今日の空が一番好き、とまだ言えない僕はのレビュー・感想・評価
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痛い
ただの恋愛ではない。
大学で出会った2人の小西くんと桜田さん。なんとなく価値観が合った惹かれ合っていく。いいなぁ。青春だなって思いました。
小西くんのバイト先の女の子さっちゃん。彼女を演じる伊東蒼さん初めて見ましたけど、素晴らしいです。
好きなこの好きは知ろうとするが、好きではないこの好きは知ろうとしない。痛い。刺さりました。
そして、さっちゃんの好きなスピッツの使い方、テレビのボリューム。この辺りの使い方上手かったです。脚本が良かったなと久しぶり映画見て思った。
小西くんが友達にキレるところが、あ、この主人公嫌いかもって思ってしまった事と、小西くんを演じた萩原利久さんの最後、さっちゃんを、思い出す芝居が悪くはないけど、イマイチだったのが本当に残念でした。主観です。
いい映画みた。
「初恋クレイジー」も良いけど「バニーガール」も良いよね。
河合優実はお笑い好きだそうだが、なんだろ?この作品終始若手芸人の分かってやってる青臭いコント感が拭えない。桜田さんが「キモくないですか?マジありえへん」とか言うのは主人公の妄想なんだろうな、というのは解ったけれど。あとサッちゃん死なしたらイカンでしょ。安直過ぎるよ。そして実は姉妹でしたって。あーそうかやはりこれはコントなのか。吉本っぽいというか、ジャルジャルか、あーなんか分かる気がしてきた。前半は良かったと思うけれど(サッちゃんが潜る所とか)人を簡単に死なせるのは共感できないよ。せっかく河合優実はじめ若手陣は熱演してるのに。
一番の救いは山根だな。いい友達持ってるやん。
観てる間「出町柳から関大ってえらい遠いよな」「出町柳やなくて地下鉄で四条まで行って阪急の方が近いんちゃうん?」などと大学生活を大阪で過ごした身としては山根ばりのエセ関西弁で懐かしく感じた。
最初は感動した長台詞も、後から考えると酷い
今時、男性が日傘をさすことは珍しくなくなってきていると感じるが、この映画ではそれを特異なものとして描いている点に違和感を覚えた。
お笑い芸人原作という背景があるためか、食事シーンでの口の周りの汚れ方や、寝癖の不自然なほどの強調など、演出が過剰に感じられた。
個人的には、こうした誇張された表現に馴染めず、鑑賞の妨げになった。
萩原利久と河合優実演じる男女二人が街中を会話しながら並んで歩くシーンは、リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア・サンライズ』や『ビフォア・サンセット』を彷彿とさせた。
しかし、『ビフォア』シリーズの会話が知的な示唆に富んでいて興味深く観られるのに対し、本作の二人の会話は瑣末な内容が多く、苦痛に感じた。
大学をずる休みする場面が「青春の1ページ」として肯定的に描かれているが、個人的にはこうした描写、ほんとうに嫌。
中盤の伊東蒼による長台詞での心情吐露の場面は、当初はその圧倒的な演技に引き込まれ、「このシーンは素晴らしい」と感じた。
しかし、いくらなんでも台詞が長すぎ。
途中から説教くさく感じてしまった。
さらに冷静に考えてみると、彼女の行動は「失敗する可能性の高い一か八かの告白(しかも自身の傷つきを前面に出した)」であり、その後の展開も含めると、テロにも近い迷惑行為に感じた。
もし男女を入れ替えて描かれていたら、受け止め方がさらに変わっていたかもしれない。
前半もたいしてコメディとしての面白さを感じなかったが、後半に突然ショッキングな悲劇が起こり、怒鳴り声や泣き出すシーンが増加し、急に感動的な展開へと誘導しようとする作りに不快感を覚えた。
自身が傷ついている状況で男友達にひどい言葉を浴びせる場面は、あまりにも言葉が過激だったため、その後のあっさりとした謝罪と仲直りは都合が良すぎると感じられた。
終盤における萩原利久と河合優実が親密になる場面は、個人的には生理的な嫌悪感を覚えた。
