「ティモシーシャラメ歌う歌手ボブ・ディランは素晴らしいが、“ボブディラン”という存在の真の姿は何処に?」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 菊千代さんの映画レビュー(感想・評価)
ティモシーシャラメ歌う歌手ボブ・ディランは素晴らしいが、“ボブディラン”という存在の真の姿は何処に?
全編の8割ほど、ティモシー・シャラメ歌う“歌手”ボブ・ディランの曲で埋められていると言っても良いほど歌唱シーンが続くが、そのクオリティは高い。実在した歌手を描いた作品としては「ボヘミアンラプソディ」が凄かったが、さすがにフレディ・マーキュリーの音源に吹き替えられた事を考えるとティモシー・シャラメの弾き語りへの取り組みは一見(聴)の価値あり。
歌詞はノーベル文学賞を受賞しているほど、歌詞というより“詩”。言うまでもなく素晴らしい。(というか、これほどあらゆる賞を受賞したシンガーソングライターはいない)
ただ、ドラマの作りは物足りないの一言。
無難な脚本・無難な演出だが、時代の本質を見失いかねない内容には大きな疑問を抱く。
映画のあらすじには「ミネソタ出身の無名のミュージシャンだった19歳のボブ・ディランが、時代の寵児としてスターダムを駆け上がり、世界的なセンセーションを巻き起こしていく様子を描いていく」そんな内容が記載されていた(因みに、ミネソタ州は伝統的に民主党の牙城)。
実際映画の舞台は1960年代の初め。ディランがデビューしてからフォークのカリスマとなり、その後エレクトリックを取り込み変貌していく数年を描いている。
同じ時期に活躍したバンドは言わずと知れた“ビートルズ”、1960年代初頭は世界のミュージシャンが新しい文化を産み出そうとしていた時期でもあり、それらは音楽業界だけには留まらずあらゆる文化・政治・経済などの戦後史の転換期でもあった。
そんな歴史の転換点に多くの影響を与えた存在、それは“ボブディラン”だ。
“ボブディラン”は単なる一ミュージシャンという言葉だけでは片付けられない。
一人のミュージシャンでありながら、単なる“ミュージシャン”という言葉に収まらない存在だからこそ“ボブディラン”たり得るのだ。
そんな“ボブディラン”の存在や時代が描かれる作品かと思ったが、何かしら肝心なところが抜けている様な気がしてならない。
キューバ危機・ケネディ大統領暗殺・ニューポートフォークフェスなど、当時の出来事は描かれてはいるが、これらの事象の描き方がどれほど当時のリアルな空気感だったのか、正直疑問符が付く(ニューポートフェスの何かのどかなピクニック感は、当時もそうだったらしい)。
この作品では、聴きざわりの良いミュージシャンボブ・ディランの魅力は伝わるかも知れないが、それは“ボブディラン”という存在の上っ面を舐めただけなのでは無いだろうか。
1960年代のアメリカは主に若者を中心としてベトナム戦争反対運動や反体制・反政府運動が広がり、ある者は反戦平和を掲げ、ある者は人種差別撤廃、男女平等・表現の自由・言論の自由を求め、若者が積極的に政治に参加し、問題意識をぶつけた時代だ。
こうした若者たちに支持されていたのがボブ・ディラン等のフォークミュージシャンで、当時(自分はこの時代に生まれてない)は彼らのように社会に対し問題意識を持った曲を唄うフォークシンガー達を「プロテスト(「異議を申し立てる」または「抗議する」)・シンガー」と呼び、ボブ・ディランがデビューした60年代初頭、特にセカンド・アルバムに収録されている「風に吹かれて」や「戦争の親玉」では反戦や人種差別をモチーフにした歌詞が歌われ、反戦運動真っ只中の若者たちのアンセムともなっていた。
そんな時代、海の向こうイギリスでは「ビートルズ」始めブリティッシュロックが爆発的な人気となっていた。60年初頭時まだ全米進出してはいないものの、イギリス勢が「ロックの逆輸入」をするのは時間の問題だった。
そして1964年ビートルズが全米進出すると瞬く間に全米音楽シーンを席巻、米英双方の若いミュージシャン達がお互いに刺激し合い、世界の音楽界に革命が渦巻く。
イギリスのロックやポップ・ミュージックをはじめとする英国文化はアメリカ合衆国を席巻し、大西洋の両岸で「カウンターカルチャー」が勃興。所謂ブリティッシュ・インヴェイジョンとして音楽のみならずあらゆる文化に多大な影響を与える事となる。
(このあたりの事には全くと言っても良いほど映画では触れられていない)
ビートルズがアメリカへと進出した際、ジョン・レノンはボブ・ディランに「君達の音楽には主張がない」と言われたという。そして、その言葉がその後のビートルズの音楽にも影響を与えたとも。
そして、ビートルズがその後の音楽界に与えた影響の大きさは誰もが知る事だが、そこにはボブ・ディランの影響があり、またボブディランにとってもビートルズなどUKロックの強烈なサウンドがインパクトを与えていた。
いつのまにか、ミュージシャン「ボブ・ディラン」は歌手という枠には収まりきれない“ボブディラン”という特別な存在になっていたのだ。
ボブ・ディランがアコースティックギターをエレキに持ち替える事は歴史の必然だったのは言うまでもない。
フォークの「神」として成功を収めたとしても、それを良しとはせず新しいサウンドを取り込んで行ったのは決して時代の流れに乗った訳では無いと思う。
ただ、そこにあったのはミュージシャンとしての“本能”、それだけだったのだろう。
ミュージシャンボブ・ディランが選択した道は決して間違いでは無い、むしろその選択が音楽だけにとどまらず文化や社会にまで影響を与えていった事が、本人がどこまで意識していたかは別として凄い事だし、“音楽”が持つ力の偉大さを物語っている。
映画ラストでそれまでの栄光と決別するかの様にフェスで歌う
「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」全ては終わったんだ
そして
「ライク・ア・ローリング・ストーン」
ローリングストーンとは、「職業や住居をころころと変える人は、財産や名声も得られない」と いう警告の意味のことわざ、転じて「活発に活動している人は活き活きとしていて、 時代に取り残されることがない」という意味でもある。
米国ロックシーンに燦然と輝く名アルバム『追憶のハイウェイ61』のオープニングタイトルはボブ・ディラン最高傑作の一つにして、ロックシーンを変貌させた偉大な曲として未だ色褪せる事が無い名曲だ。
余談:
ボブディランを詳しく知りたければ、2005年マーチンスコセッシ監督作ドキュメンタリー映画「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」という作品がある、かなり長い作品で忘れてる事も多いが60年代初期の“ボブディラン”のドキュメンタリーとして合わせて観る価値はある。
(※もう一つ余談:ニューポートフォークフェスでのディランの裏切りに観客席から「ユダ(裏切り者)!」と罵るシーンがあるがこのシーンはフェスではなく、ワールドツアーの出来事を切り取ってきたフィクション半分?なのだろうか。ハリウッド作品にありがちなシーンではあるが、きっとこの一言があるか無いか、いつもながら大人の事情を感じさせる)