名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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ボブ・ディランの歌声も完コピ!
ティモシー・シャラメがボブ・ディランにしか見えない。
フォークソングの定義に縛られるのが大嫌いで自分の音楽を突き詰めるから、
周りの仲間や観客の反感を買うこともある。
それでも曲げずに突き進む。
シーンごとに歌う曲が、
主人公の心情や本音を表してるのが良い。
ナレーションや心の声だと分かりやすいが、
面白さが減っていく。
アーティストを題材にしたからこそできる演出であり、
マンゴールド監督の作風の癖である"人間臭さ"が
表現されている。
ボブ・ディランを知っていますか…⭐︎
今やある意味「伝説の人」になってしまったようなボブ・ディランの若き日を描く物語。
とにかく、皆さんのレビュー通りティモシー・シャラメのディランが素晴らしい。
そして、彼がデビューした時代感満載にして物語は進む。
60年代のアメリカ。
本当にキューバ危機、ケネディ大統領の暗殺等、作り話ではないかと思えるような事件が
次から次へと起こる。
その時にon timeで彼の歌を聴いていた人にはたまらない作品だと思う。
ジョーン・バエズ、ウディ・ガスリー、ピート・シーガーなど歴史上の人のようなミュージシャンが
登場して、あの頃の音楽を少しでも知っている人はそれだけで充分楽しめるのでは。
バエズを演じるモニカ・バルバロの歌声もすごく良い。
「ボヘミアン・ラプソディ」と同じミュージシャンの物語だけれどジャンルが違うような気がする。
自分自身の状況に疑問を抱くように、フォークフェスでフォークからロックに変貌していくディラン。
年上の知人もエレキギターを使い出した時の不評のことを話していたことがあった。
でも、やはりディランはディラン。
天才なんだと思った。
ただ、「風に吹かれて」、「時代は変る」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」などディランの曲を
少しは聴いたことがある人でないと興味が持てない映画かも。
そういった意味では、見る人を選ぶ作品。
シャラメが素晴らしい
1961年の冬、ギターとわずかなお金を持ってニューヨークへとやって来た19歳の無名のミュージシャン・ボブ・ディランが、恋人となるシルヴィや音楽上のパートナーで歌手のジョーン・バエズ、そして、ウディ・ガスリーやピート・シーガーら先輩ミュージシャンたちと出会い、彼の天才的メロディの創造力と画期的な歌詞、そして魅力的な歌声で注目を集めていった。そして、フォーク界のプリンスと言われるようになったが、次第に違和感を抱くようになったディランは1965年のニューポートフォークフェスティバルで・・・という若い頃のボブディランの話。
タバコを吸い、酒を飲み、クスリもやり、女を抱き、作詞作曲をし、・・・ボブ・ディランの天才ぶりがよくわかる作品。
そしてディラン役のティモシー・シャラメが素晴らしい。ギターも弾けるし歌も上手かった。あの顔であの音楽センスを持ってたらそりゃあモテるわ。
ジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロの歌声も素敵だった。
シャラメにアカデミー賞主演男優賞を取って欲しかったが、残念だった。
音楽映画として楽しもう!
まず最初に、ボブ・ディランをよく知らない、もしくは代表曲(「風に吹かれて」「ライク・ア・ローリング・ストーン」)を知っている程度の人間による拙い感想ですので、大目に見ていただけると幸いです。
この映画の良かった点は、何よりもボブ・ディランの音楽そのものでしょう。
ボブ・ディラン(厳密に言えばティモシー・シャラメ)が実際に唄っている姿を目撃し、劇中の全ての人物が当時受けたであろう衝撃を追体験できます。
「やべえ、この若者只者じゃないぞ!まさしく才能の塊やん!」と。
純粋にボブ・ディランの名曲群を楽しめる良質な音楽映画だと思います。合わせてボブ・ディランが台頭した当時の音楽の流行も興味深く見ることができました(ビートルズ以前のロック夜明け前的な感じとか。)。
一方、あんまりだった点としては、ボブ・ディランが浮世離れした人間なので、凡人の自分には彼の行動原理に全く共感できませんでした。
特に、名も無き者である彼を温かく迎え入れ、彼の才能を信じ、惜しげもなくサポートしてきた人たち(しかも皆とても素敵な人たち)を傷付けてでも自分の哲学を貫こうとする姿勢には、嫌悪感さえ感じてしまいした。
