今日の空が一番好き、とまだ言えない僕はのレビュー・感想・評価
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層/躁の問題
この映画が面白いとまだ言えない僕は、帰ってからジャルジャルのコントをみようとした。そしてYoutubeであれこれ探しているとあるものを見つけた。
「俳優なのにマネージャー顔の奴」
主演の小西を演じた萩原利久も参加しているものだ。ベストタイミングだと思い、だらだらみていると、なんだかこの映画の全てが詰まっていると感じた。そして16分ほどしかないにも関わらず、途中でみるのをやめてしまった。そう、とても面白くなかったのだ。
このコントが面白くないのは、一辺倒のすかし笑いだからだ。
コントでは映画監督ージャルジャル福徳が、ある映画で俳優をキャスティングするために、カフェで打ち合わせをするのだが、その俳優がマネージャー顔で、登場人物たちの間でディスコミュニケーションが起こるのである。
俳優なのにマネージャー顔の奴やないかい。これを何回みさせたら気が済むのだろう。ツッコミ役は映画監督のみであり、そのツッコミも他の者にリアクションを与えるものではなく独り善がり。かといって他の者も映画監督のツッコミをただ傍観しているのみ。それは現実ならそうする姿なのか?でも現実であり得そうだけど、そんなことはないコント空間≒フィクションである。そのあわいが、コントの彼らとコントを演じている彼らのあわいを生み出し、シュール≒すかし笑いをもたらすのだろう。でも一辺倒のパターンを繰り返してもうんざりするのみだ。そしてこのことは本作にも言えるはずである。
この映画は結局、何の話なのだ?
小西の人物造形はジャルジャル福徳を意識したものだから、私小説を翻案したものなのか?でも違うやないかーい。では小西と花の恋愛物語なのか?そうみえるけれど、違うやないかーい。本当は、反戦映画なんです。いや、そんなこと言われても頭に??が浮かぶだけで、そんなすかし語りをするなら、真っ向から何かを語れよとしか思えない。
本作でデモの描写があったり、ラジオから戦争のニュースが流れてきても、全く響かないのは、どこまでいっても小西の内的な物語でしかないからだ。
小西は外界に関わっているようにみえても、大学空間に閉じ籠もっている、自室に閉じ籠もっている、自分の心に閉じ籠もっている。小西は外界から幾重にも層を重ねて、自己の内面に向かう。問題は小西の内面でしかないし、語られるのもそれのみだ。デモもせいぜい大学構内でしか行われない。それのどこに外界に働きかける力があるのだろう。小西の内面物語なのに、反戦映画もどきの奴は、全然面白くない。
本作の3人の長セリフは素晴らしいと思いつつ、彼らには他者が必要ないことも明らかにしてしまっている。
さっちゃんは銭湯のバイト終わりに小西に告白をする。さっちゃんー伊東蒼は素晴らしい演技をしている。しかし重要なのは、さっちゃんにそう告白された小西がどのようにリアクションするかではないのか?しかし本作では呆然と立ち尽くすのみ。さっちゃんも映画もリアクションを求めない。それでいいのだろうか。
長セリフは他者のリアクションを必要としない。語り手が一方的に言いたいことを言えばいいだけだ。そこで生まれるのは、吐露による心情の整理であり、正しいか分からない自己解決のみだ。そんな自己にしか関心しかなく、躁状態の様に過剰に語りを行う、彼ら/の物語を、大学生の恋だと解釈すればいいのだろうか?でもそれは幼稚であるし、彼らのドラマを、不意に命を無くしかねない戦争状態とトレースして語ってみても、浅はかにしか思えない。
「乱入」が、本作にとって重要な描写だと思っていた。
小西の前に花が現れるのもそうだし、彼らが仲良くなるのも騒がしい授業への乱入と抜け駆けである。サクラはキャンパス構内に乱入する。そしてデモ隊が構内に乱入するように、戦争が小西の内的世界に乱入したかのようにみえる。
しかし自己では統御できない異質な他者が乱入することによって、幾重の層を打ち破るかにみえる物語は、結局、上述のように他者を必要としない物語になってしまっており、全くすかされている。
小西と花の会話をスプリット・スクリーンでやるが、凡庸なカットバックで十分だし、バカズームがされても、単純に河合優美の顔を撮りたいだけじゃんという印象しかない。サイズの微調整のためにカメラは動くし、フィクションであることを再認識させる異化効果も感じられないから。音についても、あるべき音が聞こえない/くぐもる、逆に聞こえないはずの音が聞こえるという、不快さしか残らない設計になっている。この不快さは、内面世界の閉塞や過剰意識という意図があるのだろうけれど、何か卓越した表現があるようには思えない。ただ最初の雨の音はタイミングしかりよかったが。
そしてここまで長セリフのように語るレビューは一体何なのだ?お笑い考察かのようにもなっていてうんざりだ。
青春を語る歳ではありませんが
青春が詰め込まれた
というか他人の恋愛模様を見せつけられる映画です。
河合優実さん目的で見ましたが抜群にかわいいです。
付き合ってみたくなります。
伊東葵さんの気持ちは手に取るように分かります。
過去に同じような状況になったことを罪深く思い出し謝りたくなりました。
亡くなってはいませんが。
萩原利久さんの立場も痛いほど分かります。
もうどうしたらいいのか?