今年鑑賞した映画の中で、現時点でのワーストは宮藤官九郎脚本の『サンセット・サンライズ』だが、本作も同程度に苦手な作品だった。
どちらも世間的には絶賛されている印象で居心地悪い。
両作とも最終的に伝えたいメッセージが「自分さえ良ければ他人の気持ちなんてどうでもいい」というもので、トランプ大統領が再選するような世の中だとこういうメッセージが受けるのかと思うと悲しくなった。
この息苦しいストーリーも山根のおかげで・・・
「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は、君に好きと言う」
大九明子さんの監督・脚本作と言うと、前作は「私をくいとめて」になるんですね。あれも面白かったけど、今回もガッツリ香辛料が効いてるし、切れのある捻りは入るしで、面白かったです。
大久脚本と言うと、1カット長回しの一人芝居です。「私をくいとめて」では、のんの長回しに圧倒されました、と言うか抱腹絶倒。ちょっと芝居がかってるながーーーいセリフに惹きこまれました。
これがですよ。今回は3人です。伊東蒼ちゃん、河合優実ちゃん、萩原利久くん、3人が長台詞に挑みます。
伊東蒼ちゃん、すげー。彼女を最初に認識したのは「さがす」でした。ただもんじゃないね、感はその頃からありましたが、今回の独白シーンにはココロ持ってかれました。役どころも良いんですけどね。この子、本当に好き。伊藤沙莉ちゃんの強化バージョンじゃないかと。次作も楽しみにしてます。
と、最近、露出多すぎひん?と不安を覚える、河合優実ちゃんです。出演作を過去に辿っていくと、「喜劇 愛妻物語」で見てるはずなんですね。あまり記憶に残ってません。と、数作、あまり覚えてない出演作が続き、最初に認識したのが「由宇子の天秤」。で、ここからの成り上がりスピードの凄さと来たら。今や朝ドラですからね。見たことないけど。見た目も良いし、実力あるしで。今回は、二面性を持つ女の子(演出上)って事でしたが、その実力、いかんなく発揮です。
と、この2人を相手にした荻原利久くんが、可愛そうになるくらい、若手女優2人の芝居に圧倒された映画でした。
「今日の空が一番好き」とは、毎日を前を向いて生きている人の口から出てくる言葉。花にとってのさっちゃん。小西にとっての山根。一人では、そう生きられそうにない小西と花は、一緒にいるしかない。
だから、「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は、君に好きと言う」
年一候補、ってほどではありませんでしたが。
良かった。
とっても。
タイトルなし
甘っちょろいラブストーリーではない
桜田はおだんごヘアーで完全武装する。小西は日傘で他人の視線をさえぎる。二人は自分を守っている。他人との馴れ合い、不必要な人間関係を拒否している。二人は「自分」を持っているから人に惑わせられたくないのだ。この自分たちを守る二人のデティールが丁寧に描写される。
桜田は九歳の時父親を亡くした。小西は祖母をつい最近亡くした。二人とも「死」に向き合っていた。「死」とは完全なる喪失である。一度喪失しているから「自分」と亡くした人を常に意識する。そうして今の桜田と小西が存在している。
恋愛ドラマだが登場人物たちの言葉は「重い」。単なる甘っちょろいラブストーリーではない。不要な台詞や過剰な説明を一切削ぎ落していた映画になっていた。泣く、叫ぶ、慟哭する姿が自然だ。感情が言葉ではなくアクションで見事に表現されている。言葉が少ないから言葉が「重い」。
二人が水族館に行き、小西が祖母の死について話したとき、小西は言葉にならないで泣く。泣く人に桜田はじっくり時間をかけて言葉を発する。二人の性格と人間性がにじみでているシーンである。朝の喫茶店通い。常連の道を二人で目指し店でのマスターも含めた会話などから二人の距離は近づいていく。
バイト仲間のさっちゃんが、小西に好意を寄せている。しかし小西はまったく気づかない。さっちゃんは、小西にたいする思いのたけ、自分の心情をありったけの言葉でいいきった。まるで感情が爆発したみたいな「告白」。爆発したあとさっちゃんは消える。それゆえさっちゃんの言葉は「重い」。
