今日の空が一番好き、とまだ言えない僕はのレビュー・感想・評価
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層/躁の問題
この映画が面白いとまだ言えない僕は、帰ってからジャルジャルのコントをみようとした。そしてYoutubeであれこれ探しているとあるものを見つけた。
「俳優なのにマネージャー顔の奴」
主演の小西を演じた萩原利久も参加しているものだ。ベストタイミングだと思い、だらだらみていると、なんだかこの映画の全てが詰まっていると感じた。そして16分ほどしかないにも関わらず、途中でみるのをやめてしまった。そう、とても面白くなかったのだ。
このコントが面白くないのは、一辺倒のすかし笑いだからだ。
コントでは映画監督ージャルジャル福徳が、ある映画で俳優をキャスティングするために、カフェで打ち合わせをするのだが、その俳優がマネージャー顔で、登場人物たちの間でディスコミュニケーションが起こるのである。
俳優なのにマネージャー顔の奴やないかい。これを何回みさせたら気が済むのだろう。ツッコミ役は映画監督のみであり、そのツッコミも他の者にリアクションを与えるものではなく独り善がり。かといって他の者も映画監督のツッコミをただ傍観しているのみ。それは現実ならそうする姿なのか?でも現実であり得そうだけど、そんなことはないコント空間≒フィクションである。そのあわいが、コントの彼らとコントを演じている彼らのあわいを生み出し、シュール≒すかし笑いをもたらすのだろう。でも一辺倒のパターンを繰り返してもうんざりするのみだ。そしてこのことは本作にも言えるはずである。
この映画は結局、何の話なのだ?
小西の人物造形はジャルジャル福徳を意識したものだから、私小説を翻案したものなのか?でも違うやないかーい。では小西と花の恋愛物語なのか?そうみえるけれど、違うやないかーい。本当は、反戦映画なんです。いや、そんなこと言われても頭に??が浮かぶだけで、そんなすかし語りをするなら、真っ向から何かを語れよとしか思えない。
本作でデモの描写があったり、ラジオから戦争のニュースが流れてきても、全く響かないのは、どこまでいっても小西の内的な物語でしかないからだ。
小西は外界に関わっているようにみえても、大学空間に閉じ籠もっている、自室に閉じ籠もっている、自分の心に閉じ籠もっている。小西は外界から幾重にも層を重ねて、自己の内面に向かう。問題は小西の内面でしかないし、語られるのもそれのみだ。デモもせいぜい大学構内でしか行われない。それのどこに外界に働きかける力があるのだろう。小西の内面物語なのに、反戦映画もどきの奴は、全然面白くない。
本作の3人の長セリフは素晴らしいと思いつつ、彼らには他者が必要ないことも明らかにしてしまっている。
さっちゃんは銭湯のバイト終わりに小西に告白をする。さっちゃんー伊東蒼は素晴らしい演技をしている。しかし重要なのは、さっちゃんにそう告白された小西がどのようにリアクションするかではないのか?しかし本作では呆然と立ち尽くすのみ。さっちゃんも映画もリアクションを求めない。それでいいのだろうか。
長セリフは他者のリアクションを必要としない。語り手が一方的に言いたいことを言えばいいだけだ。そこで生まれるのは、吐露による心情の整理であり、正しいか分からない自己解決のみだ。そんな自己にしか関心しかなく、躁状態の様に過剰に語りを行う、彼ら/の物語を、大学生の恋だと解釈すればいいのだろうか?でもそれは幼稚であるし、彼らのドラマを、不意に命を無くしかねない戦争状態とトレースして語ってみても、浅はかにしか思えない。
「乱入」が、本作にとって重要な描写だと思っていた。
小西の前に花が現れるのもそうだし、彼らが仲良くなるのも騒がしい授業への乱入と抜け駆けである。サクラはキャンパス構内に乱入する。そしてデモ隊が構内に乱入するように、戦争が小西の内的世界に乱入したかのようにみえる。
しかし自己では統御できない異質な他者が乱入することによって、幾重の層を打ち破るかにみえる物語は、結局、上述のように他者を必要としない物語になってしまっており、全くすかされている。
小西と花の会話をスプリット・スクリーンでやるが、凡庸なカットバックで十分だし、バカズームがされても、単純に河合優美の顔を撮りたいだけじゃんという印象しかない。サイズの微調整のためにカメラは動くし、フィクションであることを再認識させる異化効果も感じられないから。音についても、あるべき音が聞こえない/くぐもる、逆に聞こえないはずの音が聞こえるという、不快さしか残らない設計になっている。この不快さは、内面世界の閉塞や過剰意識という意図があるのだろうけれど、何か卓越した表現があるようには思えない。ただ最初の雨の音はタイミングしかりよかったが。
そしてここまで長セリフのように語るレビューは一体何なのだ?お笑い考察かのようにもなっていてうんざりだ。
ごめんなさい酷評です
大九明子監督の人をどこまでも優しく見守る眼差しがとても好きだ。
女の心を生臭く描いた「勝手にふるえてろ」も「私をくいとめて」も好きだけど、出てくるみんながヘンテコで愛おしいドラマ「失恋めし」は私にとって疲れた時に繰り返し観るお守りのような作品だ。
だけど、この作品は受け付けなかった。
「君の膵臓〜」や「イニシエーション・ラブ」など、少し前に流行ったロマンス×トリックものに、坂元裕二脚本のような奇を衒った会話劇を組み合わせた本作。
序盤にメインキャラを好きになれそうなタイミングはたくさんあったのに、ずっと分からない。分からないまま人が出会い、共鳴していく。
全員誰か裏で1人が喋っているような言葉しか使わないし、それもずっと直球を投げ込むような表現ばかりで言葉が持つ面白さを感じられない。桜田花、桜田咲と自分が親だったら絶対付けない萌えキャラのような名前然り、どこにも人間を感じられない。