そのほかにも、やれ「俺は孤独だ」、「周りの期待(重荷)にはうんざりだ」、といった苦悩や、スターが必ず通る「酒、ドラッグ、女」など、スター伝記映画あるあるとも言える既視感のある描写が続き、カタルシスや感動といったものは自分の中には芽生えませんでした。
まあ、「あれがボブ・ディランだから」と言われてしまえばそれまでなんですけど・・・。
ボブ・ディランのことを熟知して、彼のことが大好きな人はきっとニヤニヤしながら楽しく鑑賞できる内容だと思います。
ティモシー・シャラメの本気と役者魂
青春の孤独と疾走する葛藤
ボブディランの初期の自伝的映画。
60年代の世相とカルチャーを再現して、ティモシー・シャラメがボブディラン役を見事に演じている。
恋人との出会いと別れ、バイクでの疾走に青春の孤独と新しい希望のざわめきに感じたのは、アーティストの自伝映画だからか。
作品の終盤、ボブディランが観客が望むフォークソング(タンブリングマン、風に吹かれて)を唄わずに、ロック調のバンド編成のスタイルに観客が暴動を起こすシーンに、大ヒットの定番を聴きたい観客と、新しく進化したサウンドを聴かせたいアーティストの認識のずれが描かせて、アーティストのジレンマを上手く表現していた。
そして恋人が皿回しの皿になりたくないと、ボブディランから去るシーンに、メジャーに行ってしまう寂しさの心理なのかと感じたのは、考え過ぎか。
春は別れと出会いの季節。
いま観る事で何かを感じる傑作です
ティモシー・シャラメの覚醒
孤高の天才ミュージシャンが駆け抜けた、一つの時代
伝説のミュージシャン、ボブ・ディランの若き日の姿を描く伝記映画。2015年のイライジャ・ウォルド著『Dylan Goes Electric!』原作。ボブ・ディラン役にティモシー・シャラメ、劇中では実に40曲もの生歌を披露している。彼を世話するフォークソング歌手ピート・シーガー役に演技派俳優エドワード・ノートン。女性フォークソング歌手ジョーン・バエズ役に『トップガン/マーヴェリック』(2022)のモニカ・バルバロ。ボブの恋人シルヴィ役に『メアリーの総て』(2017)のエル・ファニング。監督・脚本に『フォードvsフェラーリ』(2019)のジェームズ・マンゴールド。その他脚本にジェイ・コックス。
1961年、ヒッチハイクでニューヨークにやって来た20歳の若き青年ボブ・ディラン(出生名:ロバート・アレン・ジマーマン)は、ニュージャージー州の精神病院で療養中の尊敬するフォークソング歌手ウディ・ガスリーを見舞いに訪れる。ウディに曲を披露するよう求められたボブは、ウディと彼の友人であるピート・シーガーの前で自作の曲を披露。
ボブの天性の才能に目を付けたピートは、彼を家に招き、クラブや教会で演奏させる。ボブは教会で知り合ったシルヴィ・ルッソと恋仲となり、同棲を始める。
やがて、ボブの実力はタイムズ紙の評論もあって次第に拡散されていく。しかし、レコードデビュー作『ボブ・ディラン』の売り上げは、既に人気アーティストとなっていたジョーン・バエズには遠く及ばなかった。そんなある日、米ソ間によるキューバ危機の緊張感が極限まで高まり、街中がパニックに陥る最中、ボブはクラブで反戦ソングを披露し、その光景を目撃したジョーンの心を掴む。ボブはジョーンと組み、コンサートホールやチャートの寵児となった。
しかし、大衆に愛されるフォークソング歌手としてのカテゴライズ化やレッテル貼りに反発するかの如く、ボブは当時台頭してきていたロックンロールを自らの楽曲に取り入れる事を望むようになる。
先ず何よりも、作中の全歌唱パートを担当した、ティモシー・シャラメ、エドワード・ノートン、モニカ・バルバロに惜しみない拍手を。その中でも特筆すべきなのは、やはり主演のティモシー・シャラメの歌唱力と披露する楽曲の圧倒的な多さだろう。その歌声は、エンドロールで掛かる本物のボブ・ディランの曲と比較しても遜色ない完成度の高さ!エンドロールで確認すると、使用楽曲の多さに改めて驚く。
その圧倒的な歌唱パートの多さから、作品としては、伝記映画というより、どちらかと言うとミュージカル映画に近いレベル。
【真の天才は、凡人も時代も置き去りにして一人孤独に走り出す】
ウディの病室を訪ねた際、彼にどんな音楽をやるのか訪ねられたボブは「なんでもやる」と答える。彼は貪欲に吸収し、それらを曲にして表現する事に全てを捧げているのだ。だからこそ、マスコミやメディアが安易にミュージシャンにレッテル貼りする様子をテレビで目の当たりにした際に、「レッテルを貼るな。クソが」と、明確に「NO」を突き付ける。
当時台頭してきていたロックンロールにいち早く目を付け、アコースティックからエレキギターに持ち替えて曲作りに励む先見の明に惚れ惚れする。
