「“ファンダム”の根源」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
“ファンダム”の根源
本作もアカデミー賞関連での興味で見に行きました。
個人的に伝記モノは苦手なのですが、“ボブ・ディラン”には興味があったので敢えて見に行ったという感じです。
しかし、アメリカ映画では一つのジャンルにしても良いくらいにシンガーの伝記映画が多くありますが(日本映画では見たことありません)、他の分野の偉人伝・伝記に比べて、歌唱シーンをどのように見せるのかというのが付加されているので、別の興味が湧いてきます。
元々洋楽に対してはド素人な私でも、ボブ・ディランは私世代と近い世代の中でも神格化されている人であり、音楽自体はよく耳にしていたので興味深く見させて貰いました。
で、一般レビュー評価値も凄く高くて、彼のファンや音楽そのものが好きな人が喜ぶのは凄く理解できるのですが、「ちょっと高評価過ぎないか?」という疑問も感じてしまいました。勿論、役者の演技や音楽の使われ方とか評価する部分は多々ありましたが、伝記映画としては個人的には特筆するような内容だとは思わなかったし、ごく普通の物語だったような気がしました。
ただ面白いと思ったのは、本作の核となる部分だとは思うのですが、ラストのコンサートでのあわや暴動にもなり兼ねない様なファンの様子がちょっと異常な気がして興味深かったです。
あれって、コメディーですが『ブルース・ブラザーズ』の中にも似た様なシーンがあって、カントリー専門のライブハウスで全く違うジャンルの音楽を演奏して客が暴れるシーンをちょっと思い出してしまいました。
アメリカにはああいう音楽ジャンルでの嗜好がハッキリと分かれていて、自分の好きな音楽でないと認めないという文化が根付いているのでしょうかね?
これこそ今の“ファンダム”という言葉(現象)の意味の根源ですよね。
たまたまなのかも知れませんが日本の場合の音楽(歌謡曲)というのは、戦後テレビ番組を中心に広がり、そこでは民謡・演歌・ポップス・フォーク・ロック全てのジャンルが融合した形で見せられていて、それぞれにファンは存在するが、他のジャンルを完全否定するという文化には(幸いにして)ならなかった様に感じるので、こういう風景を見せられると「なんで?」という気持ちになってしまい、あまり理解出来ないのですよ。
本作の核である、ボブ・ディランという音楽の天才が(後にノーベル賞受賞)、一つのジャンルに捉われず創作して行く過程に於いてのアメリカ人気質(文化)に対する反逆児として、時代の申し子的な存在として描かれていた様な気がしました。
そして、今やアメリカは気持ち悪いくらいの、行き過ぎた多様性・ポリコレ病を患ってしまっていますけどね。
追記.
昔見たけどどんな映画だったか完全に忘れてしまった『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』をもう一度見たくなりましたよ。