生きていたのは、構内を躍動し、言葉も持たずただその存在だけで主人公を慰めた犬のサクラくらいじゃないか。
レビューを書きながら自分が何故こんなに怒っているのか考えたが、おそらく「予想外の展開」と言わせたいがために人が突然死ぬ作品がまた一つ量産されたと感じたからだ。
そこに人の命の重みを伝える意図は感じられない。
さっちゃんが突然死んだことよりも、映画のヒキのために突然殺されたことがただただ悲しかった。
そこに生きている人が誰もいない映画。
生きてもないのに殺される映画。
ストーリーなんてどうでもいい。ただ河合優実と伊東蒼の凄みに浸る。
・・・と言ってしまうのはもちろん極論であるばかりか、単なる推しの戯言にしか聞こえないだろう。
それは百も承知で、恐らく今の時代に、この年代で、ここまで鬼気迫る演技を見せてくれる役者は他に見当たらないから、そしてそういう役者たちにこの役が与えられ、演出者とともに創りあげた時間が稀有としか言えないから、それを映画館という空間で味わえたのは僥倖だった。
以前に書いたかも知れないけれど、僕の思う「いい映画」、言い換えると★5点満点中4.5★の映画とは、「何度繰り返しても飽きずに滲みるシーン」を持っている映画か、ずっと永く忘れられない「印象」を刻印していった映画か、のどちらか、もしくは両方だ。
そしてきっと僕のものの見方や生き方や感じ方に大きな影響を残しただろう、と思えるものが★5つの満点となる。つまり、生涯ベスト10に入る、みたいなやつだ。
この『今日の空が~』は、間違いなく4.5だった。
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鑑賞前に原作は例によって読んでいないので、それとのイメージや世界観のズレは関知しない。
むしろ『今日の空が~』という、いかにもライノベ風のタイトルには近づきたくないなぁと思いつつ、河合優実と伊東蒼が出ていると言う最低限の情報から、観ないわけにはいかないと思っていた。
ところが4月下旬に大手劇場で公開以降、ぐずぐずしていて気がついたら終映。
しばらくは映画ドットコムでも検索にヒットしない日々が続いたあと、下高井戸シネマで上映との情報を得て慌てて乗り込む。
これは『アブラハム渓谷』とまったく同じw
最初の15分は、あ、いかん、やっぱりイタい男の子と変わった女の子のラブコメかいな・・・と誤解する。特にあざといほどイケてない大学生の小西徹(演:萩原利久)の、ほとんど自己を語らない(セリフが極端に少ない)得体の知れなさに(この調子で最後まで行きそうだったら席を立ちたい・・・)とさえ思い、多少苛つく。
そこへ桜田花(演:河合優実)が少しずつ絡み始めてセリフ量が急増してくる。
リズムの良いキャッチボールが始まる。
一方、軽音のギター&ボーカリストで、小西の銭湯清掃バイト仲間として登場した「さっちゃん」(演:伊東蒼)のキャラ設定と演技力が揺るぎなくて、どう絡んでいくか楽しみながら小西とのキャッチボールを楽しむ。
そう言えば、伊東蒼という天才を目の当たりにしたのは『湯を沸かすほどの熱い愛』の鮎子だった。あの映画は宮沢りえと杉咲花を観に行ったつもりだったが、当時10歳前後の伊東蒼に驚愕した覚えがある。
そしてこの伊東蒼が驚異の長台詞の告白の演技をブチかますに至って、 恐らく5分ほどもあったのではないだろうか、息を呑みながら完膚なきまでに叩きのめされた。
このシーン、役者の演技とともに、あえてさっちゃんの顔を明るく撮らない撮影、照明を含めた演出のすべてが、自分史上最高に思える。
何度も観返したい。観返す価値がある。
河合優実の上手さは、もうわかっている。わかっているのに、こちらにもブチのめされる。
自然に、呼吸するように台詞を吐き、受け、投げ返す。
しかし何と言っても、またしてもやられた、と感嘆したのは、亡き父から咲(「さっちゃん」)への手紙を読んでくれと小西に手渡し、最初だけ聞いてから「きついわ・・・」と声もなく泣き崩れる、その「崩れ方」である。
座っていながら、腰から力が抜けてぐにゃりと横に崩れ、タオルで顔を覆って仰向けになって泣きじゃくったあと、しばしおいて「どうぞ・・・」と先を読むように促す。
こんな所作をどうやったら創造できるのだろう。
そして、次に続いていく河合の長台詞の言葉たちが、連射された矢のようにひゅんにゅん飛んできて僕の胸に刺さり続ける。
しかし、台詞回しも演出もキャラもプロットも、不思議な浮遊感を持った作品だ。
極論すると、冒頭に言った通り、ストーリーを追ってもまったく意味がない。
これは、物語展開を理屈で一生懸命に読み取る作品ではない。
アーティスティックなフリをしているようであって、そうではない。けれど、迎合したわかりやすさもない。
脚本も書き、演出を付けた監督はあざといのか?と思うけれど、河合と伊東(とそれぞれが演じた役)には誠実だ。でないと、あれだけの役者たちは役を演じきることができない。制作側の誤魔化しが利く役者たちではない。
それを思うと、古田新太が忽然と発する爺いの魂が思いのほか効いている。オムライスの不得意な喫茶店のマスターもそうだが、彼らが居ると居ないとでは(特に古田は)萩原、河合、伊東をめぐる三角形の外側に引かれた補助線のようであるし、三角錐を立体視させてくれる陰影のようでもある。でないと、三人の関係が平板なものになってしまう。
下高井戸シネマでも上映期間は限定的だ。しかしこれだけ良い作品なら、いずれまた期間限定でどこかでリバイバル上映してくれるだろう。
もちろんそのうち配信で観られるだろうけれど、やはりこれはもう一度スクリーンで観たい。
惜しい!