誰も傷つけたく無いし。
辛い立場を思い出して胸が苦しくなりました。
全て役名じゃないレビューですみません。
全体を通して良い空気感のある作品だなと思いました。
原作は読んでいません。
もうすぐAmazonプライムで見られるようなので
何度か観たい良い映画だと思います。
関西人の土地感覚を舐めてんのか!って、原作者が吉本か。
原作を読まなきゃいけないなと思うが、現代における純愛というものを追求したんだろうな。それはストーカーと紙一重だが、まあ昔から純愛というのは、自分の心の中の幻想を相手に投影したストーカー的なものかもしれない。脚本の緩さには目をつぶるとしても、主人公の小西は一体どこに住んでるんだよ!河合優実に「ここに住んでるなら遅刻知らずだね」と言われてるんだから、関西大学前(ちなみにいしいひさいちの母校であり、著書の『バイトくん』では東淀川大学と呼ばれている。昔は関大前の通りは雀荘だらけだったのに、今はこじゃれてるね)のワンルームマンションだろ?それなら、なんで、京都の銭湯で、深夜の風呂掃除のバイトをしてるんだよ!どんな移動をして生きてるんだよ!そして、関大前と、銭湯周辺の京都では、映像で見ても明らかに町並みが違うだろ!大九監督には映像感覚というものがないのか?どこの町かぼかしてるならまだしも、出町柳や木屋町を撮りまくりだ。ひどすぎる。伊東蒼がオーディオテクニカのヘッドホンを付けて出町柳から今出川通を渡るアップを見て、「危ないよ」と思ったけれど、ラストへの伏線でした。幸薄き伊東蒼(これぞ、ザ・失恋という感じでしたね。おまえはシャイロックかと思わせるくらいの長ゼリフ)は、『空白』に続き、今回も古田新太に号泣されました。河合優実が待ち合わせの約束をすっぽかしたという事件の謎の、帳尻合せをするラストの無茶な設定にも関らず、藤井優実は今回も絶品でした。スクリーンいっぱいのアップに微動することのない迫力。これからどこまで成長するのかと、空恐ろしいくらい。
名作の予感・・・見てよかったと思わせる青春の1ページ
伊東蒼と河合優実の顔の雰囲気が似ていてキャストが良くないと思ってたら、なんと素晴らしいキャストだったんだとビックリさせられた。
萩原利久が仏壇の前で、犬のサクラを演じるシーンは無い方が良かった。
終盤でテレビのボリューム上げたくらいで終わっていたら凄い名作だったと思う。
長くしつこいセリフが賛否両論だけど福徳秀介らしくていいと思った。
とにかく福徳秀介は凄く才能のある人だと思う。
欲張りすぎなければ、凄い名作だったのに。
まあこうやって感想を共有したくなるところが名作なのかもしれない。
とにかく見てよかった映画です。
会いたくて震える伊東蒼 勝手にふるえてろと電灯を見上げる萩原利久 泣いて震えた河合優実
とても自由な映画である。そしてとても狭い映画でもある。爽やかなタイトルとキャスト原作者の印象によって裏切られる、ハードな映画である。
耳をつんざくような雨の音と共に作品が始まる。音の映画なのだろうか…と、背中をとらえた二つのショットのうち女性はヘッドホンをしている。おや、彼女には聞こえていないのか…。雨音が若干ぼやける。ん…これはこのどちらかの聞こえ方なのだろうか…そしたらそれはヘッドホンをしている女性なのか…
こんな感じで雨と背中と男女が提示されると、すぐに晴れのなかキャンパスで傘を差して登校している男性の顔が映される。背中の男性が顔と結びつくことで安堵を覚える一方で、傘を差していることでつながられるシーン同士を紐づけられないことと、周りの学生が彼の奇妙な行動に注意を注いでいないことに首を傾げる。
そんな観客を気にも留めずに、ジワジワとしたズーム、オノマトペ的独白、テンポ重視にカッティングすることで作品固有のリズムを早々に獲得しながら、背中の男女が互いを認識するシーンへと瞬く間に進んでいく。
