劇場公開日 2025年2月28日

「ボブ・ディランの初期の歌を聴きたくなった」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN コショワイさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5ボブ・ディランの初期の歌を聴きたくなった

2025年3月5日
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鑑賞方法:映画館

1 音楽家ボブ・ディランの前半生を描く。

2 映画は1961年に何者でもないディランが病で歌えなくなったウディ・ガスリーを訪ねるところから始まる。そこでウディと見舞いに来ていたピート・シンガーに自作の歌を披露し、キャリアの切っ掛けとなる。この場面は、あたかも立会人の下で、プロテストソングの魂を古老から新人に受け継がれるようなシーンに思えた。

3 ディランはデビュー後、数年のうちに時代の寵児となった。キューバ危機やケネディ大統領の暗殺で国内が浮き足立つ中でも、ジョーン・バエズとともにギターを掻き鳴らし歌いつづけた。公民権運動において、彼等の歌のメッセージが人心に届けられた。ディランは、歌の言葉で時代の変革を説く一方、自身の音楽性に変化を求めた。アコギをエレキに変え、音楽活動はオーソドックスなフォークソングから幅を広げた。そこに世間がディランに求めることとディランのやりたいことにズレが生じ軋轢となった。劇中、フォークフェスにおいて、ディランのバンド演奏中に観客が批難し、ディランが訣別宣言したエピソードが語られた。

4 本作は、ディランの前半生を映画化した。生存しているだけに始末の仕方が難しいが、青年期に絞ったのは賢明であった。音楽家としての彼の武器は鋭いメッセージ。それを何かの紙の余白でもかまうことなく常に書きつづけた。こうして生まれたメッセージが60年代という時代に吹いていた変革の風と合致し、彼は望まないのに時代の代弁者とされた。彼はただウディガスリーを敬愛し、やりたい音楽を創り、去って行った彼女と生活したかった。それだけであった。

5 映画の暗めの色調や室内の美術といった道具だてや演奏シーンは時代の雰囲気で出て良かった。また、本作の主要メンバーであるボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ピート・シンガーのそっくりぶりは見事であった。シャラメは台詞に演奏や歌唱と頑張った。ノートンの好人物ぶりも良かった。

コショワイ