途中までなかなかおもしろいと思って見てたけど、さっちゃんが亡くなるあたりからすごく残念な気持ちになった。しかも姉妹とか、かなりがっかり。
湿っぽさをなくしてもう少しドライに仕上げたら名作になってたんじゃないかな。惜しい!
俳優の皆さんは全員すごくよかった!
周りの評価通りの秀作と思われ、面白く観たのですが‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』は、周りの高い評価通りの秀作だと思われ、面白く観ました。
ただ一方で、個人的には絶賛とまでは言えない引っ掛かりはありました。
例えば、私は京都と大阪にかつて住んでいたことがあったのですが、主人公・小西徹(萩原利久さん)が学生の関西大学(大阪府吹田市)に、京都市の出町柳駅周辺から通うのだろうか?との疑問はありました。
(もしかしたら、京都市の出町柳駅や河原町の風景は、(おそらく京都の同志社大学に通う)さっちゃん(伊東蒼さん)だけの描写で、主人公・小西徹は京都と何ら関係がない、私の勘違いだったかもです。しかしそれなら、夜の京都の点描は必要なかったのではとも‥)
また、桜田花(河合優実さん)の関西弁のイントネーションは違和感なかったかもですが、内面の閉ざされた感じと、外面の雰囲気に余りズレがなく、関西人、大阪人っぽくないな、との違和感はありました。
一方で、伊東蒼さんが演じたさっちゃんは、内面の想いと、外面の軽快さにズレがあり、内面本心を隠しつつ、主人公・小西徹にズケズケと言って行く感じは、正に関西人・大阪人、という印象を持ちました。
ただ、桜田花を演じた河合優実さんは、もはや誰もが認める演技力の高い女優さんであるので、この差異は、単にさっちゃんを演じた伊東蒼さんが大阪府大阪市出身のネイティブ関西人というのが大きく、脚本も兼ねた大九明子 監督が関西出身でないのが大きな要因だとは思われました。
つまり、作品全体として(現在を加味しても)関西的な雰囲気をほとんど感じられなかったと個人的には思われたのです。
(ただこちらも、関西在住の方の感想レビューで違和感を感じた人は少なかったようで、私個人の感想だけかもしれません‥)
主人公・小西徹はおそらく関西出身者でなく、内面の暗さと外面の雰囲気のズレのなさは、そこまで違和感はなかったのですが、祖母が亡くなった事にこだわり続けている理由が、私にはそこまで伝わっては来ませんでした。
もちろん祖母の死は多くの人が喪失感を持つ出来事ではありますが、祖母が亡くなる経験は一方で多くの人にありふれていて、主人公・小西徹が今の性格になった理由としては弱く、もう少し別のさらにその奥の要因を探る必要があり、主人公・小西徹の性格の理由はぼんやりとしたままのように思われました。
なので、主人公・小西徹の(自身の内面に閉ざされた)性格に初めから共感している人は理解可能だと思われますが、主人公・小西徹の性格の理由の掘り下げが弱いために、初めに彼を理解出来ない観客は、最後までこの映画に乗れないままで終わってしまうと思われたのです。
私もそんな観客の一人でした。
主人公・小西徹の内面と外面のほとんどズレのない内向性は、桜田花も初めに書いたように関西人ぽくなくて似ています。
そして、桜田花もその性格の掘り下げがほとんどないために、初めに彼女の性格に乗れなければ映画の最後まで彼女にも共感出来ずに終わってしまいます。
映画は進み、さっちゃんは主人公・小西徹に告白して振られて、その後に交通事故で亡くなってしまいます。
その同じ時期に桜田花は大学に来なくなって、主人公・小西徹も桜田花と会えなくなります。
しばらくして、さっちゃんのバイト先だった銭湯の主人の佐々木(古田新太さん)が、さっちゃんと同じバイト仲間だった主人公・小西徹と共に、亡くなったさっちゃんの実家に線香をあげに行きます。
