「場の記憶」アット・ザ・ベンチ TSさんの映画レビュー(感想・評価)
場の記憶
何の変哲もない、日常の風景の中にある「場」。
そんな日常の「場」にも、そこに生きた人の記憶が積み重なっている。
この映画では、河川敷にポツリと1つだけ取り残されたベンチを舞台に4組の人間(1組は宇宙人か)の物語が紡がれていくわけだが、このベンチは単なる物体というよりは、「場」であると思った。
学生時代、教官のアシスタントとして後輩学生達が公園を設計する実習を指導したことがある。ベンチというのは、人に使われるかどうかが非常に重要なアイテムで、その配置や設計には非常に入念な検討が必要なのだ(ちなみに、そっち方面とは全然関係ない仕事をしている)。
この映画のベンチは、非常に奇妙な配置である。なぜこんな場所に1つだけ?およそ人に使ってもらえるような配置ではない。目の前には遊具などがあって、どうやら3つあったうち2つが撤去されて1つだけ残ったらしい。しかし変だ・・・
この「場」に強烈な記憶を刻みつけていくのは・・・
ベンチの上で会話する幼なじみの男女。
別れ話をするカップルと変なおじさん。
男に狂ってしまった狂乱の姉と、姉を案じる妹。
ベンチになった宇宙人の父を助けようとする宇宙人兄妹(役?)の男女。
と、宇宙人??
変だが地味な「場」。そこを味わい深い場に変えてしまうにはアクの強い演者と演出が必要なんだろうと思うんだが、この作品は、間にそれを挟み込んで、最初と最後を優しく包み込んだ形。日常→ちょっと変わった日常→異常→超常現象?→日常という流れというか。
個人的には、ちょっと変わった日常のカップルがいい。岸井ゆきのってナチュラルにどこか滑稽な人を演じることができて怖いんだけどクスッと笑える。やっぱり凄いんですけど。
あーでもこのベンチで「スーパーの寿司」を食うセンスはズレてる。それはないわ。
その後の宇宙人兄妹のアイデアは良く思いついたなと感心した。視点がベンチ目線に変わったので「なんかあるかも?」と思っていたけど、宇宙語で話すとは、ヤラレタ。
結局、このベンチは本当は何だったのかは、謎のまま、幼なじみは仲良く収まって、ベンチは撤去される。この場の記憶は失われていく。
最後に2人が長生きして死んだウサギのことを笑って話すのが何故か印象に残った。実体がなくなっても、人の心の中には記憶は残るっていう意味なのか。
ちょっと考えすぎかもしれない。
ちょっと不思議な短編集だった。