名もなき者 A COMPLETE UNKNOWNのレビュー・感想・評価
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ベロンとした顔の自由で骨太な魂
「その昔ステージで石を投げられたらしいよ」
音楽好きの友人がレコードジャケットを眺めていた私にそんな話をしてきた。「どうして?」と理由を尋ねると「フォークシンガーなのにロックを歌ったから」と友人は答えた。私はそのジャケットに写ったアメリカ人の顔をまじまじと見て「特徴の無いペロンとした顔だな」などと思った。更に別のアルバムジャケットに目を向けると女の子と腕を組んでいるではないか。あはは、なんと軟派な人だろう。
まさにその人物こそボブディランである。
映画「名もなき者」は若かりし日のディランが蘇り歌っているような臨場感がある。
ベロンとした顔立ちにハニカんだ眼差しをした青年はワザと力を抜いたような歌唱法で誰よりも力強くギターをかき鳴らし自作の歌を歌いあげる。私は映画館ではなくライヴハウスに居るような気持ちになり気がつけば劇中で歌うディランに何度も拍手をしていた。いや正確に言うとディランにではない。ディランを演じるティモシーシャラメにだ。
フォークソングにとらわれずブルースやロック、全ての音楽、そして本当の自由を愛したディラン。自由を愛するなんて簡単なことではない。凡人の自分にはまず無理だ。でもそんな彼だからこそ愛する恋人と身を寄せ合う写真がジャケットになり石を投げられてもステージで歌い続ける事が出来たのかもしれない。それをシャラメ青年はしっかり体現し観客を魅了している。
この映画はペロンとした顔立ちの若者がいかに自由で骨太な魂の持ち主であったかを改めて知る機会となった。
それはそうと、帰り道ミスタータンブリンマンを電車内で口ずさんでしまい恥ずかしかったな。
ただ、風に吹かれただけ
私の読み違いをしていたらごめんなさい。洋楽ばかり聴くけど歌詞は理解出来ず、歌詞の理解が無ければ、ボブ・ディランの歌は半分も理解出来てない事になるから。ここから下は、ボブ・ディランに対してではなく、あくまでも、この映画の理解です。
クライマックスのフェスでロックを歌い、大ブーイングを受けたボブ・ディラン。でもそうなることは判っていたかのよう。判っていても、ブーイングを喰らってモノを投げつけられても、それに逆らい続けて歌い通したのは何故か。それは彼が変わらず風に逆らって歌い続けただけでは無いでしょうか。
「逆らって」というと語弊があるかもしれませんが、時代の不安の中で歌ったのが「風に吹かれて」。童謡や唱歌が季節の歌を歌うように、時代に即した歌を歌うのも、ありのままの歌の在り方。だから当然のように時代に応じて「風に吹かれて」という歌が生まれたのではないか。
では、クライマックスのフェスでのロックはどうか。ボブ・ディランの心情はどうか。人気が上がり、ファンに囲まれ、歌をせがまれ、それを喜ぶどころか、なんだか辟易としたような、うんざりしているようなボブ・ディラン。だからフェスで歌った。「もう農場で働くのはゴメンだ」と。もう「風に吹かれて」のような歌は時代が違う。「時代は変わる」と歌えば、みんなも喜んで一緒に歌ったではないか。「手を貸せないのなら、新しい事からどいてくれ。時代は変わっているのだから」と。だから新しいロックを歌った。何が悪い?