その軽やかさやある種の無責任さがこの作品のリズムに他ならない。
主人公は関大生だが方言に馴染もうとしない。友人のバンダナくんは自分自身の言葉として方言の方言の中間にとどまり続ける。
縦軸の恋愛に対しては純粋であるが、それを取り巻く自己や周囲は決して従属的に陥らず、反発すらする態度である。
友達付き合いに疲れて一人で学校生活を送っているにも拘らず、大学の近くの飲食店でアルバイトを続けているヒロインや、何度も「初恋クレイジー」を聞くよう懇願する銭湯のアルバイト仲間の女の子だってそうだろう。
自分が持った大事にしたいものと、まっすぐに向かってしまう恋愛との狭間で躊躇い、足踏みを繰り返す。
ウダウダしているだけかと思うきや、なんの前触れなしに水族館に出掛けて過去を泣きながら話して慰めあうような「?」もシーンもあったりと、まさに運命が突き動かしたように前段階を省略してホイホイと進んでいってしまう。それに取り残されることなく、喰らい付けるかが本作を楽しむための振るいとなっているのだろうか。
爽快な空気で持続していく時間のなかで関係を持つ者同士がもう一歩踏み込めないのは、「断絶」によってつながれたショットの連鎖に起因する。これは本作の一番といっても良い見どころの長い告白シーンにおける、小西とさっちゃんの単独フレームによる切り替えし(肩越しショットなど、二人が同じ空間を共有していると確信できるショットの不在)や、
学内で疾走している犬のサクラを追う桜田が(①)、挿入される小西の顔クロースアップの次に切り返されると(②)、もう既に遠くにいるロングショットに(③)。3ショットで流れるべき時間感覚から解脱した身体として、映像内重力は現実の重力とは少し異なっていることつなぎが頻出するのだ。
極めつけは序盤のシーンではあるのだが、フランス語を受講しているバンダナ君の元に一目散に駆けつけるシーンにおいて、着席の瞬間が二回繰り返される。この繰り返しは編集によるものだ。いわゆるバラエティー番組の衝撃映像を幾度も見せつけるあの感じ。わざとカット尻と頭をダブらせて滑らかなつなぎから距離を取っている。
そうすることで、人物から身体の持続が薄れていく。本作の登場人物たちには身体がない。傘を差す小西に奇怪な視線を送るものは誰もいないし、ザーザー降りの雨のなか傘も差さずに歩く桜田にも無視されているようだ。さっちゃんが行方不明になった1か月半だって心配してる風を装っているが、実際に行動はせず死んだあとに泣きむせぶ。
より詳細に述べるならば、対象化される身体の喪失なのだろうか。だから、セレンディピティでつながるものたちだけがものたちだけの世界で深める関係が純粋化されるのだ。
見られない自己の身体を確立するために、人物たちの前にはただ音だけが残る。他人には聞こえない音量で自らがとらえた音、たまに二人だけにしか聞こえないテレパシー的な発音が距離を近づけていく。待ち合わせに来ない桜田から実は嫌われているのではないか?と思案する際に小西に訪れるのは、悪口をまくしたてる桜田の声と、それえを発している口元。限りなく彼女が放った言葉として小西に突撃する。そう、小西にはそう聞こえていたのだ。誰にも聞こえなくても小西には聞こえていたのだ。
話としては冴えない一大学生の誇大化したあらゆる恋愛のうちの一つなのだが、
原作がお笑い芸人ということもあり、収束に向けるオチの付け方とそれを視覚的伏線として貼る大九監督は見事であった一方で、やはりどこかで落とさないといけないという説話的呪縛からは本作も逃れることはなかった。それができるだけの助走は十分に取れていた分、実に惜しい。
今年度の公開された邦画のなかでは群を抜いて独創的であっただろう。
素晴らしかった
さっちゃんがとても魅力的で最高だ。ところがあっさり死んでしまいショックだ。古田新太に主人公が「ちょっと気まずいだけですよ」などとへらへら語っていることろに「思いあがるな」ときつい一発をかまし、真相を知って腰が抜ける。また仏壇の前で慟哭する古田新太にお姉ちゃんが「最悪」とつぶやくのも強烈な一発だ。
