「すばらしい映画だ。劇場に急ごう!」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
すばらしい映画だ。劇場に急ごう!
おそらくボブ・ディランという名前を知らない人はいないだろう。だけど、彼が本当に何をしたのか、ほとんどの人は知らないのだと思う。そんな人たちに是非、みてほしい映画だ。
最初は、結構、戸惑った。まず、ボブ・ディランのような歌声が聞こえてくるが、一体、誰が歌っているんだろう。しばらく我慢して聴いていたら、彼に扮している役者のティモシー・シャラメの声と判った。ギターを弾いたり、ハーモニカを吹いたりする姿も様になっている。これは大変な努力だと思った。ただ、風貌は、わたしたちのよく知っている頃のディランと比べると、少しふっくらしているかな。
次に、彼に絡んでくる女性たち、恋人のシルヴィ(エル・ファニング)とジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)がよく似ているんだな。髪の色で見分けることができるようになったけど、もう少し、何とかして欲しかった。
ただ、彼の歌には、すぐに圧倒された。やはり、シルヴィが言っていたように、誰でも習えばギターを弾けるようにはなるだろう、だけど曲を作れるわけじゃない。そうだ、ディランにはクリエイトする才能があった。少なくとも初期は、功名心に溢れていたことも事実だ。だから、出身を偽る。デビューの時には、メジャーレーベルからカバー曲でレコードを出す。それに対して、シルヴィは、オリジナル曲で勝負しろと口うるさく言っていたっけ。その女性たちに対しても、バエズを含め、彼はわがままに振る舞い、さんざん翻弄する。自分を見出してくれたウディ・ガスリーやピート・シガーだって尊敬はするが、結局乗り越えてゆく。一種の「鼻つまみ者」に違いない。
それでは、ディランのなしえたことって?それは、1965年、フォークにとって禁じ手だったエレキギターを取り入れ、「フォーク・ロック」と呼ばれる新しい分野を作ったことに尽きる。黒人を対象にした公民権運動、キューバ危機やケネディ暗殺に代表される国際的・国内的課題が、外的な因子として彼の心を揺さぶったに違いない。しかし、時期から考えても、ビートルズに代表されるブリティッシュ・ロックの影響と考えて間違いない。私たちにとっても、あの強烈なエレキギターの音響が心を揺さぶったように。
それでは、フォーク・ロックは何をもたらしたのだろう。ビートルズだって、最初期はリバプールやハンブルグで活躍したバンドだったが、デビューした頃は、所詮ポップスに過ぎなかった。それが、ディランのようなフォーク出身のミュージシャンと触れ合うことにより、詩に目覚めてメッセージ性を獲得し、本当の音楽を作るようになる。66年に日本公演した頃を最後に、公衆の面前では演奏しなくなってゆくが。
これらの音楽は、一体、何を生んだか。そうだ、ロックにフォークの魂が吹き込まれたことにより、若者たちの心が解放され、68年パリに始まるステューデント・パワーによる5月革命を招くのだ。
この映画の中で、ディランが62年に録音した「風に吹かれて」「くよくよするなよ」に始まり「時代は変わる」を経て、65年ニューポート・フォーク・フェスティヴァルのトリを飾ってフォーク・ロックの出発を告げた「ライク・ア・ローリング・ストーン」まで、くまなく楽しむことができる。