そして、主人公・小西徹は、さっちゃんの実家で桜田花と再会し、桜田花がさっちゃんの姉だとその時初めて知るのです。
映画では明確に描かれていなかったのですが、個人的にはここでも違和感がありました。
ここで、桜田花は、妹であるさっちゃんが好きで振られた相手が主人公・小西徹だと、この時認識したのだろうか?との疑問が出て来ます。
私の答えはYesで、おそらく妹のさっちゃんは、姉の桜田花に、バイト先の銭湯に好きな人がいる事や、告白して振られた事を、(それが主人公・小西徹だと桜田花に分からない形で)伝えていたと思われるのです。
そして姉の桜田花は、(さっちゃんのバイト先の)銭湯の主人の佐々木と一緒に実家にやって来た主人公・小西徹を見て、この時、妹のさっちゃんが好きだった相手が主人公・小西徹だと認識したと思われるのです。
その認識の一致が「最悪や!」のセリフにつながったと、私は解釈しました。
するとその後、桜田花が、妹のさっちゃんが好きだった相手が主人公・小西徹だと分かり、さっちゃんが主人公・小西徹に振られた後で間もなく交通事故で亡くなったという認識の上で、(さっちゃんが小西徹に聴いて欲しかったスピッツの「初恋クレイジー」が流れる中)主人公・小西徹が桜田花に告白します。
私には正直、この流れで主人公・小西徹が桜田花に告白する感覚は、理解し難い、理解は出来たとしても共感は大変難しいとは思われました。
内面と外面とをズレなく生きることが出来るのは、非常に悪く言えば、どこまでも他者を意識しないで生きられる傲慢さがあるからだ、との解釈も可能です。
この2人はそうではないんだ、とのもう少し深い踏み込んだ描写が今作にはないために、2人の傲慢さとの解釈を、残念ながら1観客としては超えられていないと感じられました。
であるので残念ですが、私個人は、主人公・小西徹と桜田花とに、共感は映画の最初から最後まで出来ずに終わってしまいました。
ただ、映画としては、内面と外面とのズレのない内向の2人を最後まで描き切った特質と、なにより内面と外面でズレのあるどこまでも共感出来る伊東蒼さんが演じたさっちゃんの、一方的な長い告白の場面だけで、とはいえ秀作だと思わせる映画の質はあったとは、一方で僭越思われ、今回の点数となりました。
(評価している人からすれば真逆のレビューになってしまい、申し訳ありません‥)
あのシーン一択
大九作品は他にも見ているけど、正直相性が悪い。
どうしても「私、センスあるでしょ?」「大衆ウケには迎合しないけど?」みたいな雰囲気が鼻についてしまう。
そして、本作も同様だった。
メイン3人の演技力で何とか成立させられている印象を受ける。
「感情をセリフで説明する」という映像作品では野暮なことをガンガン映しているのは秀逸。
伊東のあのシーンはとにかく圧巻。
「好き」という気持ちを伝えるために、あそこまで助走をつけなければいけないのか。
さっちゃんが本当に好きだったのだなとヒシヒシと伝わった。
今後の伊東の出演作にも期待したくなる。
伊東蒼・河合優美
2人の演技に見惚れる作品でした。
「あんのこと」「ナミビアの砂漠」で河合優美さんの作品に触れてこの映画も期待して鑑賞。
河合優美さんの演技はもちろん良かったし、伊東蒼さんの長台詞のシーンは稀に見る名演技。
内容は邦画の恋愛映画に良くあるような感じ。
大学生の恋愛・青春の雰囲気作りに映像や演出がよりすぎて、もう少しキャラクターにフォーカスして欲しいなと思った。
青春を語る歳ではありませんが
青春が詰め込まれた
というか他人の恋愛模様を見せつけられる映画です。
河合優実さん目的で見ましたが抜群にかわいいです。
付き合ってみたくなります。
伊東葵さんの気持ちは手に取るように分かります。
過去に同じような状況になったことを罪深く思い出し謝りたくなりました。
亡くなってはいませんが。
萩原利久さんの立場も痛いほど分かります。
もうどうしたらいいのか?
