「キャストの生歌唱が圧巻、音楽映画として見応えあり」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
キャストの生歌唱が圧巻、音楽映画として見応えあり
当時のボブ・ディランをリアルタイムで見聞きした世代ではないし、好んで聴いてきたわけでもないので一般常識程度にしか彼の曲を知らない、そんな私だがティモシー・シャラメとエドワード・ノートン目当てで観に行った。
これは、ある程度ディランの知識があること前提で作られているのかな……と思われるくだりがちらほら。詳しい人なら、シャラメの寄せ具合を個人的に評価したり、さらっと流された登場人物について「あーあの人が出てきた」とか「あの笛はあれだな」とニンマリしたりという楽しみ方ができるのだろう。
残念ながらそういう方向性の味わい方はできなかった私だが、ディランがブレイクした時代の空気、そして彼が評価されている理由がこの伝記映画の内容としては短い5年間の物語に詰まっていて、彼のエポックメーカーたる所以を感じることはできた。
それにしても、ティモシー・シャラメの芸達者振りには驚くしかない。歌唱シーンは全てシャラメ自身が歌い、事前録音ではなく撮影現場の生の音源が使われているという。
5年半トレーニングしたからといって、誰もがボブ・ディランを名乗って遜色のない歌唱と演奏をものにできるわけではない。それだけの努力に加えて、これまでの彼の演技の経験が、演奏にオーラをまとわせることに一役買っているように思えた。
ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロの歌声も素晴らしい。役が決まった時点では、歌も演奏も未経験だったという。いやいや……信じられない。
エドワード・ノートンも、フォークの大御所然とした美声をさらっと披露する。ピート・シーガー役は元々ベネディクト・カンバーバッチが演じる予定だったが、スケジュールの問題でノートンに変更になったという。出演時間は多くはないが、実力派が当てられるところにシーガーという人物の重要性を感じる。
全編にあふれるフォークソングとディランの歌が、彼らのパフォーマンスによってとても新鮮に聞こえ、フォークのよさもディランのロックの新しさも感覚的に分かったような気分にさせてくれた。
しかしまあ、ディランの恋愛スタイルはかなりアレですな。どこまで事実通りかは知らないが。
私はすっかりシルヴィの目線になってしまって、結構きつかった。居候している彼女の部屋にジョーン・バエズを連れ込み、その後帰宅したシルヴィを平然と出迎えるところなどは、なんやこいつ……という目で見ていた。別れたバエズのもとにふらりとやってきてこれみよがしに作曲作業をするところなんかは、冷静に見れば結構イタい。これ、ディラン設定で顔がシャラメだから絵的に許されるやつね(バエズには許されてなかったが)。
確かに、若き日のディラン本人もなかなかのイケメンではある。シャラメは顔の造作はそこまで似てはいないが、眼差しの強さやそこに宿る影は本質的にディランと同じであるように見えた。
物語自体は、割とあっさり流れていく印象を受けた。確かに彼が時代を拓いたことは伝わってはきたが、一方で彼の内面が主観で描かれることはほとんどない印象だ。
彼の無名時代については、ウディ・ガスリーに傾倒していること、かつてサーカス団と共に過ごした時期があったこと(これは調べてみると事実ではないようだが)、本名はボブ・ディランではないことといったほのめかし程度の描写があるのみ。名曲が生まれるきっかけ的なエピソードはない。シーガーとは音楽性において袂を分かったようで、その時の2人の関係の変化はドラマとしては面白そうなのだがそれもない。ノートンの使い方がもったいないように思えた。
ディランに関する知見の少ない私から見れば、映画の中のディランは最初から天才で、天賦の才を世間に認めさせるだけの行動力と運の強さもある人間だった。その彼が5年という短期間でサクサク成功し(たように映画の中では見え)、ロックへ路線変更してゆく(本人はただ良いと思った音楽をやっているだけなのだろうが)が、その過程や心の動きにあまり深入りしない語り方は、いささかカタルシスに欠けた(物語の面だけの話。キャストの歌唱は別)。モデルとなった本人が健在なので、内面に切り込んで解釈をほどこすことは遠慮したのだろうか。
一方で、赤狩りやキューバ危機、ケネディ大統領暗殺といった出来事から感じるあの時代の空気感、その中で生きていた人々にディランのプロテストソングが刺さるのは何となくわかる気がした。
人間ディランの内面のドラマとしては若干物足りないが、ミュージシャン・ディランのすごさや魅力は十二分に伝わってくる、そんな映画。
ニコさんの丁寧に美しい言葉を紡いだようなレビューは、毎回感動してるんですよ!
音楽好きとして、時代を感じた歌声や風貌やファッション全部ひっくるめて素晴らしかったので、明日のアカデミー賞発表を楽しみにしています。
核戦争だ!と逃げ出す人々、違和感を覚える自分の方がおかしいんでしょうかね。明確にココとココは敵の概念が在るのは、現在とちょっと似てるのかも。
翌朝、ディランが危機は去ったとTVを消すのが何か良かったです。