さっちゃんの告白が最高で、あの角の向こうに見えなくなったら追いかけて抱きしめろよと、そうしない主人公にムカつく。しかし人には好みがあるので仕方がない。お友達に八つ当たりするのも、若者なら仕方がない。それにあの後、お姉ちゃんと付き合えたとしてもうまくいくとは思えない。お互い自分が大事で、それを互いに尊重できればいいけど、難しいのではないだろうか。楽しい時期は長くないだろう。
また、お仏壇の前で告白はない。時が過ぎて悲しみが癒されてからにして欲しい。なんでこのお姉さんが悲しみに暮れている時期に自分の我を通そうとするかな。
それに告白の感じがさっちゃんに影響を受けたのかもしれないけどまるで同じ人格のようで、表現として人格の描き分けに失敗しているようにも見える。
喋って喋って全部説明
映画やドラマの映像作品は、なるべくセリフは少なく、説明セリフは無しのほうが良いと考えています。画面で色々語ってほしい。
しかし本作は、しゃべるしゃべる。何もかも話してくれる。なぜ?という行動もみんな登場人物が後で説明してくれる。そういう点では、わかりやすいと言えるし無粋とも言える。
だがしかし、それが若くて痛くてうまくできない不器用さを強く表しているようです。
それを支える役者さんたちのすごさ。
ベタの極みみたいなストーリーでもこの不器用さが胸に直接刺さってくる。
それにしてもサッチャン、不憫すぎるやろ。
あんな長い告白したのに報われないどころか…
(古田新太の嘆き、別の映画でも蒼ちゃんで慟哭しとったなあ、なんて思い出した)
しかし、サッチャンをよく知ればハナちゃんと同じ中身だったかも?なのに、小西、ハナちゃんにひと目ぽれしたのはなんでや。一目惚れに理由なんてないか。ハッピーエンド、なのかな?
痛い
ただの恋愛ではない。
大学で出会った2人の小西くんと桜田さん。なんとなく価値観が合った惹かれ合っていく。いいなぁ。青春だなって思いました。
小西くんのバイト先の女の子さっちゃん。彼女を演じる伊東蒼さん初めて見ましたけど、素晴らしいです。
好きなこの好きは知ろうとするが、好きではないこの好きは知ろうとしない。痛い。刺さりました。
そして、さっちゃんの好きなスピッツの使い方、テレビのボリューム。この辺りの使い方上手かったです。脚本が良かったなと久しぶり映画見て思った。
小西くんが友達にキレるところが、あ、この主人公嫌いかもって思ってしまった事と、小西くんを演じた萩原利久さんの最後、さっちゃんを、思い出す芝居が悪くはないけど、イマイチだったのが本当に残念でした。主観です。
いい映画みた。
「初恋クレイジー」も良いけど「バニーガール」も良いよね。
河合優実はお笑い好きだそうだが、なんだろ?この作品終始若手芸人の分かってやってる青臭いコント感が拭えない。桜田さんが「キモくないですか?マジありえへん」とか言うのは主人公の妄想なんだろうな、というのは解ったけれど。あとサッちゃん死なしたらイカンでしょ。安直過ぎるよ。そして実は姉妹でしたって。あーそうかやはりこれはコントなのか。吉本っぽいというか、ジャルジャルか、あーなんか分かる気がしてきた。前半は良かったと思うけれど(サッちゃんが潜る所とか)人を簡単に死なせるのは共感できないよ。せっかく河合優実はじめ若手陣は熱演してるのに。
一番の救いは山根だな。いい友達持ってるやん。
観てる間「出町柳から関大ってえらい遠いよな」「出町柳やなくて地下鉄で四条まで行って阪急の方が近いんちゃうん?」などと大学生活を大阪で過ごした身としては山根ばりのエセ関西弁で懐かしく感じた。
「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は、君に好きと言う」