・・・ていうのが私が映画で見た限りの理解なのですが、ボブ・ディランは実在の人で、映画はノンフィクションだし、評論家や多くのファン、そしてご本人の意向と全然違ってたらごめんなさい。私はこのような理解で「実に面白い映画だ」と思いました。
女性のところに泊まっても、変わらずギターを握って歌い続ける。ジョーン・バエズと共に歌う姿は正に男女の睦み合いのようで、元?恋人の彼女が幻滅して去って行くのも無理からぬ所。とにかく人気を得ることも、お金を稼ぐことも、ましてや文学賞にも興味が無い(表彰は拒否したそうですね)彼が目指したのは、冒頭のように変わらずエンディングでも訪れたウディ・ガスリーのようでありたかった、ということでしょうか。
ふと思い出してボブ・ディランの楽曲を聴いてみるのですが、やっぱり歌詞が理解出来ないとダメですね。歌声がとても味わい深いんですけどね。和訳を追ってみてもネィティブじゃないと感覚的に理解し得ない気がする。ただ、ジョーン・バエズさんの柔らかく伸びやかな歌声がとても好きです。アルバムはどこを探しても見かけないのでアップルストアから音源を入手しました。かのレッド・ツェッペリンも彼女の曲をコピー(パクリ?)したそうで、それで興味を引いてチェックしたのですが、ボブ・ディランとの繋がりはよく知らなかった。また、ジョーンさんの「ドナ・ドナ」は絶品です。
あと、役者さんについてですが、気が付くと、またしてもティモシー・シャラメさんを見てしまったw 私が見た限りで「砂の惑星」「チョコレート工場」とまったく違う色彩を演じ分ける百面相。これまで映画界で次々と名優達が名を連ねてきたけど、彼もまた新たな時代の風なのでしょうか。今後の活躍をお祈りいたします。
キャストの生歌唱が圧巻、音楽映画として見応えあり
当時のボブ・ディランをリアルタイムで見聞きした世代ではないし、好んで聴いてきたわけでもないので一般常識程度にしか彼の曲を知らない、そんな私だがティモシー・シャラメとエドワード・ノートン目当てで観に行った。
これは、ある程度ディランの知識があること前提で作られているのかな……と思われるくだりがちらほら。詳しい人なら、シャラメの寄せ具合を個人的に評価したり、さらっと流された登場人物について「あーあの人が出てきた」とか「あの笛はあれだな」とニンマリしたりという楽しみ方ができるのだろう。
残念ながらそういう方向性の味わい方はできなかった私だが、ディランがブレイクした時代の空気、そして彼が評価されている理由がこの伝記映画の内容としては短い5年間の物語に詰まっていて、彼のエポックメーカーたる所以を感じることはできた。
それにしても、ティモシー・シャラメの芸達者振りには驚くしかない。歌唱シーンは全てシャラメ自身が歌い、事前録音ではなく撮影現場の生の音源が使われているという。
5年半トレーニングしたからといって、誰もがボブ・ディランを名乗って遜色のない歌唱と演奏をものにできるわけではない。それだけの努力に加えて、これまでの彼の演技の経験が、演奏にオーラをまとわせることに一役買っているように思えた。
ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロの歌声も素晴らしい。役が決まった時点では、歌も演奏も未経験だったという。いやいや……信じられない。
エドワード・ノートンも、フォークの大御所然とした美声をさらっと披露する。ピート・シーガー役は元々ベネディクト・カンバーバッチが演じる予定だったが、スケジュールの問題でノートンに変更になったという。出演時間は多くはないが、実力派が当てられるところにシーガーという人物の重要性を感じる。
全編にあふれるフォークソングとディランの歌が、彼らのパフォーマンスによってとても新鮮に聞こえ、フォークのよさもディランのロックの新しさも感覚的に分かったような気分にさせてくれた。
しかしまあ、ディランの恋愛スタイルはかなりアレですな。どこまで事実通りかは知らないが。
私はすっかりシルヴィの目線になってしまって、結構きつかった。居候している彼女の部屋にジョーン・バエズを連れ込み、その後帰宅したシルヴィを平然と出迎えるところなどは、なんやこいつ……という目で見ていた。別れたバエズのもとにふらりとやってきてこれみよがしに作曲作業をするところなんかは、冷静に見れば結構イタい。これ、ディラン設定で顔がシャラメだから絵的に許されるやつね(バエズには許されてなかったが)。
確かに、若き日のディラン本人もなかなかのイケメンではある。シャラメは顔の造作はそこまで似てはいないが、眼差しの強さやそこに宿る影は本質的にディランと同じであるように見えた。