時代性か、作詞・作曲中、舞台袖で出番を待つ瞬間さえ、常にタバコに火を灯し続けているボブの姿が印象的。絶えず新曲を作り続け、録音してレコード盤になった作品は、彼にとっては既に過去のもの。彼は、常に未来だけを見据え、新曲を作り続けてはステージで披露する事を繰り返す。また、観客が彼に「風に吹かれて」をはじめとしたヒットソングを求める姿勢にも、反発する意思を示す。彼のセットリストに“定番の一曲”など存在しないのだ。
そして、そんな彼の姿に、恋人のシルヴィは勿論、ピートやジョーンさえも次第について行けなくなってゆく。端的に、そして淡々とした語り口で描かれてはいるが、ボブが周囲との関係性に並々ならぬ問題を抱えていた事は、想像に難くない。しかし、それで良いのだ。時代も人も後からついて来るもの。
事実、エンドロール直前に提示されるテロップでは、彼が波乱を巻き起こした1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルの直後に発表したアルバム『追憶のハイウェイ61』が、最も影響力のあるアルバムとして評価されていると述べている。
ニューポート・フォーク・フェスティバルにフォークソングを求めてやって来た観客の多くは、エレキギターを手にロックンロールをするボブに野次を飛ばし、物を投げつけて罵倒する。確かに、フォークソングを披露する為のステージで、ロックンロールを演奏するのは御門違いである。しかし、若い観客の中には、新しい面を披露したボブを賞賛する者も少なからず居た。
何より、『Like A Rolling Stone』の素晴らしさは、ロックが市民権を獲得した今日を生きる我々にこそ深く突き刺さる不朽の名曲なのは間違いない。ステージの上で果敢にもこの曲を披露するボブの姿には、胸が熱くなった。
だが、最後にボブはフォークソングで観客に「さよなら」を告げ、舞台を後にする。フォークソングでスターダムにのし上がった彼だからこその、彼にしか出来ないケジメの付け方だろう。
ラスト、ウディの病室を訪れたボブは、ウディから受け取ったハーモニカを彼に返そうとする。しかし、ウディはハーモニカが握られたボブの手を彼の方に押し返し、「持っていろ」と意思表示する。病室で掛かっているレコードは、ウディの『Dusty Old Dust』。歌詞の一節「ありがとう、出会えてよかった(So long, it's been good to know ya)」をバックに、1人バイクで走り去るボブ。
それは、ウディ・ガスリーという尊敬する偉大なアーティストとの別れであると共に、彼の意志さえも引き連れて新時代に向かって走り出したかのようにも映る。
エンドロール前に流されるテロップ
「ボブ・ディランは55枚のアルバムを発表し、ノーベル文学賞を受賞。」
「受賞式には現れなかった」
この最後の一文の何とカッコイイことか。本当に曲作りに人生を捧げたのだなと。
『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)の世界的な大ヒットを受けてか、近年は『エルヴィス』(2022)や『ホイットニー・ヒューストン/I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』(2022)と言った、世界的なミュージシャンの伝記映画が熱い印象がある。だからこそ、本作もアカデミー賞戦線の注目作になるほどに至ったのではないだろうか。しかし、やはり『ボヘミアン〜』のクライマックスでのライブエイド出演シーンの完コピ具合と、それによる抜群の没入感と比較してしまうと、どれも見劣りしてしまう。本作においても、それは間違いない。ステージの規模が違うから仕方のない事だが、クライマックスのフェスティバルシーンにはもう少しカタルシスが欲しかった。
また、喫煙描写こそ臆せず描かれているが、大麻などの薬物描写がオミットされ、スマートな語り口も相まって、まるで爽やかな青春映画のように描写されている印象はあった。掴みどころの無い人であるのは間違いないのだろうが、シルヴィといつの間にか別れていたり、ジョーンとの関係性が悪化している様子も、少々淡々と描き過ぎてはいないかと思う。
そう、全体的にスマートに語り過ぎていて、引っ掛かりとなる部分が少ないように感じたのである。
ところで、ロックンロールをするボブに対する観客のブーイングの中に、「この雑音を止めろ!」といったものがあったが、私は普段、メタルコアやポストハードコアを好んで聴く性質なので、そういったジャンルの曲をあの会場に居た客が聞いたら、きっと卒倒するだろうなと思った。
ボブ・ディランはボブ・ディラン
仕草もよく真似てる
没入感半端ないです!感動の嵐嵐!