誰も傷つけたく無いし。
辛い立場を思い出して胸が苦しくなりました。
全て役名じゃないレビューですみません。
全体を通して良い空気感のある作品だなと思いました。
原作は読んでいません。
もうすぐAmazonプライムで見られるようなので
何度か観たい良い映画だと思います。
関西人の土地感覚を舐めてんのか!って、原作者が吉本か。
原作を読まなきゃいけないなと思うが、現代における純愛というものを追求したんだろうな。それはストーカーと紙一重だが、まあ昔から純愛というのは、自分の心の中の幻想を相手に投影したストーカー的なものかもしれない。脚本の緩さには目をつぶるとしても、主人公の小西は一体どこに住んでるんだよ!河合優実に「ここに住んでるなら遅刻知らずだね」と言われてるんだから、関西大学前(ちなみにいしいひさいちの母校であり、著書の『バイトくん』では東淀川大学と呼ばれている。昔は関大前の通りは雀荘だらけだったのに、今はこじゃれてるね)のワンルームマンションだろ?それなら、なんで、京都の銭湯で、深夜の風呂掃除のバイトをしてるんだよ!どんな移動をして生きてるんだよ!そして、関大前と、銭湯周辺の京都では、映像で見ても明らかに町並みが違うだろ!大九監督には映像感覚というものがないのか?どこの町かぼかしてるならまだしも、出町柳や木屋町を撮りまくりだ。ひどすぎる。伊東蒼がオーディオテクニカのヘッドホンを付けて出町柳から今出川通を渡るアップを見て、「危ないよ」と思ったけれど、ラストへの伏線でした。幸薄き伊東蒼(これぞ、ザ・失恋という感じでしたね。おまえはシャイロックかと思わせるくらいの長ゼリフ)は、『空白』に続き、今回も古田新太に号泣されました。河合優実が待ち合わせの約束をすっぽかしたという事件の謎の、帳尻合せをするラストの無茶な設定にも関らず、藤井優実は今回も絶品でした。スクリーンいっぱいのアップに微動することのない迫力。これからどこまで成長するのかと、空恐ろしいくらい。
名作の予感・・・見てよかったと思わせる青春の1ページ
伊東蒼と河合優実の顔の雰囲気が似ていてキャストが良くないと思ってたら、なんと素晴らしいキャストだったんだとビックリさせられた。
萩原利久が仏壇の前で、犬のサクラを演じるシーンは無い方が良かった。
終盤でテレビのボリューム上げたくらいで終わっていたら凄い名作だったと思う。
長くしつこいセリフが賛否両論だけど福徳秀介らしくていいと思った。
とにかく福徳秀介は凄く才能のある人だと思う。
欲張りすぎなければ、凄い名作だったのに。
まあこうやって感想を共有したくなるところが名作なのかもしれない。
とにかく見てよかった映画です。
会いたくて震える伊東蒼 勝手にふるえてろと電灯を見上げる萩原利久 泣いて震えた河合優実
とても自由な映画である。そしてとても狭い映画でもある。爽やかなタイトルとキャスト原作者の印象によって裏切られる、ハードな映画である。
耳をつんざくような雨の音と共に作品が始まる。音の映画なのだろうか…と、背中をとらえた二つのショットのうち女性はヘッドホンをしている。おや、彼女には聞こえていないのか…。雨音が若干ぼやける。ん…これはこのどちらかの聞こえ方なのだろうか…そしたらそれはヘッドホンをしている女性なのか…
こんな感じで雨と背中と男女が提示されると、すぐに晴れのなかキャンパスで傘を差して登校している男性の顔が映される。背中の男性が顔と結びつくことで安堵を覚える一方で、傘を差していることでつながられるシーン同士を紐づけられないことと、周りの学生が彼の奇妙な行動に注意を注いでいないことに首を傾げる。
そんな観客を気にも留めずに、ジワジワとしたズーム、オノマトペ的独白、テンポ重視にカッティングすることで作品固有のリズムを早々に獲得しながら、背中の男女が互いを認識するシーンへと瞬く間に進んでいく。
その軽やかさやある種の無責任さがこの作品のリズムに他ならない。
主人公は関大生だが方言に馴染もうとしない。友人のバンダナくんは自分自身の言葉として方言の方言の中間にとどまり続ける。
縦軸の恋愛に対しては純粋であるが、それを取り巻く自己や周囲は決して従属的に陥らず、反発すらする態度である。
友達付き合いに疲れて一人で学校生活を送っているにも拘らず、大学の近くの飲食店でアルバイトを続けているヒロインや、何度も「初恋クレイジー」を聞くよう懇願する銭湯のアルバイト仲間の女の子だってそうだろう。
自分が持った大事にしたいものと、まっすぐに向かってしまう恋愛との狭間で躊躇い、足踏みを繰り返す。
ウダウダしているだけかと思うきや、なんの前触れなしに水族館に出掛けて過去を泣きながら話して慰めあうような「?」もシーンもあったりと、まさに運命が突き動かしたように前段階を省略してホイホイと進んでいってしまう。それに取り残されることなく、喰らい付けるかが本作を楽しむための振るいとなっているのだろうか。