しかし、小西と約束していた桜田まで「消える」。「消える」ことは一時的と思っていたが、桜田は消えたままだ。小西は桜田への疑念の塊になり裏切られた思いになり「自己喪失」になりなにもできなくなる。小西の「自己喪失」も安易な言葉ではなく肉体の痛みで描写されている。
桜田がなぜ小西の前から消えたのか理由があった。それはある人の「死」であった。桜田もその人の「死」によって完全に「自己喪失」していた。偶然小西と桜田は対峙する。小西は完全なる喪失から桜田へ感情を爆発させる。「告白」として。聞こえない状態で桜田に語りかける。聞こえないはずの言葉。それでも桜田は聞こえて理解している表情をしている。桜田は小西の言葉で「わかった」のではなく小西の「目つき」で「わかった」のだ。その目つきがあまりにも真剣だったから。
庭から無言の二人の姿を映し出したラストシーンは秀逸で胸に迫ってくる。二人の完全なる喪失を乗り越えようとする思いが、ゆっくり、ゆっくり時がいやすようにやさしかった。
ポスタービジュアルと予告からは想像できない展開で、青春の爽やかさだ...
さっちゃんはね~同大軽音本当ダヨ…
雨の日の庭に水まきしているような
なんとなく映画館に入ったので誰が原作とか監督とか俳優とか知らずに鑑賞しました。いい映画だと思いました。「いい映画」というジャンルはないけれど「いい映画」という映画を制作したのですね。
映画は鑑賞者とのコミュニケーションでもあります。日常の人間関係と同じです。監督さんは「この人変わった人」。観たときはよくわからない。後で考えると「こうかもしれない」というわからせ方が多用されていて、しかもそれがとても変わった人のそれなのでわかったあとも私の気持ちの中には入ってこない。でもなぜ?という不思議な感覚で、表題に書いた、雨の日の水やりをする人、と会話しているような感覚が多くを占めます。
「雨降っているのに水やるの?」
「うん、いつもこの子達に私がお水あげているから」
「そうか、まぁ別に悪いことではないけど・・・マイルールなのね」
いくつかありましたが、意外なドンデンみたいなところがあるのですが、「におわせ」の貼り方が知的すぎて私は驚くどころか、眼の前を急に何かが猛スピードで飛び去り遠くのほうで落下したのが見えてそれが鳥だったみたいな、驚きも感動も意外性もすべて置いていかれた感じ。家に帰ったら家族が突然なんの相談も匂わせもなくベンツを買って駐車場に置いてあるみたいな。「なにこれ・・・」あ、もしかして買ったんだ・・・、それで時間の経過とともに、「ちょっとまってこれいくら?・・・・・え!支払いどうすんのよ!」のような「判断」を利用した伏線みたいなものは私的には素直な感覚を超えているためか、感動という感情が湧いてきません。
理由はわかりませんが、この映画の3人の主要キャストさん、シーンによって「別人」になっています。人間にはいろいろな面があってとか出来事で違う面を見せるとか成長するんだとか、という変化ではなく、監督のせいなのか俳優のせいなのかは私にはわかりませんが、ただ「別人」です。そのせいだと思うのですが、登場人物に対する共感が長続きしません。日常でもそうですよね、会うたびになにげに違う感覚を醸す人とあまり仲良くはしたくないです、そういうこの人なんだろう感が出てくると怖いというか距離を取りたいというか、可愛いから美しいからと言うのはマイナスの感情的要素になってしまう。あ、この人はあの人ね、と話の流れでわかった上に、だがしかし同じ人とは思えない。いきなり登場人物が一人増えたみたいな驚きが勝ります。天才俳優でない限り様々な場面で状況で、「同じ人間」をわからせるように演じるというのが難しいのはわかりますが、登場時の要素が微塵もないということはなにか監督が変な方向にいじりすぎなのか、表現者の理解の問題なのか、こうなってしまった理由はもちろん専門家でもない私にはわかりません。
シーンを逆に考えたらわかると思いますが、後半の自宅シーンが先にあって、回想として大学生活を持ってきたら・・・ほら、何があったにせよ関連の感じられない別人でしょう?
