「周りの評価通りの秀作と思われ、面白く観たのですが‥」今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
周りの評価通りの秀作と思われ、面白く観たのですが‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』は、周りの高い評価通りの秀作だと思われ、面白く観ました。
ただ一方で、個人的には絶賛とまでは言えない引っ掛かりはありました。
例えば、私は京都と大阪にかつて住んでいたことがあったのですが、主人公・小西徹(萩原利久さん)が学生の関西大学(大阪府吹田市)に、京都市の出町柳駅周辺から通うのだろうか?との疑問はありました。
(もしかしたら、京都市の出町柳駅や河原町の風景は、(おそらく京都の同志社大学に通う)さっちゃん(伊東蒼さん)だけの描写で、主人公・小西徹は京都と何ら関係がない、私の勘違いだったかもです。しかしそれなら、夜の京都の点描は必要なかったのではとも‥)
また、桜田花(河合優実さん)の関西弁のイントネーションは違和感なかったかもですが、内面の閉ざされた感じと、外面の雰囲気に余りズレがなく、関西人、大阪人っぽくないな、との違和感はありました。
一方で、伊東蒼さんが演じたさっちゃんは、内面の想いと、外面の軽快さにズレがあり、内面本心を隠しつつ、主人公・小西徹にズケズケと言って行く感じは、正に関西人・大阪人、という印象を持ちました。
ただ、桜田花を演じた河合優実さんは、もはや誰もが認める演技力の高い女優さんであるので、この差異は、単にさっちゃんを演じた伊東蒼さんが大阪府大阪市出身のネイティブ関西人というのが大きく、脚本も兼ねた大九明子 監督が関西出身でないのが大きな要因だとは思われました。
つまり、作品全体として(現在を加味しても)関西的な雰囲気をほとんど感じられなかったと個人的には思われたのです。
(ただこちらも、関西在住の方の感想レビューで違和感を感じた人は少なかったようで、私個人の感想だけかもしれません‥)
主人公・小西徹はおそらく関西出身者でなく、内面の暗さと外面の雰囲気のズレのなさは、そこまで違和感はなかったのですが、祖母が亡くなった事にこだわり続けている理由が、私にはそこまで伝わっては来ませんでした。
もちろん祖母の死は多くの人が喪失感を持つ出来事ではありますが、祖母が亡くなる経験は一方で多くの人にありふれていて、主人公・小西徹が今の性格になった理由としては弱く、もう少し別のさらにその奥の要因を探る必要があり、主人公・小西徹の性格の理由はぼんやりとしたままのように思われました。
なので、主人公・小西徹の(自身の内面に閉ざされた)性格に初めから共感している人は理解可能だと思われますが、主人公・小西徹の性格の理由の掘り下げが弱いために、初めに彼を理解出来ない観客は、最後までこの映画に乗れないままで終わってしまうと思われたのです。
私もそんな観客の一人でした。
主人公・小西徹の内面と外面のほとんどズレのない内向性は、桜田花も初めに書いたように関西人ぽくなくて似ています。
そして、桜田花もその性格の掘り下げがほとんどないために、初めに彼女の性格に乗れなければ映画の最後まで彼女にも共感出来ずに終わってしまいます。
映画は進み、さっちゃんは主人公・小西徹に告白して振られて、その後に交通事故で亡くなってしまいます。
その同じ時期に桜田花は大学に来なくなって、主人公・小西徹も桜田花と会えなくなります。
しばらくして、さっちゃんのバイト先だった銭湯の主人の佐々木(古田新太さん)が、さっちゃんと同じバイト仲間だった主人公・小西徹と共に、亡くなったさっちゃんの実家に線香をあげに行きます。
そして、主人公・小西徹は、さっちゃんの実家で桜田花と再会し、桜田花がさっちゃんの姉だとその時初めて知るのです。
映画では明確に描かれていなかったのですが、個人的にはここでも違和感がありました。
ここで、桜田花は、妹であるさっちゃんが好きで振られた相手が主人公・小西徹だと、この時認識したのだろうか?との疑問が出て来ます。
私の答えはYesで、おそらく妹のさっちゃんは、姉の桜田花に、バイト先の銭湯に好きな人がいる事や、告白して振られた事を、(それが主人公・小西徹だと桜田花に分からない形で)伝えていたと思われるのです。
そして姉の桜田花は、(さっちゃんのバイト先の)銭湯の主人の佐々木と一緒に実家にやって来た主人公・小西徹を見て、この時、妹のさっちゃんが好きだった相手が主人公・小西徹だと認識したと思われるのです。
その認識の一致が「最悪や!」のセリフにつながったと、私は解釈しました。
するとその後、桜田花が、妹のさっちゃんが好きだった相手が主人公・小西徹だと分かり、さっちゃんが主人公・小西徹に振られた後で間もなく交通事故で亡くなったという認識の上で、(さっちゃんが小西徹に聴いて欲しかったスピッツの「初恋クレイジー」が流れる中)主人公・小西徹が桜田花に告白します。
私には正直、この流れで主人公・小西徹が桜田花に告白する感覚は、理解し難い、理解は出来たとしても共感は大変難しいとは思われました。
内面と外面とをズレなく生きることが出来るのは、非常に悪く言えば、どこまでも他者を意識しないで生きられる傲慢さがあるからだ、との解釈も可能です。
この2人はそうではないんだ、とのもう少し深い踏み込んだ描写が今作にはないために、2人の傲慢さとの解釈を、残念ながら1観客としては超えられていないと感じられました。
であるので残念ですが、私個人は、主人公・小西徹と桜田花とに、共感は映画の最初から最後まで出来ずに終わってしまいました。
ただ、映画としては、内面と外面とのズレのない内向の2人を最後まで描き切った特質と、なにより内面と外面でズレのあるどこまでも共感出来る伊東蒼さんが演じたさっちゃんの、一方的な長い告白の場面だけで、とはいえ秀作だと思わせる映画の質はあったとは、一方で僭越思われ、今回の点数となりました。
(評価している人からすれば真逆のレビューになってしまい、申し訳ありません‥)
最後の告白、私も個人的にはとても「嫌」でした。
今の自分、初老の域に入る自分としては、全く共感などできないですね。
ただ、同時に私は、はるか昔の若かりし頃の自分の行動に対しても、今となっては共感できず後悔しかない思いを、数多く感じているというのもまた、事実なのであり。
それを考えれば、若いということはむしろ、そういうことなのではないか、という風に、妙に納得してしまったのも事実なんですよね😁