爽快な空気で持続していく時間のなかで関係を持つ者同士がもう一歩踏み込めないのは、「断絶」によってつながれたショットの連鎖に起因する。これは本作の一番といっても良い見どころの長い告白シーンにおける、小西とさっちゃんの単独フレームによる切り替えし(肩越しショットなど、二人が同じ空間を共有していると確信できるショットの不在)や、
学内で疾走している犬のサクラを追う桜田が(①)、挿入される小西の顔クロースアップの次に切り返されると(②)、もう既に遠くにいるロングショットに(③)。3ショットで流れるべき時間感覚から解脱した身体として、映像内重力は現実の重力とは少し異なっていることつなぎが頻出するのだ。
極めつけは序盤のシーンではあるのだが、フランス語を受講しているバンダナ君の元に一目散に駆けつけるシーンにおいて、着席の瞬間が二回繰り返される。この繰り返しは編集によるものだ。いわゆるバラエティー番組の衝撃映像を幾度も見せつけるあの感じ。わざとカット尻と頭をダブらせて滑らかなつなぎから距離を取っている。
そうすることで、人物から身体の持続が薄れていく。本作の登場人物たちには身体がない。傘を差す小西に奇怪な視線を送るものは誰もいないし、ザーザー降りの雨のなか傘も差さずに歩く桜田にも無視されているようだ。さっちゃんが行方不明になった1か月半だって心配してる風を装っているが、実際に行動はせず死んだあとに泣きむせぶ。
より詳細に述べるならば、対象化される身体の喪失なのだろうか。だから、セレンディピティでつながるものたちだけがものたちだけの世界で深める関係が純粋化されるのだ。
見られない自己の身体を確立するために、人物たちの前にはただ音だけが残る。他人には聞こえない音量で自らがとらえた音、たまに二人だけにしか聞こえないテレパシー的な発音が距離を近づけていく。待ち合わせに来ない桜田から実は嫌われているのではないか?と思案する際に小西に訪れるのは、悪口をまくしたてる桜田の声と、それえを発している口元。限りなく彼女が放った言葉として小西に突撃する。そう、小西にはそう聞こえていたのだ。誰にも聞こえなくても小西には聞こえていたのだ。
話としては冴えない一大学生の誇大化したあらゆる恋愛のうちの一つなのだが、
原作がお笑い芸人ということもあり、収束に向けるオチの付け方とそれを視覚的伏線として貼る大九監督は見事であった一方で、やはりどこかで落とさないといけないという説話的呪縛からは本作も逃れることはなかった。それができるだけの助走は十分に取れていた分、実に惜しい。
今年度の公開された邦画のなかでは群を抜いて独創的であっただろう。
素晴らしかった
さっちゃんがとても魅力的で最高だ。ところがあっさり死んでしまいショックだ。古田新太に主人公が「ちょっと気まずいだけですよ」などとへらへら語っていることろに「思いあがるな」ときつい一発をかまし、真相を知って腰が抜ける。また仏壇の前で慟哭する古田新太にお姉ちゃんが「最悪」とつぶやくのも強烈な一発だ。
さっちゃんの告白が最高で、あの角の向こうに見えなくなったら追いかけて抱きしめろよと、そうしない主人公にムカつく。しかし人には好みがあるので仕方がない。お友達に八つ当たりするのも、若者なら仕方がない。それにあの後、お姉ちゃんと付き合えたとしてもうまくいくとは思えない。お互い自分が大事で、それを互いに尊重できればいいけど、難しいのではないだろうか。楽しい時期は長くないだろう。
また、お仏壇の前で告白はない。時が過ぎて悲しみが癒されてからにして欲しい。なんでこのお姉さんが悲しみに暮れている時期に自分の我を通そうとするかな。
それに告白の感じがさっちゃんに影響を受けたのかもしれないけどまるで同じ人格のようで、表現として人格の描き分けに失敗しているようにも見える。
喋って喋って全部説明
映画やドラマの映像作品は、なるべくセリフは少なく、説明セリフは無しのほうが良いと考えています。画面で色々語ってほしい。
しかし本作は、しゃべるしゃべる。何もかも話してくれる。なぜ?という行動もみんな登場人物が後で説明してくれる。そういう点では、わかりやすいと言えるし無粋とも言える。
だがしかし、それが若くて痛くてうまくできない不器用さを強く表しているようです。
それを支える役者さんたちのすごさ。
ベタの極みみたいなストーリーでもこの不器用さが胸に直接刺さってくる。
それにしてもサッチャン、不憫すぎるやろ。
あんな長い告白したのに報われないどころか…
(古田新太の嘆き、別の映画でも蒼ちゃんで慟哭しとったなあ、なんて思い出した)
しかし、サッチャンをよく知ればハナちゃんと同じ中身だったかも?なのに、小西、ハナちゃんにひと目ぽれしたのはなんでや。一目惚れに理由なんてないか。ハッピーエンド、なのかな?
