「どこまでもミステリアス。でも、魅力的なディラン」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 臥龍さんの映画レビュー(感想・評価)
どこまでもミステリアス。でも、魅力的なディラン
1962年のデビュー以来、半世紀以上にわたり人々に多大な影響を与え、アルバム総売上枚数1億2500万枚、グラミー賞11度というアメリカを代表する音楽家ボブ・ディランを描いた伝記映画です。
最近、流行りの伝記映画ではありますが、よくある人生全体のダイジェストではなく、無名時代を経てフォークの中心的人物となり、ロックに転じるまでのごく限られた期間の話が描かれています。年代でいえば1961年から1965年までの5年ほどでしょうか。
タイトルの『A COMPLETE UNKNOWN』は『ライク・ア・ローリングストーン』の歌詞の一節から抜粋したものです。
自分は恥ずかしながら、ディランについては名前を知っている程度で、楽曲についてもほぼ聞いたことがなかったのですが、映画は広く知られたディランのパブリックイメージをてっとり早く掴むことができ、フォーク時代の代表曲もだいたい網羅しているので、私のような初心者にも分かりやすい内容となっています。
感情の起伏がなく、常に冷静で淡々としていて、無表情でありながら相手の心理や世の中の裏側まで見透かすような鋭い眼光が印象的。内面から滲み出る知性と、その独特でミステリアスな雰囲気がカリスマ性を醸し出す。
映画はそんなディランの外形的なイメージそのままに描かれ、内面や感情を深く掘り下げるような描写はほとんどありません。なので、素のデュランがどんな人間だったのか最後まで分からず仕舞い。
ディランは本当に掴みどころのない人物で、それがたとえ恋人であっても実態をはぐらかし、『あなたは本当に嘘ばかりね』と言われても『人の過去は作り物さ。都合のいいこと以外忘れる』と受け流す。
また、『目立つには変わってないと。綺麗かどうかより平凡じゃないことだ』と語り、あえてミステリアスな人物を演じることで、人々により興味を抱かせる。そういったセルフブランディングにも長けていたのだと思います。
映画があえて内面を掘り下げないのも、身近な人間ですら掴みどころのないディランを、製作者が踏み込んで解釈を加えることのリスクを考えたのだろうなと思います。
物語としては、ディランの若かりし頃の話が淡々と描かれており、ミュージシャンにありがちな挫折や破滅もなく、特にドラマティックな演出もなければ、特筆するエピソードもありません。ですが、そんな起伏のなさもかえってディランらしいなと感じます。
音楽的な部分でいえば、ディランの楽曲は歌詞が非常に印象的で、人間心理や世の中の不条理、偏見、差別、戦争といった題材を詩的な表現で詩にしています。ディランは歌手でありながら、ノーベル文学賞を受賞しているのですが、その授賞理由も『新たな詩的表現を創造した』というもので、確かにそれも頷けます。
当時のアメリカはキューバ危機、公民権運動、ケネディ暗殺といった激動の時代であり、そうした当時の世相をうまく捉えながら、フォークが持つ反体制的な姿勢も相まって大衆の心を掴み、社会運動とも結びついて時代を代表するアーティストとして一時代を築いていった。ある意味、この時代が生んだスターといえるのかもしれません。
もっとも当の本人は、自分の歌詞が勝手に解釈され、社会運動などに利用されることをあまりよく思っていなかったようですが。
そして、この映画はティモシー・シャラメの好演が素晴らしかった。写真を見比べればそこまで似ているわけでもないのに、声や表情、姿勢、仕草、雰囲気などはまさに映像で見るディランそのもの。20代でアカデミー賞主演男優賞に2度ノミネートされるのはジェームズ・ディーン以来2人目の快挙らしく、それも納得の好演でした。
ちなみにそのジェームズ・ディーンの伝記映画も制作されるようで今から楽しみです。
ティモシー君はホボ·ディランでしたが、やはり難しいのはギターテクニックですね。洞察の鋭いレビューの内容に共感しました。捉えどころのないディランに迷っていたら、このような自伝映画なんかおいそれと作れませんね。この期間限定のウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョーン・バエズを裏切っていくディランを題材にした今作はサプライズには欠けていたと言わざるをえないと思いますが、モニカ・バルバロの美声はとてもヨカッタと思いました。エル・ファニングをスージー·レトロ役にもってくるなんて、なかなかあざといと思いました。エル・ファニング好きなんですけどね。