大九明子さんの監督・脚本作と言うと、前作は「私をくいとめて」になるんですね。あれも面白かったけど、今回もガッツリ香辛料が効いてるし、切れのある捻りは入るしで、面白かったです。
大久脚本と言うと、1カット長回しの一人芝居です。「私をくいとめて」では、のんの長回しに圧倒されました、と言うか抱腹絶倒。ちょっと芝居がかってるながーーーいセリフに惹きこまれました。
これがですよ。今回は3人です。伊東蒼ちゃん、河合優実ちゃん、萩原利久くん、3人が長台詞に挑みます。
伊東蒼ちゃん、すげー。彼女を最初に認識したのは「さがす」でした。ただもんじゃないね、感はその頃からありましたが、今回の独白シーンにはココロ持ってかれました。役どころも良いんですけどね。この子、本当に好き。伊藤沙莉ちゃんの強化バージョンじゃないかと。次作も楽しみにしてます。
と、最近、露出多すぎひん?と不安を覚える、河合優実ちゃんです。出演作を過去に辿っていくと、「喜劇 愛妻物語」で見てるはずなんですね。あまり記憶に残ってません。と、数作、あまり覚えてない出演作が続き、最初に認識したのが「由宇子の天秤」。で、ここからの成り上がりスピードの凄さと来たら。今や朝ドラですからね。見たことないけど。見た目も良いし、実力あるしで。今回は、二面性を持つ女の子(演出上)って事でしたが、その実力、いかんなく発揮です。
と、この2人を相手にした荻原利久くんが、可愛そうになるくらい、若手女優2人の芝居に圧倒された映画でした。
「今日の空が一番好き」とは、毎日を前を向いて生きている人の口から出てくる言葉。花にとってのさっちゃん。小西にとっての山根。一人では、そう生きられそうにない小西と花は、一緒にいるしかない。
だから、「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は、君に好きと言う」
年一候補、ってほどではありませんでしたが。
良かった。
とっても。
小説の台詞をそのまま?
まず、撮影と照明はとても良かったです。
ただ長台詞がキツ過ぎました。
小説なら全く問題なく読めると思いますが、台詞回しも小説っぽ過ぎて入ってきませんでした。
また、構成としてはいわゆる第二幕が長過ぎてダレます。
そして、最後の方の縁側の花の長台詞のところの突然のズームが本当に謎……そこまで空気感や芝居を大切にしたかったのなら、その後の回想カットの連打の方が明らかにいらないような……
監督の持つ良さと、原作小説をそのままにしろ勢が潰し合ってる失敗作に思えてしまいました。。。
小西、自分と似てるな〜
映画の予告もポスターも見ず、良いらしいという評判だけで劇場に足を運びました- ‧̫ •
映画の頭から「今じゃないって!」まで、小西に大共感しながら(というかそれが自然の行動じゃねと思いながら)鑑賞していた自分は、他の方々のレビューで小西がコテンパンに言われているのを見て、衝撃すぎて失笑してしまいました^^;
さっちゃんの告白シーンはもちろん圧巻でしたが、シーン中ずっと
小西目線の「興味ない人からこんなに長々と話されても別にどうでもよくね、てか早く帰りたくね?」
さっちゃん目線の「ああもう止まらないんだよね、自分でも自分が何言ってるか分かんないけどもうブレーキ効かないんだよね」
視聴者目線の「分かったからもうやめときな( ᵕ̩̩ ᵕ )ああ終わりそうだったのにまた始まった( ᵕ̩̩ ᵕ )」
という色んな方向からの思いが頭をぐるぐるとしており、見るのかなりしんどかったです。
今思うと、過去の自分を見ているような共感性羞恥の部分が大きいのかも🙂↕️☝️
言われてもいない人の気持ちを勝手に想像して被害妄想する上、そこからまだ脱出できていない自分みたいな人間にとっては、厚かましいですが「自分って傍から見るとこんな人間なんだ」と自覚させられるような映画でした!!