物語自体は、割とあっさり流れていく印象を受けた。確かに彼が時代を拓いたことは伝わってはきたが、一方で彼の内面が主観で描かれることはほとんどない印象だ。
彼の無名時代については、ウディ・ガスリーに傾倒していること、かつてサーカス団と共に過ごした時期があったこと(これは調べてみると事実ではないようだが)、本名はボブ・ディランではないことといったほのめかし程度の描写があるのみ。名曲が生まれるきっかけ的なエピソードはない。シーガーとは音楽性において袂を分かったようで、その時の2人の関係の変化はドラマとしては面白そうなのだがそれもない。ノートンの使い方がもったいないように思えた。
ディランに関する知見の少ない私から見れば、映画の中のディランは最初から天才で、天賦の才を世間に認めさせるだけの行動力と運の強さもある人間だった。その彼が5年という短期間でサクサク成功し(たように映画の中では見え)、ロックへ路線変更してゆく(本人はただ良いと思った音楽をやっているだけなのだろうが)が、その過程や心の動きにあまり深入りしない語り方は、いささかカタルシスに欠けた(物語の面だけの話。キャストの歌唱は別)。モデルとなった本人が健在なので、内面に切り込んで解釈をほどこすことは遠慮したのだろうか。
一方で、赤狩りやキューバ危機、ケネディ大統領暗殺といった出来事から感じるあの時代の空気感、その中で生きていた人々にディランのプロテストソングが刺さるのは何となくわかる気がした。
人間ディランの内面のドラマとしては若干物足りないが、ミュージシャン・ディランのすごさや魅力は十二分に伝わってくる、そんな映画。
似ているがゆえの不気味の谷現象
映画.comのインタビュー記事で、監督が「天才がやってきて、事を成して世界を変えて旅立っていく寓話」と表現していて、なるほどと思った。この映画では、登場したときからディランは天才で、その天才っぷりを堂々と見せつけて、次のステージへと進んでいく。表現者の物語として、いささか盤石すぎやしませんかと感じてしまったが、天才が降ってきて去っていく寓話なのだと思えば、合点がいくといえば合点がいく。
とはいえ熱狂的なディランファンではないが、それなりに聴いたり読んだり聞いたりしてきた者としては、あまりにも有名なエピソードが連なっていて新鮮味には欠ける。ディランというひとは究極のカッコつけだと思っていて、実像と虚像の間にある矛盾にこそ興味があるのだけれど、矛盾に踏み込んでいるのはサーカス出身というホラ話くらいで、むしろディラン伝説の背景にいた人たちを通じて時代の空気みたいなものを感じられたことが良かった。
シャラメの演技や歌に関しては、最初に書いたように寓話であるなら納得はできるが、正直、とても似せていることで自分の中で「不気味の谷現象」が起きてしまっていた。街でシャラメが歌うボブ・ディランがかかっていても、劇中の歌に耳を澄ませてみても、どうしても近似値であるがゆえの差異が気になって、「これはディランではない」と思ってしまうのだ。
贅沢を言うと、伝記映画が完全にそっくりである必要はなく、核のようなものをつかんでくれていれば、あとはこちらが脳内補完しながら「この映画のディランはコレだ!」と思って楽しむことができる。例えばオースティン・バトラーの『エルヴィス』は成り切ってはいたがすごく似ているのとは違って、むしろエルヴィスのエネルギーを演じているようなところがあった。コロナ禍で練習する時間がわんさかできて、シャラメがよりディランに近づけて歌ったり演奏できるようになったと聞くが、むしろコロナ禍前の状態で聴いてみたかった気がする。
まあ、この辺の印象は、ディランにどんなイメージを持っているか、持っていないかによって大きく異なると思いますが。
シャラメの弾き語りが素晴らしい、最高の音楽映画
本作については当サイトの新作評論とジェームズ・マンゴールド監督インタビュー記事の2本を寄稿したので、ここでは記事で書ききれなかったトリビアなどを紹介したい。
ティモシー・シャラメがボブ・ディランを演じる本作の企画が始動してから、コロナ禍と業界ストライキの影響で製作が5年停滞し、その期間にシャラメは歌とギターとハーモニカを猛特訓した。シャラメ自身が歌った音源が本編で使われ、それがディラン曲の魅力を見事に表現しており素晴らしいのは各所で紹介されている通り。
ただ、資料などを見てもギター演奏の音源が使われたかどうかは確認できなかったので、マンゴールド監督に直接尋ねてみた。すると、アコースティックギターの演奏も確かにシャラメが弾いた音源を使っているとのこと。ヴォーカルのわずかなピッチのずれやギターの細かなミスタッチなどは録音後にデジタル編集で修正しているものの、間違いなくシャラメ自身の演奏で、プロのミュージシャンによる音源を差し替えたりはしていない。さらに、序盤のウディ・ガスリーの病室で弾き語るシーンでは、修正を一切せずシャラメが弾き語った音源をそのまま採用したことも教えてくれた。