ボブ・ディランの若き頃の5年間の奇跡に、さらりと切り込んだ名作にあっぱれと申し上げたい。彼は現在までにおよそ240作品(ネットで数えてみました笑)があると言われていますが、その中でも私たちの青春時代に強烈なインパクトを与えた『風に吹かれて』『時代は変わる』『ミスター・タンブリン・マン』(エンディングで聞けます!)がこの頃に作成されたと思うと、まさに天才爆発の時代だと思われます。また、彼の強運さは、この作品の中での交流関係を見ているとめちゃくちゃ高いことがわかります。アメリカの1960年代のフォーク界を牽引していた先輩たちに引きあげられ、次々に才能発揮していく姿は登り龍のようでものすごいパワーを感じました。さらにジョーン・バエズとの関係が、彼の運命を高揚させていく情景を観ていると、二人の天才の火花が飛びかっているようでした(天才は自由を求めるが故に作品の中でも古いものを破壊しようとします)。まさに天は二人の天才の化学反応を楽しんでいるかのようです。当時のアメリカは、人種問題や核戦争問題やケネディ大統領の暗殺と、暗い世相の真っ只中でした。それが故に彼の『風に吹かれて』などの楽曲が、大衆に渇望されたと思います。同じ時代に生きた私たちの青春時代の空気にも合致していたのかもしれません。何百回となく楽曲を聴いて、その歌詞を反芻していた自分が思い出されます。皆さんご存知の通り、数年前に彼はミュージュシャンでありながらノーベル文学賞を受賞しました(出席していませんが)。彼を詩人として評価しているのでしょうが、どれだけ世界に影響与えたか計り知れないものがあります。
追記 至福の140分、どうぞご堪能あれ!私は感動の嵐嵐です笑!
ティモシー-シャラメの目の演技力が凄い!
'60〜'70 代にギターを弾きフォークソングを口ずさんでいた日本人(自分を含む)ならば、フォークの神様と呼ばれ!なんと!ノーベル賞をも受賞したボブ•ディランの代表曲“風に吹かれて”を知らない人はほぼ?いないと思う。
だけど、彼の事(生活環境、音楽環境、など)を詳しく知っている日本人は自分も含めてそれほど多いとは思えない。
その為に是非とも鑑賞してみたいと思って鑑賞。
やはり色々と知らない事が分かった。
まず!ティモシー・シャラメのギターテクニックと歌唱力には驚き!才能あり過ぎ!
そして、あの昔に歌詞の内容も良く知らずに口ずさんでいた自分が情け無い。
あのフォークの女王?のジョーン-バエズとの関係性にも驚き!
ボブの曲作りの姿勢が凄い!
ボブはまさしく時代の寵児だったんだと思ったのが強い感想であり、演出なのか?分からないけどギターを背中に背負ってバイクをぶっ飛ばすのはカッコ良すぎ!
歌うますぎ!
むかしむかし、「風に吹かれて」「花はどこへ行った」はPPMの曲だと思っていたボブディランのファンでも世代でもない、登場したアーティストはもちろん誰一人知りません
伝記映画ということで、知らなくても楽しめるかなという気持ちで乗り込みましたが、ストーリーがボブディランの完成形態から話が始まっており、あれよあれよという間に売れっ子になり、創作にさほど思い悩む場面もなく、ショービズ界の流れに反抗する(というか無関心?)わりとおぼこいやつという印象で映画的にはちょっと物足りないストーリー展開と思うのは私がファンではないからでしょう
(鑑賞後にボブディラン世代と思われるご夫婦が「おもしろかったねー」と楽しそうに話していらっしゃいました)
最後のフェスで関係者や観客からもブーイングを受けたあたりは、演歌を聴きに行ったら演歌歌手にロック歌われた感じなのかなぁと想像したりしました
しかしながらステージでロックを歌っているシャラメくんはまさにロックスターそのものと思わせられる乗り移り度の高さに、そのライブに観客として参戦したい気持ちになりました
劇中歌を自身で全曲歌っていたのももちろん影響していたんだろうなと感じました
噂によるとボブディランはあちこちから引用して歌詞などに使用して非難されていることもあるらしく、ノーベル賞はそこらへんをどう考えて賞与したのかなと思いましたが、私が考えたところで何がどう変わるわけでもないのでまあいいですが、受賞後にノーコメントだったり授賞式に行かなかったりの理由が理解できた気がしました
そんなマイペースなところもボブディランの魅力の一つなのかなと感じました
