「「荒唐無稽」と言うなかれ!」カッティ 刃物と水道管 クリスさんの映画レビュー(感想・評価)
「荒唐無稽」と言うなかれ!
この映画を見てインド警察のあまりの無能と無法ぶりに「荒唐無稽」と思う向きもあるかもしれない。ハナシを進めるために盛ったんだろうと。刑務官も同様、脱獄18回の脱獄王に刑務所全体のブループリント見せるなんて正気の沙汰とは思えない。だがインド映画を見続けているとこれらが至って通常運転であることが分かる。インドの司法は有名無実。金と権力にものを言わせればどうとでもなる世界がそこら中に広がっている。
日本人が想像しやすいそれに似た社会はたぶん昔の西部劇とかマカロニウェスタンの世界だろう。保安官が有力者に金で買われ、農民や小さな牧場主達が何かと搾取される中、早撃ちの風来坊が現れて悪漢を全部倒してくれる、みたいな。この世界観、わりと南インドのアクション映画が踏襲していたりする。インドの主人公は銃ではなくもっと素朴な武器で戦うのだが。
これはウェスタンであるとはっきりうたっているのが現在公開中の『ジガルタンダ・ダブルX』。話題作なので見た人もいると思うが実は『カッティ』との共通点を挙げる人も多いのだ。
例えば世論を盛り上げて自分達の味方につけるために映像を利用するところ。
世論の支援が必要なのは、権力者に簒奪されようとしている自分達の土地を守るため。
まあこの二点以外はほとんど似通ったところのない作品ではありますが、もうひとつ、ウェスタンにインスパイアされているというのも共通点なんですよ。
『ダブルX』の場合は言うまでもなくクリント・イーストウッドの『夕陽のガンマン』ですが、『カッティ』はもっと古い。古すぎて今では知る人ぞ知るの映画になってしまった感もありますが、かつては西部劇不朽の名作と言われれば真っ先にこれがあげられたものでしたよ、『シェーン』。「カムバック、シェーン」という有名な台詞で一世を風靡したらしい。
物語といえば上に書いた通り。未亡人であるヒロインの幼い息子君の「僕たちとこの土地を守って」という願いをかなえるように現れた主人公が、ラストに観客全員の期待であったヒロインと結ばれることを拒んで立ち去っていくのが有名な台詞につながります。叫ぶのは息子君ですけど、それはヒロインと観客全員の気持ちの代弁でもある。
たぶん『カッティ』はこれに触発されている。或いはその後鬼のように作られた類似の作品群にかもしれないけれど。
でも祝祭的なパレードで終わりにすることもできたのに『カッティ』がそれを選ばなかったのは、どちらが人の心に残るかをよく考えた結果なのだろうなと思います。10年前とはいえ現代の作品なので『シェーン』のように直接的な訴えができないのがより切ないのです。
ハッピーエンドを望んでいた観客の期待を裏切ることによって心に僅かな傷を残す。その傷の痛みが余韻となっていつまでも残る作品。それが『カッティ』。もちろん不朽の名作です。