痛い
ただの恋愛ではない。
大学で出会った2人の小西くんと桜田さん。なんとなく価値観が合った惹かれ合っていく。いいなぁ。青春だなって思いました。
小西くんのバイト先の女の子さっちゃん。彼女を演じる伊東蒼さん初めて見ましたけど、素晴らしいです。
好きなこの好きは知ろうとするが、好きではないこの好きは知ろうとしない。痛い。刺さりました。
そして、さっちゃんの好きなスピッツの使い方、テレビのボリューム。この辺りの使い方上手かったです。脚本が良かったなと久しぶり映画見て思った。
小西くんが友達にキレるところが、あ、この主人公嫌いかもって思ってしまった事と、小西くんを演じた萩原利久さんの最後、さっちゃんを、思い出す芝居が悪くはないけど、イマイチだったのが本当に残念でした。主観です。
いい映画みた。
「初恋クレイジー」も良いけど「バニーガール」も良いよね。
河合優実はお笑い好きだそうだが、なんだろ?この作品終始若手芸人の分かってやってる青臭いコント感が拭えない。桜田さんが「キモくないですか?マジありえへん」とか言うのは主人公の妄想なんだろうな、というのは解ったけれど。あとサッちゃん死なしたらイカンでしょ。安直過ぎるよ。そして実は姉妹でしたって。あーそうかやはりこれはコントなのか。吉本っぽいというか、ジャルジャルか、あーなんか分かる気がしてきた。前半は良かったと思うけれど(サッちゃんが潜る所とか)人を簡単に死なせるのは共感できないよ。せっかく河合優実はじめ若手陣は熱演してるのに。
一番の救いは山根だな。いい友達持ってるやん。
観てる間「出町柳から関大ってえらい遠いよな」「出町柳やなくて地下鉄で四条まで行って阪急の方が近いんちゃうん?」などと大学生活を大阪で過ごした身としては山根ばりのエセ関西弁で懐かしく感じた。
「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は、君に好きと言う」
大九明子さんの監督・脚本作と言うと、前作は「私をくいとめて」になるんですね。あれも面白かったけど、今回もガッツリ香辛料が効いてるし、切れのある捻りは入るしで、面白かったです。
大久脚本と言うと、1カット長回しの一人芝居です。「私をくいとめて」では、のんの長回しに圧倒されました、と言うか抱腹絶倒。ちょっと芝居がかってるながーーーいセリフに惹きこまれました。
これがですよ。今回は3人です。伊東蒼ちゃん、河合優実ちゃん、萩原利久くん、3人が長台詞に挑みます。
伊東蒼ちゃん、すげー。彼女を最初に認識したのは「さがす」でした。ただもんじゃないね、感はその頃からありましたが、今回の独白シーンにはココロ持ってかれました。役どころも良いんですけどね。この子、本当に好き。伊藤沙莉ちゃんの強化バージョンじゃないかと。次作も楽しみにしてます。
と、最近、露出多すぎひん?と不安を覚える、河合優実ちゃんです。出演作を過去に辿っていくと、「喜劇 愛妻物語」で見てるはずなんですね。あまり記憶に残ってません。と、数作、あまり覚えてない出演作が続き、最初に認識したのが「由宇子の天秤」。で、ここからの成り上がりスピードの凄さと来たら。今や朝ドラですからね。見たことないけど。見た目も良いし、実力あるしで。今回は、二面性を持つ女の子(演出上)って事でしたが、その実力、いかんなく発揮です。
と、この2人を相手にした荻原利久くんが、可愛そうになるくらい、若手女優2人の芝居に圧倒された映画でした。
「今日の空が一番好き」とは、毎日を前を向いて生きている人の口から出てくる言葉。花にとってのさっちゃん。小西にとっての山根。一人では、そう生きられそうにない小西と花は、一緒にいるしかない。
だから、「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は、君に好きと言う」
年一候補、ってほどではありませんでしたが。
良かった。
とっても。
小説の台詞をそのまま?
まず、撮影と照明はとても良かったです。
ただ長台詞がキツ過ぎました。
小説なら全く問題なく読めると思いますが、台詞回しも小説っぽ過ぎて入ってきませんでした。
また、構成としてはいわゆる第二幕が長過ぎてダレます。
そして、最後の方の縁側の花の長台詞のところの突然のズームが本当に謎……そこまで空気感や芝居を大切にしたかったのなら、その後の回想カットの連打の方が明らかにいらないような……
監督の持つ良さと、原作小説をそのままにしろ勢が潰し合ってる失敗作に思えてしまいました。。。
小西、自分と似てるな〜
映画の予告もポスターも見ず、良いらしいという評判だけで劇場に足を運びました- ‧̫ •
映画の頭から「今じゃないって!」まで、小西に大共感しながら(というかそれが自然の行動じゃねと思いながら)鑑賞していた自分は、他の方々のレビューで小西がコテンパンに言われているのを見て、衝撃すぎて失笑してしまいました^^;
さっちゃんの告白シーンはもちろん圧巻でしたが、シーン中ずっと
小西目線の「興味ない人からこんなに長々と話されても別にどうでもよくね、てか早く帰りたくね?」
さっちゃん目線の「ああもう止まらないんだよね、自分でも自分が何言ってるか分かんないけどもうブレーキ効かないんだよね」
視聴者目線の「分かったからもうやめときな( ᵕ̩̩ ᵕ )ああ終わりそうだったのにまた始まった( ᵕ̩̩ ᵕ )」
という色んな方向からの思いが頭をぐるぐるとしており、見るのかなりしんどかったです。
今思うと、過去の自分を見ているような共感性羞恥の部分が大きいのかも🙂↕️☝️
言われてもいない人の気持ちを勝手に想像して被害妄想する上、そこからまだ脱出できていない自分みたいな人間にとっては、厚かましいですが「自分って傍から見るとこんな人間なんだ」と自覚させられるような映画でした!!
