「原作再現の難しさと広告過剰露出--2025年邦画界の奇妙な事例」アンダーニンジャ こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
原作再現の難しさと広告過剰露出--2025年邦画界の奇妙な事例
山﨑賢人・浜辺美波という盤石のキャストに、監督は福田雄一。原作は花沢健吾の人気漫画。これだけ条件が揃えば、そもそも初動はある程度読める。しかし、この映画の評価をめぐる議論は、作品内容と同じくらい、いやそれ以上に「宣伝のあり方」に引きずられてしまった。そこにフジテレビのスポンサー撤退騒動という時代的偶然が絡むことで、本作は妙な形で注目を集めることになった。
まず作品そのものに目を向ける。原作の持つ陰鬱かつシニカルな世界観を、福田監督特有のコメディセンスでどう料理するのか。結果としては「どちらつかず」というのが大方の評価である。アクションシーンには見応えがある一方、シリアスとギャグの切り替えが唐突で、観客が感情移入できない。原作ファンからすれば「改変が多すぎる」「軽すぎる」と不満が漏れるのも無理はない。ただし、原作を知らないライト層にとっては「忍者が現代社会に潜伏している」という設定自体が新鮮で、娯楽作としては及第点という声もある。
だが、問題はここからである。フジテレビがスポンサー撤退で大量のCM枠を空け、その穴埋めとして『アンダーニンジャ』の広告が延々と流されたという事実。これは業界関係者なら誰もが知る話であり、週刊誌にも「一日中CMが流れている映画」と揶揄された。広告とは通常、複数の作品や商品が枠を奪い合い、視聴者の接触頻度も分散する。しかし今回のケースは、異例なほど同じ作品が繰り返し流れた。視聴者は否応なく「アンダーニンジャ」というタイトルを刷り込まれる。結果として、映画館に足を運んだ人がどれほどいたかはともかく、認知度の高さだけは確実に担保された。
ここで留意すべきは、広告露出と興行収入の因果関係が単純ではないこと。確かに過剰な宣伝で「見てみるか」と思う層はいるが、逆に「またこのCMか」と不快感を募らせる人もいる。加えて、映画自体の出来が芳しくなければ、口コミで客足は伸びない。本作が初登場3位にとどまったのは、まさにそのバランスを物語っている。過剰な広告で注目は集めたが、内容がそれに応えられず、爆発的なヒットには至らなかった。つまり、広告過多が「知名度の最大化」には寄与したものの、「興行の持続力」には至らなかった。
結局のところ、この映画は「原作再現の難しさ」と「宣伝異常事態」という二重の文脈に巻き込まれた作品である。純粋に映画の完成度で評価すれば中程度だが、広告効果と不祥事という外部要因を考慮すると、2025年邦画界の象徴的な一作となった。作品単体ではなく、社会的コンテクスト込みで語られる映画。そうした意味で、『アンダーニンジャ』は成功と失敗の狭間にある異様な存在感を放っている。

