを受けながらも歴史的パフォーマンスと称賛され、時代が移り変わる、というおよそ5年間を描いている。
個人的ではあるが、登場する当時のフォーク歌手ピート・シーガーもジョーン・バエズもジョニー・キャッシュも知らない。
ディランのこの頃の曲はどれも名曲でよく知っているが、あまりにスタンダードで当時のフォーク界においてどれほどの衝撃を持って迎えられたかの実感がまるで無いのだ。
また、ディラン本人がそういう人なのかわからないが、曲作りの苦悩や人間関係の苦悩などはまるで描かれない。
恋人のシルヴィ(エル・ファニング)や恋仲にもなるフォーク歌手バエズ(モニカ・バルバロ)もいつの間にか部屋にいたり別れたり、復縁したり経過は描かれない。
実話の音楽映画と人間ドラマの両立はなかなか難しいのは過去の音楽映画をも然りだが。
ただ、本当に20世紀を代表する音楽の天才は人間関係は苦手なのかもしれない。
尾崎豊が長生きできたら‼️❓ノーベル賞を貰えるだろうか‼️❓
心が波立つような、不思議な揺れるまなざし。
3月12日(水)
骨折した右手小指はまだ付かない。右手小指に当て木をしていると不便でしょうがない。やっと「名もなき者」をTOHOシネマズ日比谷で。
私は、ボブ・ディランよりサイモンとガーファンクルを聴いた。B・ディランのコンサートには行った事がないが、 S&G は1982年の後楽園球場!へも、2009年の東京ドームへも行った。
本作でも描かれていたように、1960年代には新人はトラディショナルな曲のカバーでデビューした。ボブ・ディランも例外ではない。ファーストアルバム13曲中ディランのオリジナル曲は2曲のみで「プリティ・ペギー・オー」や「朝日のあたる家」等をレコーディングしている。(映画中ではジョーン・バエズが「朝日のあたる家」を歌っていた)
S&Gもファーストアルバム「水曜の朝、午前3時」では12曲中P・サイモンのオリジナルは4曲のみであり、ディランの「時代は変わる」(この映画でも歌われている)や「ペギー・オー」をカバーしている。デビュー時にはディランの曲をカバーしていた S&G だったが、B・ディランが「ボクサー」をカバーして自身のアルバムに入れた時、S&Gファンの私はB・ディランに並んだと思った。
あれ?俺は何を書いているんだ?閑話休題
アカデミー賞授賞式の中継を観ていて、この後受賞作を見に行こうと思って時間を調べたら、1時間後に「アノーラ」、2時間後に「名もなき者」がスタートだった。結局、5部門受賞の「アノーラ」を観た。しかし、今回本作鑑賞後、ショーン・ベイカーには申し訳無いが「アノーラ」が1冠(助演男優)、「名もなき者」4冠(作品、監督、主演男優、助演女優)でも良かったと思った。
ティモシー・シャラメは、ボブ・ディランだった
コロナ禍と俳優組合のストの影響で撮了まで約5年かかったらしいが、その間役者は楽器と歌唱の練習が出来たらしい。クレジットではシャラメのギターも、ピート・シーガーを演じたエドワード・ノートンのバンジョーも、ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロの歌も本人の物だった。
多少の音ずれの修正はあったそうだが、最初にウディ・ガスリーと会ってディランが歌う姿は100%シャラメの演奏と歌で全く修正はないとの事。
ティモシー・シャラメのギターと歌は本当に見事だった。
歌う様だけで無く、しゃべり方、所作、一番似ていると思ったのは彼の眼差しである。
また、この作品は「まなざし」の映画だと思った。
ウディ・ガスリーを見るディランのまなざし。
ディランを見るピート・シーガーのまなざし。(映画の最初と最後では意味合いが違う)
ディランを見るジョーン・バエズのまなざし。(初めてディランの歌を聴いた時、彼の書いた詩を読んだ時、ステージで並んで歌う時、ステージ横から彼の歌う姿を見つめる時)
ディランにアコギを突き出すジョニー・キャッシュのまなざし。
ディランを見るシルヴィのまなざし。(隣に座った彼を見る時、バエズとのステージを見る時、船着き場で別れる時)
そして、ディランを見るウディ・ガスリーのまなざし。