シャラメ君だけでなく、戦闘機を乗り回していたはずのバエズ役モニカ・バルバロも本物のカントリー歌手かと思いましたし、何よりエドワードノートンの歌のうまさに感嘆
ハリウッド俳優さんて歌もプロ級なので、歌のある作品も見るのが楽しみです
二枚目過ぎるディラン
素晴らしい作品だ。ディランを40年近く聴いているのだが、ティモシー・シャラメの作品に対する情熱がヒシヒシと伝わるほどの出来栄えだった。ディランに似せた歌声と歌の上手さに驚かされた。彼はハリウッド俳優になったと変なところで実感してしまった。曲者でしかないディランの真摯さと変態さが上手く処理された作品だったと思う。やはり、天才は凡人の尺度では測れない。それでも、何かが執拗に引っ掛かるところがある。それが天才なのだろう。余談だが、ディランにノーベル文学賞を授与したのは、まるで解っていない組織がそこにあることが露見しただけのことだった。音楽には権威など必要ない。ただ権威に転がされているばかりの聴衆が音楽を求めていて、それに応えるミュージシャンがいる。それだけの事である。
似ているかはどうでもいい
ギター弾きの端くれとして
ボブディランという存在はとても崇高で、
おいそれとコピーだカバーだしない感じ。
クラシック的な存在。
それ故にちゃんと聞いた事がないのが
正直な所😅
しかし以前から思ってはいたが、
難しいテクニックをやってる訳ではなく、
その曲のメッセージが強い歌手だ。
リアルタイムで言えば尾崎豊か。
いや、その例えはどちらにも申し訳ないな。
20歳で瞬く間にスターダムに駆け上がり、
社会情勢から若者の代弁者と評され、
「フォークの」スターとされる事への違和感は、
何となく分かる気がする。
自分も一人でギター弾いて歌った方が楽だけど、
バンドとかセッションで合わせるのも楽しいし、
ラップとかも全部完璧に出来たら楽しい。
音楽に垣根なんて無い。
音を楽しみたいだけなんだな、
ボブディランは。
いつかちゃんと聞いてみて、
ボブディランをコピーしてみようと思いました。
それと、
今作でギター弾きがもっと増えてくれる事を願います。
20世紀屈指のアイコンはわがまま身勝手天才
カバー曲中心の初アルバムから『Highway 61 revisited』まで後年ディラン自身が「もうあの時のようには書けない」と語る神がかった詩が次々と生まれた1960年代中盤までの濃密な期間におけるディランを寓話じみた存在として描く。
時代はキューバ危機の核の熱い冷戦、国外はベトナム戦争、国内は公民権運動で混乱し、月に人類が立ったかと思えば、ケネディ暗殺の速報が降ってくる時代。嫌でも個人に政治と社会運動が降りかかってくる。ディランは明確な政治的立場を表明することは避けつつ、自身の詩に哲学的な深みを込め、音楽に乗せて表現した。それが時を超えて古びず、何世代にもわたって聴き継がれている理由だろう。
ライブでの『Maggie's Farm』内の「もうあんな所で働かない〜」はプロテスタント・社会主義思想に近いフォークの聴衆には受け入れ難い暴言と音だったハズだ。ただやっぱりこのライブバージョンが1番カッコいい。
簡単に図式化すれば、フォークは生歌と生演奏=健全な民が奏でる生粋な音楽vs. エレキは民を間違った方向に惑わす商業的音楽、という現在では信じられないような宗教・政治・社会的意味を帯びており、結果ディランはフォークを愛する聴衆から「Judas '裏切り者ユダ'」と罵られることになる。
聴衆の中にはノリノリの人も少数であるが見受けられるし、そもそもマイク使うには電気繋ぐだろ!っとツッコミたくなるが...このようなレッテル貼りに対してディランはこの後徹底的に逸脱していくが、この映画では扱われていない。
明言はないが、この頃ディランはドラッグをしこたま乱用しており、後半ティモシーの顔色がすこぶる悪い。1966年のバイク事故後のディランは乱れた生活を一新し、透きとおった声になり、さらに様々なジャンルを跨ぐ楽曲を発表していく。
最後になるが、演技は素晴らしい。
ただ、私が求める映画的な体験は得られなかった。伝記もので内面を掘り下げる演技はあまり好まないのが理由だ。個人的にこの時期のディランについてかなり詳しいので、当事者のような視点で映画を観れたのは新鮮な体験だった。
あっ、一曲も知らない
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