最悪な気分ですが、”ただの映像”という概念を超えて自分に干渉してくる凄みがこの作品にはあるなと同時に思いました。
でも、さっちゃんの死で小西があそこまで悲しむ理由が分からず、そこはずっと疑問のままです。
さっちゃんからの言葉や気持ちにちゃんと向き合わなかったことを後悔したのか、ひとりの友達を失ったから単純に悲しいのか、よく分かんないけど疑問のままにしときます‼️👍
ロジックに矛盾はないが、主人公に共感出来ない
1.はじめに:大九明子監督との相性
❶大九明子は、大学時代からコント集団に所属し、卒業後は秘書として就職するが水が合わず退職、芸人養成学校を経て、お笑い芸人として活動する。その後、女優、タレントに転身。更に、映画美学校に第1期生として入学し脚本と監督の腕を磨いたという珍しい経歴の持ち主(Wikipedia)。
❷長編監督作品の劇場デビューは、39歳、2007年(下記①)で、その後2025年の本作(⑩)まで、10本が劇場公開されている。
❸内、下記②を除く全作をリアルタイムで観ているが、相性は良好である。
①2007年 恋するマドリ 2007.08公開/鑑賞90点
②2012年 東京無印女子物語 2012.06公開/未鑑賞
③2013年 モンスター 2013.04公開/鑑賞50点
④2015年 でーれーガールズ 2015.02公開/鑑賞95点
⑤2017年 勝手にふるえてろ 2017.12公開/鑑賞70点
⑥2018年 美人が婚活してみたら 2019.03公開/鑑賞70点
⑦2019年 甘いお酒でうがい 2020.09公開/鑑賞73点
⑧2020年 私をくいとめて 2020.12公開/鑑賞85点
⑨2022年 ウェディング・ハイ 2022.03公開/鑑賞95点
⑩2025年 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は★本作/70点
2.マイレビュー:◆◆◆ネタバレ注意
❶相性:中。
★ロジックに矛盾はないが、主人公に共感出来ない。
➋時代:2024年。(さっちゃんの位牌の日付が令和6年)
❸舞台:大阪、京都。
❹主な登場人物
①小西徹(✹萩原利久 はぎわら・りく、24歳):主人公。関西大学2年生。横浜出身。内向的で自信がなく「自分は他の人と違う」という自意識を持っている。学内では晴れの日でも折り畳み傘を差し、人と触れ合うことを極力避けるようにして生きている。友人は山根のみ。近所の銭湯「七福温泉」で深夜に清掃のバイトをしている。バイト仲間で同じ歳のさっちゃんは小西に好意を持つが、小西は無関心である。大好きだった横浜の祖母が亡くなり帰省し半年ぶりに登校して、桜田を見かけて惹かれる。
②桜田花(✹河合優実 かわい・ゆうみ、23歳): 関西大学生。学食でいつも一人で蕎麦を食べている。興味を持った小西がアプローチしたところ、2人は同じ価値観を持っていることが分かる。桜田が小西に、「毎日が楽しいって思いたい。今⽇の空が⼀番好きって思いたい」と言うが、それは、桜田が9歳の時亡くなった父の口癖であると共に、小西の祖母の言葉でもあった。これから2人は急接近する。2人の関係を桜田は「セレンディピティ」だと言う。その後、さっちゃんがいなくなったのと同じ時期に桜田も姿を消す。
★終盤で、桜田はさっちゃんの姉で、さっちゃんは交通事故で亡くなっていたことが分かる。
③さっちゃん(✹伊東蒼 いとう・あおい、18歳):銭湯「七福温泉」での小西のバイト仲間。同志社大学の2年生。サークルのバンドでギターを弾いている。小西にスピッツの「初恋クレイジー」を勧める。小西とは反対の気さくで明るい性格。小西に好きな人が出来たことを察したさっちゃんは、小西に自分の思いを告白して姿を消す。
★長回しで撮った告白シーンでの伊東蒼の演技に胸が打たれる。
④山根(黒崎煌代 くろさき・こうだい、21歳):関西大学2年生。大分出身。小西の学内唯一の友人。
⑤花とさっちゃんの父(✹浅香航大 あさか・こうだい、31歳):娘たちが小さい時病死していて、回想で登場。娘宛の手紙が残っている。ギターを弾く。
⑥マスター(安齋肇 あんざい・はじめ、70歳):小西と桜田が通う喫茶店のマスター。メニュー「オムライス」に特別な意味がある。
⑦夏歩(松本穂香 まつもと・ほのか、26歳):佐々木の娘。バイトの小西とさっちゃんを優しく見守るお姉さん的存在。妊娠していて赤ちゃんんを出産する。