マンゴールド監督は脚本執筆段階でディラン本人と直接話す機会を得た。擦り合わせが上手く出来ていたのか、完成した脚本を読んだディランの要求はただ一つ、実在したスージー・ロトロの名前を変える事だったという。(映画ではシルヴィア)
実際スージー・ロトロはディランの恋人で、セカンドアルバム「フリーホイーリン」のジャケットに一緒に映っている女性である。映画の中でも自宅等で一緒に写真撮影をするシーンがある。(ロトロは2011年に亡くなったとの事。亡くなっていても名前を変える事を要求したディランの胸中は如何に)
1965年7月25日 エレキギターで武装したボブ・ディランは、ニューポート・フォーク・フェスティバルのステージという戦場で「ライク・ア・ローリング・ストーン」をぶっ放し、自分の作られたイメージを破壊したのである。
なんで、アカデミー賞何にも取れなかったかなぁ。残念。
“ファンダム”の根源
本作もアカデミー賞関連での興味で見に行きました。
個人的に伝記モノは苦手なのですが、“ボブ・ディラン”には興味があったので敢えて見に行ったという感じです。
しかし、アメリカ映画では一つのジャンルにしても良いくらいにシンガーの伝記映画が多くありますが(日本映画では見たことありません)、他の分野の偉人伝・伝記に比べて、歌唱シーンをどのように見せるのかというのが付加されているので、別の興味が湧いてきます。
元々洋楽に対してはド素人な私でも、ボブ・ディランは私世代と近い世代の中でも神格化されている人であり、音楽自体はよく耳にしていたので興味深く見させて貰いました。
で、一般レビュー評価値も凄く高くて、彼のファンや音楽そのものが好きな人が喜ぶのは凄く理解できるのですが、「ちょっと高評価過ぎないか?」という疑問も感じてしまいました。勿論、役者の演技や音楽の使われ方とか評価する部分は多々ありましたが、伝記映画としては個人的には特筆するような内容だとは思わなかったし、ごく普通の物語だったような気がしました。
ただ面白いと思ったのは、本作の核となる部分だとは思うのですが、ラストのコンサートでのあわや暴動にもなり兼ねない様なファンの様子がちょっと異常な気がして興味深かったです。
あれって、コメディーですが『ブルース・ブラザーズ』の中にも似た様なシーンがあって、カントリー専門のライブハウスで全く違うジャンルの音楽を演奏して客が暴れるシーンをちょっと思い出してしまいました。
アメリカにはああいう音楽ジャンルでの嗜好がハッキリと分かれていて、自分の好きな音楽でないと認めないという文化が根付いているのでしょうかね?
これこそ今の“ファンダム”という言葉(現象)の意味の根源ですよね。
たまたまなのかも知れませんが日本の場合の音楽(歌謡曲)というのは、戦後テレビ番組を中心に広がり、そこでは民謡・演歌・ポップス・フォーク・ロック全てのジャンルが融合した形で見せられていて、それぞれにファンは存在するが、他のジャンルを完全否定するという文化には(幸いにして)ならなかった様に感じるので、こういう風景を見せられると「なんで?」という気持ちになってしまい、あまり理解出来ないのですよ。
本作の核である、ボブ・ディランという音楽の天才が(後にノーベル賞受賞)、一つのジャンルに捉われず創作して行く過程に於いてのアメリカ人気質(文化)に対する反逆児として、時代の申し子的な存在として描かれていた様な気がしました。
そして、今やアメリカは気持ち悪いくらいの、行き過ぎた多様性・ポリコレ病を患ってしまっていますけどね。
追記.
昔見たけどどんな映画だったか完全に忘れてしまった『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』をもう一度見たくなりましたよ。
ボブ・ディランを知るきっかけになりました
知らないからこそ楽しかった
60年前のアメリカのこともボブ・ディランのこともよく知らないけど、映画の雰囲気、ストーリー、音楽、魅力的な俳優達がとても素敵で、映画館で観てよかったと思える作品でした!
あと、60年前の喫煙マナーが無茶苦茶すぎてびっくりした。
難しい
おもわず曲を聴きたくなる
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