プロのミュージシャンが出演した映画や、元々俳優業と音楽活動の二足のわらじで活躍しているスターの出演作は別として、専業の俳優が自身の歌と演奏を披露した音楽映画としては歴代最高レベルの出来だと個人的に思う。近年ではラミ・マレック主演作「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットし評価も高かったが、歌はフレディ・マーキュリーの音源に差し替えられており、つまりはフレディの超絶ヴォーカルとクイーンのバンドサウンドの魅力に負う部分が大きい。もちろん、「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」の場合は扱う音楽ジャンルがフォークだったことも重要だろう。マンゴールド監督はフォークが歌い手のありのままの声を大切にする音楽であり、俳優の演技に別の歌手の音源をあてた映像では真実味から遠くなる、嘘っぽくなるという趣旨のことも話していた。だからこそ、シャラメの弾き語りが単なるディランの物真似でなく、シャラメの人間味を感じさせる表現になることが鍵だったし、彼の特別な献身がそれを可能にしたのだろう。
評論で書いたように、本作は音楽映画としてだけでなく、周囲の人々も描く人間劇、60年代前半の米社会の激動期を伝える実録としても楽しめる。音楽好きのみならず、幅広い映画ファンにおすすめしたい傑作だ。
贅沢で厚みと深みと高揚感に満ちている
ディランについて代表的な数曲くらいしか素養のない自分だが、本作は直球で胸を貫いた。マンゴールドの演出が観客を裏切らない手堅さと人の情を持ち合わせていることは明らかだが、車でフラリと現れる若者がいざ病室でギターを奏でるや、キンと響く歌声がその場の空気を豹変させていく魔法のような瞬間をマンゴールドは不意に涙があふれるほど絶妙に捉えている。これは生まれてから老いるまでを網羅した伝記ではない。描かれるのはキャリアのほんの初期にあたる60年代だ。シャラメは天賦の才能に満ちそれでいて転石の如く変わり続けるカリスマを見事なパフォーマンスで体現。彼ならではのディラン像と独特の歌声が溢れゆく様はどこを取っても至福と呼べるほど素晴らしい。と同時にノートンを始め共演陣がどれも実にいいのだ。彼らがいるからこそシャラメ=ディランは輝く。ゆったりと贅沢で厚みと深みがあり、伝説が生まれる高揚に満ちた141分と言えよう。
フォークのメロディがいっぱいの幸せな人物伝
ボブ・ディランが若い頃から耳に残るメロディで人を惹きつけ、女性たちにも愛され、時代の波を転がりながらサーフしていく。フォークソングの枠に収まることを嫌ったディランは、そうしてジャンルを超えたメロディメーカーとして選ばれた人生を流れるように突き進んでいく。
そんなディランの若き日を監督のジェームズ・マンゴールドはマニアック過ぎず、奇をてらわず、過剰なドラマ演出を排し、時代を彩ったフォークソングを全編に溢れさせながら再現している。そこがいい。これはギターとフォークに夢中になった'60年代世代はもちろん、ディランを知らない世代もギターの爪引きと歌声に取り込まれる贅沢で幸せな時間だ。
だから当然、ディランを演じるティモシー・シャラメをはじめ、実在の人物を演じる俳優たちは全員、吹き替えなしで撮影に臨んでいる。まるでフォークソングで時代を描いた映画のようでありながら、しかし、最後はボブ・ディランという天才の人とは違う生き方に着地させる。さりげなく、巧みな構成は今年のオスカー候補作の中でも抜き出た存在だ。
The Artist's Burden
Chalamet is the weirdo with sex appeal that perfectly matches Bob Dylan's persona. Even if one is not a Dylan fan, Chalamet's guitar and vocal rendition makes it one of the most impressive and toe-tapping musical biopics in God knows how long. Complete Unkown catches the gist of 60's America, culturally revolutionizing itself in the Cold War, while this film is at ease having fun with itself.
