「しみじみと切なく、身につまされる」敵 sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
しみじみと切なく、身につまされる
「まあ“敵”って、“老い”やそれに伴う“孤独”とか“経済的逼迫”とかでしょ?」と軽く思いながら観ていたが、やっぱり「老い」のラスボス感は半端なかった。
長塚京三演じる主人公は、前半部では「perfect days」での役所広司のように、それを手懐け(たフリをして)、丁寧な充実した暮らしを送っている(ように振る舞っている)。けれど、教え子役の瀧内公美が登場してからは、どんどん虚実が入り混じり、最終的に何が真実なのかもあやふやになることで、彼自身の心の底にある欲望や後悔や捨てきれないプライドがどんどん丸裸にされていく(つまり何も乗り越えられていない)様子が、心底身につまされた。
遺言書もしたため自ら死を選ぶ準備と覚悟を持っているはずの主人公ではあるが、一笑に付す理性を持ちつつもネットの情報に引っ張られたり、庭先に人影を認めると、過剰なまでに取り乱したり、人間ドックをバカにしながら、血便が出るとすかさず受診したりして、「死」に振り回される。
そうした「死」をはじめとして、「コントロールできない恐怖を与えてくる対象=敵」ということが、犬のフンのエピソードや、経済学部出の編集者への攻撃的な態度、そして自分の中の抑えられない性欲(女医、瀧内公美、河合優実、妻)などとしても、様々に描かれる。でも、一番の「敵」は、主人公のラストシーン間近の「春になれば、またみんなに会える」というセリフ通り、「孤独」なのだろうな…と自分は受け取った。
他にも、ことさらに自分の体臭を気にしたり、食事面でも丁寧な暮らしをしていたはずが、無意識のうちに立ったままパンをかじってコーヒー豆を挽いたりという姿に、しみじみと切なさがつのる映画。
だが、それだけ自分に重ねて観させられたということで、作品としての訴える力はすこぶる強い。
ただ、ちょっとオカルトっぽい味付けについて、もしかしたら評価が分かれるかもしれない。
「またみんなに会える」の台詞、遺言公開の場にいない教え子、その内容…
やはり劇中の内容はほとんどが妄想で、長らく孤独を抱えていたのだと感じました。
「独りでは凝った料理は作らない」というのもここに繋がるのかな。
コメントありがとうございます。
色々と切なく身につまされるものがあり、最後は最恐のホラーでした。
儀助さんは、人として壊れていく中、性欲だけが強くなっていったような気がしました。
最後まで残るのは、生殖の本能なんでしょうか。
子孫を残すことがイキモノの本懐ですもんね。
ノーキッキングさん、コメントありがとうございました。
あのシーン、特に切なかったですね。お皿も、結局は自分の分だけしかなく、妄想の中だけなので、彼女の裸体も想像できず…。描き方がホントに容赦なかったなぁ(遠い目)
インテリとして格好の良い最期を目論むも、敵(死)は容赦ない。いくら抗っても妄想が肥大してくだけ。キレイには死ねない。
『11時40分、このままで!』なんてタイトルで書こうと思ったが挫折しました。