出来事で人が変わるというのはこういうのではないと私は思います。
一所懸命思い出して書いています。
帰りのエレベーターで、自分から人に強烈にぶつかっているのにぶつかっといて「なんでどかね〜んだよ」的不快な顔をあらわにする今どき超カワイイ女子を目の当たりにして生の感情がくるくるしたら、私の中からこの映画はきれいに上書きされて消えてました。
伊東さんの喋りっぱなしの場面は凄く良かった
「ナミビアの砂漠」を観てもあまりピンと来なかったので、河合優実さんの出ているこの映画は避けていたけれど、予定の合間に時間があったので観てきました。
そういう訳で、全然期待をしていなかったのですがけ、結果として目茶苦茶に良い映画でした。事前情報なしで観たのも幸いしました。
とにかく主役の萩原利久さんが良いです。
また河合さんも良かった。こういう感情を内面に一枚抑えた役の方が、この人の演技は生きると思う。「愛なのに」での素晴らしい演技を思い出しました。
主要人物の伊東蒼さん、黒崎煌代さんも良い。特に伊東さんの喋りっぱなしの長回しの場面は凄く良かった。
古田新太さん、安齊肇さんも良い味出していた。
映画館を出て、直ぐにもう一度観たくなりました。
まあまあ
全体的な評価だとあんまり面白くはなかった。
大九明子監督の映画は初めて観たが関わってる作品として、安達祐実さんの「捨ててよ、安達さん」がとても素晴らしかったので残念な気持ちが強かった。
しかし、登場人物の考え方だったり好きな人への想いだったりは素晴らしかった。
TikTokにも上がってるからネタバレにはならないと思うが、さっちゃんの告白シーンはとても良かったし、悲しかった。自分もそうだから共感できたが、さっちゃんは自分に自信がなく好きな人に自分のことを知ってもらいたいとか自分のことを自分がいない時にも考えてもらいたいとか、とても切なかった。
最後のネタバレ的なところは驚きだったけど、そこからエンディングまでは退屈だったな。
毎日楽しい?
いや、とても面白かった。今も昔もコミュ障は存在していて、主人公の彼のように、上手く生きられないもどかしさを抱えながら日々過ごしているのだろう。無理に馴染もうとすると疲れるし、自分が削り取られる感覚に苛まれる。学生時代ってどのような仮面をつけて生きるのか試行錯誤する時期、ともいえるのかもしれない。
そんな中でも、ほんのささやかなものでも、心通わせることのできる人間と出会え過ごせたら、それだけで世界の景色は変わる。皆んなに好かれたり、皆とよい関係でいる必要なんてなくて。自分が存在を許される他者があれば、人は生きやすくなるのだな。
人を「アレ」すること、本当にふいに訪れて育っていく。「アレ」するから人生が彩られていく。「このき」な誰かを思って、軽やかな心持ちになり、時に苦しみ、色んな感情が寄せては返し、心は豊かなものに、人間として大切なものが形成されていく。さっちゃんの独白(告白)、長台詞がすごく心に響いた。静かに温めていたもの、大切にしていたものを、手放したくない、でも離れていってしまうその感覚。心がギュッとなる。許されるなら抱きしめて頭を撫でてあげたくなる、そんな感覚になった人も少なくないんじゃないかな。伊東蒼、めちゃめちゃ良かった。
そして、河合優実演じる花の二面性。その態様が真実なのかフェイクなのか、最後の最後まで釘付けだった。脚本・演出がいいのはもちろんだが、これは確かに役者として頭ひとつ抜けているんだろうと感じさせられた。
今日の空が一番好き、そう言える日があっただろうか。そして、一日一日を大切なもの、尊いものとして過ごしていけているだろうか。人の人生は巻き戻しのできない、かけがえのない日々の積み重ね。上手く言えなくても、伝えるべきことは伝えて、大切な人と共に過ごしていければ。
青春恋愛映画の秀作
小説の台詞をそのまま?