奴らの敷物に泥を
若き日のボブ・ディランをティモシー・シャラメが演じる。5年ほどトレーニングを重ね、吹き替え無しでこの役に臨んだとか。
時に恋人関係にあったジョーン・バエズ( モニカ・バルバロ )とのデュエットシーンはシンガーそのもの。モニカ・バルバロもまた歌が巧い。
フォーク歌手ピート・シーガー( 「 花はどこへ行った 」作詞作曲 )をエドワード・ノートンが魅力的に演じる。
ピート・シーガーの自宅に招かれたボブ・ディランが、翌朝ギターを抱え歌を口ずさむシーンがいい。
エル・ファニングが恋人のスージー・ロトロ( 本作ではシルヴィ )を可憐に演じる。
世間から注目されるようになったボブ・ディランが、自分らしさを失いたくないと苦悶する姿がリアル。
ー モンタレー・フォーク・フェスティバル
映画館での鑑賞
一つの時代
ボブ・デュランのひとつの時代を描いてるのだが、個人的に彼にハマらず生きてきたものにおいて、心を揺さぶられる思いはできなかった。
苦悩する姿よりも彼本来の心のあり様と環境に翻弄される1人の男の生活を垣間見せてもらった。
ティモシー・シャラメだったので
ボブ・ディランは全く聴かない。それで鑑賞してみた。
タイトルに書いたように、私はボブ・ディランを全く聴かない。勿論、名前は知っている。一部の有名な曲も知っている。が、自分から聴こうしたことは1度もない。
ノーベル賞文学賞を受賞したし、伝記的事実も知りたかった。私の前の世代はフォーク全盛だった。私達はビートルズの洗礼を受けて育った世代だ。
この映画でボブ・ディランは、改革者であろうとしたことは理解した。
上澄みだけのボブディラン
追憶のハイウェイ・ドライブ
天才の半生
ミュージシャンとして初のノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの半生を描いた作品。
私は、ボブ・ディランについて何も知識が無い状態で鑑賞した。
数年前にQUEENのフレディマーキュリーの一生を描いたボヘミアン・ラプソディーが上映され、その時も私はほぼ知識が無い状態で鑑賞したが、心から楽しむことができた。
わずか10ドルを握りしめてニューヨークから始まった旅であったが、抜群の才能とカリスマ性を持ったボブは周囲の人間にも恵まれ、順調に音楽界のスターダムを駆け上がっていく。その中での苦悩や成長を描いたストーリー。
ノンフィクション映画によくある波乱万丈の涙あり映画ではない。音楽の方向性を転換するボブに時代がついていけなかった。後にそれは大衆から認められたという天才のストーリーである。
歌唱シーンが多く、ボブ・ディランの歌を堪能できる時間が多く設けられている。はじめて聞いた私でもいい曲だなと感じることができた。
フレディのように、人間臭さや情熱的なところは少ない。上品な作りとなっている。たとえば、観客を感情移入させるような主人公のコンプレックスのようなものは描かれない。人情劇を期待するとかなり薄味に感じられるだろう。
それでも、こうした歴史的偉人を映画を通して学べることは素晴らしいことである。
若きボブディランの出会い
T.シャラメだけではない!
ティモシー・シャラメに縁も関心もない中、見に行ってみた。どうぜ「ハリウッドの寵児」の独壇場だろう、と構えて。
あの時代の社会の動き、音楽界に漂う特別な熱、ボブ・ディランと彼をとり巻く人たちがよく描かれていた。
シャラメの演技も抑制が効いていた。ウディ・ガスリー、ジョン・バエズ、ピート・シガー、ジョニー・キャッシュら、自分の音楽を求め、もがくミュージシャン達のひとりにしか見えなかった。それは良い意味で。
名のある者のもとを訪れた、ひとりの名もなき若者は、名のある者となっていく。逃れることのできない名をもったその若者は、最後もひとり去って行く。オープニングとエンディングのあのふたりのシーン、交わされる言葉はない。忘れがたいシーン。
ジョーンの一青窈スタイル
ボブディランあんまり知らんかったからだけど、内容自体はよくある超絶売れっ子の苦悩とか、枯や衰はなかったけど
ティモシーシャラメ味のある歌、そこまで上手いと思わないけど
所々あるジョーンとのコラボが1番良かった、暴露してさらに売れていくとか貪欲すぎ
ノーベル文学賞受賞式参加しないあたりロックだなー
やっぱり歌上手かったり楽器できたりする人ホント羨ましいわ〜
やっぱミュージシャンってカッコいいんだろうな
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