⑧佐々木(✹古田新太 ふるた・あらた、58歳):銭湯「七福温泉」の主人。夏歩の父。
❺まとめ
①主人公の小西をめぐる桜田とさっちゃんの三角関係の恋愛模様で、小西の眼から見た内容になっている。
②女性2人は良かったが、小西のモラトリアムなキャラに共感出来なかった。何事にも無関心なのは、自分を守る防御反応だろうとは思うが、相性として共感出来ないのだ(笑)。
③テーマ曲になっているスピッツの「初恋クレイジー」を理解していれば、本作の理解も深まったのかもしれないが、全くの無知だった。
❻トリビア:セレンディピティ(Serendipity)
①セレンディピティとは、イギリスの政治家・小説家のホレス・ウォルポール(1717-1797)が1754年に生み出した造語で、「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること」の意味で使われている(Wikipedia)。
②同名のアメリカ映画が日本でも公開されている。
『セレンディピティ(Serendipity)(2001米)』 2002/11公開・鑑賞 70点。
❖監督:ピーター・チェルソム、脚本:マーク・クライン、出演:ジョン・キューザック、ケイト・ベッキンセイル
③私にとってのウォルポールと言えば、ゴシック小説の傑作 『オトラント城奇譚(The Castle of Otranto)1764』。
決して美しい物語ではない。業を背負い、幸せを目指していく
上映前の印象とはだいぶ違い、簡単な言葉で言えば想定より重い映画であった。さっちゃんの告白シーンは本当に苦しくて見ていられなかった。あれほど早く終わってくれと願ったシーンは過去一かもしれない。この作品は一貫して「喪失」をテーマにしているのだと思う。喪失から逃げることなく、付き合い、幸せを目指す。そういったメッセージを感じた。ラストシーンは圧巻である。さっちゃんと同じようにつらつらと好きと言うまで言葉が飛び出してしまうが、流れる爆音のスピッツ、恐怖の対象であったはずの大きい音が聞こえてはいけない長い長い告白を打ち消す。さっちゃんは覗いていたのだろうか?そう考えずにはいられないカメラワーク。とにかく圧巻であった。
純文学の映像化
舞台になっている大学のOBの友人に誘われて鑑賞。
独特の世界観と言い回しから純文学と解る。
最後のタイトルロールからやはり原作がある作品と解る。
純文学なので、日常会話にしても何故その言葉?その言動?と思う事が多端にある。
主人公の小西は雨でも晴れてても傘を差すちょっと変わった大学生。
友達も1人しかいない。
銭湯で銭湯を洗うアルバイトをしている。
大学で団子頭の女の子を見かけデートを重ねるが…と言う物語。
兎に角、小西がちょっと変わってる。
デートをする花もちょっと変。
1番マトモなのは銭湯で一緒に働いているさっちゃん。
花に言われた事をひとつずつ試してみたり、花のお父さんが言っていた「今日の空が1番好きと思う」と言われた事を小西の祖母からも言われていた事がこの作品の主題になる。
花の言われた事を試した事を言っている事から、アルバイトの同僚のさっちゃんから彼女が出来た事が解り、さっちゃんが実は小西の事が好きで最後にさっちゃんが告白する。
それからアルバイトに来ないさっちゃんに待ち合わせに来ない花から花にフラれた思う小西が一カ月半後にアルバイトの銭湯からさっちゃんが亡くなった事を知る。
銭湯のオーナーとさっちゃんの家に行くと花がいてさっちゃんの姉だという事が解り、団子頭を切っていて、さっちゃんが交通事故で亡くなり、何にも出来かった一カ月半を事を知らせ、花の父が生前に娘の結婚式の為に書いた手紙を読む。
そして小西は花に一生側にいる事を告白する。
何度も言うが、ストーリーはそんなに進まないが純文学の映像化と解る作品。
独特の世界観があるが、その中に入れば良い作品。
疑問が謎のままでも面白い
主人公徹と花の出会いは
スピッツ・ロビンソンの歌詞「同じセリフ同じ時思わず口にする⋯」が脳内に響くようなシーンで、その解像度の高さから過去の自分をあれこれ思い出さされてく恥ずかしくなるような思いでした。最後にわっと疑問があふれ出して面白かったです。
疑問の数々
花は咲から徹の事を聞いて彼の目に留まるように近づいたのかそれとも偶然か