まず、撮影と照明はとても良かったです。
ただ長台詞がキツ過ぎました。
小説なら全く問題なく読めると思いますが、台詞回しも小説っぽ過ぎて入ってきませんでした。
また、構成としてはいわゆる第二幕が長過ぎてダレます。
そして、最後の方の縁側の花の長台詞のところの突然のズームが本当に謎……そこまで空気感や芝居を大切にしたかったのなら、その後の回想カットの連打の方が明らかにいらないような……
監督の持つ良さと、原作小説をそのままにしろ勢が潰し合ってる失敗作に思えてしまいました。。。
小西、自分と似てるな〜
映画の予告もポスターも見ず、良いらしいという評判だけで劇場に足を運びました- ‧̫ •
映画の頭から「今じゃないって!」まで、小西に大共感しながら(というかそれが自然の行動じゃねと思いながら)鑑賞していた自分は、他の方々のレビューで小西がコテンパンに言われているのを見て、衝撃すぎて失笑してしまいました^^;
さっちゃんの告白シーンはもちろん圧巻でしたが、シーン中ずっと
小西目線の「興味ない人からこんなに長々と話されても別にどうでもよくね、てか早く帰りたくね?」
さっちゃん目線の「ああもう止まらないんだよね、自分でも自分が何言ってるか分かんないけどもうブレーキ効かないんだよね」
視聴者目線の「分かったからもうやめときな( ᵕ̩̩ ᵕ )ああ終わりそうだったのにまた始まった( ᵕ̩̩ ᵕ )」
という色んな方向からの思いが頭をぐるぐるとしており、見るのかなりしんどかったです。
今思うと、過去の自分を見ているような共感性羞恥の部分が大きいのかも🙂↕️☝️
言われてもいない人の気持ちを勝手に想像して被害妄想する上、そこからまだ脱出できていない自分みたいな人間にとっては、厚かましいですが「自分って傍から見るとこんな人間なんだ」と自覚させられるような映画でした!!
最悪な気分ですが、”ただの映像”という概念を超えて自分に干渉してくる凄みがこの作品にはあるなと同時に思いました。
でも、さっちゃんの死で小西があそこまで悲しむ理由が分からず、そこはずっと疑問のままです。
さっちゃんからの言葉や気持ちにちゃんと向き合わなかったことを後悔したのか、ひとりの友達を失ったから単純に悲しいのか、よく分かんないけど疑問のままにしときます‼️👍
ロジックに矛盾はないが、主人公に共感出来ない
1.はじめに:大九明子監督との相性
❶大九明子は、大学時代からコント集団に所属し、卒業後は秘書として就職するが水が合わず退職、芸人養成学校を経て、お笑い芸人として活動する。その後、女優、タレントに転身。更に、映画美学校に第1期生として入学し脚本と監督の腕を磨いたという珍しい経歴の持ち主(Wikipedia)。
❷長編監督作品の劇場デビューは、39歳、2007年(下記①)で、その後2025年の本作(⑩)まで、10本が劇場公開されている。
❸内、下記②を除く全作をリアルタイムで観ているが、相性は良好である。
①2007年 恋するマドリ 2007.08公開/鑑賞90点
②2012年 東京無印女子物語 2012.06公開/未鑑賞
③2013年 モンスター 2013.04公開/鑑賞50点
④2015年 でーれーガールズ 2015.02公開/鑑賞95点
⑤2017年 勝手にふるえてろ 2017.12公開/鑑賞70点
⑥2018年 美人が婚活してみたら 2019.03公開/鑑賞70点
⑦2019年 甘いお酒でうがい 2020.09公開/鑑賞73点
⑧2020年 私をくいとめて 2020.12公開/鑑賞85点
⑨2022年 ウェディング・ハイ 2022.03公開/鑑賞95点
⑩2025年 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は★本作/70点
2.マイレビュー:◆◆◆ネタバレ注意
❶相性:中。
★ロジックに矛盾はないが、主人公に共感出来ない。
