「◇ アメリカーナと唯我独尊の共振力」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 私の右手は左利きさんの映画レビュー(感想・評価)
◇ アメリカーナと唯我独尊の共振力
私が中学生の頃はフォークギターを弾ける友人が学校のアイドルでした。高校時代になると主役がエレキギターに変わり、やがてシンセサイザーとかの電子系へと移行していきました。フォーク→ロック→テクノの発達史観。
1960年代は、公民権運動、キューバ危機、ケネディ暗殺。やがてベトナム戦争が拡大していくアメリカ不安定期です。そんな時代背景だからこそプロテストソングが大衆の心を捉えます。
一方で、この作品の後半の山場は1965年のニューポート・フォーク・フェスティバル。社会を変革するために歌っていると自負するフォークミュージック信奉者達が、「電気楽器は使わせない」と保守的になっている皮肉。フォークvsロックという二項対立も今昔物語の懐古を感じます。
ボブ・ディランについては、特別好きでもないですが、たまたま昨年出た#CatPower(#キャットパワー)の『Cat Power Sings Dylan: The 1966 Royal Albert Hall Concert』は、しばらく聴き込んでいました。エフェクターを通さないギターの繊細なリズムと肉声的な歌声は、心身に直にしみ込んでくるようで心地よいです。
最近は、音楽におけるアメリカーナの復興が唱えられているようです。素朴なアコギの響きが瑞々しく心に響くからでしょうか。一方で、この作品の舞台となる1960年代のような明確な対立軸がある世界でもなく、世の中も音楽も玉石混交、多種多様な趣向が同時に世界中に散りばめられているようにも感じます。
続け様に歌われるボブ・ディランの名曲達を縦軸に進行する物語に対して、身勝手な男とそれを支える女心という古典的なラブストーリーが横軸に広がります。才能の裏側には、唯我独尊の孤高があり、生み出される音楽には魂の未分化の状態を震わせる力が秘められています。音楽主題の映画が持つ心の震えを倍加させる共振力は、今回も私の内部で揺れ動き、気分を高揚させたのでした。