色んな偶然も花の演出なのか本当なのか
徹は実家で疎外されていたのか
咲は徹が姉と付き合い始めたのをいつ知ったのか
佐々木(銭湯の主人)はなぜ休んだ咲に連絡しなかったのか
咲の事故は徹との出来事が影響しているのか偶然なのか
咲が死んだのは花が徹と喫茶店に行く約束をすっぽかした当日なのかそれともそれ以後か
「目尻のシワを見てきてキモい」の会話は姉妹の会話かそれとも徹の想像か
山根に地元の彼女は居たのか
その他⋯
もう一回観て確認したかったのですがもうすぐ上映が終わってしまうので、またパンフレットも完売で、謎のままにしときます。
喪失を知っているには刺さるだろう
周囲の評判通りすばらしかった。特に俳優陣の演技がすばらしい。伊東蒼の長回しのシーンはハイライトの1つ。ここ最近はテレビも映画も河合優実の無双状態に見えてしまうが、簡単に伊東蒼が超えてきた感じ。
ストーリーは実体験とリンクするところもあり、苦々しい大学時代を思い出したりしてしまった。
また、肉親の死を経験した人でなければ、目まぐるしく移り変わる心理状態は理解しがたいかもしれない。喪失した人たちだけが分かる共通の感覚みたいなものがあった。あとで調べると原作者もそういう境遇にあり、だからリアルに感じれたのだろう。
編集や演出は多少クセありだったかもしれないが、テンポもよく個人的には好みだった。
タイトルなし(ネタバレ)
メインキャスト各々が担う、「この人達ちょっと苦手だな」って雰囲気が、物語が展開していくにつれて1つまた1つと絆されていき、最後には悲しい気持ちと不思議な多幸感に包まれていました。
咲の聞いて欲しかった、聞いて欲しくなくなった初恋クレイジーが流れた時に電流走りました。少し痛いくらいの愛はいつまでも心に残ってたりするもので、戻ってこないと知った時の虚な感じが自分にもあった気がして泣けてきました。
さくらの真似してお腹出したら花がお腹擦るシーンの、僕らには理解できないようなことが通用することはずっと映画の中で語られていて、あのシーンを受け入れられた僕はずいぶん幸せでした。さちせ
デモのシーンで感じたことは世界のどこかで戦争は起き、世界のどこかで同じ時間に起きた失恋は取るに足らないんだよ。
また戦争が起こると芸術は真っ先に淘汰され、面白い、つまらないと映画を観ながら揶揄できる場所にいられる自分が有り難いということ。
作品について誰かと話したくなったし、なんだかアキ・カウリスマキの枯れ葉も観たくなった。とても良い映画を観ました。ありがとうございました!
デモのシーンは「大阪万博反対!」にしたらよかったんじゃないかな
よくない映画でした。
異様にセリフが多いが、「どや?センスあるやろ?」って妙に捻った言い回しが多い。
そういう作り手の意図がうるさいくらいに伝わってきて、その時点でセンスないです。
もっと言えば一流の映画はセリフのセンスではなく、言わないことでセンスを魅せるのです。
セリフのセンスに頼ったこと。セリフでセンスを魅せようとしたこと。二つの間違いを犯しているのでこの映画は三流です。
要所要所にある超長セリフのシーンとか、いつまで続くんだよ、としか思えなかった。
主人公に魅力がない。こんなやつがどうなろうと知ったこっちゃないです。
店の看板犬だろうと、犬をわしゃわしゃする人間が嫌い。
主人公に想いを寄せていたバイト仲間の子の死が「感動のための死」でしかないのが不快。
監督のデモに対する理解が間違っている。
要所要所でパレスチナのジェノサイドに言及するようなシーンがあり、それがどのように物語とリンクしてくるのかと思っていた。
あんな仲直りした友情の証みたいなもんのために使うなバカタレ。
デモや政治活動なんてのは本当は皆やりたくないんです。めんどうだから。
でもやらなきゃどうしようもないから、やらないと自分がおかしくなってしまうから、だからやるんです。後から振り返れば青春にも似た情熱のようなものを感じることはあるかもしれないが、この映画のように仲直りしたことを示すための道具として使うのは不誠実だ。
不愉快だった。
登場人物が自己憐憫に塗れていて、それでいて社会が描かれていなくて、悪い意味でとても日本的な映画だと思いました。
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