最悪な気分ですが、”ただの映像”という概念を超えて自分に干渉してくる凄みがこの作品にはあるなと同時に思いました。
でも、さっちゃんの死で小西があそこまで悲しむ理由が分からず、そこはずっと疑問のままです。
さっちゃんからの言葉や気持ちにちゃんと向き合わなかったことを後悔したのか、ひとりの友達を失ったから単純に悲しいのか、よく分かんないけど疑問のままにしときます‼️👍
ロジックに矛盾はないが、主人公に共感出来ない
1.はじめに:大九明子監督との相性
❶大九明子は、大学時代からコント集団に所属し、卒業後は秘書として就職するが水が合わず退職、芸人養成学校を経て、お笑い芸人として活動する。その後、女優、タレントに転身。更に、映画美学校に第1期生として入学し脚本と監督の腕を磨いたという珍しい経歴の持ち主(Wikipedia)。
❷長編監督作品の劇場デビューは、39歳、2007年(下記①)で、その後2025年の本作(⑩)まで、10本が劇場公開されている。
❸内、下記②を除く全作をリアルタイムで観ているが、相性は良好である。
①2007年 恋するマドリ 2007.08公開/鑑賞90点
②2012年 東京無印女子物語 2012.06公開/未鑑賞
③2013年 モンスター 2013.04公開/鑑賞50点
④2015年 でーれーガールズ 2015.02公開/鑑賞95点
⑤2017年 勝手にふるえてろ 2017.12公開/鑑賞70点
⑥2018年 美人が婚活してみたら 2019.03公開/鑑賞70点
⑦2019年 甘いお酒でうがい 2020.09公開/鑑賞73点
⑧2020年 私をくいとめて 2020.12公開/鑑賞85点
⑨2022年 ウェディング・ハイ 2022.03公開/鑑賞95点
⑩2025年 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は★本作/70点
2.マイレビュー:◆◆◆ネタバレ注意
❶相性:中。
★ロジックに矛盾はないが、主人公に共感出来ない。
➋時代:2024年。(さっちゃんの位牌の日付が令和6年)
❸舞台:大阪、京都。
❹主な登場人物
①小西徹(✹萩原利久 はぎわら・りく、24歳):主人公。関西大学2年生。横浜出身。内向的で自信がなく「自分は他の人と違う」という自意識を持っている。学内では晴れの日でも折り畳み傘を差し、人と触れ合うことを極力避けるようにして生きている。友人は山根のみ。近所の銭湯「七福温泉」で深夜に清掃のバイトをしている。バイト仲間で同じ歳のさっちゃんは小西に好意を持つが、小西は無関心である。大好きだった横浜の祖母が亡くなり帰省し半年ぶりに登校して、桜田を見かけて惹かれる。
②桜田花(✹河合優実 かわい・ゆうみ、23歳): 関西大学生。学食でいつも一人で蕎麦を食べている。興味を持った小西がアプローチしたところ、2人は同じ価値観を持っていることが分かる。桜田が小西に、「毎日が楽しいって思いたい。今⽇の空が⼀番好きって思いたい」と言うが、それは、桜田が9歳の時亡くなった父の口癖であると共に、小西の祖母の言葉でもあった。これから2人は急接近する。2人の関係を桜田は「セレンディピティ」だと言う。その後、さっちゃんがいなくなったのと同じ時期に桜田も姿を消す。
★終盤で、桜田はさっちゃんの姉で、さっちゃんは交通事故で亡くなっていたことが分かる。
③さっちゃん(✹伊東蒼 いとう・あおい、18歳):銭湯「七福温泉」での小西のバイト仲間。同志社大学の2年生。サークルのバンドでギターを弾いている。小西にスピッツの「初恋クレイジー」を勧める。小西とは反対の気さくで明るい性格。小西に好きな人が出来たことを察したさっちゃんは、小西に自分の思いを告白して姿を消す。
★長回しで撮った告白シーンでの伊東蒼の演技に胸が打たれる。
④山根(黒崎煌代 くろさき・こうだい、21歳):関西大学2年生。大分出身。小西の学内唯一の友人。
⑤花とさっちゃんの父(✹浅香航大 あさか・こうだい、31歳):娘たちが小さい時病死していて、回想で登場。娘宛の手紙が残っている。ギターを弾く。
⑥マスター(安齋肇 あんざい・はじめ、70歳):小西と桜田が通う喫茶店のマスター。メニュー「オムライス」に特別な意味がある。
⑦夏歩(松本穂香 まつもと・ほのか、26歳):佐々木の娘。バイトの小西とさっちゃんを優しく見守るお姉さん的存在。妊娠していて赤ちゃんんを出産する。
⑧佐々木(✹古田新太 ふるた・あらた、58歳):銭湯「七福温泉」の主人。夏歩の父。
❺まとめ
①主人公の小西をめぐる桜田とさっちゃんの三角関係の恋愛模様で、小西の眼から見た内容になっている。
②女性2人は良かったが、小西のモラトリアムなキャラに共感出来なかった。何事にも無関心なのは、自分を守る防御反応だろうとは思うが、相性として共感出来ないのだ(笑)。
③テーマ曲になっているスピッツの「初恋クレイジー」を理解していれば、本作の理解も深まったのかもしれないが、全くの無知だった。
❻トリビア:セレンディピティ(Serendipity)
①セレンディピティとは、イギリスの政治家・小説家のホレス・ウォルポール(1717-1797)が1754年に生み出した造語で、「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること」の意味で使われている(Wikipedia)。
②同名のアメリカ映画が日本でも公開されている。
『セレンディピティ(Serendipity)(2001米)』 2002/11公開・鑑賞 70点。
❖監督:ピーター・チェルソム、脚本:マーク・クライン、出演:ジョン・キューザック、ケイト・ベッキンセイル
③私にとってのウォルポールと言えば、ゴシック小説の傑作 『オトラント城奇譚(The Castle of Otranto)1764』。
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