➋時代:2024年。(さっちゃんの位牌の日付が令和6年)
❸舞台:大阪、京都。
❹主な登場人物
①小西徹(✹萩原利久 はぎわら・りく、24歳):主人公。関西大学2年生。横浜出身。内向的で自信がなく「自分は他の人と違う」という自意識を持っている。学内では晴れの日でも折り畳み傘を差し、人と触れ合うことを極力避けるようにして生きている。友人は山根のみ。近所の銭湯「七福温泉」で深夜に清掃のバイトをしている。バイト仲間で同じ歳のさっちゃんは小西に好意を持つが、小西は無関心である。大好きだった横浜の祖母が亡くなり帰省し半年ぶりに登校して、桜田を見かけて惹かれる。
②桜田花(✹河合優実 かわい・ゆうみ、23歳): 関西大学生。学食でいつも一人で蕎麦を食べている。興味を持った小西がアプローチしたところ、2人は同じ価値観を持っていることが分かる。桜田が小西に、「毎日が楽しいって思いたい。今⽇の空が⼀番好きって思いたい」と言うが、それは、桜田が9歳の時亡くなった父の口癖であると共に、小西の祖母の言葉でもあった。これから2人は急接近する。2人の関係を桜田は「セレンディピティ」だと言う。その後、さっちゃんがいなくなったのと同じ時期に桜田も姿を消す。
★終盤で、桜田はさっちゃんの姉で、さっちゃんは交通事故で亡くなっていたことが分かる。
③さっちゃん(✹伊東蒼 いとう・あおい、18歳):銭湯「七福温泉」での小西のバイト仲間。同志社大学の2年生。サークルのバンドでギターを弾いている。小西にスピッツの「初恋クレイジー」を勧める。小西とは反対の気さくで明るい性格。小西に好きな人が出来たことを察したさっちゃんは、小西に自分の思いを告白して姿を消す。
★長回しで撮った告白シーンでの伊東蒼の演技に胸が打たれる。
④山根(黒崎煌代 くろさき・こうだい、21歳):関西大学2年生。大分出身。小西の学内唯一の友人。
⑤花とさっちゃんの父(✹浅香航大 あさか・こうだい、31歳):娘たちが小さい時病死していて、回想で登場。娘宛の手紙が残っている。ギターを弾く。
⑥マスター(安齋肇 あんざい・はじめ、70歳):小西と桜田が通う喫茶店のマスター。メニュー「オムライス」に特別な意味がある。
⑦夏歩(松本穂香 まつもと・ほのか、26歳):佐々木の娘。バイトの小西とさっちゃんを優しく見守るお姉さん的存在。妊娠していて赤ちゃんんを出産する。
⑧佐々木(✹古田新太 ふるた・あらた、58歳):銭湯「七福温泉」の主人。夏歩の父。
❺まとめ
①主人公の小西をめぐる桜田とさっちゃんの三角関係の恋愛模様で、小西の眼から見た内容になっている。
②女性2人は良かったが、小西のモラトリアムなキャラに共感出来なかった。何事にも無関心なのは、自分を守る防御反応だろうとは思うが、相性として共感出来ないのだ(笑)。
③テーマ曲になっているスピッツの「初恋クレイジー」を理解していれば、本作の理解も深まったのかもしれないが、全くの無知だった。
❻トリビア:セレンディピティ(Serendipity)
①セレンディピティとは、イギリスの政治家・小説家のホレス・ウォルポール(1717-1797)が1754年に生み出した造語で、「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること」の意味で使われている(Wikipedia)。
②同名のアメリカ映画が日本でも公開されている。
『セレンディピティ(Serendipity)(2001米)』 2002/11公開・鑑賞 70点。
❖監督:ピーター・チェルソム、脚本:マーク・クライン、出演:ジョン・キューザック、ケイト・ベッキンセイル
③私にとってのウォルポールと言えば、ゴシック小説の傑作 『オトラント城奇譚(The Castle of Otranto)1764』。
青春・恋愛だけではなかった
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