「誰だって自分のバランスを取りたいですから。」山逢いのホテルで きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
誰だって自分のバランスを取りたいですから。
あの「氷山」は、水の上に7分の1を浮かべているのだそうだ。
そして誰にも見えないけれど、ほの暗い水の底に、残りの大きな塊を沈めている。
人も同じ。
クローディーヌは
自分の存在について、高低の、あるいは左右の、もしかしたら裏返しの、存在のバランスを取りたかったのだろう。
人は違う自分を手探りする。そして同時に今の自分を保ってゆくためには
場所と時間と相手を変えて、違うシチュエーションに生きる特別の時間が、何処の誰にでも、「息抜きのため」には人間には必要だからだ。
僕たちも時折、独りになりたくなる。
旅行に行ったり、自分だけの友人に会いに行ったりして、いつもの日常を離れる機会を自分に奢っているではないか。
映画館に出掛けるのもそうだろう。
大げさでなくても、均衡を保つため、無意識に我々は別の世界を求めている。自宅で誰だってコーヒーは淹れられるのに、例えば我々は外に出てカフェに行くではないか。
クローディーヌは
週に一度、バスとケーブルカーを乗り継いで山に登り、ミネラルウォーターを頼み、そして必ずタバコをふかす。
ホテルで男たちと肉体関係を持つ。
彼らが本名を名乗っているのかも、何処から来た何者なのかも疑わしい、お互いに行きずりだ。
ワンナイトだけで彼女にとっては終わってしまう逢瀬で、それぞれがクローディーヌの充電と気分転換のためだけの相手だった。
だから、注意深く長期滞在者を避けたし、一両日中には発つ客を選ぶ。次の週には決して顔を合わせない相手を選ぶことで、彼女は深入りはしない。
裸にはなるが、親密にはならない。それは彼女の頑なに守るルーティンだ。
体と心の障壁はクローディーヌの砦だ。
ところがドイツ人のダム技術者ミヒャエルと名前を交わし、言葉を交わしてしまった事で、彼女の“自慰”の生活と、週に一度の行きずりの習慣は壊れてしまったわけだ。
なぜバス乗り場で、クローディーヌはミヒャエルについて行けなかったのだろう。
理由は何だろう。
ミヒャエルの行き先が南米ではなくたとえ隣町であっても、やはりクローディーヌは足がすくんだのだろう。
息子がもう何の問題もなく、施設で安住していても、それでもこの母は あと一歩が踏み出せなかったのだろう。
理由は分からない。
突然に怖じ気づいて息が出来なくなること、
過呼吸でもう自分が駄目になりそうなこと、
壊れそうな自分の喉の奥から、抑えようのない動物のような絶叫が出てしまうこと。
僕たちにもそれは有るのではないか。
氷山が黒い水の中で動くのではないか。
・ ・
まるで地の果てのような世界。ホテル。
自作自演の手紙だけがクローディーヌの支え。
バティストの世話をしてくれる婦人は、クローディーヌの“秘密”を知っていても、このシングルマザーの事情を黙って支えている。
人間の存在を揺るがす、まるでドイツ映画のようなスイス・ベルギーの合作作品。
会話はフランス語を主体に各国の言葉が飛び交う。
水と空を隔ててそびえるコンクリートのダム躯体が
ついに“決壊” 出来なかったクローディーヌの心中を表すように、無情にも、微動だにせず立ちはだかって視界を塞ぎ
映画は終わった。
僕も目を伏せて映画館を出た。
誰にも会いたくなかった。
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どうも。まだストーカーいるんですね!?
コメント不可機能があるのに、アカウントのブロック機能がないのがおかしいんだと思いますね。Filmarksはコメント不可は出来ないけど、根こそぎブロック出来ますから。あの捨て垢はブロック・通報されて、アカウントは削除になってますからね😁
風邪などひかないように。良いお年を。では。
こんにちは、
ご無沙汰です。実はコロナの頃に大半のレビューをFilmarksにコピペして、当初はパラレルでやっていたのですが、どうしても推敲したくなるたちなので、両方やるのは大変で、映画.comは中止にしました。映画.comにはネット民の捨て垢や右翼のアカウントが跋扈していて、迷惑だったことも大きな理由の一つです。去年ぐらいまで、FilmarksでもJ24の捨て垢に付きまとわれて迷惑してましたし😁それにレビュー書き込むにしても映画.comは反応遅くて、イラっとするとかそんな理由です。
おひさしぶりでござんす
SEE YOU AT 5 のPV さっき見ました🤩
ありがとうございました
水を抱く女、観ましたよ。2回目。映画館と映画ドット・コムで。
パウラベーラさんの新作ステラも楽しみにしてますよ。
きりん様
共感&コメントありがとうございます
…タイトルは綺麗な大人の恋愛イメージだったのでギャップはありましたが
時間を経て改めて見なおしてみたくなる作品でした…
きりんさんの逃げるように…想像出来てしまいそうです!